第21話 忘れたい、忘れられない過ち
あの日……そう、忘れもしない6年前。
俺が10才。恵がまだ3才だった頃の、夏のあの日だ……。
「にーちゃん、にーちゃん」
あの頃の恵は、しょっちゅう俺に懐いてきてた。
「にーちゃん、どこいくの?」
「母さんが帰ってくる前に、買い物済ませるんだよ。……恵も行くか?」
「うん!」
父さんがいなくなってから、母さんは毎日働きに出るようになった。
それまで家族4人で暮らしてた家も、俺と恵の2人きりでいる時が多くなって。
「恵。母さん、もうこれからは夜にしか帰れないけど……平気か?」
「だいじょ~ぶ。にーちゃんがいるもん!」
だから、学校から帰ってからはずっと、妹の面倒を見るのが俺の役目になっていた。
「ここで……1繰り上がって……」
「にーちゃん! ……なにやってるの?」
「宿題だよ。ビックリするから、いきなりドア開けるな」
そんな境遇だったから、恵は俺にベッタリ。
いわゆるお兄ちゃん子になってたのかもしれない。
普通なら母親や父親から受ける分の愛情までも、俺に求めてきてたんだと思う。
「にーちゃん、おかえり。……おままごとしよ?」
「えぇ? 俺これから友達と遊びに……」
「お~い、歩。早く行こうぜ~」
学校が終わって、ようやく自由になれたってのに。
また、これかよ……
「……にーちゃん」
「うっ、泣くなって! ……分かったよ。今、友達に謝ってくるから」
「わぁ! にーちゃん、だいすき!」
「……ったく」
でも、そんな妹の依存は……まだ小学生の俺には正直、煩わしく思えたんだ。
そんなある日――
「にーちゃん。ねぇ、にーちゃん!」
「何だよ、恵。俺これから出かけるんだけど」
この日は日曜日。俺にとっては特別な日だった。
幼馴染みの太一が今夜、遠くの町に引っ越すことになる。
だから記念に、クラスメイトたちと公園で最後のサッカーをしようって約束してたんだ。
「あそぼ~……」
「ダメだよ、今日は大事な約束があるんだ。公園に行かなきゃ」
「こ~えん。めぐみもいく……!」
「! ダメだ、来るな。恵はお留守番してろ」
この前も、そうして……
あんまりグズるから、友達の家に恵も一緒に連れて行ってみたんだ。
そしたらあいつら、こいつがずっと俺にくっ付いてるのを見て、カップルだ~とかラブラブだ~とか言って、からかいやがって。
あんな恥ずかしい目に会うのは、もうゴメンだ。
「……ふえぇ……にーちゃん……」
「また泣く……」
どうして俺だけこうなんだ。
クラスの他の連中は、誰もこんな苦労はしてないのに。
俺だって、遊ぶ時は普通に遊びたい。
毎日毎日、休みもなく妹の面倒ばかり見なきゃいけないなんて……。
「いく~、いくの~~! にーちゃんといっしょがいい~!」
「そんなこと言ったって」
恵は床に寝っ転がり、ジタバタと駄々をこねてしまった。
……いい加減、参ってしまう。
今日は、クラスの男子だけの大事なイベントなんだ。
妹とはいえ、そこに女の子を連れて行けば間違いなく嫌がられるだろうし。
どうするか…………あっ!
「そうだ、恵! 兄ちゃんとかくれんぼしよっか?」
「……うん……やるっ!」
泣くのをやめて、にぱっと笑顔を浮かべる恵。
それを見る俺もまた、心の中で笑った……こいつとは違う意味で。
「じゃあまず、恵がオニだぞ。兄ちゃんが隠れるまで、10秒数えろよ」
「うん! わかった…………い~ち、に~い――」
外に出ると、恵は言われた通りに庭の木と顔を向かい合わせ、数を数えだす。
そしてその隙に……俺は妹を置いて、公園へと走り出した。
――ひどい兄貴だった。
もうこの時の俺は、日ごと積み重なったストレスと、責任感の重みに耐え切れていなかったんだと思う……。
「歩~! ボールそっち行ったぞ~」
「よしっ! ……おりゃ!」
公園に着いた俺は、ひたすらみんなとのサッカーにいそしんでいた。
「あ~……外しちゃったか」
「すまん、太一! ボール、また取り返すから」
今日は太一と出来る最後のサッカーなんだ。
明日から知らない町に一人で行くこいつに、いい思い出を残してあげなきゃ!
