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空白ノ翼  作者: 堕天王
過去と罪
30/35

晃VS菖蒲

 すでに役目を終えた大型ショッピングセンターの跡地。時刻は、二十一時を少し回った頃である。藤堂晃(あきら)と橘椿は、除霊の依頼を受けてこの地を訪れていた。現在晃の主治医である高倉姫子とその姫子の付き人であるユヴァイラは、駐車場で待機している。

 がらんどうと化したショッピングセンター内。遮るものは、等間隔に配置された柱のみ。光源が一つもないため、真っ暗である。しかし、椿と晃には特に問題ではなかった。

 椿は、元々慣れているというものもあるが、彼女の場合は的確に相手の霊力を嗅ぎ分ける事が出来る。それで相手の大体の位置を把握する事が出来た。晃は、強化の影響で椿よりも闇夜に慣れている。ただ、椿ほどは霊力を嗅ぎ分ける事は出来ない。

 目標としていた地縛霊は、すぐに見つかった。ショッピングモールの奥、元々はゲーム機が置いてあった場所。ピントのあっていない写真から抜けだして来たような男――年の頃は、二十代から三十代、細かいところは分からないが、それぐらいかと思われる。

『パンツ見たくらいいじゃんよぉ!!』

 悲痛に満ちた男の声が響き渡る。それは、晃や椿に向けられていたわけではなく、天井に向かっての独り言。

 目標は見つかった。これからどうするのか。

 晃が椿の指示を仰ごうとしたその瞬間、椿は地縛霊に踏み込み薙刀を振るった。男の断末魔が響き渡り、地縛霊は消滅した。

「こうやって、強制的に払います」

 椿は、薙刀をくるりと回転させた後、柄の末端をカツンと床に打ち付けた。

「彼らは死者です。本来の在り方……えと、ようするに間違った存在なんです。その間違った存在を正す。除霊にはいくつか方法がありますが、橘家ではこうやって強制的に払う方法を取っています。これは、効率が良く安全だからです。死者の声を聞いて、本人が納得する形で成仏させるのが本当はいいのかもしれませんが、実際死者の声を聞いて望みを叶えてあげた所で、彼らが納得して成仏してくれるという保証はどこにもありません。だから、この世界に留まるために必要な霊力を削る事によって、強制的に成仏させます。あの、分からなかったら何でも聞いてくださいね」

 椿は、自信なさそうにしていた。

「はい、大丈夫です。確かに、パンツを見せるなんて無理ですし、見せた所で成仏してくれる保証がないのであれば、こうやって強制的に成仏させる方がいいと僕も思います」

「まぁ、こんな下種な地縛霊には、元々容赦無用ですけどね」

 椿の軽蔑しきった顔で、そう言い放った。そんな話をしていると、駐車場で待機をしていた姫子から椿に連絡が入った。

『まさかもう終わったんですか? 晃さんが戦わないと、データが取れないのですけど』

「そんな事を言っても、いきなりは任せられない」

『……ユヴァイラ、撤収の準備を』

 通信は切れた。椿は、困ったものだと肩をすくめる。

「ご機嫌が斜めになったみたい」

 ショッピングセンターを出ると、ユヴァイラが機材を車に詰め込んでいる所だった。姫子は、それを見ているだけである。

「あっ、おかえりなさい。お疲れ様です」

 姫子は、少しけだるそうにしている。

「お疲れ様。手伝いましょうか?」

 これは、ユヴァイラに向けたもの。

「ごめんね。それなら、力仕事を頼んでもいいかしら」

「僕も手伝います」

 晃も椿に続いた。

 片づけているのは、姫子が晃の状態を監視するための電子機器である。パソコン一台、モニター二台、他は良く分からないデスクトップパソコンの三倍はあろうかという巨大な機材が一台などなど。結構な量である。

