第40話 賽をふるって……出目は6!
「まぁ……これ見て」
そうしていつきが差し出してみせたのは、いつも撮影で使ってるモバイルPC。
ディスプレイには、フーチューブのある動画のタイトルが表示されている。
先週、俺たちが初投稿した『はじめまして ハレーションです』だ。
「この動画がね……」
画面上でカーソルを動かし、再生ボタンを押すいつき。
「7月30日は月形ドームに――」
「あぁ、もう……広告ウザイ」
だが、それに先駆けて30秒の広告動画が流れてしまった。
今、観たいのはそれじゃないのに。
……とはいえ、この広告収入こそが現状のハレーション唯一の収入源になってるわけで。
「サンシャインに会いにきてね!」
「あっ、お姉ちゃんだ」
約1ヵ月後に迫ったサンシャインライブin月形ドームの広告か……よりによって。
広告はいつも、いろんな企業のものがランダムに流されている。
こちらから選べないシステムだから、致し方ない。
「あ、あの~……こんにちは」
そして、ハレーションの動画が始まった。
ぎこちなく振舞う自分が映ってる……あまり正面から見ていたいもんじゃないな。
「ここ……この数字、見て」
人差し指で直接、画面にタッチするいつき。
それは、再生されている動画のすぐ下。
これまでの再生回数が示されている箇所だった。
「え~っと……は? ……はぁ!?」
845,112
そう書かれてる……ように見えるけど。
「あの、いつき……これ……」
その数字を見た途端に、俺は我が目を疑ってしまった。
いや、疑うしかないだろう!
だってこれ、はちじゅうよんまんごせんひゃくじゅうにって読む数字だろ?
ってことは何か。
この動画を観た人が、ここ1週間の間に80万人以上もいるって――
「ハッピー……バースデイ」
その含み笑い……そうか。
それが正解か!
「いつき……!」
「……あゆみ!」
胸が高鳴る。
俺たちはどちらが先ということもなく、自然と互いの両手を握り合った。
固く、強く――。
「やった! やったなぁ!」
「……うふ。うふふ……」
いつき、嬉しい時はそんな風に笑うんだな。
ほとんど無表情のまま、頬だけを赤く染め上げてる。
ちょっと不気味なのに……でも今は、それすらどうでもいい!
「あたしも嬉しいぞ~!」
そして美咲も、感激のあまりか身体ごとダイブさせるように、こちらに飛び込んできた。
「えへへ……やったね、みんな!」
「うん。間違いなかったのね」
由香も喜んでる。冴子さんも。
「他の動画も……ほら、同じようにすごくたくさん再生されてるんだ……」
頭の上に美咲と俺の顔を乗せながら、いつきがパソコンのウインドウをパラパラと開いてみせる。
再生回数はそれぞれ70万、74万……どれもすごい数字ばかりだ。
「やった。んふふ、やった! ……んしょっと」
やがて美咲が身体を離し、3人のもみくちゃ状態はほどかれる。
「ねぇねぇ、みんな! 早く明日からの動画。撮っちゃおうよ~!」
そして、いそいそとビデオカメラのセッティングを始めた。
「お、おぉ! わたた……三脚、倒れちゃった」
「あぁ、美咲。そんな慌てなくても」
世間が……たくさんの人たちが、ハレーションを見てくれていた。
もう俺たちは、バーター仕事を押し付けられるような無名アイドルなんかじゃない。
――背中を押されているようなこの空気。
間違いなく今、追い風はハレーションの方角に吹いている。
そして、また1週間が経った。
泉野家の敷地の外れ。小さな屋敷にて。
俺たちハレーションは、今日も動画の撮影にいそしんでいた。
「第一回ぃ~、ハレーションがもっと活躍するにはどうしたらいいか……会議ぃ~!」
「わ~……」
美咲の唸るようなタイトルコールに乗せて、あとの3人が取って付けた歓声を送る。
