第49話 男の勝負
「何だと? 気取ってんじゃねぇぞ、コラ!」
とはいえ、状況はまだ1対2。
「やだ、こわ~い。聖矢さん、さっきはあんなに優しかったのに」
「きめぇんだよ、オカマが!」
しかも、もう相手の手心には期待できない、と。
こちらに鉄パイプという獲物があるにせよ……どうも不利だなぁ。
「おい、お前。2人がかりだ。こっち来い」
「……」
やっぱりそう来るか。
ん……いやでも、この狭い個室の中じゃ逆に
「……」
「う、近っ! あ、あ~……もう、いいや。お前だけ先にいけ!」
よしっ。
この部屋の狭さ、そして沢口の体格の大きさが功を奏したようだ。
2人が横に並ぶと、むしろ身動きが取れないんだ。
村岡が部屋の隅に引っ込んでくれた。
「……」
とりあえず、相手はこの言いなりロボットだけだ。
「よろしく……って、聞いてないか」
「……」
ここまで徹底されると、もはや疑うべくもないな。
こいつは既に正気じゃない。
何かの暗示かコントロールでも――おおっと!
「うわっ! あ……あ、バカ」
いきなり突進してきやがった。
礼儀も何もあったもんじゃない。
すかさず横に避けたけど、その勢いのままあいつはコンクリートの壁と正面衝突。
……あれは痛いぞ~。
「……」
だが沢口は、まるで何事も無かったようにこちらを振り返る。
おでこに、でかいこぶを作って。
「自制も効かないってのか」
状況的に追い詰められてるのは俺だけど、あいつもあいつでヤバイな。
何とか静めてやりたいが――うわっ、また来た!
「こ、この! 危ねぇって」
向かってくるのを見て、俺は咄嗟にしゃがみ込んだ。
そして奴の下半身を両足でキャッチ!
前進する勢いに加重させて、自分の全体重を預ける。
「……!?」
「よしっ、こいつ!」
すると沢口は、上手いことビタンッと倒れてくれた。
すかさずその背中にまたがり、奴の延髄に一撃!
「……眠ったか?」
一応、起き上がってはこない。
岡島とは体格が違うから、同じ手が通じるか不安だったけど……
「……ん、んぅ」
「!? まだか!」
やはり1度じゃ足りなかった。
こうなれば、さらに一撃!
「ぼくは……な、に――」
「え、え?」
あれっ、今ちょっと喋った!?
…………でも、もう手遅れだった。
気付いた時には、鉄パイプは首を通過してたんだ。
「……」
「え~っと」
今度こそ動かなくなった沢口の首に、そっと手を当てる。
……うん、脈はあるな。気絶してるだけだ。
「さぁ、あとはお前だけだ」
気を取り直して、村岡と向かい合う。
まだびみょ~にさっきの心残りがあるけど、もう振り切ってしまおう。
「へ~、結構やるんだな」
ほくそ笑みながら、ゆるやかに歩き出す。
「来るか……!」
どういうわけか知らないが、岡島や沢口はやりやすかった。
動きが機械的というか、パターンになっていたから。
だが、こいつはきっと違う。
まともに喋ってるし、何より目が生きてる。
「よくも、この村岡聖矢をコケにしてくれたなぁ」
感情がみなぎってるのが、見て取れるぜ。
しかし、俺の手には鉄パイプ。向こうは丸腰。
この優位性を保てれば、おそらくは――
「くらえ、オラ!!」
と思ったのも束の間、奴は背後から何かを取り出し、こちらに投げつけてきた。
あれは……花瓶!
さっき床に落ちてた花瓶だ。
「う、うわっ!?」
思わぬフェイント。
避けようとしても、花瓶は既に目前に来てる。
間に合わない……!
「くっ!」
だが、この直撃を食らうわけには!
俺は何とか払いのけようと、顔の前に鉄パイプを強引に滑り込ませた。
バリンッ!
