第13話 美咲といつき
「あゆ……あ、ゆ……」
なおも言葉をためらう室井さん。
そして、俺もまた同様に焦りを感じている。
しまった……!
女装した時の名前とか、あと設定とか何も考えてなかった。
なんで、ここに来るまで気付かなかったんだ……。
周囲からも、だんだんと不思議がった視線が向けられていく。
こんなところで窮地に立たされてしまうなんて……。
「あゆ……み……そ、そうっ! あゆみちゃん! お、お願いねっ!」
あ……あぁ! さすがだ、室井さん!
あゆみ……うん、大丈夫だ。
女の名前として、おそらく違和感は無い。
周りの娘達も別に怪しんでないみたいだし……助かった。
おかげでどうにか安心を得られた俺は、体勢を直してみんなの方を向く。
「はじめまして。本城あゆみといいます」
名前の方はこれでよし。
…………で、何を話せばいいんだろう。
「…………」
困った。
俺の中でこの『本城あゆみ』というキャラは、たった今出来上がったばかり。
説明なんて何も出来ないぞ……。
「その……年齢15歳。高校1年生で……」
この辺りは特に嘘つかなくてもいいよな。
それで、あとは……あとは…………
「それで……」
あ~、何の文句も思いつかない。
「あの…………」
あまりに呆気なく、俺は言葉に詰まってしまった。
室井さんが険しい目つきでこちらを睨んでいる。
周りの女の子達もそれぞれ首を傾げたり、心配そうな目をこちらに向けている。
「………………」
いつしか部屋の中を、重たい静寂が包み込んでいた。
犯人は俺。完全なノープランでここまで来てしまった、愚かな俺だ。
どうにか……どうにかしなきゃ!
「…………」
だが、どこを探しても打つ手なんか見つからない。
俺はただ苦悩するばかりだった。
「うぅ~……あ~、もう! こういう空気、苦手!」
すると突然、この重い空気を打ち破るような大声が部屋中に響き渡った。
――美咲さんだ。
俺の真向かいに座っていた彼女は、両手をグーにして突き出すポーズで、いきなりイスから飛び上がった。
よっぽど辛抱たまらなかったんだろうか。
「あゆみたん! アイドルは、みんなを元気にさせるお仕事なんだよ。気まずい空気作っちゃダメ! プロ失格っ!」
美咲さんはそう言うと、ビシッと指をさしてきた。
「はい……ごめんなさい」
その迫力に、思わず圧倒されてしまう。
返す言葉もなく、ただ謝るばかり……。
「わかればよろしい」
すると彼女はニッコリ笑った。
「……そうよ、あゆみ! これから先輩方がいっぱしのアピールってのを見せてくれるから。ちゃんと勉強しておきなさい」
「……はい」
そして室井さんのさり気ないフォローにも助けられ、自己紹介は終了となった。
……危なかった。
俺、足元グラグラだな。
そうして席へと着くと、念のため一応、周りを見回してみる。
俺の女装はいかんせん付け焼刃だ。
さっきみたいに追い詰められると、つい挙動に男っぽさが出てしまったんじゃないかと不安になってしまう。
正面に座る美咲さん……は大丈夫だな。
ほっとしてる俺に、ほんわかとした笑みを浮かべている。
俺の右隣りの席にいるいつきちゃんは、部屋の壁と向かい合ってる。
特にそこに何があるわけじゃないのに……やっぱりこの子、俺のことを避けてるのかな。
斜め右の席に座る由香さんは……何か俺に熱い視線を送っている。
でも、それは疑うというよりは、むしろ期待を寄せる種類の眼差しに見えた。
まるで遭難中に仲間とめぐり会えたような、そんな救われたという気持ちを彼女の瞳から感じ取れてしまう。
まぁ大丈夫……なのかな。
特に疑われてはいないようだし。
少なくとも誰も、俺を男とは思ってないか。
――と、安心したのも束の間
「!?」
突然、俺の右手に何か柔らかいものが乗っかってくる。
小さくて暖かい手のひら……。
隣りに座るいつきちゃんが、俺の右手をギュッと握ってきた。
……な、何だろう?
てっきり避けられてると思ってたのに。
いつきちゃんは変わらず壁と向き合い、表情はこちらに見せない。
でも右手に感じるこのぷにっとした感触と温もりはなんだか暖かくて……この子の気持ちが余計に分からなくなってくる。
「じゃあ次はあたしね! え~、コホン……」
そうこうする内に、美咲さんの自己紹介が始まった。
いつきちゃんの方も気になるけど……ひとまず、ここは場の流れに従っておこう。
「好きな食べ物は~?」
……?
