第35話 勝利?のかえりみち
サンシャインのステージを滅茶苦茶にし、颯爽と退散した俺たちは今、ワゴン車の中。
もう会場から数キロメートルは走っているので、追っ手の心配はない。
このまま、メンバーそれぞれの帰路につこうという運びだ。
「いや~、しっかし大変なことしちゃったよね~」
車内には座席が3列あり、一列目には運転手のカオルちゃん。
2列目には、美咲といつき。
そして3列目には、俺と由香が座っている。
今の美咲の声は、俺のちょうど真ん前にあたる2列目の席から届いたものだった。
「うん。今頃きっと、事務所の人たちみんなカンカンになってる……。あれっ、冴子さんどこ?」
「先に帰っちゃったわよ。会場でみんながやったサプライズね、あれに私は全く関わってませんっていう、アリバイ作りをしておくんだって」
いつきとカオルちゃんのやり取りを聞くと、改めて気付かされる。
ついさっきの相川ホールでの出来事……あれはとんでもない掟破りだったんだな、と。
アクセルターボの……いや、それどころじゃない。
アイドル業界のルールそのものを、足蹴にする行為だった。
「あの、さ……今さら遅いかもだけど……ごめんね? 勝手にいろいろやっちゃって……」
申し訳なくそう言う俺は、だんだんと自分の心が冷めていくのを感じていた。
ステージにいた時は、その熱気のせいでいくらか感覚が麻痺していたが、今はもう乗り慣れた車内だ。
否が応にも、頭が冷静さを取り戻していく。
自分勝手に事件を起こして……その結果、迷惑をこうむる人たちがたくさん生まれる。
こんな当たり前のことを、今さらにして自覚し始めてきた。
「私、その……何とかしなきゃって思って……そしたら、もう止まんなかった」
どう弁明したところで、所詮はあとのまつり。
言い訳にしかならないけど……
「ホントだよ~。まぁ、あたしたちも後から乗っかったんだけどさ。でもせめて一言、相談してくれても良かったんじゃない?」
「きっと……いやいや、間違いなくタダじゃ済まないよ。ねぇねぇ、次どんな顔して事務所行けばいいの? 教えて、あゆみ先生?」
淡々とした抗議の声。
俺と同様、彼女たちもまた事態の重大さに気付いたんだろう。
「うぅ……申し訳ない。謝ることしか出来ない……です」
俺一人のせいなのか、という意思もあれど、口に出しづらい。
どう言い繕ったところで、きっかけを作ったのは俺。
責任のウエートが一番重いのは誰かとなれば、俺になるんだから。
「後先のこと考えずに、ただ自分のやりたいようにやろうとして――」
「そうだね。私も一緒。おかげで前に踏み出せたよ」
ふと、隣りの席に座る由香が穏やかに応えた。
そして、にこっとこちらに微笑む。
「あ~、もう! 由香たんは優しいんだから。もうちょっと、あゆみたんをいじめたかったのにぃ」
「残念……」
拍子抜けするような美咲といつきの声。
さっきまで2人に追い詰められていたのが、まるでウソだったような……
「よっと! あのね、なんつーかさ……扉が開いた気がする。今までビクともしなかった固~い扉が、やっと開いたんだよ!」
「ずっと事務所に蔑ろにされてたから、わたしたち……。あゆみがああしなかったら、きっとこの先も、ただ飼い殺しにされるだけだった……」
シートの上から、美咲がぴょこっと頭を出してきた。
少し遅れて、いつきも。
「これから私たちがどうなるか、それは不安だけど……でも、怖くはない。うん……怖くないよ」
ちょっと強い口調で呟く由香。
顔を上向けてそう言う彼女の姿勢は、なんだか新鮮に見えた。
「あれ? みんな怒ってたんじゃ……」
由香、いつき、美咲。3人の顔を見回す。
すると、みんなの表情は共通していた。
「怒ってなんかないよ。……まぁ、ビックリはしたけどね。でも今、私なんだかとってもいい気持ちなの」
「立場とか、しきたりとか……いちいち気にしてた自分がバカみたい……」
「会場から逃げる時ね。あたし、いろんな人にファンですって声かけられたの。ん~……これ、これ! これが欲しかった!」