花瓶と鉄パイプ。
その間に重い衝撃が起こり、前者が割れた。
だが後者の方もその反動に抗えず、鉄パイプは俺の手から離れていってしまう。
「よそ見してんじゃねぇぞ!」
「あっ、うぐ……」
そうした隙に、村岡は俺の懐まで飛び込んできていた。
がら空きの腹に、パンチの殴打が続く。
左右交互に1発、2発、3発と。
「このっ、やめろ!」
だが4発目のパンチが来ると、俺はフッと身体をずらしてそれを避けた。
脇の下を通り過ぎようとする奴の左腕を、すかさず自分の右腕で挟み込む。
「お、おっ?」
「お返しだ!」
形勢を返されて、戸惑う村岡。
俺は一旦、身体を少し後ろに引いてまた前方へと体当たりを加える。
たちまち奴の身体はふっ飛び、背後の壁に背中を打ちつけた。
「く……くそっ」
少し身をよろけながら、村岡はこちらに睨みをぶつける。
憎しみと苛立ちを合わせたようなキツイ眼差し。
「はぁ、はぁ……あんたさ」
その目を見て、俺の心にある感情が芽生えた。
それは怒り……いや、それを通り越した先にあるもの。
「まがりなりにもアイドルなんだろ? 自分が今やってること、何とも思わないのかよ?」
「……なんだよ」
たぶん、呆れという感情。
アイドルは特別な仕事だ。
こいつだってプロになったからには、相応の苦労をしてきたはずなのに。
「徒党を組んで、女の子をさらって、その果てに……そんなことして何の意味があるんだ!? 何を得られる?」
「……チッ」
「そんなの、ただ欲望を発散してるだけじゃねぇか。その辺の動物だって出来ることだ。わざわざアイドルになって、やるようなことかよ!」
村岡の目から、さっきまでの激しさが無くなっている。
少しは心が動いたのか。
……いや、笑っている?
「ふっ。お前、アイドル初めて何年よ?」
「え……いや、まだ3ヶ月くらい」
「ハッハッハ! ……若ぇなぁ」
嘲笑っているのか。
でも……それは俺を笑ってるんじゃなくて、むしろ
「そのうち気付かされるぜ。アイドルといっても、大抵のヤツはスターの階段を昇らせてもらえねぇもんだって」
「何?」
「そして、それでも業界に残りたかったらさ。もう上から来る仕事は何であれ断れねぇんだよ」
何を言ってるんだ?
それじゃまるで、こいつが今やってることは誰かに依頼された仕事ってことになる。
「お前、それじゃ誰に」
「おっと! そいつは……」
村岡が体勢を直す。
さらに身構えて――
「自分で考え、な!」
来た!
今度は右から……いや違う。正面だ。
「くっ、うっ!」
1発、2発とまた上半身へのパンチを食らってしまった。
ケンカなんて……今までロクにやったこと無いからなぁ。
「おぉら!」
そして3発目が来る。
たぶん一拍後、狙ってくるのは左肩か。
「はっ!」
「あ、あぁ?」
よし、捉えた。
奴の右腕をつかみ取り、そのまま腹の辺りに肘打ちを連打。
「くうっ、放せよ!」
「う、あっ」
しかし、強引に腕から引き剥がされてしまった。
力比べじゃ、向こうの方が有利なのか。
「手ぬるい攻撃だな。人を殴ったことねぇのか、あ?」
まぁ……言い返せない。
争い合うほど人と関わったことなんて、今まで無かったな。
「あんたは慣れてそうだな」
「まぁな。男のアイドルは顔だけじゃなく、腕っぷしも資本よぉ!」
そうして奴は右肘を曲げてみせた。
う~ん……結構な力こぶ。大したもんだ。
俺だって別に華奢なわけじゃないけど、さすがにあそこまでは。
「女装趣味のオカマちゃんとは――」
むっ、また来た。
今度は……よ~く見ろ。うん、左か。
「鍛え方がちが……お?」
「くうっ」
1発目は食らってしまった。
でも2発目で食い止めたぞ。
あれっ?
