第3話 友の誘い
ある日の学校。休み時間――
周りのクラスメイト達がワイワイと雑談にふける中、俺は一人、今朝コンビニで貰ってきたアルバイト情報誌を読みふけっている。
この街で募集されている数々のアルバイトが掲載されたフリーペーパー『レッツジョブ!』
いつの間にか俺は、これを毎号欠かさず読む愛読者になっていた。
……何をやっているんだか。
いまだに収入0の状態から踏み出せていない自分に、つい呆れてしまう。
「はぁ……」
とはいえ他に道は無し、か。
1000万円をこの手に掴むには、コツコツとでも働くしかないんだよな。
情報誌には仕事内容や待遇などが箇条書きになっているが、俺が気にするのはただ一つ、報酬だけだ。
待遇なんてどうだっていい。
とにかく金銭面の条件が優れてるバイトを見つけては、手当たり次第にマーカーで丸印を付けていた。
「ようっ、リクルート少年! 相変わらず、励んでるなぁ」
――突然、背後から現れた何者かに肩を叩かれる。
「うわっ!? ……なんだ、洋介か」
「バイト、まだ見つかんないのか」
顔を合わせるなり、哀れむような目で俺を見下ろすこの男。
適当に刈ったような短髪に、黒ぶちのメガネ。これといった特徴の見られないその容姿。
名前は石本洋介。
一応は、あくまで一応は俺の友人である。
「うっさいなぁ。今は不景気なんだよ」
「不景気ねぇ……」
やれやれと息をつく洋介から顔を背け、俺は再び『レッツジョブ!』に目を向ける。
悪いが、こんな奴と駄弁ってる暇なんて無い。
俺は今とにかく、バイトを見つけて収入の当てを確保しなきゃ――
「実は一つ、バイトの話があってさ。歩、やらないか?」
ふと耳に届いたその声。
こういうのを鶴の一声と言うのだろうか。
いや、なんか意味が違ってるような……。
「なに固まってんだよ。もし嫌なら、他の奴に頼むけど」
「いや、いやいやいや、嫌じゃない! やる、やるよ!」
俺は衝動的に立ち上がり、洋介の肩に掴みかかった。
顔を近付けると、目の前の友人はビクッと顔を歪ませた……が、そんなことはどうでもいい。
まさに、渡りに船! 俺はこいつと友達になっていて良かった!
「ちょ、いきなり顔近付けんなよ。……つい、ドキッとしちゃっただろ!」
「あぁ、ゴメンゴメン。それで、どんなバイトなんだ? 報酬は?」
よっぽど驚かせてしまったのだろうか。何やら洋介の顔がほんのり赤い。
「……いきなりそこかよ。お前、よっぽど金に困ってんだな」
「あっ、まぁな。ほら、いろいろ欲しい物とかあるじゃん……」
咄嗟な言い訳。上手くごまかせたかな?
俺が金を欲しがる理由。
それを人に話したことは無い。事情を知ってるのは、せいぜい家族と病院関係の人ぐらいだ。
恵のことを話して変に気を遣われるのも面倒だし、何よりこれは俺が一人で背負わなきゃいけないことだから。
「ふ~ん。俺もアイドルとか好きだからさ、何か分かるけど。入り用な時って、どうしてもあるよな」
「そ、そうそう。で、どうなんだよ。いくら貰えるんだ?」
無事スルーされた……か。良かった。さぁ、本題だ。
「あぁ。じゃあ望み通り金額から言うよ。1日限り、5000円だ」
5000円かぁ。しかも1日限りときた。
条件は、良くもないし悪くも……ってとこか。
しかしまぁ、いまだに収入0の俺だ。今さら贅沢も言えまい。
「内容は、今度の日曜日に大原アリーナでやるライブのスタッフ仕事でさ。俺の叔父さんがやってるイベント派遣会社からの紹介なんだ」
洋介の叔父さん……あぁ、そういやいつか言ってたっけ。
イベント会場にスタッフやコンパニオンを派遣する会社を経営してるとかって。
確か『レッツジョブ!』にも何度か募集が載ってたぞ。
「わかった。引き受けるよ」
「おぉ! さすが歩。やっぱ、持つべきものは卑しい友達だぜ」
……何か一言多かった気がするが、まぁいいか。
俺もさっきこいつに似たようなこと考えてた気がするし。
「じゃあ当日なんだけど。大原アリーナは分かるよな?」
「あぁ、うん。大丈夫」
「じゃあ、そうだな……午後3時ぐらいか。その時に会場の裏口まで来てくれ」
午後3時か。
仕事を始めるには、ちょっと遅い気がするけど。ほとんどライブ開始寸前の時間じゃないか?
