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第26話 見えない隔たり

「あっ……」


 美咲は口をつぐんだ。

 そして、まるで何かを諦めたように苦笑いを浮かべている。


「はぁ~……大体さ。なんであんた達がここにいんの? ここテレビ局だよ? 世間に認められた人間じゃないと、入れないとこだぞっ!」


 高石玲奈は椅子に座ったまま、得意気な様子だ。

 押し黙った美咲にビシッと人差し指を向ける。

 相手を小ばかにした……何とも憎らしげな笑顔を浮かべて。


「あはは。やっぱそうなんだ……ごめん」

「美咲! ……謝らなくていい」


 すると、それまでドアの方に突っ立っていたいつきが前に出てきた。

 たじろぐ美咲を手で庇うようにして引き下がらせ、高石玲奈と向かい合う。


「あぁ、いつきもいたんだ~。相変わらずちっこいね。気付かなかったよ」


「うるさい……変わらないのはお互い様。そっちは……根性が腐ったまんま」


 一定の距離を保ちつつ、にらみ合う両者。

 特にいつきには、傍から見てても明らかな敵意を感じてしまう。

 一触即発――何やらそんな言葉が、俺の脳裏をよぎった。


「なっ、何よ? 変な言いがかりはよして――」

「おやおや……さっきまでいたぶりっ子ちゃんは今、どちらに行かれたのかな~? 玲奈、知らない?」


 まっすぐ伸ばした手のひらを額に当てて、わざとらしく辺りを見回すポーズをとるいつき。


「力ある人間に媚を売るところ、昔とおんなじ……」

「……!?」

「メス猫……」


 マズイ。

 いつきには全く容赦する素振りがないぞ。

 このままこの口喧嘩を放っておけば、いずれ……


「いいでしょ、別に……そうして、ここまでやってきたんだから。あたしは勝ったんだから!」

「スゴイネ、スゴイネ、コングラチュレーション……」

「なっ!?」


 無表情で両手をパチパチと叩くいつき。

 あまりに露骨な煽り。

 それに対し、高石玲奈はあっさり逆上してしまった。


「あ~もうっ、ムカつく! いつきは昔からそう! 可愛いなりしてるくせに、口を開けば人の神経を逆撫でするようなことをいちいち~……」

「言わせる方が悪い」


 憤慨する高石玲奈に、いつきはプイッと顔を背けた。

 こういうところ……こういうところだよなぁ。


「ちょっと、いつきたん! 玲奈たんも! 空気良くないぞ。せっかく久しぶりにノービスが勢揃いしたのにさ~」


 そこに急遽、美咲が割って入ってきた。

 いつも通りの晴れやかな笑顔。

 さきほどから一転し、すっかり調子を取り戻したようだ。


「久しぶりにやるよ! 荒ぶるワシ座のアルタイル 篠はら……あれ?」


 するといきなり、両手を高く上げて何やら勇ましいポーズを取ろうとする美咲。


 しかし、そのノリに誰も乗ってこないのを見ると、すぐに止めてしまった。

 …………何なんだ、一体?


「そ、そうですよ。みなさん、仲良かったんですよね?」


 とりあえず、俺もそれとなく後押し。

 口喧嘩までならともかく、もし万が一リアルファイトにでもなったら、もう見ちゃいられないからな。


「仲……良かった?」


 いつきと高石玲奈、2人の声が見事にハモる。


「あゆみ、違うよ。こんな女と仲良くするなんて……今も昔も無理無理無理無理」


「ノービス…………そんな過去もあったっけなぁ。でも、あたしのプロフィールはサンシャインから始まってるしなぁ。変な黒歴史は持ち込まないでくれるかな?」


 いつきは手を左右に振り乱し、高石玲奈はとぼけるように天井を見つめながら、それぞれ否定している。

 …………なんか見てる分にはこの2人、相性良さそうだけどなぁ。


「そ、そんなぁ……玲奈たん、あの頃みんな一緒に頑張ってたじゃん。路上ライブとか、お店でのお渡し会とか」

「やめて!」


 追いすがる様子の美咲に対し、高石玲奈は声を張り上げてピシャリと遮断した。


「知らないアイドルの知らない歌……路上でそんなの聴かされたって、足を止める人なんてロクにいなかった。CDのお渡し会だって、どこの店に行ってもいつも同じ人しか来なかった!」

「玲奈たん……」


 語気の荒い口調。

 いつしか部屋の中を静けさが包み込んでいた。


「でも、今は違う! あたしはあの頃とは比べ物にならない……(きら)びやかな世界にいるの!サンシャインに、高石玲奈という名前にいろんな価値が付いている。人も、企業も、世間全体が自分を中心に回っているようなこの感覚…………分かる?」