ついでに、パチパチと拍手もしてみたり。
「さぁ! こうしてフーチューブっていう、新たな主戦場を手にした我々ですが! でもこのままじゃあ、いかんと思うのですよ」
「うん……そうだ、そうだ~」
動画は、日によっていろいろなものを投稿していた。
今みたいにテーマを決めて話し合ったり、あるいはメンバーの特技を披露したり、学校であった日頃のことを話したりなど。
「みんな、何かいいアイディアない~?」
「……」
「由香たん、いってみよ~!」
「えっ、えぇ!?」
ただそのいずれの内容にも、ある1つの共通点があった。
それは、台本が無いということ。
「え~……え~っと。ん~……あ、あぁ……もう時間が」
そうした方が自然体で面白いから……とは、いつきの弁。
おかげでいつも、撮影が予定調和に完了することは無い。
テンポが間延びしたり、話のオチが見つからなかったりで、毎回行き当たりばったりのヒドイ内容になってる。
「じゃ、じゃあその、どこか会場を借りてライブをやるとか」
「あっ、いいね。やりたいな~、ライブ。冴子さん、出来そう?」
あっ、もう残り時間が30秒を切ったぞ。
早くこの場を収めないと。
「あら~、ダメだって。やっぱお金無いか――」
きっかり3分。
ビデオカメラのタイマーランプが無常に消える。
今回もまた、途中でいきなり強制中断という不恰好な締めになってしまった。
「ん……これで来週の分は全部だね。みんな、おつかれ……」
そそっとパソコンの方に向かい、動画の保存を確認するいつき。
「あのさ、いつき。撮影の時間って3分じゃなきゃダメなの? もうちょっと時間があれば、キレイに終われたのに」
「あゆみ……そうじゃない。この不安定さがいい……真面目にやったら、ただの凡百な動画になっちゃうよ」
そ、そういうもんなのか。
正直わかんないけどなぁ……でもま、いまだ全ての動画の再生回数を60万回以上にまで維持してくれてるいつきプロデューサーの仰ることだ。
言う通りにしておこう。
「みなさん、お疲れ様でした。お茶が入りましたよ~」
すると部屋のドアが開き、ティーセット一式を乗せた手押しワゴンがガラガラと入ってきた。
それを押すのは、ひらひらのエプロンドレスを身に纏った長い黒髪のお姉さん。
「本日はアッサムティーをご用意しました。お好みでミルクもどうぞ」
泉野家に仕える侍女 織本さんだ。
「いつもありがとう、美香」
すました笑みで由香に応えると、織本さんはお茶の用意を始める。
鮮やかで、且つ的確な手順。
あ~、やっぱりティーポットのお茶って高い位置から離してカップに注ぐものなんだ。
「お茶請けにケーキもございますよ。お好きな種類をお選びくださいませ」
「わぁ、やった~!」
ケーキ。
その言葉を聞くと、女子たちがみんな駆け寄るようにそちらに向かった。
女の子は甘いもの好きが多いって聞くけど、それは本当みたいだ。
出遅れて、俺もみんなの方に歩を進める。
「ん~、どれも美味しそうねぇ」
冴子さんも、こういうとこは美咲たちと変わんないんだな~。
みんなの視線の中心には、イチゴショート、チョコレート、モンブラン、チーズケーキに抹茶ショート。
それぞれのケーキを乗せた皿が5つ並んでいる。
「じゃあ、あたしモンブラン~」
美咲がモンブランを。
「私は~チョコかな」
冴子さんがチョコレートケーキを手に取る。
俺はどれにしよう。
ん~……まぁ、別にどれでもいいか。
みんなの好みもあるだろうし、最後に残ったやつにしよう。
「ん……これ。あっ」
「私、これにしよ。えっ?」
イチゴショートが乗った皿。
その上に2つの手が重なった。
いつきと由香が同時にそれを選んでしまったんだ。
こうなると、どちらか片方がケーキを譲るしか――
「……いつきちゃん」
「……由香」
あ、あれっ?
