第4話 出会いは突然に
――それから50分ほどが経った。
少し前に「ウワァー!」という大歓声が会場の外まで聞こえてきたから、ライブはもう始まってるみたいだ。
あの歓声の中には、洋介のものも混じってたのかな。
そんな盛り上がり真っ最中な会場の空気など露知らず、俺はただ自分の仕事を全うしていた。
……といっても、やる事なんてほとんどない。
さっきからずっと、誰も通らないドアの前に立ち尽くしているだけだ。
そして、いざやってみて気付いたんだが……この仕事、意外としんどい。
何もする訳でもなく、ただ立ってるだけ。
無意味だ。今という時間がひたすら無意味に思えてしまう。
いっそ誰か、俺に別の仕事を与えてくれないだろうか。
あと3時間以上もここに立ち続けるなんて、考えただけで気が遠くなってしまう。
――そう思った時だった。
「きゃっ!」
「……うわっ!?」
突然ドアが開き、中から飛び出してきた誰かと正面からぶつかってしまった。
『むにゅっ!』
……その瞬間、衝突した俺の顔面はなんとも柔らかい感触に包まれた気がした。
「痛ててて……」
思わぬ不意打ち。不覚にも、その場で尻餅をついてしまう。
「あいたた……」
見ると、向かい合う相手もまた同じ体勢を取っていた。
「おい、あんた――」
「ひ、ひゃう!?」
いきなり飛び出すな! と文句を言ってやろうと思ったが、カウンター気味の悲鳴を上げられ、つい言葉が途切れてしまった。
「……!」
相手は身をよじらせながら、ジリジリと後ずさる。
……どうやら警戒しているようだ。
帽子を深くかぶっているので顔は見えないが、その……何というか、体の一部……そう。
胸の辺りに異様な膨らみを確認できる。
どうやら女の子らしいな。
ん? とすると、さっき感じた柔らかい感触はこの娘の……!?
「!」
途端に、申し訳ない気持ちになってしまった。
どうしよう! こういう時は何て言葉をかけるべきなのか……
「あ、あの、その、ゴメン――」
「ご、ごめんなさい!」
取り繕おうとするも言葉が見つからず、結局しどろもどろになってしまっう自分が情けない。
すると座り込んでた女の子は急に立ち上がり、俺の横をすり抜けてどこかに走り去っていってしまった。
「な、何なんだ一体……」
まるで風のように現れ、風のように去っていった突然の出来事。
しばらくして俺は、スタッフとしてあの娘を呼び止めるべきだったんじゃないかと思った……が、時すでに遅し。
う~ん。
まぁ一応、会場の中から出て来たんだし、おそらく関係者側の人間だろう。
そういうことで、自分を納得させておいた。
そして、再び訪れる暇――。
遅く、過ぎ去るだけの時間。その無意味さに耐え切れず、俺はつい時計を見たくなる。
……でも、あえてそれはよそう。
どうせ見たって、実際にはたいした時間は経ってない。せいぜい、さっきの娘と衝突してから30分程度だ。
それを知れば、俺の感覚はさらに時間を長く感じてしまう。
だから見ない方がいい。
――そんな現実逃避を行っている最中だった。
「由香ぁ!!」
いきなりバタンッとドアが開き、怒鳴り声と共にまた中から人が現れた。
既視感のあるシチュエーションに思わず身構えてしまう……が、今度の相手はこっちに向かってこない。
「どこ行ったのよ、あの子はもう~……」
見るとそれは、さきほどの女の子とは打って変わった印象の女性。
ショートカットの髪に、きつめな印象のツリ目。身長は……俺よりも高いな。
レディーススーツに身を纏ったその姿から、おそらくこの人はイベントの関係者と思われる。
現れるや否や、何やらイラついた様子で頭を掻いているその女性。
何だか分からないけど、あまり関わらない方がよさそうな気が――
「ちょっと、あなた! さっきここを女の子が通らなかった?」
「えっ!? あ……はい」
