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第2話 金がほしい、その理由

 結局、今日もバイトは見つからなかった。


 街の中を散々歩き回って手に入れたものといえば、足の裏の痛みぐらいだ。

 あとは、(すさ)んだ心……。


 日ごとに積み重ねられていく挫折感を背負いながら、俺は街外れのとある病院の前まで来ていた。


 そこは白い巨塔……という表現にはほど遠い、古ぼけた医療施設 (みさき)診療所(しんりょうじょ)

 かつては白かったのかもしれないその外観はすっかり色褪てしまい、今はもうクリーム色にしか見えない。


 ふとポケットから携帯電話を取り出し、現在の時刻を見てみた。

 午後6時15分。

 まだギリギリ面会時間か。


 そう確認すると、俺はすみやかに病院のドアを開け、目的の病室へと向かう。



 玄関から入って向かいの階段を上り、2階へ。

 ちなみにこの病院は2階建てなので、実質ここが最上階だ。


 そしてしばらく廊下を歩くと、目的の病室 203号室が見えてくる。

 病室との距離を近付けながら入口の方を見ると、ちょうどドアが開いて中から人が出てくるところだった。


「……あら? 歩くんじゃないの。いらっしゃ~い!」

「あっ、小町さん。こんにちは」


 こちらに手を振ってくれるその人は、この病院の看護士 元村(もとむら)小町(こまち)さん。


「お見舞いに来てくれたの~。相変わらず、妹想いのお兄さんね。でも、もうすぐ面会時間終わっちゃうわよ?」


 小町さんはそう言うと、からかうような微笑みを浮かべてきた。


「すみません。今日もバイト……探してたんで」

「そうなんだ。それで、どう? いいお仕事、見つかった?」


 まじまじと顔を覗き込まれる。

 だが俺は今、そんな期待に応えられる甲斐性は持ち合わせていない。


「…………」

「あぁ~。まぁ、ほら! アルバイトなんて探せばいっぱいあるじゃないの。へこまない、へこまない! 可愛いお顔が台無しになっちゃう」


 表情を見て、答えを察してくれたのだろうか。小町さんは俺の肩をポンポンと叩いて励ましてくれた。

 そんな彼女の優しさは、今の俺の荒んだ心には有難くもあり、また情けなくもある。


「恵ちゃんも中で待ってると思うわ。お話が終わるまで、面会時間は伸ばしてあげるわね」

「すみません。助かります」


 「内緒よ」と口元に人差し指を立てる小町さんに一礼し、俺は病室のドアを開けた。



 中に入ると、そこに見慣れた風景。

 8畳程度の広さの部屋の中に、機能的に置かれた医療用の棚や簡易式クローゼット。

 その中央には、通常よりやや大きめサイズのシングルベッドが置かれている。


 そして、その上に座る1人の少女。


 下半身を布団に潜らせたまま上半身を起こす体勢で、ベッドテーブルに乗せたノートパソコンと向き合っている。

 彼女の肩まで伸びたストレートヘアーに反射した夕焼けの明かりが眩しい。


 やがて部屋の来訪者に気付いた少女は、そっとこちらを振り向く。

 その刹那、彼女の緩んだ表情と夕焼けの明かりが二つ、重なり合った。


「あっ、お兄ちゃん。来てくれたんだぁ!」

「ああ。恵が今日も寂しがってるんじゃないかと思ってさ」


 少女の名は本城(ほんじょう)(めぐみ)。俺のたった一人の妹だ。


「ちょっと待ってね。あとこの問題だけ解いたら…………うん、終わった~!」


 恵はノートパソコンを操作すると、しばらくして両手をぐ~っと上に伸ばした。

 どうやら今日の課程がちょうど終わるところだったらしい。


「勉強中だったのか。ごめんな」

「ううん。別に誰かが見てるわけじゃないから……気にしないで」


 そそくさとノートパソコンを仕舞う恵を横に、俺はベッドの脇に備え付けられた椅子に座る。


 恵は今、9才。4年前に交通事故に遭って以来、ずっとこの病院の中で暮らしている。

 だからこいつは一度も学校に通ったことがない。

 勉強は全てインターネットを使った通信教育で(まかな)っている状況だ。


「お兄ちゃん、今日は遅かったね。もうすぐ面会時間、終わっちゃうとこだったよ」


 続けざまにベッドテーブルを片付けつつ、恵はこちらの方を振り向いた。


「あ、あぁ……バイト、探してたから……」

「…………」


 ――恵の表情が止まる。

 俺の方を向いたまま、じっと見つめるその瞳。


 今の疲弊(ひへい)した心にはちくちくと刺さるように痛い。


「ごめんね、お兄ちゃん……」

「えっ!?」


 恵はふっ……と表情を沈ませた。

 さっきまで俺を見つめていた丸っこい瞳も、垂れ下がった前髪の中に隠れてしまう。


「恵のせいだよね。恵がこんな足だから、お兄ちゃんまで苦労させて……」


 恵は自分の足に手を置いた。……4年前のあの日から動かなくなってしまったその足に。


「恵は関係ないよ。俺が勝手に――」

「うそ……。恵、お兄ちゃんのことは分かるよ。ずっと見てきたんだもん」


 お見通し……と言わんばかりの苦笑い。


 恵はこの4年間、病室にこもりっきりでロクに人と接していない。

 話し相手といえば、小町さんか俺ぐらい。

 だから、俺という人間のことが嫌でも頭にこびりついてしまうんだろう。


「お兄ちゃん……やめて、もうそういうの。恵、やだ」

「いいんだ。俺が自分で選んだことだから」


 振り払うようにそう言うと、恵の表情がさらに暗く雲がかった。

 ――いけない、この流れは!