 晃と椿が続いても、姫子は見ているだけ。 そうしていると、姫子に着信が入った。

「はい。終わりました。大至急で? 分かりました。急ぎます」

「何かあったの?」

 荷台に乗って荷物を車に詰んでいる晃に、デスクトップパソコンを手渡していた椿は、顔だけ姫子の方へと向けた。

「緊急事態だそうです。晃さんと椿さんに、至急小泉家に向かうように……と」

「小泉家に? こんな時間に?」

 時刻は、二十二時に近づいていた。



 小泉家に辿り着いたのは、二十三時少し前。姫子とユヴァイラは、先に橘家に帰る事となり、晃と椿は当主の間に案内された。

「あっ、美希副長。何があったんですか?」

 案内は、小泉美希(由紀子の赤鬼暴走の際櫻に刀を貸した)だった。彼女は、難しい顔をしている。

「ちょっとね……デリケートな問題だから、後はお偉いさんたちに聞いてもらえる?」

 普段なら嫌事の一つでも言う美希が、言葉を濁らせている。相当な事態であるようだ。

「当主、藤堂晃と橘椿が到着しました」

 椿は、はたっと気付く。晃の名前が最初だったのだ。本来なら、『橘椿と藤堂晃』となるはずだ。それは、椿が晃の上司であるからだ。それだというのに、晃の名前が先になった。それは、この事態が晃に関する事である――つまり、鬼神会関係のことではないか。椿はそう推測した。

 小泉家の当主の間。

 畳部屋で、広さは七十畳。橘家の当主の間が百畳。屋敷の大きさは、小泉家の方が大きいが、立場上小泉家の当主の間の方が小さな造りになっている。

 上座には、小泉家の当主の透子(とうこ)ではなく、水及(みなの)が座している。向かって右側に橘家当主勝彦。反対側に透子の姿があった。こういう時に必ず参加するはずの水無月家の当主直(なお)(ひさ)がいない事に、椿は疑問を持った。あと、小泉家の次期当主候補である透子の一人息子章吾(しょうご)の姿もない。

「橘椿、藤堂晃、参上しました」

「お仕事、お疲れさん。疲れている所悪いが、少々面倒な事になった」

 水及が、いつになく砕けた喋り方をしている。透子も勝彦も困った顔。

 妙な雰囲気であった。

「晃、お前を殺しに来たやつがいる」

 晃は、無表情だった。

「途中で感応士が気付いて確保して、今地下の座敷牢に入れている。名前は、九藤(きゅうどう)菖蒲(あやめ)天鈿女(あまのうずめ)の一人だ。確認も取れている」

「天鈿女? 国営除霊屋組織……」

 日本の除霊屋は、基本的に地域独占型である。各地に有力な除霊屋がいて、それぞれ領域を持っている。領域内の除霊は、そこを預かっている除霊屋にしか依頼できない。それは政治レベルでも同じことで、重大な霊障案件があっても、その案件が発生した領域内の除霊屋に頼む事しか出来ないのである。それでは不都合が出てくる。そのために用意されたのが、国が運営する国営除霊屋組織。女性だけで構成された天鈿女と男性だけで構成された猿田彦(さるたひこ)の二つが存在する。彼らは、領域に縛られず、日本国内ならどこでも活動することが許されている組織である。

「神槍『天沼矛(あまのぬぼこ)』のレプリカを無断で持ち出して、天鈿女から確保のお触れが出ていた」

「無茶苦茶ですね」

 神槍『天沼矛』と言えば、日本が創世された際に使われた槍である。椿が知る限りでは、現在の所有者は女神の天鈿女であり、そのレプリカを組織天鈿女が保有しているはず。レプリカとはいえどもその槍の力は凄まじく、小規模でありながらも空間を掻き混ぜる事が出来るとかなんとか。混ぜてどうなるのかは、椿にはさっぱり分からない。とにかく凄い槍である。

「このまま待っていれば、その内、天鈿女から派遣された奴が回収してくれるだろうが……晃、この女に覚えはあるか? 年の頃は、お前たちと同じぐらいだ」

「いいえ」

「それもそうか」

 晃は、鬼神会で戦っていた記憶が、受けていた処置によって曖昧になっている。

「とにかく、先に言った通り、何もしなくても問題は解決する。晃、お前はどうしたい? お前を呼んだのは、そういうことだ」

 椿が、晃へと視線を向ける。晃は、無表情のままである。

「……」

 晃は、押し黙ったまま。椿が、水及が、勝彦が、透子がそれを見守る。

「……会ってみます」

「それでいいのか?」

「はい」

「そうか」

 水及と勝彦はその場に残り、透子が晃と椿を九藤菖蒲の所へと案内することになった。



 小泉家の座敷牢は、橘家の地下、今は臨時の診察室になっている元座敷牢とは全然違う。こちらは現役。地下五階層まであり、地下二階までは人間が、それ以降は妖が囲われている。

 九藤菖蒲は、地下一階層、一番手前の座敷牢に入れられていた。肩よりも少し長い黒い髪はぼさぼさで、眼光は鋭く光っている。国営の除霊屋組織の人間とは思えないほど、汚れた身なりであった。

