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第5話 悩み悩んで結局は

 ドアを開けると、そこは長い廊下。

 打ちっぱなしのコンクリートの壁に挟まれた薄暗い道が続く。


 その中を早歩きで行く女性。

 会場内部を何も知らない俺は、ただ彼女の背中を追いかけていった。


「あの。これから俺、何やればいいんですか? 付いてきておいて何ですけど、話が見えなくて」

「あぁ、ごめんなさいね。ひとまず……私はこういう者よ」


 そう言うと女性は歩くスピードを少し落とし、俺の左側に付いてくれた。

 そして1枚の名刺を差し出す。


『芸能事務所アクセルターボ マネージャー 室井(むろい)冴子(さえこ)


 受け取った名刺には、そう書かれてあった。


 アクセルターボ。

 その名前には聞き覚えがあるぞ。確か結構大きな芸能事務所だったはずだ。

 アイドル、役者、芸人など所属するタレントの幅も広い。

 今ライブをやってるサンシャインの2人も、たしか所属してたと思う。

 この人……室井さんは、そこのマネージャーなのか。


「実はね、今から私がプロデュースしてるアイドルユニットのライブがあるんだけど……急なアクシデントが起きたの」

「えっ、ライブって今やってる――」

「いいえ、サンシャインとは別のユニットよ。ハレーションって名前なんだけど…………まぁ、知らないか」


 ハレーション……知らないな。

 芸能関係にはそれほど明るい方じゃないが、ハレーションという名前には特に聞き覚えがない。



 やがて廊下を抜け、室井さんと俺はステージの裏側に位置しているであろう広間へと立ち入った。

 そこには明るい照明と幾つかの控え室。

 (あわただ)しく人が行き交う、まさにライブの裏側といった情景が広がっていた。


「メンバー3人の内、1人が消えちゃったの。……でも、今さらライブを中止には出来なくて」


 消えた……あぁ、会場から逃げたってことか。

 誰だか知らないが、無責任な奴だな。一体どんな…………あっ、そうか。

 さっき俺が見逃しちゃったあの娘のことだな。


「それでね、代役が必要になったよ。アイドルとしてステージに立っても見劣りしない、ひときわ魅力を持つ人間が!」


 その表情は、明らかに切羽詰った様子。

 俺にとっては他人事だが、ともかく大変なことになってるんだな。

 ――なんて思っていると、室井さんは立ち止まり、俺の両肩にガシッと手を置いた。


 …………え?


「……あの、それってもしかして……?」

「そうよ! あなた、なかなか可愛い顔してるじゃないの。まさに渡りに船だわ!」


 さっきと表情を一変させ、目をパッと明るく輝かせている室井さん。

 事の経緯を理解した瞬間、俺の背中をゾクリと這うものがあった。


「いや、無理です! 絶対……絶対無理!!」


 アイドルの代役……俺が!?

 いやいやいや、ないだろ。


 男のアイドルって、確かあれだろ? 大勢の前で歌ったり踊ったり、バック宙なんかもやる感じの……いや~、ないない!

 別に運動神経に自信が無い訳じゃないが、衆目に晒されながらのパフォーマンスなんて俺の柄じゃない。

 真っ平御免こうむる!


「え~、十分いけるわよ。プロの私が言ってんのよ。キミ、学校でもチヤホヤされてんじゃないの~?」


 からかうように覗き込んでくるその顔。

 どうも俺は年上の女性を相手にすると、こういう顔をされやすいんだ。


 俺がチヤホヤだって? 残念ながら、それは見当違いだ。

 教室では授業の時以外は、ずっとアルバイト情報誌と向かい合ってる。

 そのせいで、クラスメイト達とはロクに話したこともない。

 入学してからずっとだ! 


 ……改めて思うと、それもちょっと問題か。

 冷静に見れば、それはクラスで孤立してることになるんだよな。


「……とにかく向いてないですよ、俺には」

「あら、そう~残念ね。それじゃ、ギャラの話も無しになっちゃうけど」

「!」


 ギャラ……そうだ、5万円! その言葉についハッとなってしまった。


 ――そして、室井さんもそれを見逃さなかった。


「ふ~ん。キミ結構、苦労してるのね。じゃあちょっと攻め方を変えるわ」


 そう言いつつ、室井さんはニヤリと口角を上げた。まるで勝機を見つけたとでも言わんばかりに。



「あなた、今日の日当は5000円って言ったわよね。イベントスタッフは午後1時に就いてもらったから……6時間の労働か」


 5万円の後だと、なんだか5000円って少なく思えてくるな。

 ……あ~、いかんいかん。これはきっと相手の作戦だ。

 ちゃんと意思を持て! 惑わされるな!


