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第36話 夢、散らした子たち

 目の前にそびえ立つアクセルターボのビル。

 建造されてからまだ何年も経ってないんだろう。白い壁面が、日光に照らされて白銀色に輝いている。


 そんな立派なビルの前に、行き場を失った人間が5人、ただ茫然とつっ立っていた。


「あ……あ、あぁ……?」


 え~……と。

 クビ……今、クビって言ったよな、冴子さん。

 すると……なんだ。もう終わりってことか。


 途端に、目に映る景色がとても遠くに感じられた。

 たぶん俺も今、みんなと同じように呆けた顔をしてるんだろう。


 じゃあ全部……ぜ~んぶ、おしまい。

 これまで積み重ねてきたレッスンも、いつの間にか違和感も感じなくなってしまったこの女装も、全てはもう水の泡。


「……ねぇ」


 その場にいる誰もが茫然自失としてる中、口火を切るようにして、いつきがこちらに近寄ってきた。


「どうしてくれる……お前のせいで、わたしの人生が台無しだぞ……」


 凄みを含ませた声。いつもより荒めの言葉遣い。


「……」

「黙ってないでさぁ……ねぇ、ねぇ!」


 いつきは俺の服のすそを掴むと、それに己の全体重をかける体勢でブンブンと揺すってきた。

 それは彼女の渾身の攻撃なんだろう……でも、当の俺の身体はわずかに揺れる程度。


 11歳の少女と15歳の男子。

 お互いまだまだ成長期ゆえ、対格差は著しい。


「ちょっと。落ち着きなよ」


 だが、このままというわけにもいくまい。

 俺はいつきの両肩に手を置き、少し距離を離した。


「私1人のせいって……そんなことないでしょ。いつきだってさ、後から乗っかってきたんだし」

「…………くぅ」


 少し呻くと、いつきは押し黙ってしまった。


 まさかこんな結果になるなんて、俺だって想像出来なかったんだ。

 正直、まだ事態を飲み込みきれてない。


 でも……とはいえ、とはいえだ!

 俺1人の責任ってことには――



「あゆみたん……」

「……あゆみちゃん」


 美咲に由香。

 どうやら2人も我に返ったようだ。


「あっ、2人とも……あのさ、こんなことになって私……」


 さきほどのいつきとは変わって、2人とも静かな様子だ。


 よかった。

 おそらくこの2人は事態をちゃんと自分で受け止めて、冷静になろうとしてるのかな。


 2人は16歳と14歳。

 俺と同じく、もう大人に近い年齢だから。


「うん、そう。あゆみたんのせい」

「ひどいよ。責任とって……」


 な、何だと!?


「まさか、2人も私が悪いって……そう言うの?」


 えっ、ちょっと待てよ。

 いつきはともかくとして、この2人まで……?


「だって……そうじゃん。あの時、あゆみたんがステージに乱入しなきゃさ、あたしたち全員が騒ぎを起こすことなんて無かったんだもん」

「事務所の人たちもね、そのことを怒ってるって」


 おい……おい、おい、おい!