――笑顔。
一点の陰りも見えない明るい表情を、みんなそれぞれ浮かべている。
「そ、そっか。良かった……みんなにそう言ってもらえたら」
「まぁこれから色々、面倒ごとも増えるだろうけどさ。その辺はほら、冴子さんが上手くやってくれるよ、きっと」
冴子さん……おそらく今回、一番迷惑をかけちゃったのがあの人だろう。
ハレーションのマネージャーとして、いつも俺たちのことを気にかけてくれて。
今頃きっと、フォローに立ち回ってくれてるのかもしれない。
今度会ったら、真っ先に謝らなきゃ。
「ん……ん~! お、おぉ~……」
いつきはいつの間にか、愛用のスマートフォンを取り出していた。
画面を眺めて、何やら驚いた様子を見せている。
「みんな、見て。これ……」
そうして掲げた画面には、あるウェブサイトが表示されていた。
なになに……検索急上昇中ワード……ハレーション。
「わぁ、すごいね! ヤウーの急上昇ワードにハレーションが載ってる」
「しかも検索トップじゃん。ウイートも1000件だって! こりゃすごいよ! まだ会場逃げてから、そんなに時間経ってないのに」
由香と美咲はそれを見ると、途端にテンションを高ぶらせた。
何だろう……よく分からないけど、とにかく俺たちがネットで騒がれてるってことかな?
「前にあゆみがウイッターで少し話題になった時があったけど……これ、もうその比じゃないよ。わたしたちホントに今、世間に注目されてる……」
うん、やっぱりそういうことらしい。
「いいね、いいね。ちゃんと結果が付いてきてる。こう……何だろう。ハッキリとやり遂げたって感じがあるよね!」
「うん……こんなのって初めて……」
美咲といつきは、互いに顔を見合わせている。
どうやら今回の乱入事件、その成果はしかとあったみたいだな。
ネットのことはよく分からないけど、みんなの反応を見る限り、そう思っても差し支えは無さそうだ。
「なんか、いい調子になってるんだね。あのステージの乱入、やっぱりやって良かったって……ことかなぁ」
おそるおそる伺ってみる。
「うん! これも全部、あゆみたんが突破口を開いてくれたおかげだよ」
「あゆみがいなきゃ、出来なかったこと……。わたしたち3人だけじゃ、たとえ思い付いても実行は無理だもん……」
「大丈夫だよ。胸を張って、あゆみちゃん」
返されたのは、みんなの暖かな言葉。
……そもそもこれは、俺が俺のためにやり出したことだった。
でも終わってみれば、こうして今、みんなに感謝されている。
……何だろう、これ。
心のどこかから、何か湧き上がってくるような感情が――
「でもね」
座席から少し身を乗り出した由香が、不意にこちらに顔を近づけてきた。
「もう1人で勝手に無茶するのはイヤだよ。私たちはハレーション。4人で1つのチームなんだから」
「あ…………うん」
突然、間近に顔を迫られるもんだから、思わずドキッとしてしまう。
さすがアイドル……その魅力の程はさすがと言うべきか。
「ホントに分かってる……? な~んか信用できない……」
いつきは座席シートで顔の下半分を覆いながら、じと~っとした目でこちらを睨んでいる。
「ね、あゆみたん! 由香たんが言ってる通りさ、あたしたちはもうとっくに仲間なんだよ。力を合わせていこうよ。今日だってさ、みんな一緒にやったから上手くいったんじゃん!」
仲間……そうか。
美咲の言う通りかもしれない。
この娘たちが一歩を踏み出すのに俺の独断が一役買ったように、俺だってステージ上ではみんなに助けられていた。
お互いに助け合えたから、今こうして俺たちは笑っていられるんだ。
「うん……ありがとう。私もみんなに助けられたもんね。これからも頑張ろう……みんなで一緒に」
自分のピンチは、きっと誰かが助けてくれる。
そして、誰かのピンチは自分が助けられる。
「うん! あたしたち、これからきっと忙しくなるよ~」
「アイドルとして危ないとことか、苦手なとこ、まだまだある……。お互いでフォローし合おう……」
この……何だろうな、連帯感ってやつか?