「歩、いいか?」
「あ、うん。わかった。午後3時に裏口だな」
まぁ、いいか。細かいことはどうせ当日になれば分かる。
何にせよ、念願の初バイト。大した金額じゃないが、これが目標の第一歩だ。
「じゃあ、よろしくな」
そう言うと洋介は、自分の席へと戻っていった。
気付けば、クラスメイト達も皆ほとんど着席している。
そうか。もう休み時間、終わったのか。
いそいそと次の授業の準備をしつつ、俺は今度の日曜日に少しだけ胸を躍らせていた。
「次は――大原北、大原北です」
そして日曜日、俺は電車に乗って大原アリーナ近くの駅に到着した。
会場にはまだ少し距離があるが、周りは既に今日のイベント目的であろう人達でひしめいている。
どうやら相当人気なライブイベントらしいな。
でも、そういや誰のライブなのか洋介に聞いてなかったな。
人波をくぐり抜けるように、ともかく俺は会場へと向かった。
ガヤガヤ……ガヤガヤ……。
「何だよ、これ……」
ようやく大原アリーナに辿りつくと、まずその光景に唖然とした。
会場周辺を埋め尽くす人、人、人の波。
入口となる数門のゲートの前には、チケット片手に並ぶ何百人もの人だかり。
その一方で、野外に設置された大型テントにも長蛇の列が作られている。
おそらくあそこではグッズ等が売り出されているのだろう。
大勢の観客を整理する青色のジャンパーを着たスタッフ達も、そこかしこにいた。
これほどまでに多くの人々を惹きつけるなんて、このライブは一体誰が――あっ!?
会場全体をぐるりと仰ぎ見ると、アリーナ正面に取り付けられた1枚の巨大パネルが目に飛び込んできた。
『サンシャイン セカンドライブツアー イン 大原アリーナ』
というタイトル文字と共に、ゴシック調の衣装を着た2人の美少女が背中合わせに立ち並んでいる。
……なるほど、納得だ。
泉野麗と高石玲奈の2人による大人気アイドルユニット サンシャイン。
彼女達のライブとあれば、こんな規模にもなるよな。
……と思いつつ、ふと携帯で今の時刻を見てみる。
『午後2時57分』
ヤバイ! いつの間にか、もう約束の時間だ。
溢れるような人波をすり抜け、俺は慌てて会場の裏口へと回った。
「この場所でいい……のか?」
裏口ってぐらいだから、単純に入口の裏側に回ればいいのかと思ってたが……なにぶん建物が広過ぎる。
この場所が、会場の裏側にあたるのは確かだ。
でも、その範囲が広すぎて、一体どこが洋介指定の場所なのか分からない。
一応、目印になりそうなスタッフ用ゲートがあるけど、ここに来るまでにも同じのが幾つかあったしな……。
辺りを見渡しても、人影が少ない。
そのせいなのか知らぬが、搬入用のトラックが堂々と路上駐車されてる始末だ。
もしかして俺は見当違いの場所に来てしまったんじゃ――
「おい……おい!」
今、どこからか声がした気がする。
しかし、周りに人は見つからない。
遠くの方に青色のスタッフジャンパーを着た人達が数人いるが、あそこからの声だとは思えないし……。
「おいって! ……こっち、こっち」
だが、よ~く見るとあの路上駐車されたトラック。
その陰に……あっ、いた。
他のスタッフと同様のジャンパーを着た見慣れた顔、洋介だ。
「あっ、洋介。なんで、そんなとこ隠れてんだよ?」
「バッ、バカ! 大声出すなよ。いいからっ……こっち来いって!」
声をかけようとすると、洋介は慌てた様子でこちらに手招きする。
なんか事情が良く掴めないが……ともかく、あいつの言う通りにしてみるか。
「いや~悪いな、こんなとこまで。もし来なかったらとヒヤヒヤしたんだぜ」
「あぁ、ごめんな……でもなんで、そんなコソコソしてんの?」
トラックの方まで行くと、ようやく洋介の姿が拝めた。
……まぁ別に拝むほどのモンじゃないけど。
だが、その格好はどうもスタッフと言うには多少、違和感が残る感じだ。
手に握った1枚のうちわ。ただのうちわではなく、さっきパネルで見たサンシャインの写真が両面にプリントされたものだ。
そして、こいつが今着てるジャンパー。その下から覗き見えるのは……ハッピ?