「えっ……いや、でもほら! 帰りの車の中では――」

「そんなこと聞いてない! あたしたち、もうアイドルじゃなくなっちゃったんだよ!」


 き……キレてやがる。


「あのね、あゆみちゃん。やっちゃったことはしょうがないよ。しょうがないけどさ……でも、ね」


 まるで子供のイタズラをたしなめる保母さんのような慈愛の目を向ける由香。

 ……そんな施しを受ける筋合いは無いはずなのに。


「待ってよ! 2人ともあの時、言ったでしょ。扉が開けたって、前に進めたって」

「でも、きっかけ作ったのはあゆみたんじゃん! それがなきゃ、こんなことにはならなかったんだよ~!」

「私もね、自分で責任は感じてるんだよ。あの時、止めてあげられなかったこと……今は後悔してる」


 ダメだ。とても話にならない。

 美咲は感情をぶちまけるだけだし、由香は……その、正直こんな娘だとは知らなかった。


「だからね、あゆみちゃんも自分でやった悪いこと、ちゃんと受け入れて」


 由香だってあの時は、その場の流れにノッてたじゃないか。

 それを棚に上げて……この期に及んでもなお、いい子であろうとする。


 そのために、俺を――


「大丈夫。そうすれば誰も、あゆみちゃんを責めたりしないから」


 声色を優しくしても、顔は血の気で赤くなり、冷や汗まで流れてるぞ。

 まるで、彼女の心の焦りが透けて見えるようだ。


「由香……これでもう怖くないって、あんなにいい表情してたのに」

「ん? んん~……だって、ほら、みんな悲しい顔をしてるから」


 目を逸らしながら華麗なスルー。

 由香……強くなったな。

 しっかりと自分を出せるようになった。


 以前は自分を守るために防戦一方だった彼女だけど、今はこうして攻めることも出来てる。

 これはきっと成長……喜ぶべきことなんだ。


「一緒にさ……泥をかぶってはくれないの?」

「あ、あぁ~……いや、私はいいんだよ。謝ってくれればそれで……」


 でもな~……見たくなかったな。由香のこんなところ。

 人間らしい負の部分だ。



「ほら、2人もこう言ってる……悪いのはあゆみ。それが事実……」


 やがて、いつきも復活した。

 そして少女たちは3人がかりになり、俺1人に怨念をぶつけてくる。


「み、みんな……仲間だって、ハレーションは4人で1つだって言ったのに」

「そうだけどさ! でもそのハレーションは、もう無くなっちゃったんだよ? そんなの耐えられない!」


 ひどい……あの日の帰り道。

 『悪くないな』と感じたあの心地良い感情は何だったんだろう。


「謝りなさい……せめて」


 たぶんこの娘たちの中では、あの時の気持ちなんてとっくに削除されてるんだろうな。


「あ~、あぁ~……あたしの夢」


 それは今日、新たに生まれた怒りと後悔というマイナスの感情によって、上書きされてしまったから。

 そして、それは1人で抱えるにはあまりに重いから、どこかに押し付けようとしてる。


 今はそれだけだ。


「ほら、みんなもこう言ってるよ……あゆみちゃん」


 あまりに残酷じゃないか。

 女って……女って……



「やめなさいよ、あんたたち。誰のせいでもいいじゃない。どうせ結果は変わらないのよ」


 冴子さんの一声。

 それが水を打ったように、少女たちの勢いを止める。


「うぅ……でも、だって」

「だってじゃない、美咲! いつもの笑顔はどこ行ったの?」


 やがて、それまで俺に向けられていた憎悪の刃はそれぞれ地に下ろされた。


 ……よかった。

 もしあのままだったら、俺が言い返してさらに争いが激化し……傍から見ると、みじめな4人の亡者が出来上がってたことだろう。


 そんな姿は見せたくないし、見たくもない。


「冴子さん。今日、これからどうするの?」

「……どうしようもないでしょ。このまま解散。しばらくは活動休止状態ね」


 ふぅっと大きくため息をつく冴子さん。

 つられて美咲も、ガクッと肩を落とす。


「私はこれから再就職先を当たる。これまでと同じ、芸能プロダクションのマネージメント業をね。そこで再開のメドが立ったら、あんたたちを呼ぶから」

「……冴子さん!」


 すると美咲の表情が、わずかだけど ぱあっと明るくなった。


「そんなに喜ばないの。まだ何のアテもないんだから」


 あぁ……やっぱり大人って違うんだな。

 これが年の功というヤツか。

 何が起きても、それを素直に受け入れ、そして前に進もうとする。


 ……立派だ。

 出会って数ヶ月ほどが経ったが、この人をちゃんと尊敬したのはこれが初めてな気がする。


「冴子さん。あの、よろしくお願いします。私……」

「あゆみ……そうね。あなたは特に、ね」


 そうだ。

 俺も前に進まなきゃいけない。


 恵を救うために……




「じゃあ、みんな。少しの間お別れね。でも、できるだけ早くにまたハレーションが活動できるようにするから」


 相も変わらずアクセルターボのビル前にて。

 俺たちは5人で輪を囲み、それぞれ向かい合っている。


「うん! あたし、レッスンはちゃんと自主練するからね」

「わたしも……このまま終わりなんて……やだ」

「冴子さん、無理はしないでくださいね」


 みんな、もうすっかり恨み節は吐かなくなった。

 それぞれが前に……歩くことを始めた。


 そんな姿を見ていると――


「みんな、その……やっぱりゴメン! 私のせいで」

「こ~ら、話を蒸し返さないの! それはもう済んじゃったことなんだから」


 心の中で溜まり切れなかった後悔が、言葉として溢れてしまう。

 よくよく考えたら、やっぱりあのステージでの行動は失敗だったんだろうか。


 よかれと思ってやったけど……


「……」

「おい、男らしくないぞ!」


 そのかけ声とともに、冴子さんが俺の肩をドンと押す。


「さ、冴子さん!?」


 でも俺が真っ先に気にしたのは、その衝撃ではなく彼女が発した言葉の方だった。


「あ……あっ!?」


 途端に冴子さんも『しまった!』という表情をする。


「あ……あ~、アハハハハ~。何言ってるんのかしら、私ったら。あ、そうだ! あゆみ、みんなのケータイ番号、知ってる? これからしばらく定期的に会えなくなるから……」

「えっ、あ……あ~、知らなかった! いけない、いけない……」


 冴子さんの機転に慌てて乗っかった俺は、わざとらしく両手をポンと叩いた。

 ……なんとも見苦しい三文芝居。


 そして、おそるおそるいつきたちの方を見ると――


「……」

「……」

「……?」


 みんなキョトンとした表情を浮かべていた。

 よかった……特に気付かれた素振りは見られない。



「はい。じゃあ私の分で……最後だね」

「あっ、うん。ありがとう……」


 それぞれケータイを取り出し、連絡先を交換し合った。

 これで俺たちハレーションと冴子さん、いつでも連絡はつけるわけだ。


「それじゃ、改めてここで解散ね。みんな、自主練サボっちゃダメよ~」

「もっちろん!」

「基礎は大事……この商売のキホン」

「はい……気を付けます」

「きっと、近いうちに」


 日は落ちかけて、夕暮れになっている。

 俺たちは5人バラバラに、それぞれの家路へとつく。


 ――すごろくのサイコロはまだ回っている。

 決して、振り出しに戻ったわけじゃない。

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