「不思議……何が起こるか分かんないのに、やっぱり怖くない! むしろ楽しい……って言っていいのかなぁ?」
悪くない……な。
そして数日後、俺は久しぶりにアクセルターボのビルへ向かっていた。
一応スケジュールでは、今日はレッスンということになっているからだ。
とはいえ、この前の騒動のこともあるし……ただレッスンだけやって終わりって訳にはいかないよなぁ。
あ~、考えれば考えるほど不安が募る。
「…………うぅ」
そうこう思ってる内に、やがて目的のビルが視界に入ってきた。
あの中にいる事務所の人間。その中でもかなりトップクラスの連中が、俺のことを待ち受けていることだろう。
ここ数日の間、冴子さんからも電話はなかった。
普段なら何とも思わないことだが、今の事態ではそれがとても不気味に思えてしまう。
とはいえ、こちらから連絡する勇気なんてもちろん無かったし――
「ん~…………くっ!」
……いいさ!
どうせ何を考えたところで、もうどうしようもない。あとのまつりだ!。
ここを通らなきゃ、前にも後ろにも道は出来ない。
そう自分に言い聞かせ、俺はビルへ続く道を一歩、また一歩と踏みしめて行った。
少し歩くと、もうそこはビルの真ん前。
視線の先に見えるのは、入口のドアとその向こう側にある受付窓口――って、おや?
「みんな……冴子さんも」
ふと見ると、ドアの少し手前に4人の人影が見えた。
その正体は、もう後ろ姿だけで分かる。
冴子さんとハレーション……俺の大事な仲間たちだ。
「みんな、どうして入らないの? あ……やっぱり、怖いとか」
どうやら気持ちはみんな一緒だったみたいだ。
そうか……誰だって不安だもんな。
よし、それじゃ俺が先陣を切って――
「!?」
景気づけようと、歩幅を少し広めに一歩を踏もうとしたら、誰かに襟首を掴まれてしまった。
誰だよ、邪魔するのは……って、冴子さん?
「…………」
手は俺の服をガッシリと掴みながら、でも表情は虚ろ。
どこを見ているんだろうか、遠い目をしている。
「あの、冴子さん?」
何を考えているんだ?
まるで表情が読めない。
ひとまず、よっぽどビルに入るのが嫌なんだろうか、全く手を放そうとしないぞ。
「この前のこと、勝手にステージに飛び出してすみませんでした。事務所に謝らなきゃいけないんですよね。……大丈夫です。みんなで行けば」
恐ろしいのは分かる。
きっと怒られるだろう。罵詈雑言を浴びせられるだろう。
……でもだからって、それが逃げていい理由にはならない。
「ほら、行きましょう。私が先頭を歩きますから」
「…………いいよ、あゆみ」
更なる制止。
いつきが俺を呼び止めた。
「いいって……いや、そんなわけには」
「…………ホントにもういいんだよ、あゆみたん……」
今度は美咲か……あれっ、気付くとみんな揃って遠い目をしているぞ。
「…………」
由香まで一緒になって。
なんだ、みんなして。俺をからかおうとしてるのか。
「みんな……何を企んでんだか知らないけどさ。そんな場合じゃないでしょ! 今はまずケジメを付けに行かないと――」
「私たちさぁ~……」
すると冴子さんは、不意に手を放した。
やがて口も開き始める。
「事務所……クビにされちゃったよ」
抑揚のないその口調。
その無気力さに、俺もまたその場で言葉を失ってしまった。




