第18話 今日が私のデビュー
数日後のある日、教室にいる俺は机に向かってうなだれていた。
周りから聞こえるクラスメイトたちの声など気にせず、ただ身体を休めている。
度重なるレッスンのせいで、ヘトヘトなんだ。
このところ学校にいる間は、ほぼずっとこんな感じだった。
「よっ、勤労少年! 元気か?」
「あ~……なんだ洋介か」
声をかけられても、身体を起こす気にはなれない。
俺は机に突っ伏した体勢のまま、顔だけを洋介の方に向ける。
「なんだってことは無いだろ……。バイト、見つかって良かったな」
「あぁ……おかげさまで」
他愛もない会話……大した用でもないんなら、正直放っておいてほしいんだが。
「でもお前、学校じゃいつもそんな感じで疲れてるよなぁ。……バイトって何やってんの?」
「……絶対言わない」
言えるか。
女装してアイドルやってるなんて……言えるわけがねぇよ。
「ふ~ん、まぁいいけどさ。でも俺もな~、サンシャインの応援で金なくなっちゃってさ。歩みたいにバイト始めよっかな~とか」
気楽な奴……。
自分のやりたいことを思うままにやれる……そんな自由なんて、俺には無い。
「いいな、洋介。……ファンの鑑じゃん」
「そっか~? でもなぁ……サンシャインって今やもう大人気過ぎて、アイドル業界そのものがサンシャイン中心に回っちゃってるだろ? だから、何かこうなぁ~……俺が応援してやらなきゃ! みたいな気持ちになれないのが――」
洋介のアイドル論議が始まった。
どうでもいい薀蓄やら考察を交えながら、本人はハツラツとして語っているが、聞かされる方にとっては、ただのムダ知識でしかない。
……こいつは最初から、この話がしたかったんだな。
俺は再び頭を両腕の中にうずめ、しばしの休息を取ることにした。
疲れは、今の内に解消しておかなきゃならない。
学校が終われば、今日は仕事が待ってるんだ。
いつものレッスンとは違う……今日は、待ちに待った金を稼ぐ仕事をするんだ!
「うふふっ。今日はとうとう、あゆみたん正式デビューの日だね~」
いつか俺が拉致されたワゴン車の後部座席で。
前の席に座る美咲が、シートの上から顔を覗かせてきた。
「うん……頑張るよ」
外には、もう夕焼け空が広がっている。
その下で、俺たちハレーション4人とマネージャーの冴子さん、スタイリスト兼運転手のカオルちゃんを乗せたワゴン車は、街を離れてとある山の方へと向かっていた。
「あゆみちゃん! だ、大丈夫……今日のイベントは、は……そんなに大きいものじゃ、ない、みた……いだよ。お……落ち着いて!」
そのセリフは俺に対してなのか、それとも自分自身へ向けてなのか。
隣りに座る由香が、冷や汗混じりに顔を引きつらせている。
「ありがとう、由香。でもたぶん、私よりも由香の方が……」
「ひゃうっ!? うぅ……いっそ時間が止まってくれたら……そしたら、このままずっと会場に着かないのに」
「にゃはは~。由香たんは頼りないな~」
賑やかしい会話が繰り広げられる中、俺の斜め前。
美咲の隣りの席からは、さっきから全く声がしなかった。
車の中は2席×3列のボックスシートになっていて、前方の運転席と助手席にカオルちゃんと冴子さん。後方の席に俺と由香。
中央には美咲ともう1人、猪瀬いつきがいるはずなのだが……。
『カチッ……カチッ……』
よ~く耳を澄ますと、何かコンピューター的な電子音が聞こえてきた。
たぶんまた彼女は、愛用のスマートフォンでインターネットの世界にでも浸ってるんだろう。
どうでもいいけど、さっきの由香の悲鳴はやたら響いたな。
まだ耳がキーンっていってる。
「着いたわよ~」
そうこうする内に、車は郊外のある駐車場に停車した。
辺りは山の中。
