第34話 去り際は鮮やかに
美咲、いつき、由香――3人がステージに登場した。
控え室で待っていたはずの3人が。
「美咲、いつ……みんなまで来ちゃったの~!? もうっ、ステージがメチャクチャだよ~」
「んふふ。ごめんね~、玲奈たん」
ピンマイクを取り付け、営業モードに戻る玲奈。
合わせて、美咲も笑顔で応える。
アイドル同士の他愛のない掛け合いだ。
少なくとも、表面上はそう見える。
「あゆみたんのこと、ずいぶん可愛がってくれたね」
「ね~。可愛い子猫ちゃんがいきなり来ちゃうからさ~……ペットはちゃんと、しつけなきゃダメなんだぞ!」
――表面上だけは。
でも、とにかくありがたい。
3人が来てくれたおかげで、どうにか落ち着きを取り戻せた。
さっきまでの絶望的な気分も、少しずつ和らいできたぞ。
「ごめんね、みんな……ありがとう、来てくれて」
やがて気持ちが平静になると、俺もピンマイクを取り付けた。
「……また邪魔者が増えたようね」
しかし、この麗の威圧感。
鋭い目つきから漂わせる、静かな迫力。
これにはどうも、勝てる気がしない。
観客席もまだ、彼女のネイチャー・ハウリングの支配下にあるみたいだし。
この状況でどう展開を転がせば、俺たちハレーションにとって得となるのか――
「お、お姉ちゃんっ!!」
突然、由香のすっとんきょうな声が会場中に響き渡る。
美咲やいつきはともかく、彼女までここに来るとは、正直なところ意外だったな。
「あ、あの、その、ひゃっ! 私……」
でもやはり、由香は由香だった。
会場の規模のデカさに圧倒されたのか、顔面はすっかり真っ赤っか。
感情を抑えることが出来ず、たちまち口調もたどたどしいものへと。
「私……わた……し」
「……」
麗はそんな由香を一瞥すると、すぐに顔を背けてしまった。
いつかの番組収録の時と同じだ。取り合おうともしない。
「由香……ここの空気に飲まれちゃダメ。泉野麗は今、目の前……」
いつきが横から声をかけてる。
励ましてる……のか。
「お姉さんのことだけ、それだけを見るの……」
「うっ、うん。わかった…………んっ!」
由香は胸の上に手を乗せると、ぎゅっと目を閉じた。
まるで自分の気持ちを落ち着かせるように。
数秒間の間が空き、そして
「お姉ちゃん……いえ、泉野……麗さん!」
「……!」
顔は向こうを向きながら、麗はピクッと反応した。
その静かな表情がわずかに歪む。
「あなたがどうしても振り向いてくれないから……私、ここまで来ちゃいました」
由香は姉に対し、まっすぐに言葉を投げかけている。
自分の気持ちを伝えようとしてるんだ。あの引っ込み思案な由香が。
「私……あなたのこと、追いかけますから。もう…………逃げないから」
瞳を潤ませながら、麗の背中を見つめる由香。
瞬きを何度も繰り返して、頬は固まっている……緊張してるんだ。
実の姉が相手とはいえ、彼女がここまで人と向き合ったことがあったんだろうか。
自分の臆病な気持ちと戦いながらも、由香は麗を追いかけようとしてる。
控え室での様子から、見くびっていたけど……もうその認識は改めた方が良さそうだな。
「……」
しかし、当の麗はそれでも妹に向き合おうとしない。
言葉を返すことすらしないのか。
「…………ぷふっ……」
あ、あれっ!?
「……」
今、一瞬だったけど……麗、笑わなかったか?
ほんの一瞬だった。
すぐにまた元の平静な顔つきに戻ったけど、さっき確かに――
「……あゆみたん、あゆみたん……」
目に飛び込んだ思わぬ光景に疑いを隠せない俺だったが、その背後から美咲が忍び寄ってきた。
「あっ、美咲」
「あのさ、確認したいんだ。控え室のモニターで、さっきまでのステージ観てたよ。あゆみたんがやろうとしてるのって、たぶんお客さんたちにハレーションのことを知ってもらうことでしょ?」
声がマイクに乗らないよう、美咲はヒソヒソ声で話しかけてくる。
「うん、そう……そのつもり」
「やっぱり~。あゆみたん、思い切り良過ぎだよ」
「うっ……だって、つい……」
いきなりライブを中止されて、頭に血が上ったから。
あと、控え室での美咲を見てたら……とか。
まぁ今さらそんなの、言い訳にしかならないか。
「でも、いいよ。あたしもみんなも今、楽しんでるもん。……本当のチャンスって、こういうことだったのかな」
そう言うと美咲は、ニヤリと口角を上げた。
「あゆみたんの賭け、ハレーション全員で乗ったよ。女は度胸……ってね!」
するとステージの中央に向かって、歩き出す。
「すぅ~~……はぁ~」
美咲は観客席に向かって、大きな深呼吸。
そして、向かって左を見た。
「うん……!」
そこには、いつきがいる。
言葉を交わさない阿吽の呼吸で、合図に応えた。
続いて右の方にも視線が送られたが、そこにいたのは
「は?」
玲奈だった。
こちらは全く応えられていない。意味不明といった様子。
だが美咲はそれに構わず、再び視線を観客席の正面へと向き直した。
「いっくよ! とお~っ!」
そして、両手を天高く上げて――あっ、これは!