譲るどころか、2人とも皿の両端をガシッと掴んだぞ。
間に挟まれたイチゴショートが、皿の上でカタカタと揺れている。
「いつきちゃん、チーズケーキも美味しいよ?」
「抹茶も……渋くてオススメ……」
ダメだ。
お互い、全く引く気がない。
たかがケーキなのに。
「あのさ、2人とも。別にケーキぐらいどれでも――」
『ぐ・ら・い?』
なっ……2人揃って。
こちらに、くわっと顔を迫らせてきた。
「ご、ごめん……」
なだめようとしたのに、むしろ神経を逆撫でしちゃったようで。
思わずたじろいでしまった。
……なんつー迫力だっただろうか。
ああいうのを鬼気迫るって言うのかもしれない。
「……由香。わたし年下……由香の方がお姉さんだから」
「ううん。私、2人姉妹の妹だよ?」
うわ~……何だよ、それ。
皮肉をとぼけて返すって……由香。
わざとだとしたら、だいぶタチが悪いぞ。
「……!」
あ~、ほら。
いつきがこめかみの辺りをピクピクさせてる。
表向きは笑顔をキープしてるけど、心は全然笑ってない顔だぞ、あれは。
……って、それは由香も同じか。
いつしか2人とも、試合前の記者会見で握手を交わすボクサー同士のように、上っ面の笑みを浮かべていた。
「由香お嬢様、猪瀬さまはお客様なんですよ。泉野家の令嬢ならば、どうか誇りある振舞いを」
「……」
織本さんの声に、由香はぷいっと顔を背けて返す。
全く耳を貸そうとしていない。
「いつきちゃん、ごめんね! 私、イチゴショートだけはホントに目がないの」
やがて由香は、申し訳なさそうな顔をしながらも強引に手を引っ張った。
「あっ……」
あわやケーキはいつきの手を離れ、由香の下へと。
「えへへ。イチゴ~」
「……ふうぅ~……」
するといつきは、何やら深いため息を吐いた。
それはまるで、どこぞの武道家のような出で立ち。
「あっ……これ、いつきたんのヤバイやつだ」
さきほど手に取ったモンブランケーキと、今しがた織本さんから手渡された紅茶を両手に持ちながら、美咲はちょっと困った表情を浮かべた。
俺もな~んとなくだけど……この後の展開が予想できる。
「チーズケーキも抹茶もほら、美味しいんだよ? どれも人気のお店から特別に――」
「由香……お嬢様はよっぽど甘いものがお好きとみえる……」
いつきはゆっくりと由香の方へ歩み寄ると、その前に立ち塞がった。
「う、うん。だってケーキは特別なの」
「ふふっ、ケーキは甘くてもなぁ…………世の中、甘くないんだよ!」
ほとばしる怒号。
まるで彼女の感情をそのまま表現したかのような激しさだ。
その迫力に、俺を含めその場の全員がシーンとしてしまった。
「あ、あの……」
「こんな大きな家に住んでいながら……そんな小さなケーキを奪い取る……」
たじろぎ始める由香。
しかし、いつきの攻めの姿勢は、なおも勢いを増していく。
「来客をもてなすことすら出来ない……その考え、頭!」
「えっ、えぇ~……」
由香、今ならまだ間に合う。
すぐに耳を塞げ!
「その中には何が入ってるの? もしかして……おっぱい? そうだ! 胸に入りきらなかった脂肪が、頭の中に侵食してきちゃったんだ!!」
「へ…………」
……間に合わなかった。
一切の防御もなく、いつきの饒舌な悪口をそのまま耳で受け取った由香。
対するいつきは万全の戦闘体勢だ。
皮肉の意味を込めてか、口に手のひらを当てるジェスチャーまで加えてきてるし。
「そうか……知らなかった! 由香の脳みそが脂肪で出来ていた……なんて。それじゃあ無理もない」
「うっ……あぁ……」
わざとらしい悲しげな顔……何たるイヤミだろうか。
ひどい。もはや手心も何もあったもんじゃねぇ!
これはもう悪口なんかじゃなく、名誉毀損のレベルじゃないか?
「……いい薬です」
でも、なぜか織本さんは頷いている。
目の前で、由香がこんなにひどいことを言われてるのに。
「ど、どうしよっか?」
「う……う~ん。いつきたん今、激おこモードっぽいしな~」
「下手に手を出せば、こっちにまで飛び火するわよ」
みんなもあえて静観する構えだ。
かく言う俺も……仮に口を挟んだとして、いつきに何を言い返されるかがぶっちゃけ怖い。
「うぅ……」
「もう何も言えない? ……じゃあ、勝負はわたしの勝ち……」
散々相手を罵倒したいつきは、悠々とした様子。
立ち尽くす由香の両手から、そっとイチゴショートの皿をすくい取った。
「! うぅ~……」
ショックのあまりか、由香の瞳にはじんわりと溢れるものが。
「由香……ね。ケーキはさ、また家の人に用意してもらえば」
にわかに震える彼女の肩に手を置き、なだめる。
可哀想だけど相手が悪いよ。
それに今はせっかくのティータイムだしな。
これ以上長引けば、みんなの紅茶も冷めてしまう。
このまま由香に溜飲を下げてもらって、丸く収まれば――
「や。や~なの!」
…………あれっ?