「…………」
でも、何だろう……どこか気持ちがフワフワしてる気がする。
さっきのシュート、いつもなら外さないコースだったのに。
「……ヘイ、パス!」
「あっ!?」
簡単なパスだったのに、取りこぼしてしまった。
やっぱりダメだ。いつもの調子が出せない。
――恵、今どうしてるかな。
たぶんあの後、家や庭の周りを探し回って……でも俺はどこにもいなくて……そして…………
「歩、何ボ~っとしてんだよ。お前、ディフェンダーじゃないだろ」
……やっぱり心配だ。家に戻ろう!
「すまん、みんな。俺ここで帰るから!」
試合に夢中なみんなを突っ切って、俺は公園の入口へと走った。
勝手だ。
なんて勝手な奴なんだ、俺は!
後先を考えず、目先のことに釣られてばかり……そんな自分を恨みながら、入口に辿りついた。
その時――
「にーちゃ~ん……にーちゃ~ん……どこ~?」
公園の前。
横断歩道を挟んだ向こう側の歩道に、泣きじゃくる恵の姿があった。
俺を探しに一人でこんなところまで来たのか?
公園なんて、今までたまにしか連れてこなかったのに。
「にーちゃ~ぁ…………あっ!」
状況に戸惑い、立ちすくむ俺の姿を恵が見つけた。
まだ涙を流しつつも、その表情には急に明るさが戻った。
そして、そのまま一目散に俺の元へと駆け寄ってくる。
――だがその瞬間、背骨を貫き通すほどの冷たい衝撃が俺を襲ってきた。
恵が今渡ろうとしている横断歩道――信号は赤だ。
たぶんあいつはそれに気付いてない……出かける時は、必ず俺が一緒にいたから。
赤信号が止まれの合図なんて、まだあいつは分かってない。
「に~~ちゃ――」
目の前で、不思議なことが起こった。
妹はまだ3才。身体が小さくて、まだ一人で風呂にも入れない。
だいぶ治ってきたけど、今もたまにオネショするから困ってる。
そんなちっちゃなちっちゃな恵に……自動車がぶつかってきたんだ。
全速力で走ったまま、ブレーキもかけないままに……
――小さな女の子が道路の上に寝転がっている。
あれ……恵なのかな?
なんか似てるけど……いや、やっぱ違うよ。
恵はきっと今も、家で俺を探してるんだから。
あっ、女の子のところに救急車がやって来た。
そのまま連れてかれて…………助かるといいな。
どこの子か知らないけど。
それから、いろんなことが目まぐるしく起こった。
運びこまれた大学病院の処置が良かったおかげで、恵は何とか一命は取りとめた。
でも医者は、2本の足を動かすことだけはもう二度と叶わないと断言した。
恵を引いた車の運転手は、あのまま逃げてしまった。
警察に届けても、ナンバーが不明なために結局見つかることはなかった。
……そうしてその日から、恵の長い長い入院生活が始まった。
新しい経験や人との出会いもなく、病室の中で治療を施されるだけの日々。
やがて症状が安定してくると、治療費の高い大学病院から岬診療所へと施設を移した。
家の中で介護する方法もあったが、俺は昼間に学校があるし、母さんだって働きに行かなきゃいけない。
どうやっても結局、恵はベッドから離れることが出来ない……。
治療費を払い続けるため、俺が高校生になると母さんは家を売り払ってしまった。
ローンでいくらか差し引かれたが、それでもある程度の金は捻出できたようだ。
……父さんの思い出が残った家は、他人のものになった。
そして母さんは遠くの町へ出稼ぎに行き、俺も今のオンボロアパートに一人暮らしをするようになった。
恵が……母さんが……俺の家族が今、不幸な目にあわされてるのは…………全部、俺のせいなんだ。