でもなんで俺、ケンカの経験も無いのにこんなことが――
「……イチイチうぜぇな!」
「ん、ぐはっ」
しかし奴のショルダータックルを受け、後ろに飛ばされてしまった。
ぶつかった先にあったのは、ダンボール箱。
一応、ダメージは緩和されたか。
「はぁ、はぁ……」
どうする、互いの腕力の差は覆せそうにない。
このまま持久戦になれば、俺の方が余計に不利だ。
――はい。ワン、ツー、ワン、ツー――
ふと突然、頭の中にある情景が浮かんできた。
まだデビューしたばかりの頃……冴子さんのダンスレッスン……
――いい、あゆみ? 大事なのはテンポを読み取るリズム感よ。それが身につけば、歌やダンスや会話の流れだって、思うまま上手くいくんだから――
そうか……分かったぞ。
そういうことだったのか!
「どうした、もう諦めたか」
テンポ……リズム感。
「へへっ……来い」
ゆっくりと立ち上がり、手招きしてみる。
「この野郎っ……上等だよ!」
俺がさっき、攻撃をかろうじて止められた理由。
それは、そのテンポをリズム感で読み取ったからだ。
途中まで……だったけどな。
「……!」
「おら、おら!」
手探り気味の右パンチ……ワン。
反動を利用した左パンチ……ツー。
く~っ、痛ぇなぁ!
でも耐えなきゃ。
「何だよ、動けねぇのか?」
力を少し溜め込んで……スリー。
「おぉ~りゃあ!」
そして振りかぶっての……フォー。
「……ぐっ、ぐうっ」
胸に腹に両肩にと4発のパンチを食らい、俺はまた背後の壁へと身を打ちつけられた。
「粋がってた割に、大したことね~な」
「……どうかな」
ゆっくりと立ち上がり、姿勢を整える。
両足は肩幅の広さ。身体の力を抜いて楽に……
「もう沈ませてやるよ!」
「へへっ」
テンポは単調な4ビート。
そこからあえて、一拍ずつずらす…………ヒップホップのリズム!
「……あ、あら?」
「ほらよっ」
空振りして体勢を崩したところに、背中へのエルボーを1発。
「くっ、こんのっ」
タン、タン、タン、はい!
「それっ! はっ!」
「くそっ、ちょこまかと」
ははっ、面白い。
面白いように、奴の動きが分かるぞ。
「このっ、何だよ。こいつっ……!」
読み取ったテンポから一拍だけずらして、リズムを作り出す。
たったそれだけのことで、こんなにも形勢が変わるなんて。
「へへっ、それもう読んでんだよ」
1度、身を犠牲にした甲斐があったぜ。
もはやどんな攻撃だって、当たる気がしない。
狭い部屋の中を右往左往し、軽やかに自分のリズムを描く。
「はぁ、はぁ、はぁ」
とうとう立ち止まった村岡。既に息は上がってる。
さすがに奴も、疲れてしまったんだな。
「どうする? まだ続けるか?」
「…………おうよ!」
だが、あの顔は……諦めてない!
すると奴はポケットから何かを取り出した。
あれは……えっ、ナイフ!?