阿蛇螺(あじゃら)使いの晃……!」

 晃を認めた瞬間、菖蒲が走った。座敷牢の木枠を勢い良く掴む。その勢いに、晃と椿は半歩ほど下がった。透子は、何食わぬ顔をしている。

「殺してやる。殺してやる。お前だけは、どんな手を使ってでも殺してやる。出せ! ここから出せ! 殺してやる! 殺してやる! 殺す! ぶっ殺す!!」

 狂気。その姿は、まさに悪鬼だった。



 次の日の朝。小泉家の庭の中央にある池のほとりに、晃の姿はあった。彼は椿と共に、一晩小泉家で過ごした。

 揺らめく湖面に、九藤菖蒲の顔が浮かぶ。

「晃君」

 晃を探していた椿がやってくる。

「僕は、彼女に殺されるべきなのでしょうか?」

「……」

 椿は、無言で晃の横に立った。

「……僕は、死ぬわけにはいかない」

「昨日、教えたことがありますよね?」

「……?」

「死者の声を聞いて、死者の望みを叶えてあげたとしても、死者が満足して成仏するわけではない。人間は身勝手なんです。一つや二つ、望みが叶ったぐらいで満足なんてしない。晃君を殺したら、次は晃君に関わるものを殺す。私かもしれない。櫻かもしれない。結局、そういうものなんです」

 椿もまた、じっと湖面を見つめる。風が波紋を広げ、魚が波紋を重ね、この世の事象全てが湖面の表情を変化させている。

「私から、こうするべきなんだ……なんてことは言えません。元々、人に何かを教えられるほど、器用でもありませんし。ただ、私の正直な感想を言わせてもらえば、あんな女糞喰らえ! です」

 晃は、椿の口からそんな言葉が出てきたことに驚いて、目を(しばた)かせた。

「私は、晃君には櫻と共に幸せな未来を掴んでほしいと思っています。そして私は、その場に一緒に居たい。どうするのか、どうしたいのか、それを決められるのは晃君だけです。自分の事はもちろんですが、あなたの事を思ってくれている人の事も考えて、答えを出してください」

 それは、椿の心からの願いだった。



 同日、十時を回った頃。小泉家の応接間に、水及、橘勝彦、小泉透子、藤堂晃、橘椿が集まった。応接間は、当主の間の半分程度の広さで、畳部屋である。

 天鈿女から人が派遣されてくる。そのために集まっていた。

「お邪魔しま~~~~す!」

 大きな声と共に入ってきたのは、ピンク色の髪をした年の頃は十代前半、椿よりも少し幼い姿見の少女だった。愛らしくて大きい瞳に、人懐っこい笑み。天鈿女の紫を基調としたスーツを纏ってはいるが、まさに孫に衣装、とても浮いて見えた。

「国営除霊組織天鈿女第六番隊隊長の音村珊瑚です。あっ、全然覚えなくていいからね」

 珊瑚は、用意してあった座布団の上にぺたりと座った。

「私が水及だ」

「うん、知っている。今回はゴメンね~。ウチのが迷惑をかけちゃって。でも助かったよ。探し回る手間が省けたし。ありがとうね~。後で、ウチのボスから正式なお礼、まぁお金とか貰えると思うから、それで勘弁して頂戴ね」

 彼女の態度に、それぞれが面を喰らっていた。しかし、水及だけは冷静だった。

「そういうのはいい。そんな態度で、お前の本質は隠せん」

 すると、珊瑚の表情がすっと引き締まった。

「そう。伊達じゃないね」

「天沼矛のレプリカは返す。ただ、九藤菖蒲の事について知りたい」

「知ってどうするの? もしかして、アレを何とかしようとか思っているの? やめた方がいいよ。見ての通り、頭の中涌いているよ、アレ」

「彼女が何故藤堂晃を恨んでいるのか。それが知りたいと言っているのだ」

 珊瑚の瞳が、晃へと向けられた。

「はじめまして、藤堂晃君」

 手を降る彼女に、晃は頭を少しだけ下げた。

「彼には、鬼神会に居た頃の記憶がおぼろげにしか残っていない。九藤菖蒲に対して、どう対応していいのか、彼は判断にあぐねている」

「そう、そりゃ大変ね。晃君、あまり気にしない方がいいとだけは言っておくよ。命のやり取りだもの。やるかやられるか。私は、別にあなたに仲間を殺されたことを恨んだりはしてないよ。他のメンバーに関しても、多分、そこまであなたを憎いと思っている人はいないと思う。ただ、アレだけは別ね。アレは、特殊な件。わざわざあなたが背負う事でもないと思うけど、それでもアレの事を聞く? 聞いた所で、どうしようもない話なんだけど」

