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第16話 それぞれのきのう

「あのね……」


 由香と俺は、廊下のすぐ側にあるベンチソファーに腰掛けている。

 辺りには人通りもなく、ほとんど2人きりの状況だ。


「う、うん……」


 何を言い出す気なんだ?

 そのためらいを思わせる口ぶりは、何を意味するんだ?

 もしや……もしやとは思うが……


「あゆみちゃん、まだ……みんなに秘密にしてることってないかな?」

「!?」


 ――終わった。


 やはり最初から無理だったんだ。

 女の子アイドルユニットに、男が女装して紛れ込むなんて!

 こうなったらもう……観念するしか……


「あ、あの! これには訳があって……」

「うん、分かるよ。……私もそうだから」


 ――ん? 私も?


 優しく語りかける由香の声。

 それを聞いて思わず、言葉をためらってしまう。


 どういうことだ?

 私もってことは、それはつまり…………え~! いやいや、そんなはずは。


「恥ずかしいよね、アイドルって……。自分をアピールするなんて、どうしたらいいか分かんないもん」


 あ、あれっ? なんか話の流れが……。


「私……なんか分かるんだ。あゆみちゃんってさ、たぶんなんだけど……まだどこか周りを遠ざけてるっていうか、その……壁を作ってるみたいなとこ、あるよね。それを見てたら、なんだか私と同じかもって思えてきちゃって」


 あ……なんだ。あぁ、そういうことか。

 ふぅ、ビックリした~。


「うん。ま……まぁね」


 ひとまず、ここは合わせておくか。

 意外と感性の鋭い娘みたいだし……。


 下手に自分の気持ちを吐露(とろ)すれば、ボロが出てしまうかもしれない。


「やっぱり……そうだよね! 怖いのってしょうがないよね」

「どうにかしたいって自分でも思うんだけど、上手くいかなくて……先輩の由香たちには迷惑かけてる」


 口ではそう言いつつも、内心では分かっていた。

 俺の築いている心の壁と由香のそれは、まるで種類が違うことを。


 彼女は純粋な防衛本能でそうしてるんだろうけど、こっちはただ己の正体に気付かれぬように距離を保ってるだけだ。


「ううん、気にすることないよ。あゆみちゃん、まだアイドル始めたばかりだし。それに私もね……ハレーションに入って、まだ1ヶ月くらいなんだよ」


 そう話す由香は、どこか嬉しそうな様子だった。

 こんな風に積極的に話す彼女を前にするのも、珍しいし。

 いつも後ろに引っ込んでるイメージしかなかった。


「そうなんだ。……じゃあ、由香も冴子さんに誘われて? それともオーディションとか?」

「あ、えと……」


 何気なく聞いたつもりだった。

 あまり自分のことを詮索されたくなかったから、話題を()らしたかったのもあるけど。


「私がこうなったのはね、その……」


 由香の表情が少しだけ引きつったように見えた。

 レッスン中の彼女はいつものメガネを外しているので、つい表情が分かってしまう。


「お姉ちゃんに追いつこうとして」

「…………お姉ちゃん?」


 姉がいたのか。初めて聞く話だ。

 でも、追いつくって――


「あっ!」

「……そうなの、お姉ちゃんの名前は麗。サンシャインの泉野(いずみの)(れい)なんだよ。……同じ姉妹なのにえらい違いでしょ?」


 由香はちょっと誇らしげに、笑顔を浮かべた。

 でもそれは、徐々に苦笑いへと変わっていき……


「お姉ちゃんは昔からスゴくて、私の憧れだった。お稽古事はなんでも一番で。そのうちアイドルデビューまでしちゃって……」


 振り返るように語りだす彼女の話を、俺は黙って聞くことにした。



「それから忙しくなったお姉ちゃんは、あまり家にも帰らなくなったの。私、小さい頃からずっとお姉ちゃん子だったから……会えないのが辛くて」


 サンシャインって、たしかデビュー曲からいきなりヒット飛ばしてたからなぁ。

 大方、寝る間もなくて連日ホテル暮らしってとこだろうか。


「そしたらね。ある日アクセルターボの人が家に来て、君もやってみないかって私をスカウトしてきたの。その時、迷ったけど……これでお姉ちゃんと一緒にいられるって思って、お話を受けちゃったんだ」


 トップアイドルの姉の人気に便乗させて妹も……って魂胆か。

 よくある売り出し方だな。


「でもさ……実際はそう都合よくいかなくて。声は出ないし、ダンスも人並み以下。そもそも人前に立つのが苦手な私を見たら、事務所の人達はすごくガッカリしちゃってね」


 泉野麗についてはイメージでしか知らないが……でも、あの姉にこの妹だもんなぁ。

 俺だって、正直ちょっと信じられないくらいだし。


「本当なら、私をサンシャインに加入させるつもりだったみたいなんだけどね。あっさり見限られちゃった。それでつい先月、事務所の人の呼ばれてみたら、そこに美咲ちゃんといつきちゃん、冴子さんがいて……その場でハレーションが組まれたの」