「め、恵なんか……」

「! そんなこと言うな! 恵は何も気にしなくていい。だって、あの事故は俺が――」


 嗚咽(おえつ)交じりの声。弱気になる妹。

 悪しき流れを遮ろうとする余り、つい触れてしまった。

 俺たち兄妹が兄妹であり続けるために、お互いにあえて触れないできたあの日のことに。


「…………」

「…………」


 言葉を詰まらせてしまった両者。重い静寂だけが部屋の中を支配している。



「……お兄ちゃん」


 先に口を開いてくれたのは恵だった。

 ゆっくりと顔を上げると、サラサラと透き通るような前髪が数本だけなびいた。


「あの、ね……もう何も言わないから。でも、無理だけはしないでね。お願い」


 瞳を潤ませながら、まっすぐに俺を見つめる。


「――あっ、お兄ちゃん!?」


 すると俺は、そっと恵の頭の上に手を置いた。そして、そのまま撫でてやる。


「えへへ……」

「ありがとな、恵。大丈夫、俺のことは大丈夫だから」


 頭を俺の方に寄せながら、嬉しそうに目を細める恵。

 たとえ俺にどんな思いがあったとしても、今はこう言うしかなかった。



「じゃあな、もう帰るよ」

「え~、もう……?」


 恵はしょんぼりと表情を歪ませる。

 俺だって名残惜しいが、時刻はもう午後7時を回っている。

 面会時間は本来なら午後6時30分までだ。さすがにこれ以上、ここに留まるわけにはいかない。


「お兄ちゃん……また来てね」

「ああ、来るよ。必ず」


 ドアを閉める寸前まで、こちらをじっと見続ける恵。そのいじらしさに後ろ髪を引かれそうになるも、俺はそっとドアを閉めて病室を出た。



「待ったわよ~。お・に・い・ちゃん」


 そして間髪いれずに、話しかけてくるその声――小町さんだ。


「あっ、小町さん! ずっとそこで?」

「一応、仕事ですからね。終わるまで待ってたの」


 ふーっと息をついた小町さん。

 この人、軽口を叩くことはあっても、こういうところは結構きっちりしてるんだよな。


「すみません、待たせちゃって。もう帰りますんで」

「いいのよ、気にしないで。またいつでも、いらっしゃ~い」


 快活にそう言ってくれる小町さんに一礼し、俺は病院を後にしようとした。


「……あっ! そうだわ。歩くん!」

「えっ!?」


 だがしばらく歩くと突然、背後から小町さんに呼び止められた。

 振り向くや否や、何やら慌てた様子でこちらに近付いてくる。


「あのね、大事なお知らせがあったの。恵ちゃんの手術なんだけど」

「! ……はい」


 息を吐く小町さんの口から出た言葉。

 その中の『手術』というキーワード。

 それを耳にした途端、俺の緊張感がゾクリと高まった。


「先生が見つかったわ!」

「……!!」


 ――言葉が出なかった。

 恵はかれこれ4年間もずっと入院生活を送っている。外の世界のことをロクに知らないまま、ずっとだ。