 そこで一度区切って、珊瑚は不気味な笑みを浮かべた。

「九藤菖蒲は、もうどうしようもなく壊れている」

「それでも」

 晃の言葉に、珊瑚は少しだけ興味を示す。

「自分の過去は、受け止めないといけないと考えています」

「そう。まっすぐな瞳ね。羨ましい。なら、九藤菖蒲がどうして壊れたのか、そういうお話からしようか。そうしないと、今の菖蒲の姿が繋がらないだろうし。だから、私にも聞かせてよ。晃君がこの話を聞いて、これからどうするのかを」

「はい」

 珊瑚は、満足げに笑った。

「九藤菖蒲の本名は、藤村菖蒲というの。元々は、九藤家の領域内の小さな除霊屋出身。優れた才能を有していたけど、藤村家はもう除霊屋としてはやって行けないほど追いつめられていた。そんな藤村家に、九藤家は菖蒲を買うという話を持ちかけた。藤村家は、菖蒲を九藤家に売り、除霊屋家業を廃業した。当主であった菖蒲の父親は、九藤家の息がかかった会社に転職し、藤村家の面々は今も何不自由なく生活している。売られた菖蒲は、家族を思って厳しい訓練に耐えた。屋敷に監禁され、義務教育さえ受けさせてもらえず、毎日毎日、訓練と実験の被験体になった」

「実験?」

「それは秘密ね。まぁ、ろくでもない実験だよ。けどね、菖蒲は九藤家が欲していた状態にはならなかった。彼女の才能は、確かに素晴らしいものだったけど、九藤家には必要なかった。だから、九藤家は彼女を別の場所に売る事にした。それが、天鈿女。二度に渡って売られた彼女は、すっかり人間不信になった。まぁ、それでもまだこの時の彼女は、『なんとかなる』状態だったんだけどね。そんな人間不信だった菖蒲にトドメを刺したのが、後に第三番隊の隊長となる九藤鬼殺(きさ)。晃君が殺したのが、この九藤鬼殺ね。菖蒲は、鬼殺にすっかり依存しきっていた。それだけなら大丈夫だったんだけどね、鬼殺はあろうことか菖蒲を残して死んじゃった。三度目の居場所を失くすことになった菖蒲は、この時点でもう『どうしようもない』状態になったのよ。先に死んじゃうかもしれない可能性があることを十分に認知しておきながら、菖蒲に盲目して、彼女の事を何も考えなかった。だから、こういう事になっちゃったのよね。きっかけは晃君が作ったかもしれないけど、私はね菖蒲を壊したのは、中途半端に手を差し伸べた鬼殺だと思っているよ」

 珊瑚は、出されていた緑茶を一気に飲み干した。

「まぁ、そういうわけだから。うちらとしても、天沼矛のレプリカが回収出来たらそれでいいのよね。菖蒲は……そだね、どこともしれない僻地に追いやられて、死ぬまでコキ使われちゃうかな。晃君の目の前に二度と現れることはないよ」