 そういういきさつがあったのか。

 どうやらこのハレーションってユニット、いろいろとワケがありそうだな。


「……それでもう思い知っちゃったんだ。私とお姉ちゃんは違うって。あんなスゴイ人にはなれないんだなぁって」

「…………」

「――あっ、ごめんね!! なんだか私だけ、ずっと話してて……そうだ! あゆみちゃんは、どうしてアイドル始めたの?」


 ついつい由香の話に聞き入ってたら、急に彼女は申し訳ないといった様子で質問してきた。


「あ~、え~と……」


 どう答えよう。まさか1000万円稼ぐため、なんて言えないし。

 あぁ、顔を覗き込んでくる由香の視線が痛い。


「やりたいって思ったからかな。やらなきゃ……いけないって」


 どういう意味なのか、自分でもわからない。

 ただ、それらしく答えようとしただけの空っぽ発言だった。


「そうなんだ。強いんだね……あゆみちゃんは」


 でもそれを聞いた由香は、なぜか感心したような顔を向けてきた。


 ……まぁ、いっか。




「――はい、お疲れ様! 今日のレッスンはこれにて終了!」


 音楽が鳴り止むと、ようやく冴子さんから終了の合図がかかる。

 本日最後のダンス練習が終わり、俺たちハレーションはレッスンから解放された。


「ふぅ、おつかれ~。今日もくたびれた~」

「汗びっしょり。気持ち悪い……」


 激しいレッスンのおかげで、4人ともひどく参った様子だ。

 合図を聞くと、みんなでなだれ込むようにスタジオから飛び出した。


「いや~、冴子さんのレッスンはスパルタだよね~。……でもあゆみたん、始めに比べて結構付いてこられるようになったね」

「うん……体力には自信があって」


 こんなナリをしてても一応、こっちは男だからな。

 スタミナ量は、女の子と比べたら多少は優位だ。

 何度もレッスンを重ねる内に、リズム感とやらも何となく掴めてきたし。



「……あっ」


 そうして廊下を歩いていると、ふと前方からどこか見覚えのある女の子が向かってきていた。

 あの子。あの子はたしか――


「やっほ~、玲奈たん! おひさしぶり~」


 俺が気付く前に、美咲が手を振りながらその娘に大声で呼びかける。


 髪をサイドポニーに纏め、涼しい顔をしてこちらへ来る少女。

 間近で見るのは初めてだが、あれは高石(たかいし)玲奈(れな)――泉野麗と並ぶサンシャインのもう1人のメンバーだ。


「今日もどっかお仕事だったの? あたし達、レッスンでもう――」

「…………」


 向かい合った美咲と高石玲奈。

 美咲は元気に話しかけるも、相手はそれを一瞥しただけで何も言わず通り過ぎていく。

 会話は成立することなく、2人はただすれ違うだけに終わった。


「もう……つれないな~。玲奈たん」

「ムダだよ、美咲」


 ぷ~っとふくれる美咲に、いつきが冷静に声をかける。

 どうやら2人とも、高石玲奈とは知らない仲じゃなさそうだけど……もしかして過去に何かあったんだろうか?


「あのさ、由香。さっきの高石玲奈だよね。……みんなと何かあったの?」


 俺はふと、隣りで自分と同じように静観していた由香に聞いてみた。


「えっ!? いや私はあまり知らなくて……」

「あ~。あのね、あゆみたん。玲奈たんは、あたしといつきたんと同期で入った娘なんだよ」


 どうやら聞く相手を間違ってたみたいだ。

 それじゃ、由香がまだみんなと出会う前のことだったのか。


 代わりにといった様子で、美咲が話し始める。



「元々、玲奈たんはファッション雑誌の読者モデルだったんだけど、事務所にスカウトされてね。あたしといつきたんも、ちょうど同じ頃に所属してたんだ」


 さっきの由香の話に続き、今度は美咲といつきのエピソードか。

 ……とりあえず聞いてみよう。


「3人で一緒にレッスンして毎日頑張って、それから『ノービス』っていうユニットも組んでたな~」

「……すぐ解散したけど」


 いつきも横から話に参加してきた。


「うん……ホントに結成してすぐだったよね~。ある日、玲奈たんだけ事務所の偉い人に呼ばれて……次の日にノービスは解散。玲奈たんとも会えなくなっちゃったんだ」

「そしてサンシャインがデビューして……奴らは一瞬でスターになりやがった……」


 あっけらかんとした調子の美咲に対し、いつきの声にはどこか憎しみが込もってる気がした。


「ね~! まぁノービスの頃から玲奈たんだけファンも少しいたし、実力もあたし達より上だったもんね。抜擢されたのも分かるよ」

「玲奈じゃなくて私だったら……今頃、大金持ち。引きこもり三昧……」

「もう、いつきたん! ……それで、残されたあたし達のところに由香たんがやって来て、ハレーションが結成されたんだよ。それから少しして、あゆみたんも加入した……と」


 なるほどな。

 美咲といつきにも、こういう過去があったのか……。

 なんか俺や由香といい、このユニットにはどこか薄暗いものを感じてしまうな。


「…………」

「ん?」


 ふと見ると、いつきが俺と由香の顔を交互に見上げている。


「…………はぁ、貧乏くじ」


 心から残念そうに呟き、ため息を吐いた。


「こ、こら!」

「うぅ! ……ごめんなさい」


 言うに事欠いて、何てこと言いやがる!

 まぁ、そりゃ……真っ向からは否定出来ないけど。


「もうっ、いつきたん。違うでしょ! あたし達みんな、冴子さんから見たら立派な貧乏くじだよ!」


 えへんと胸を張る美咲。

 それを聞いた彼女以外の3人は、まるで揃えるようにガクッと肩を落としてしまった。




「もうすぐ……もうすぐだよ」


 スタジオを出てから、みんなはある場所を目指しているようだった。

 俺も何気なく、それに流されるように付いていってる状態だったが――


「あ~、やっと着いた。みんな、早く入ろう!」


 やがてある部屋の前に辿りつくと、美咲を始め、いつきも由香もまるで救われたように表情をほころばせた。


 ……ただ一人、俺だけを除いて。

 俺だけは、その部屋を目にした途端に身体が凍り付いてしまう。


「あ……あの、ここって……」


 部屋のドアの上に、1枚のプレートが掛けてある。

 『シャワー室』と。


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