「それに対して、私が今あなたに依頼したい仕事は……そうね、5分かな。ほんの5分間、ステージに立っててくれればそれでいいわ。歌も踊りも結構! ただ棒立ちでいるだけで5万円貰える仕事です。……どうかしら?」


 そ、そう来るか……。

 その言葉に、俺は自分の意思がフニャフニャと揺らいでいくのを感じた。


 この人、見た目が20代か30代かあやふやな感じだけど……さすが大人だな。

 人間の質ってものを知ってる。

 俺みたいな金の虫は、こういう打算的な言い回しに弱いんだ。感情云々よりも、まず利益を求めてしまうが故に。


 たった5分間が5万円に化けるのか。

 くそ~。な、なんだかこの話がおいしく見えてきたぜ……。


「よ、よく分かってらっしゃる……」

「ふふ~ん。どうしますかぁ?」


 目の前の策士は、思惑通りといった様子で怪しい笑みを浮かべている。


 悩んだ俺はしばし、思案にふけってしまった。



 ……よ~しよし、落ち着け。ひとまず冷静になろう。


 俺には今、選択する自由がある。


 室井さんの誘いに乗り、アイドルをやるもよし。

 このまま引き返し、元のバイトに戻るもよし。


 本能に従うなら、ここで引き返したい。

 俺はアイドルになりたいなんて思ったことはないし、第一なる奴の気が知れない。

 あんな大勢の前に自分を晒して、恥ずかしいという感情は起こらないのだろうか?


 そうだ……たとえたったの5分間でも、俺はあんなのやりたくない。

 俺の持つ時間は、1秒残らず全て俺のものだ。

 自分の好きなように使う!


 …………だがその結果、どうなる?


 ここで引き返せば、確かに恥ずかしい思いはしないで済む。

 裏口の前にはもう室井さんが手配した代わりのスタッフがいるだろうから、はたしてバイトに戻れるかは危ういが……。

 とはいえ、精神的に何かを失うということはない。俺は自分のままでいられるだろう。


 だが待て……待てよ。

 その『失わない』ということは、果たしてそんなに良いことなのか?

 それは裏を返せば、『何も得てない』ってだけなんじゃないか?



 俺は今日、得て帰らなければならない…………金を。

 そうだ。俺は金を稼ぐため、わざわざ電車でこんなところまで来たんだ。


 俺が……俺なんかがアイドルをやるなんて、どう考えたって恥ずかしい。プライドだって、きっと傷つく。


 だが…………その先には利益がある。5万円という確かな利益が!


 どうする?

 5分間……その時間を、俺はこの室井という人間に売り渡すか。

 それとも、自分の時間として好きなように過ごすか。


 ――決まってるさ。


 5万円は5万円。

 5分間は…………0円!


「……わかりました。やります」

「そうこなくっちゃ! ささ、こっちがメイク室よ」


 長い長い自問自答の末、俺は答えを出した。

 今、俺が必要としてるのは金だ。そのためなら、時間でもプライドでも何でも売っ払ってやるさ。


 ……そう自分に言い聞かせて。



「そういえばあなたのお名前、まだ聞いてなかったわね」


 意気揚々とメイク室とやらに向かう室井さんが、ふと振り返る。


「はい。俺、本城(ほんじょう)(あゆむ)っていいます」

「歩くんかぁ。へ~、いい名前ね。漢字はどう書くのかしら? ちょっとここにメモして」


 そう言うと、室井さんはペンと折り畳まれた白い紙を差し出してきた。

 ……何かのメモ用紙だろうか?


「えっ、はい。別に難しい字でもないんですけど……」


 イマイチしっくり来なかったが、俺はその紙に自分の名前を走り書きした。

 さっき名刺をもらった手前、断るのもバツが悪い。


「……ありがと! じゃあ、急いで急いで~」


 室井さんは再び歩き出し、俺もまたその後に付いていった。



 ――しかしこの時、俺は1つ大事なことを見落としていた。

 5万円という金額のデカさに、不覚にも浮き足立っていたせいだろうか。


 会場からいなくなったのは女の子。

 必要なのは、その代役となる人間。


 俺という人間に今、どんな需要が発生しているのか……少し冷静になれば気付けることだったのに。

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