「待ってください」

「待つのはいいよ。でも、私は暇じゃない。明日の朝には、菖蒲は回収する。それまでにどうしたいのか話してくれたら、私も考える」

 珊瑚は、再び人懐っこい笑みを浮かべた。

「悩みなよ、少年。それはね、贅沢な事なんだから」

 とりあえず九藤菖蒲の処遇は保留となり、音村珊瑚は一晩小泉家に泊まる事となった。

 晃と椿は、一旦橘家に帰る事に。

「それにしても、あの音村珊瑚という人、不気味な事この上なかったわね」

 橘家の境内まで戻って来た所で、押し黙っていた椿が口を開いた。今、境内には晃以外の人はいない。

「良く……分かりませんでした。でも……少し、寂しそうに見えました」

「寂しそう?」

「なんとなく……そう思ったんです」

 椿はその時、珊瑚の『それはね、贅沢な事なんだから』という言葉を思い出していた。

「まぁ、あの年で隊長をしているぐらいなんだから……ん? でも、晃君の事を『少年』と呼んでいたし、あれ? 水及様と同じで、見た目よりも年寄り?」

 椿は、すっかりと困惑している様子だった。

「ともかく、どうするのか決まりましたか?」

「……まだ全然です。ただ、このまま天鈿女に連れて行かれるのは、なんだか違う気がしています」

「そっか」

 椿は苦笑していた。



 椿の勧めもあって、他の人に話を聞くことにした。

「兄さんは優し過ぎます!」

 妹の櫻にはそう一蹴され。

「結局は、あなたがどうしたいのか、そういう話よ。だから、後悔がないよう自分に素直な答えを、あなただけの答えを出しなさい」

 五十鈴には、そう諭された。

 二人に話をすることで、晃の中でも整理がつき始めていたが、決定的なものがないまま、夜となってしまった。

 橘家の離れの縁側で、月を見上げながら気を揉んでいた晃の下に、水及が現れた。

「答えはまだ出ていなさそうだな」

「はい」

 水及は、晃の横に座った。

乎沢(やつや)、甘甘アイスコーヒー!」

「ただちに!」

 乎沢が大急ぎで持ってきたアイスコーヒーが水及の手に渡る。

「さすがに復帰したばかりでは、この問題は荷が勝ちすぎているか」

 水及は、足をぶらぶらさせながらアイスコーヒーを飲み始める。

「でも、たくさん話してたくさん考えただろう? 今から、晃の前にはたくさんの障害が立ち塞がる。その時、どうしたらいいのか。勉強になっただろう?」

「……はい。はい、そうですね」

 水及は、晃の頭をガシガシと撫でた。

「生きていくという事は、そういうことなんだ。私もたくさん悩んで、たくさん間違えて、今も間違いながらも、それでもこうして生きている。間違いだらけだった。でも、今でも何が正しかったなんてものは分からない。結果として、私は生きていて、勝彦が当主になっていて、椿が産まれて、晃が今目の前にいる。これは、望んだ以上に良い結果だ。そうなると、思ったよりも間違っていなかった? いや、これは多分、運が良かったんだな。そうとしか思えんな」

 訥々(とつとつ)と語る。

「晃、九藤菖蒲と戦ってみないか?」

「戦う?」

「そうだ。戦いでは、色々なものをぶつけ合う。それは、言葉で語ったり、色々と考えを巡らせてみたりすることとは、全く別の情報だ。物の見方が、がらりと変わる事もある。晃にその気があるのであれば、戦いの場所と名分は私が用意する」

 晃は夜空を見上げた。欠けた月が、煌々と照らす。

「……戦う。戦う」

 そう繰り返した後、晃はこう続けた。

「やってみます」

 晃の決意を、水及は受け止めた。



 二日後の午後。

 水及が調整したことにより、藤堂晃と九藤菖蒲の対決が実現する事となった。

 場所は、小泉家が所有する人里離れた場所に作られた模擬戦をする為の施設。だだっ広い敷地を、木の柵で囲ってあるだけである。対向線上にコンクリート建ての小さな建物。これが控室である。

 控室にて。晃は、椿から刀を受け取る。

「ご迷惑をおかけしています」

「……死なないでね」

「はい」

 心配する椿に送られ、晃は控室を出た。

 すでに九藤菖蒲は、中央に立っていた。獲物は槍だ。

 少し離れた所に、水及、勝彦、透子、珊瑚が固まって座っている。櫻の姿はない。彼女は、また違う所で晃の無事を願っていた。

 晃が菖蒲の前に立つと、水及が立ちあがった。

「これより、藤堂晃と九藤菖蒲の果し合いを始める。勝敗は、相手が降参するか、または戦闘不能になるか。両者、構え!」

 菖蒲が槍を構えて腰を落とす。晃は、刀を抜いただけで構えは取らなかった。

「始め!」

 水及の声が響くと同時に、菖蒲が踏み込んできた。晃は、それを軽くいなす。

 菖蒲は、殺意を槍に込め、何度も晃を突く。それを晃は、淡々とさばいていた。

「ん……意外と大したことがないな」

 それを見た水及の感想に、珊瑚がケラケラと笑う。

「訓練しないしね、あの子。天鈿女の中でも、下から数えた方が早いかも」

「才能があったとか言っていたが?」

「あるよ。宝の持ち腐れというやつね。それにしても、記憶が曖昧という割には、戦えるじゃん」

「謎の一つだよ」

「謎……ね」

「何か知っているのか?」

「さぁね。まぁ、あなたに話す義理はない事だけは確かね」

「それもそうか」

 晃と菖蒲の攻防は続く。

 苛烈な槍捌き。晃は、ひたすら冷静に対処を続ける。全く、命の危機を感じていなかった。槍の線が命から遠すぎる。ほんの少し刀を合わせただけで線はさらに離れていく。

 殺気は、本物。でも、彼女には晃を殺したいという意思がない。

 殺したいのに殺したくない?