「荒ぶるワシ座のアルタイル 篠原美咲!」
いつかサンシャインの楽屋で、途中までやりかけたポーズだ。
左右に開いた両手を、空中でビシッと止める。
言ってる意味は分からないけど、ともかくサマになってるぞ。
「静かなること座のベガ 猪瀬いつき」
続いていつきが、華麗なターンをその場で1回転。
アルタイル……ベガ……星座?
「えっ、えっ……ちょっと」
玲奈はうろたえている。
そんな彼女に、美咲といつきが熱い眼差しを向けている。
一点の曇りもない、期待を込めた眼差し。
「く……くうっ!」
さらに見ると、観客席からも大勢の視線が玲奈に向けられていた。
その強大なプレッシャーに屈したのだろうか、玲奈は
「水面下の……努力 はくちょう……座のデネブ」
ちょっとお尻を突き出して、その上に左手を。
右手を口の前に持っていって……白鳥が泳ぐジェスチャーかな?
見るからに気怠そうだが、ポーズを取っている。
「高石玲奈……」
ガックリと肩を落としている。
よっぽど不本意だったんだろう……。
「われら、アイドル界の超新星――」
美咲といつき……ちょっとテンポが遅れて玲奈も、横にズラッと並んで
「ノービス!」
3人一緒に決めポーズ。
……あっ、玲奈だけササッとポーズを解いてしまった。
あの3人が以前組んでいた短命アイドルユニット ノービス。
唐突に始まった今のやり取りは、その自己紹介だったようだ。
……パチパチ。パチパチパチ!
すると、観客席の方から一部だが拍手が起こる。
彼らはノービスの存在を知っていたようだ……っていうか、正気に戻ってるのか!?
「……ノービス! 久しぶり~……」
歓声も聞こえてくる。
見ると、観客席にいる全員の目がそれまでと違っているみたいだ。
何というか……それぞれの意識を感じる。
ついさっきまでは、みんなまるで操り人形のように生気のない目をしていたのに。
一体いつの間に?
まさか、さっきのポーズのくだらなさに呆れて……いや、それは流石にないか。
「……何やらすのよ~」
恨めしそうな目をする玲奈の姿に、笑いも起きる。
どうやら麗が持つネイチャー・ハウリングとやらの影響は、もう消えたようだな。
数千人の観客たちが、中立な立場に回ってくれた。
よし、これなら勝負は五分と五分……といったとこだろうか。
「ふっふっふ。お久しぶり~、玲奈た~ん」
美咲は怪しい笑みを浮かべている。
たしか、こんなやらしい笑い方をする子じゃ……なかったはずだけど。
「わたしたちを置いて行ってさ~……1人だけさ~……ズルイよ」
さらに、いつきも後に続いた。
2人で玲奈を責める姿勢のようだ。
「なっ、何かな。何が目的なのかな?」
玲奈はたじろぐ。
おそらく彼女自身も初めてのことなんだろう。
こんな下品な振舞いをする美咲といつきを前にしたのは。
「目的……それは……玲奈が座ってるアイドル界のイス!」
「えぇっ?」
いつき、公衆の面前で何て物言いをしてるんだ!
もうちょっと、こうオブラートに包んだ言い方も――
「ねぇ。同じメンバーだったよしみでさぁ……救ってよ。あたしたちのこと」
あぁ、美咲まで……
あのさ、2人とも。悪いことは言わない。
自分たちが今、客観的に見てどう映ってるのか……よ~く考えた方がいいって。
「そ……そんなの、自分の力でやるものだぞっ! 人に頼っちゃ、ダメ!」
あ……うん、正論。
玲奈は何も間違ったことを言ってない。
「わかった……じゃあ、奪う……」
「そうだね。玲奈たんが座ってるイス、横取りしちゃおう!」
2人は玲奈からササッと距離を置き、寄り添うようにセリフを吐く。
……分かりやすいな。
誰がイイモノで誰がワルモノか、観客席からは一目瞭然だぜ。
「サンシャインのお姉さま!」
そして俺も、美咲といつきの側に。
「……んっ」
由香もこちらの方にやって来る。
観客席から見て、ステージの右側にサンシャイン。
対する左側にハレーション。
それぞれが対立する構図が出来上がった。
「何? 何? みんなどういうつもりで――」
「私たちハレーションは、お2人に挑戦します……!」
戸惑う玲奈に宣戦布告。
いい……いいぞ、これはなかなか良い芝居になってるんじゃないか?