――する間もなく、向こうから声を浴びせられてしまった。
「通りました、さっき。帽子をかぶった子が……なんか急いでどっか行っちゃいましたけど」
一瞬、「知りません」と答えた方がいいのかとも思ったが、なにぶん状況が掴めない。
つい反射的に、見た通りのことを喋ってしまった。
「…………」
だがその途端に、女性は硬直してしまった。
そして、見る見るうちに顔色も青ざめていく。
あ……これやっぱ、知らないって言った方が良かったのかな。
「由香ぁ~。とうとうやらかしたわねぇ……」
すると女性は、その場でガクッと膝から崩れ落ちてしまう。
これをリアルにやった人、初めて見たぞ……。
「どうするの? もうすぐ出番よ。今さら中止になんて出来ないし……あぁぁ~!」
頭を抱えて、何やらぶつぶつと呟いてる。
どう見ても、明らかに困ってるな。
やっぱさっきの帽子の子、呼び止めておくべきだったのか。
「せめて代役を……あ~、でも今から事務所に連絡したって、どうせ間に合わないわ!」
「あの。何か困ったことでもあったんですか……?」
ひとまず事情ぐらいは聞いてみよう。
どうやら俺にも、責任の一端はありそうな感じだし。
今さら、何の力にもなれないかもしれないけど。
「うるさいわねっ! こっちはせっかくのライブをどう取り繕うか考え……て……る……」
どうやらヤブヘビだったみたいだ。
いきなり険しい睨みを返された……と思いきや、徐々に女性の顔に平静さが取り戻されていく。
どうしたんだ、この人?
「…………」
口をぽかんと開け、目の焦点は定まっていない。
気でも失ったのか?
どうにも不審な様子なので、目の前で手のひらを振ってやろうとしたところ――
「……!」
「うわっ! な、何……」
いきなりガバッと立ち上がった女性に、俺は両頬を掴まれてしまった。
そして、じっくり舐め回すように、頭から足の先まで全身を隈なく眺められる。
……何だかよく分からないが、とりあえず不愉快な気分だ。
「よし、合格!」
…………何が?
「あなた、イベントスタッフの子よね。今日の日当はいくら?」
「えっ……5000円ですけど」
スタッフのバイト代なんて、ほぼ一律だろうに。
いや……でも俺の場合、もしかしたら洋介にピンハネされてる可能性もあるんだけど。
「じゃあ、その十倍出すわ。私に付いてらっしゃい!」
「十倍って……えっ、5万円!?」
まさかそれが正規の報酬!? ……なわけないか。
いくら洋介でも、全体の九割を持ってくような暴挙には出ないだろう。
とすれば、これは急用。イレギュラーの仕事か。
「さ、こっち来て」
女性は裏口のドアを開け、俺を招き入れようとしている。
「あ、あの~。正直すごい魅力を感じるんですけど、その……一応、俺ここにいなきゃいけなくて」
どんな仕事か知らないが、今の俺はバイト中の身。
惜しい。5万円は非常に惜しい……けど!
かといって、一度引き受けた仕事を放棄するわけには……。
心の中で、金銭欲という名の悪魔と責任感という名の天使がバトルを始めていた。
『5万だぞ、5万! 何、迷ってんだよ』
『いや~……金額の問題じゃないよ。 洋介との約束はどうするの?』
今のところ、天使の方がやや優勢だ。
そうだ……俺には責任がある。あいつと交わした握手だって忘れてない。
男同士、信頼を込めた握手ってのは、時に契約書よりも重くなるんだ!
「心配は無用よ。ここには、また別のスタッフを呼んでもらうから」
天使はフッ……と姿を消した。
そういうことなら安心だ。ちょうど、立ちっ放しの放置プレイに飽きてた頃だったし。
すまん、洋介。これも1000万円という目標を達成するためなんだ。
もし叔父さんにバレたら、俺も一緒に謝るからさ。
誘惑に負けた俺は女性の手招きに従い、会場の中へと足を踏み入れていった……。