 怒りで歪んだ顔。でも、口角が上がっている。

 ――笑っている。

 晃は思った。

 この人は、とても醜い。

「防御ばかり!」

 痺れを切らして菖蒲が吠えた。それから菖蒲は、一旦距離を取った。

「やる気がないなら、素直に殺されろ」

「……それは出来ない」

「そう、なら是が非でも殺すだけ」

 菖蒲は腰を深く落とし、踏み込む――が、足がついて行かず前のめりになる。菖蒲の右足に、地中から晃の阿蛇螺が伸びて巻き付いていた。

 菖蒲が気付いた時には、晃が目の前にいた。晃は、霊力のこもった拳で菖蒲の腹部を強打。菖蒲は吹き飛ばされ、そして動かなくなった。

「勝者藤堂晃」

 水及が宣言する。珊瑚は、つまらなさそうにしていた。



 試合を終えた後、晃は小泉家の応接間に呼ばれた。そこには、水及が待っていた。

「お疲れ」

「ありがとうございます」

 水及に促されて、水及の前に座る。冷たい麦茶が置いてあり、喉を潤す。

「それで、どうだった?」

「……執念を感じました。僕を殺したいと、心から願っている事を……感じました。あと、全く生きたいと思っていない事も分かりました」

「そうか。明日には、菖蒲は天鈿女に回収される。ただ、私にはそれを止める方法がある。晃は、どうしたい?」

 晃は、答えを出しきれず押し黙ってしまった。水及は、破顔する。

「まぁ、答えなんてものがすぐに出るわけがないか。菖蒲には、ここに残ってもらおう。色々なタイプの人間と付き合うのは、勉強になる事だ」

「……分かりました」

 晃はこの時妥協した。菖蒲に関しての処遇に関しては、正直どうしたいいのか分からないというのが本音であった。天鈿女に回収されるか、ここに残すのかという二択に絞られても、答えはぼんやりとしたまま。ただ、どちらがマシであるか、と考えた場合、ここに残ってもらった方がまだいい――そんな気がした。

 夜になって。櫻との面会の際、菖蒲に関する事を晃は話した。櫻は、晃の顔を見る事が出来ないので、襖を隔てて背中合わせに言葉を交わし合う。

「兄さんは、お人好し過ぎます」

 櫻は、きっぱりとそう言った。

「私は、兄さんの命を狙うような方には、遠くに行ってもらいたいと思います。水及様の決定も疑問に思っています。けど、兄さんが色々と考えたいと思っている事も伝わっています。だから、とりあえずは従いますけど、その人が兄さんの命を狙い続けるのであれば、私も黙ってはいられませんから」

 櫻の思い。晃は、ない交ぜになった感情の最中で、憤りを覚えていた。

 何も分からない。何も決められない。自分のために、手を汚すと言葉にする櫻にどう声をかけていいのか、それも分からない。

「兄さん?」

 櫻は、晃の様子がおかしい事を襖越しに感じた。背を預けていた襖の方へと体の向きを変える。

「兄さん!」

 二度目の言葉で、晃はようやっと我に返った。

「ごめんなさい、言い過ぎました」

「そんなことはない」

 晃は即答した。

「そんなことはないんだ。謝るのは僕の方だ。何も決められない、何も分からない僕が……」

「兄さんは、急き過ぎています。兄さんと別れて十年、人の社会で生きて来た私でさえ分からない事ばかりなんですよ。まだ戻ってきたばかりの兄さんが分からなくても、当たり前の事なんです。兄さんも私も、一人じゃない。椿姉さまも、五十鈴母様も、勝彦様も……まぁ、水及様はあれかもしれませんが、私たちは一人じゃないんです。だから、分からない事は、一緒に考えていけばいいんです!」