「フフフ……こういうことだよ!」
急に顔をニヤッとさせる洋介。
するとこいつはジャンパーの前をガバッと開き、その下を露にした。
そこには黄色いハッピと、さらに『I LOVE SUNSHINE』と横文字で書かれたTシャツが見えている。
「えっ!? その格好って……」
「おうよ! サンシャイン公式ファンクラブ サンフラワーズ! 会員番号26124番 石本洋介とは俺のことだ!」
……こいつが何を言ってるんだが、わからない。
「今回、チケット手に入らなくてさ。叔父さんに融通してもらおうと思ったんだけど、バイトで雇ってやるならいいぞとしか聞いてくれなくてさ~」
なるほど。それで洋介はスタッフのバイトをしてるわけか。
でもジャンパーの下にその、何か応援服みたいなの着てるってことは――
「いや~、ありがとう! お前が話に乗ってくれなかったら、危うくライブを見逃すとこだったぜ!」
「……そういうことかよ」
つまりこいつはスタッフとして入場しながら、途中で観客の中に紛れるつもりなんだな。
そして、その間の身代わりとして俺を呼んだ……と。
「ほら、これお前の分のジャンパー。もうすぐライブ始まっちゃうからさ。早く着てくれよ」
待ち合わせの時間指定が遅かったのも、これが理由だったのか。
俺は差し出された新品の青いジャンパーを受け取り、袖を通した。
「頼んだぜ。ライブが終わるのは、だいたい午後7時頃でさ。それまであそこの通用口の前で、部外者が入らないように見張るのがお前の仕事だから」
「……それじゃ、まずお前を通すわけにいかないな」
「えっ、またまた~! ちゃんとバイト代は渡すからさ。見逃せよ、なっ」
バイト代、5000円だったな。
今、午後3時だから、だいたい4時間で5000円か。
まぁ悪くない……でも
「交通費!」
そう言って俺は、洋介の前に手のひらを差し出した。
「……ん?」
「ここに来るのに、電車賃が往復で1280円かかるんだ。もし俺が正規で雇われていたとしたら、支給される金だろ」
友人とはいえ、セコい悪行に加担するんだ。このぐらい吹っかけてもいいだろう。
「ちっ、守銭奴め。わかったよ。今日のバイト代は、しめて6280円! これで文句ないんだな」
「……ああ」
交渉成立。俺たちは自然と握手を交わした。
「じゃあ、行ってくるからな。終わったらここに戻る。そしたら、また入れ替わろう」
「わかった。せいぜい楽しんでこいよ」
手を振ってやると、洋介は瞬く間にトラックの陰から飛び出し、スタッフ用ゲートから会場の中へと消えていった。
アイドルだか何だか知らないが、なぜ人の応援にあそこまで夢中になれるんだろうか……金の虫である今の俺には理解できそうもない。




