第31話 一世一代の猫かぶり
相も変わらず静けさ漂う観客席。
でも、それまでとは一線を為す空気をこの身に感じる。
会場にいる数千人の観客たち、泉野麗、高石玲奈。
みんなの俺を見る目が変わった…………いける!
「ハレーションは、サンシャインみたいな……人気アイドルじゃありません」
まず、くれぐれも出過ぎるな。
今、倒すべき相手はサンシャインじゃないんだ。
この会場の空気、そのものだから……!
「でも、それでも……私たちだって同じアイドルだから」
落ち着いて、ゆっくり。
大事なのは、相手に耳を傾けてもらうこと。
「そっか、あなた。……あのねぇ」
! 玲奈の語気が強くなった。
麗に遅れて、ようやく現状に気付いたらしい。
「来る日も来る日もレッスンばかり。たまにステージに上がっても、ほんの僅かな出演時間しか貰えなかった」
「……オホン! あゆみちゃん、今はそんなことを聞いてるんじゃなくてね」
観客のほとんどは、まだ俺のことを知らない。
だからどんなイメージも、今から作り上げることが出来る。
いじらしく、か弱く……一生懸命。
見てると思わず味方しちゃうような、そんなイメージを。
「それでも、夢見て――」
「あのね、段取りって分かるかな? あたしも麗さんも、決められた時間の中でね」
玲奈が構わず突っかかってくる。
その言葉はごもっともだ。でも、ここは邪魔しないでくれ。
この大勢の観客を相手にするだけで、一杯一杯な状況なのに。
「玲奈さん!」
「へうっ!? う、うん。何?」
突然、玲奈の方に向き直る。
するとたちまち、一歩たじろぐ玲奈。
賭けだけど……この際ちょっと、この娘を巻き込んでしまうか。
麗に比べれば、まだやり易そうな相手だし。
「お願いです! 私たちにもチャンスを分けてください!」
「あ……うん、ね。気持ちは分かるんだけど」
困惑と気遣いを兼ねたような、その表情。
俺の言葉をそのまま受け取ってるのか。
――やっぱりだ。この娘は強敵じゃない。
「ここで引き下がって……チャンスを待ってたって、手を差し伸べてくれる人は誰もいない。だって、そうでしょ?」
「そ、そうだよっ。あたしもそれ、よく知ってる!」
両手をギュッと握り、玲奈はこちらに賛同しくれた。
サイドポニーの髪をヒュンッと跳ねさせて……その言葉が観客にどう受け取られるか、おそらく彼女は分かってない。
「ありがとう、玲奈さん」
「えっ? あ……うん。…………あれ?」
そして、再び視線を観客席の方へ。
素直過ぎるお譲ちゃんは、放っておいても良さそうだ。
「だから……私は、このステージまで上がってきたんです。チャンスを逃したくなかった。こんなにたくさんの人たちに会えるのなんて、私たちにはきっと最初で最後だから!」
目に力を込めて、瞳をより潤ませる。
声も高くキープし続け……あれっ? そっちはもう出来てるな。
いつの間にか、特に負担もなく自然に声が高くなってる気がする。
何というか、喉の奥にある普段使わない筋肉が使われてるような……ともかく、好都合には違いない。
「私は人気も、実力も……玲奈さんや麗さんには遠く及ばないです。でも、だからこそ! 立ち上がらなきゃいけなかった!」
観客一人一人の目が俺に向いている。
みんな、俺に注目してるんだ。……隣りにサンシャインがいるのに。
いい……いい感じだ。
「だって悔しかったからっ! 悔しくて……どうにかしなきゃって……」
喉を締めつけるようにし、搾り出すような声を。
さぁ、この大勢の観客相手に大芝居を打てるか、それとも三文芝居と嘲笑されるか……ここが勝負の分かれ目だ!
「何、この空気? ちょっと、みんな落ち着こう。冷静に考えてみて!」
玲奈め、さすがに勘付いたか!
でも、もう遅い。
俺が向かうべきはこの数千人の観客たち。
こっちは腹をくくったし、とっくに火が点いてるんだ。
このまま押し切る!