周りを見ると結構な数の人達が行き交っている。
その中には浴衣を着た人も度々見受けられ、そこかしこに明るく灯された提灯が吊るされている。
まるで縁日を思わせる雰囲気だ。
今はまだ5月。夏には早いのに。
「オッケー、カオルちゃん。時間通り! さぁ、あんた達。お仕事開始よ!」
「は~い」
活気付けるような冴子さんの声が車内に響くと、俺の初仕事は始まった。
「じっとしててね……」
カオルちゃんは、その手に持ったマスカラの毛先を俺の顔へ伸ばした。
そして撫でるような手つきで、だんだんと彩っていく。
ここはメイク室……という仮設テントの中。
野外に設置されているので、ところどころ虫が飛び交っているのが妙に気になる。
もうすぐイベント本番。
それに備えてメンバーそれぞれがメイクを施してもらい、最後は俺の番だった。
「本当にいい素材ね~。手をかけたら、その分がちゃんと結果に出てくる……面白いわ」
感心するようなその口ぶり。
鏡に映る自分の顔を見ると、確かにその容姿が変貌していくのが分かるけど……。
「これで……完成っと!」
最後の一塗りを終え、カオルちゃんは満足気に両手をパンパンと払った。
「うん……ありがとう」
これでメイクは終わりだ。
仕事に必要な作業を終えたという事務的な気持ちで、俺はそそくさとメイク室を出て行く。
カオルちゃんには悪いが、女顔をより強調させた自分の顔なんてそう見ていたいもんじゃないからな。
仮設テントを出ると、外はもう真っ暗だった。
夜空の月は、半月なんだか三日月なんだか……形容しがたい中途半端な形で灯っている。
「おわぁ~! あ、あゆみたんすげぇ! 見違えちゃったよ!」
途端に、オーバーアクション気味に仰け反る美咲に出迎えられてしまった。
「本当。かわいい……いえ、美しい……」
そう呟く由香は、心なしか頬をぽ~っと紅潮させてるようだった。
「…………」
いつきは恨めしそうな目で、こちらをじと~っと睨んでいる。
こういうシチュエーション、たぶん女の子だったら嬉しくなっちゃうものなんだろうけど……残念ながら俺は男だ。
全然嬉しくない。
むしろ、こんなやり方でしか金を稼げない自分の不甲斐なさに泣けてくる。
「ううん、みんなだって可愛いよ」
とりあえず、こう言っておくのが無難か。
俺と同様に由香達もまた、カオルちゃんにメイクを施してもらってるからな。
「あっ、みんな揃ったわね。そろそろ出番だから、もうステージ裏まで行きましょう」
冴子さんに呼ばれ、俺たちは今日の晴れ舞台 イベントステージへと向かった。
……といっても、それはもう目と鼻の先。
ベニヤ板を貼り合わせたような、やぐら作りのステージは、見たところギリギリ5~6人が立てるほどのスペースしかない。
以前、ライブに巻き込まれた大原アリーナの印象が強いせいだろうか……正直、拍子抜けしてしまった。
あの時の迫力に比べたら、これはまだ町の盆踊り大会の規模を越えてない。
「矢野町わっしょい町おこし! イベントもそろそろクライマックスに差しかかってきました!」
ステージ裏に着くと、ちょうど表側の方から今日のイベントの司会進行役であろう女性の声がマイク越しに聞こえてきた。
「これ、持って下さい」
待機していたスタッフの方に、俺たちもハンドマイクを1本ずつ手渡される。
「それでは、みなさんお待ちかね! 次は今人気のアイドルユニット サンシャイン……の後輩。ハレーションの皆さんの登場で~す!」
「……よしっ、みんな行くよ!」
そう合図する美咲の目にはどこか、いつもにはない真剣さが感じられた。
彼女と共に、俺たちハレーションはステージへと立つ。
今日が俺の……偽りのアイドル 本城あゆみのデビューの日だ……!