「……うん」

 晃の心から、憤りが消えていく。

「嫌だと……思ったんだ。記憶になくても、自分が人を殺している。それは分かっていた。でも、そのことで不幸になった人が目の前に現れたら、こう目の前が真っ暗になった。九藤菖蒲が、僕のせいでどんどん不幸になっていく。それは、駄目な事じゃないかって……やっぱり思う。だからと言って、自分に出来る事がない事も……やっぱり分かっていたんだ。それでも何かをしたいと思った時、水及様が九藤菖蒲を引き受けると言ってくれた。どこか知らない土地で罰を受けるぐらいなら、その方がまだマシだと……そう思ったんだ」

「兄さん……」

 襖を開ける事が出来ない櫻。右手を襖にあてたまま、項垂れていた。

 その後、お互いに言葉をかけ合う事が出来ないまま、面会の時間が終わってしまった。

 名残惜しそうに立ち上がる櫻。

 動かない晃。

「兄さん、もうすぐ夏祭りがあるんですよ」

「夏……祭り?」

「はい。櫻海岸の近くの公園で。屋台が出て、花火もあがります。私は、友達と行くつもりです。兄さんも、五十鈴母様と一緒に行かれたらどうですか? 兄さんが、苦しい思いをしているのは分かっています。それでも、そればかりに囚われて欲しくない。そんなのは悲し過ぎます。私が、嫌です」