 その理由は、恵の足を手術できる医師がどこにも見つからなかったから。

 これまで診てくれた医師達はいたが、右内側側副靭帯損傷みぎうちがわそくふくしんたいそんしょう左外側靭帯断裂ひだりそとがわじんたいだんれつ三角骨障害さんかくこつしょうがい……無数の症状を見ては、全員が首を横に振ってきた。


 絶望的だった。まるで先の見えない状況だった。

 俺や母さんにとっても……もちろん、恵自身にとっても。


「あ、ありがとうございますっ! それじゃ、すぐ! 手術をお願いして――」

「でもね」


 気持ちを抑えきれず、(はや)る俺を小町さんは冷静に見つめて言った。


「その先生ね。ちょっといわく付きの人で……腕は確かなんだけど、その……請求する手術費が異様に高額なのよ」


 それまでの熱い気持ちが勢いを失くす。不意に氷を投げつけられたようなこの感覚。


「い……いくらするんですか?」


 大丈夫……覚悟はしてたさ。

 いつこんな時が来てもいいようにと、俺はバイトを探してたんだ。


 ――もっとも探すだけで、まだ1円も稼げちゃいないがな。


「1000万円。……保険は適用されないわ」


 時が止まった。

 いや、無理矢理止められたみたいだった。


 今、何て言ったんだ? たしか1000万円って……言ったよな?

 そんな金が家のどこにあるって言うんだ!?

 遠くの町にいる母さんが無理して住み込みで働いてくれてるおかげで、俺たち兄妹2人がどうにか暮らしていられる今の状況で……1000万だと!?


「…………」

「そうよね、きっとそうなると思った。でも、条件は1000万円。それが呑めないのなら手術は出来ないって……先生はおっしゃってるわ」


 茫然となった。

 小町さんの言葉は耳に届いていたが、何も口に出せない。


 どうすれば……一体、どうすればいいっていうんだ。


「期待だけさせて、ごめんなさいね。でも現状では、恵ちゃんが助かる道はもうこれしかない……」


 ! 助……かる。恵が……。


 茫然自失に陥る中で、聞こえたその一言。

 『助かる』

 そのたった一言に、俺はハッとした。

 そうだ……金だ。問題なのは金だけなんだ!


 ――止まった時が動き出す。


 手術は出来る。

 そうだよ。それまで立ち塞がってた障害の1つは、たった今消えたんだ。

 あとは1000万円さえ用意出来れば、それだけで恵が救われる。


 そりゃ、目標は途方もなく高い。でも!

 今、あいつにそれだけのことをしてやれるのは…………もう兄貴の俺しかいない。


「小町さん、ありがとうございます。きっと依頼するって、その先生に伝えておいてください」

「歩くん……」


 廊下を歩きながら、俺は決意を固めていった。


 当ては無い。

 何の当ても無いが……きっと何とかしてみせる。

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