「きっと、私は間違ってるんだと思います。でも……あえてそうしなきゃ、正しいことをやってるだけじゃ開けないドアがあるって、いろんな人に思い知らされてきました!」
観客に訴えるように……情念を込めて!
相手は数千人。とても口先だけでどうにかなる相手じゃない。
思い出せ、控え室で見せられた美咲の涙を。
あんな風な、相手の心を突き動かしてしまう程の真剣さが必要……!
「私は……私たちハレーションは、ずっとアイドルでいたい。みんなにそれを知ってもらいたくて…………それだけで……」
とはいえ……土壇場の思いつきだけじゃ、謳い文句も在庫がもたない。
まさかこんな演説まがいの展開になるなんて、会場に着いた頃には思ってもみなかったもんな。
あ~もう、何でもいいから頼む!
よこせ、同情を! 涙を!
「だから……その、だから…………」
何か、何かあと1つ!
耳障りのいい文句を……くっ! ダメだ、もう思いつかない。
もう少し、もう少しなのに。
「…………ばれ~……」
言葉に詰まった俺の耳に、観客席の方から声が届いた。
何だ? ばれ……?
「がんばれ!! 俺は応援してやるから!」
「あゆみちゃん、もう大丈夫だから。よく頑張った!」
「大変だよな、アイドルって! 何か……何か分かるよ」
それは声援――
数千人の観客たち。その中からポツポツと、声援を送る者が現れた。
「たった1人で……すげぇよ、あゆみちゃん!」
「サンシャインにここまで挑戦できるなんて、こんな衝撃を受けたのは久々だよ!」
声は数を増していく。
やがてそれは、会場から溢れんばかりの大声援へと……
「面白かった! サンシャインとハレーション、どっちも応援する!!」
「他のメンバーはどこにいるの~?」
「曲は? 俺、今すぐダウンロードするよ!」
観客席からステージへと送られる喝采、賛辞、慈しむような目。
それらが全て、俺という人間に向けられているんだ。
「……あ、あぁ……」
それに対し、俺はどうすればいいのか分からなかった。
ステージの上で、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
こうなってほしいと願った通りの状況なのに、いざそれを前にすると……
「あのっ! ありがとうございます。みんな……本当にありがとう!」
いかにも、おあつらえ向きな言葉を吐く。
…………でも、それが本音だった。
不特定多数の人間に、自分という存在が受け入れられる――それがこんなにも嬉しいことだったなんて、まるで知らなかった。
アイドルって……アイドルとして人気を得るのって、こういうことなのか。
「何よ~……みんなサンシャインのファンなんでしょ~!」
玲奈は戸惑っていた。
もはや、自分のイメージを気にする余裕すら見えない。
「へぇ~……ふふっ、あゆみちゃん。あなた――」
そして、さきほどからずっと沈黙を守っていた麗。
俺のパフォーマンスを邪魔せず、見守ってくれていた麗は……
「やるじゃないの。見直したわ」
顔を向けると、にっこりと微笑んでくれた。
「は……はいっ! あの…………何と言えばいいのか」
とはいえ、俺はサンシャインのライブMCを妨害した身だ。
たとえ麗がどう思ってくれても、その事実は変えられない。
「いいのよ、そんなことは。それよりも今日はイイモノが見れたから」
麗はゆっくりとこちらに歩み寄ると、俺の顔をまじまじと眺めた。
「ふ~ん……あなたみたいなタイプは初めて。私も見てて、ドキドキしちゃったわ」
「あ、ありがとうございます……」
怒って……ないのか、こんな俺を。
それどころか、誉めてくれてる。
「あゆみちゃん。あなたって本当に……」
なんだ……良かった。
どうやら事態は丸く収まってくれそうだ。これでハレーションも――
「なまいきな娘ね」
その一言を発した途端、麗の表情が一変した。
さきほどの暖かさから急転落下したような、冷淡な表情。
同時に彼女はピンマイクを手で覆っていたので、その言葉は俺にしか聞こえなかった。