「お、おいおい。何考えて――」
「うるせぇ! 俺にはもう後がねぇ!」
後がないって……人を刺しちゃったら、それこそ本当に人生がTHE ENDだろ。
「落ち着け! それって犯罪だから。お前、牢屋に入れられるぞ」
「こんな泥仕事でも……スターになるために!」
ダメだ、全然人の話を聴いてない。
追い詰められすぎて、目が血走ってるぞ。
……あれって、本当にヤバくなった人の顔なんじゃないか。
「うおぉぉぉ~!」
「う、うわわっ」
さっきまでの得意気が、もうどこかに飛んでしまった。
だってナイフを向けられてもなお、テンポがどうこうって言えるなら、そいつはもう武道の達人だ。
アイドルなんかやめて、道場でも開くといい。
「死ねっ、消えろ!」
「ひっ、うおっ!?」
あ、あぶね~。
避けられなかったら、今の刺さってたぞ。
どうしよう、こんな奴本当にどうすれば……
「ちょっと、おい……ん、うわっ!?」
逃げ場を求めてさまよう内に、かかとが何かにつまづいてしまった。
尻餅をついて、その先にある柔らかい感触……沢口の背中の肉だ。
こいつ、なんてとこに倒れてやがる!
「はぁ、はぁ……ハハァ」
「待て……ちょっと待て」
村岡がのそりのそりと歩み寄り、やがてナイフは目と鼻の先まで近付いた。
退路は絶たれてしまった……ピンチだ。
これこそ絶体絶命のピンチ!
「へへっ、へへ……キレイな顔だぁ」
ナイフの平らな部分で、頬をペチペチと撫でられる。
こいつ……もう俺が男だってことも忘れてんじゃないか?
「へっへっへ……」
「う、うぅ」
ナイフはそのまま下降していき……俺の着ているTシャツまで辿りついた。
そして、おもむろにツーッと生地を一直線に切り裂いていく。
「うあ……あぁ」
何か、何か手は残ってないだろうか。
こんなどうかしちゃった奴に命運を握られるなんて、嫌だ!
俺はワラにもすがる思いで、ジタバタと手探りした。
すると…………こ、これは!
「終わりだ~!!」
「これでも食らえ!」
ナイフを振り上げた村岡。
その顔面に向け、沢口のポケットから取り出した物……かつて俺を気絶させたスプレーを振りかける。
思いっきり! でも自分の鼻だけはつまんで。
「うっ、うぅ~……」
やがて、村岡はそのまま力尽きるように倒れてくれた。
良かった……何で出来てるのか知らないが強力だな、このスプレー。
「何とか……やっつけられた」
男たちとの戦いは終わった。
さぁ、あとはみんなを助けに――
「うっ! ぐぅ……」
いきなり背中に圧し掛かった重い衝撃……な、何が起きたんだ!?
「……」
「岡……島」
俺が一番最初に気絶させた男。
岡島が鉄パイプを握って、立っていた。
「く、くうっ」
思わぬ不意打ちに、俺は再び地面に倒れこんでしまった。
だが、奴は
「……」
会話する気も無さそうだ。
言いなりロボットのまま……もしや村岡に仕事を依頼した人物っていうのが、こいつや沢口も。
「う……動け」
度重なるダメージと疲労のせいか、身体がロクに動かない。
どうなる……このまま俺は、こいつのいい様にされてしまうのか。
やがて岡島が、頭上へ鉄パイプを振り上げる――
「……」
「!!」
南無三! とばかりに目をギュッとつむる……が、何も起こらなかった。
どうして……岡島?
「……んぅ」
奴の身体がバタンッと前へ倒れこんできた。
何だ? 一体、何が起こって…………
あっ!
「あゆみたん! 助けにき……えっ……」
美咲だ……どこかで拾ってきたんだろうか。
手に角材を持っている。
「……あ、ゆ……み……?」
いつきも……良かった。
さっきまでの怯えは、もう無くなってるみたいだ。
「その髪……その……身体…………」
由香も。
みんな自力で脱出できたのか。
すごいな……さすがハレーションのメンバーだ。
でも……でも……
「あんたたち、なんてとこにいんのよ!? もうとっくにリハーサルが始まっ……て」
ドアの向こうから、冴子さんもやって来た。
月形ドームから駆けつけてくれたのか。
――狭い部屋の中を、静寂だけが支配している。
冴子さんも、美咲も……いつきも……由香も……
そして俺も、みんな揃ったように言葉を失ってしまった。