「……」

「……」

「分かんないよね~」


 美咲もいつきも言葉が出ない様子だった。

 ただ、その表情には悔しさが覗けていて……。


 かといって、俺にも返す言葉なんて見つからない。


「それに引き換えさ、美咲といつきは……何なの? いつまでそんな日陰にいるのよ。そこの新メンバーだって、少しネットで騒がれただけで加入させたって言うし」


 矛先は俺の方にまで向いてきた。

 そうなんだ。元々ネットで人気を博したことでハレーションに加入した俺だったが、その人気とやらはどうも瞬発的なもので、すぐに鎮火してしまった……らしい。


 冴子さんがそう言っていた。

 何時かのいつきのごとく、貧乏くじを眺めるような目で俺を見ながら。


「あとさ! さっきからずっと後ろでビクビクしてるあんた!」

「ひ、ひゃいっ!?」


 そして、さきほどからずっと姉の様子を伺っていた由香にまで。


「あんた、麗さんの妹なんでしょ? たしか由香って言ったっけ。あのね~、由香……」

「は、はい……」


 高石玲奈が一息つくと、由香はすかさず身構えた。

 次にどんな言葉を浴びせられるか……たとえ何を言われても耐えられるようにとバリアを貼っているように見える。


「あんた、この世界ナメてんの!? 唄は歌えない、前に出れない、挙句の果てにライブ会場から逃げ出す……よくそれで、自分のことアイドルなんて言えるわね!」

「ヒイィッッ!!」


 言葉にならない悲鳴――由香の心のバリアは、脆くも崩れ去ったみたいだ。


「イライラすんのよ、あんたみたいなの見てると! 何? 麗さんの妹だから、それでどうにかなるとか思ってんの? 何もしなくたって、周りが勝手に自分を盛り立ててくれるとでも――」


 まるで(せき)を切ったように容赦ない口撃。

 この高石玲奈にとって、由香という女の子はよっぽど(かん)に障る存在なんだろうか。


「顔は可愛いし、スタイルだっていいじゃないの、あんた! くぅっ……羨ましい」

「そ、そんなこと言われても~……」


 身を屈めて、萎縮する由香。

 だが彼女がどんな姿勢をとろうとも、その大きな胸の膨らみは主張をやめない。


 対して高石玲奈の方は…………こういう言い方は何だが、どっちが前でどっちが背中だか分からないような有様だ。


 ――格差社会。


「ちょっと踏み出せばブレイクしそうなのに! 勿体ない…………麗さんの妹ならきっと、ネイチャ――」

「……玲奈!」


 静かな……だがそれでいて、迫力を感じる一声。

 その声は部屋の奥から。

 泉野麗が、こちらに振り向き様に放った一言だった。


「そろそろ次の現場に向かう時間よ。車を待たせてる……行きましょう」


 パッチリとした釣り目に、整えられたまつ毛が被さっている。

 妹の由香が丸っこい……ドングリ形の瞳と表現するなら、さしずめこちらはアーモンド形といったところだろうか。


 見ているだけで吸い込まれそうだ。何故だか圧倒感すら感じてしまう。


「あ……」


 肩にかかった髪を軽く手で払うと、泉野麗はこちらの方へ向かってきた。

 そして、茫然としている俺の前を素通りしていく。


「待ってください、麗さん! ……あ、あんた達! せいぜいサンシャインの足を引っ張るのだけはやめてよね」


 すると高石玲奈もまた、慌てて泉野麗のあとに続こうとする。


 そうして2人が楽屋のドアを開け、廊下に出ようとする頃――


「……お姉ちゃん。えへ……久しぶり」


 由香が姉に向けて、微笑みを投げかけていた。

 嬉しさがにじみ出たような、混じりっ気なしの純粋な笑顔。


 由香のこんな表情、初めて見るな。


「……おつかれさま」


 だが、姉からの返事は素っ気ないものだった。

 一言だけ言い残すと、すぐさま楽屋を出て行ってしまう。



 ――楽屋に取り残されたハレーションの4人。

 気付くとみんな、狐につままれたような顔で茫然としていた。


 それぞれに思うところがある。

 垣間見たサンシャイン 高石玲奈の素顔。

 そして泉野麗…………あっ、そうだ!


 1つ大事なことを思い出した。

 あの歌……泉野麗の歌声。

 そのことを訊いておかなきゃ……!




 楽屋を飛び出した俺は、さっきのエレベーターへと向かった。

 まだ間に合えばいいが――


「……いた!」


 見るとそこに、まさに今到着したばかりのエレベーターに乗り込もうとするサンシャインの2人がいた。


「あのっ! ちょっと待ってください」

「? 何よ、あんた。そんなに慌てて」


 ぜぇぜぇ息を吐く俺に、高石玲奈は怪訝そうな目を向ける。


「はぁ、はぁ…………すみません。どうしても、聞きたいことが」


 エレベーターの前まで到着すると、俺は両膝に手を置きながら泉野麗へと顔を向ける。


「泉野……麗さんの歌。聴いていると、なんだか不思議な気持ちになって……なんかこうふわ~っとして、まるで取り込まれるような――」


 我ながら、何という取っ掛かりのない言い方なんだろう。

 でも、しょうがない。

 あの不思議な高揚感。それを言い表せる日本語を、俺は知らないんだ。


「とにかく、その……こんな気持ちになったの初めてなんです! どうやったらあんな歌い方が出来るんですか!?」


 歌にダンスに、かなりの高い技術を持ち合わせているサンシャインだ。

 その歌声にだって、きっと何か洗練されたものがあるに違いない……!


「……」


 泉野麗は少し黙る。

 まぁそりゃ、こっちだって簡単に教えてくれるなんて思ってないさ。

 今日観たステージだけでも、俺を含めて観客席全体をあれだけ熱狂させたんだ。


 だが、そうは言っても訊かずにはいられなかった。

 ……そうじゃなきゃ、俺の気が済まない。

 こんなモヤモヤした気持ちを抱えたままじゃ、寝覚めが悪くなる。


「そういう風に生まれただけよ」


 泉野麗はあっさりと口を開いた。

 だがその言葉の意味は、まるで不明。



 唖然とする俺を置いて、サンシャインを乗せたエレベーターは下の階へと降りていく。


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