――と言っても、今の俺の頭はノープラン。
先のことなんか、まるで考えちゃいない。
このままじゃ、いずれまた、さっきの三文芝居と同じになるな……
「そうだ! いつまでもサンシャインのおまけ扱いのあたしたちじゃないぞ!」
「私……だって、お姉ちゃんと同じアイドルだもん!」
――援護射撃。
そうだ、今はあの時とは違うんだ。
もう俺は1人じゃない。
美咲が、いつきが、由香がいる。
ハレーションの一員として、今は仲間と一緒に戦っているから。
「同じアイドルとして、正々堂々と勝負させてくださいよ……」
緊張の中にも一抹の安心感……
いいな、この感覚。
「そう……それで? あなたたちは何をするつもりなの?」
堂々とした出で立ちの麗。
臆する面なんてどこにも見つからない…………で、どうするか。
「それは……」
「それは?」
何を言えばいいんだろう?
おそらく、ここで何かハッタリめいたことを言えば、その分だけハレーションは世間で騒がれることになる。
……すなわち、今日一番の山場だ。
できるだけデカいことを……歌番組にでも呼んでもらうとか。
いや、いっそのことハレーションだけでライブをするとか……う~ん、でも何か普通だな。
聞かされても「あっ、そうですか」って感じ。
イマイチ突拍子に欠けてる。
「私たち……は……」
う~ん、う~ん……ダメだ。
この場をあっと言わせるようなデタラメ……それがどうしても思いつかない。
現実を踏みしめながら生きる俺の性分が、こんなところで仇となるなんて――
「月形ドーム……乗っ取ります」
サラッと呟くいつきの声が、会場にこだました。
ウオォ~! ウオオオォォ~!!
すると、たちまち観客席からざわめきが巻き起こった。
「……大きく出たものね」
苦笑する麗。
……そりゃ、そうか。
サンシャインが一流アーティストに仲間入りする栄光の証……月形ドームでのライブ開催。
それを、いきなり横から現れたどこの馬の骨とも知れない連中が、乗っ取ってやるって言うんだから。
「そ、そうですよ! 乗っ取ってやります!」
いつきめ、やりやがったな。
でも、この観客席の大盛り上がり……大正解だよ。
「だからその日が来るまで……せいぜい首を洗っててくださいね!」
――よし、ずらかろう!
まだ観客席が暖まってる内に
「…………」
「…………」
ステージの袖から、屈強なスタッフたちがこちらに睨みを効かせていた。
明らかな敵意をそこから感じる。
……そうだよな。
俺たち、ステージをメチャクチャにしちゃったんだもん。
30分なんて、とっくに過ぎてる。
もはや今日のタイムスケジュール自体が、意味を成さなくなってしまった。
「……みんな……」
「……うん!」
「あっちしか……ない」
「えへへ……」
お互いに顔を示し合わせると、俺たちはある一方向に目を向けた。
この場における唯一の逃げ道……そう!
「あっ! あんたたち!?」
「逃っげろ~!」
4人はそれぞれに、ステージから観客席へとジャンプ!
そして、そのまま通路を渡って出口に突き進む。
「おわっ! 本物……」
「……あっ、あの! 頑張ってください……」
通り際にサンシャインのファン……いや、彼らはもしかしたら、もう俺たちのファンなのかもしれない。
ありがたい声援を背中に受けた。
「……はぁ、はぁ!」
4人は何とか、相川ホールの入口ゲートまで辿りついた。
このまま外まで、逃げ切れば……!
「待て~! お前たち、このままタダで帰すわけには――」
だがスタッフたちも、俺たちのすぐ後ろまで来ている!
「…………はぁ、はぁ」
由香の息が上がってきた。
相手は数人の屈強な男たち。
こっちは男が1人に、女の子3人だ。
このままじゃ、いずれ捕まってしまう……!
「みんな~! こっち、こっち!」
だが、俺たちの目指す先……そこに、見慣れた1台のワゴン車が止まっていた。
運転手は、困った時のカオルちゃんだ!
「――ほら、由香から乗って! いつき、美咲も」
「うん……ありがとう」
「地獄に仏……ナイスだ、カオルちゃん」
「助かった~」
雪崩れ込むように俺たちを乗せたワゴン車は、そのまま会場を後にして去っていった。