「ケーキ」
そうすると、室井さんが呆れ混じりに応える。
……これ、自己紹介だよな?
「許せないのは~?」
「あ……えっと、浮気……だったかな?」
笑顔をキープしつつ、だが眉をしかめて、さらに呼びかける美咲さん。
すると今度は、由香さんが自信なさ気に応えた。
「みんな大好きぃ~?」
「美咲……」
さらに続く謎の掛け合い。
いつきちゃんは、ササッと片付けるようにそう応える。
いつしか彼女はこちらを向き、その表情も見て取れた……が、なんだか暗い。
まるで気だるそうに俯いている。
「ありがと~! 篠原美咲 16歳。高校1年生で~す!」
そこまできて、ようやく美咲さんは名乗ってくれた。
年は俺の1コ上。でも、学年は同じだったのか。
にぱっと輝くその笑顔。周りの反応と相反するように、彼女はとても満足気な様子。
「……以上!」
それだけ言い終わると、彼女は着席してしまった。
さっきまでの一連の流れ。結局、あれは何だったんだろう?
「はぁ~、それじゃ次。いつき」
なんだかよく分からないけど、これもアイドルの世界なのかな。
「……うん」
続く自己紹介は、いつきちゃんの番。
立ち上がる間際に俺の右手をトントンと撫でて、そっと手を放していく。
……やっぱりこの子が分からない。
「猪瀬いつき 小学6年生。……まだ12歳」
あ~。やっぱりこの子、小学生だったんだな。
でも6年生か。
てっきり、学年はもう少し下だと思ってたけど。
「どうせこんな仕事……長くは続かない。分かってる……でも小学生の私が出来る仕事なんて……これぐらいしかないから」
うっ!
美咲さんと違って簡潔なのはいいんだけど……内容が、あまりにざっくばらんだ。
「早くお金貯めて、その後は一生引きこもってたい……おわり」
無表情のまま、ただ淡々とそう語るいつきちゃん。
俺も女装してまでこんな仕事にありついた身だから、結構共感できるところはあったんだけど……う~ん、それにしたって。
「……あれれ~。いつきたん、それで終わっちゃっていいの?」
自己紹介を終えて座ろうとするいつきちゃんを、美咲さんが呼び止めた。
その言葉に、いつきちゃんの動きがピタッと一時停止する。
「そうよ、いつき。せっかくあゆみが来てくれたのに。何か言いたいこと、あるんでしょ?」
室井さんもそれに続いた。
言いたいこと……俺に?
何だろう。
もしや新人としての礼儀とか、何か面倒くさい説教でも始めるのか……?
そう思いついた時、いつきちゃんは俺の正面に向かい合っていた。
「あ……あ、あにょ……」
顔を俯かせ、もじもじとした様子で話し出す。
……今のはたぶん『あの』って言うつもりだったんだろう。
「この前……ありがとう。……助けてくれて」
すると顔をわずかに上に向け、ボソッと呟くように言った。
わずかに伺える彼女の表情。
……明らかに紅潮している。
「あぁ、うん。良かったね。怪我も無かったみたいで」
無難にそう返すと、いつきちゃんはまた顔をプイッと横に背けた。
この子……もしかして結構な恥ずかしがり屋さんなのかな?
「いつきね~、ちゃんとあゆみにお礼が言いたいって、ずっと私にお願いしてきたのよ~」
「……!!」
室井さんが話し出すといつきちゃんは即座に反応し、ガバッと顔をそっちに向けた。
「あの子はバイトで雇っただけよって言っても、会いたい会いたいって聞かなくて。じゃあいっそのこと――って、ちょっと! ちょっといつき!」
「……! ……!」
いつきちゃんは、瞬く間に室井さんの元へ突撃した。
そして相手の口を塞ぎたいのか、ピョンピョンと飛び跳ねている。
でも、その高低差はあまりに絶望的で……なんだか、かえって彼女が愛らしく見えるようだ。
でも、そうか。
あの時のことを、そんなに気にしてくれてたなんて……。
さっき手を握ってくれたのも、上手く自己紹介できなかった俺を気遣ってくれてたのかもな。
最初はイマイチ印象が掴めなかった彼女だけど、今は何だか分かることが出来た気がする。