「……うん。教えてくれてありがとう。五十鈴様に聞いてみます」

 ようやっと立ち上がった晃は、襖の方へと視線を向けた。見る事が出来ない櫻の顔。彼女の思いを無駄にはしたくない。それもまた、彼の本当の気持ちだった。



 日曜日。晃は、五十鈴と共に夏祭りが開催されている櫻海岸の近くの公園に赴いた。五十鈴は浴衣を着て、晃は甚平を身に纏う。どちらも乎沢が用意し、着付けまでしてくれた。

 公園の中央に櫓。そこから広がる提灯の列。屋台の光、匂い。太鼓の音やスピーカーから響く地元の音頭。それらは、どこか幻想的な非日常を演出していた。

「これが夏祭り」

 人の多さに困りつつも、晃は夏祭りの熱気に驚いていた。五十鈴が、そんな晃の手を引く。

「折角来たのだから、何か食べましょうか」

 五十鈴に促されて、焼きそば、焼き鳥、たこ焼きを食べた後、かき氷を買って少し会場から離れた場所に移動した。

 海沿い。防波堤の上に座り、海を眺めながら食べる。防波堤には、晃と五十鈴のように喧噪を避けてやってきた人たちが大勢いた。

 波の音が、僅かばかりに聞こえる。かき氷に頭を痛める晃を、五十鈴が優しく見守っていた。

「もう少し……親らしいことをしてあげれば良かった」

 五十鈴は、ぼそりとそう呟いた。晃が不思議そうに五十鈴を見る。それで五十鈴は、自分が気持ちを言葉にしていた事に気付いて、バツが悪そうに笑った。

「息子の事を思い出してしまって。椿のお兄さん。こうやって、一緒に出掛けた事なんて一度もなかったわ。椿にも何もしてあげていない。本当、私は母親失格」

「椿のお兄さん……」

 そんな話、今まで聞いたことがなかった。

「今はどこにいるんですか?」

「さぁ、どこにいるのかしら? 元気で居てくれたらいいのだけど」

 五十鈴は、夜空を見上げていた。

 この後花火の打ち上げがあるが、晃と五十鈴は橘神社に戻る事に。人ゴミの中で見るよりかは、境内から見た方が綺麗に見える――と五十鈴が教えてくれたからだ。

 帰りの道中、晃は様々なお面を売る屋台の前で足を止めた。プラスチックのお面は、今人気のヒーローや魔法少女の顔を象っている。

「あの……お面、顔を隠したら、櫻と面談できたりしないでしょうか」

「お面、一つ買いましょう」

 晃は、鬼神会に長く居た為、お面の元ネタに関してはさっぱり分からなかった。ざっと見渡して、一番ヒーローっぽいお面を手に取り、五十鈴がお金を出してくれた。

 櫻との面会で使えればそれに越したことはないが、晃にとっては五十鈴との思い出の品ともなった。

 その後は、橘神社の境内に戻り、乎沢と合流して花火を見た。

 夜空を彩る様々な色の花火。鼓膜を揺らす爆発音。晃は、心躍る思いで見上げていた。



 次の日の夜。面談には、水及が同伴した。晃が仮面を試してみたいと言ったからである。櫻にも事前に連絡が入れてあった。

 仮面は効果があるのか。

 期待と不安がない交ぜになる中、面談が始まる。

 水及が襖を開けた。襖の向こうには、久しぶりに見る櫻の姿があった。

「に……兄さん、なにそれ……!」

 櫻は晃を見ると目を丸くして、そして笑いだした。畳を叩いて笑っている。かなりツボに入った様子だ。

「そ、そんなにおかしい?」

 戸惑う晃。

 笑う櫻。

 櫻の反応を見て、大丈夫である事を悟った水及は、すぐに退室するのであった。



 次の日。

 音村珊瑚は天沼矛のレプリカのみ回収して天鈿女に帰って行った。(くだん)の菖蒲は、水及との取引に応じ、所属を天鈿女から橘家所属の除霊士へと変えた。

「だからと言って、なんであなたと一緒に仕事を一緒にしなければならないのですか!」

 除霊屋の任務を帯び、現地に到着するとそこに菖蒲が居た為、椿が早速噛みついた。

「んなこと言われても、私だってアンタたちと一緒に仕事なんかしたくないし。でも、こっちにも色々と事情があんのよ。ていうか、煩いし、死ね。特に、根暗男死ね」

「お前が死ね!」

 椿が菖蒲の頭を殴った。

「いっ……な、なにすんのよ、この暴力女!」

「あなたには教育が必要のようですね。除霊を始める前に、あなたを鎮圧します」

「えっ? ちょっと、目がマジ……まっ……ぬなぁ!!」

 椿に関節を極められ、菖蒲が悶絶する。

「なんですかあれ?」

 姫子が呆れた顔をしていた。

「……おかしいですね」

 晃は、どこか楽しそうにしている。

「本当。もう、椿さん、いい加減にしてください。私、あなた達のデータなんかいらないんですよ。無駄な時間を費やさないでください」

 姫子の言葉に、椿は全く耳を貸そうとせず、きっちり菖蒲を鎮圧してから仕事に取り掛かるのだった。



 それからしばらくして――九月の中頃、長野県の某所に音村珊瑚の姿があった。場所は、公園。時間は、二十時を少し回った頃。珊瑚は、ある人物を探していた。本名は分からない。ただ彼女のコードネームは分かっている。

 日本には、妖に関連する組織がいくつか存在する。最大規模の組織が、日本神話の神々によって運営されている日本神族会。人間によって管理されている組織で最大規模の一族は、関東を支配する九藤家。そして、妖によって管理されている組織、『666(スリーシックス)』というのもある。

 珊瑚が探している人物は、この『666』に所属しているコードネーム『ルサールカ』という女性であった。

 その女性の潜伏場所に近い公園を訪れた珊瑚を待ち受けていたのは、人の体ほどあろうかという巨大なつらら。合計三本のつららは、人の肉体を破壊するには十分な質量であるはずだが、珊瑚はそれを事も無げに左手で払って退けた。彼女の左手は金色に輝いている。珊瑚の特殊能力『光龍武』である。

 珊瑚は、特殊な体質の持ち主。自分の体から霊力を切り離す事が出来ない。彼女の霊力は、十歳になる頃には世界でトップクラスであった。日本では並ぶ者が居ない。特筆した霊力保有者である。しかし、体からそれを切り離す事が出来ない。つまり、持っているだけで使う事が出来なかった。

 珊瑚は、そのハンデをあっさりと引っ繰り返す。それが、『放つことが出来ないのであれば纏えばいい』――世界最高峰の霊力で作り上げた鎧、それが『光龍武』である。ありとあらゆる災いを退け、斬り裂く、鎧であり武器でもあった。

 次は、水で出来た竜が出現する。大きさは、六メートルほどあろうか。全てを押し潰すその水の竜の直撃を受けたが、珊瑚には一滴の水滴も付いていなかった。

 珊瑚の右足が大地を叩く。彼女を中心に大地が砕け、公園が広い範囲で陥没した。砕けた大地から、水がしゅるりしゅるりと伸び出てきて、それは陥没した大地の縁に集まり、人の姿を取る。

「化け物め……!」

 青い瞳に青い髪。年の頃は、二十代半ばの女性。彼女こそが『ルサールカ』。水を操り、水と同化する能力を持っている。

 珊瑚は、ルサールカの前に優雅に立った。

「まったく、こっちは別に殺しに来たわけじゃないんだから~。近所迷惑だよ、ルサールカ」

 ルサールカは、じっと珊瑚を睨みつける。

「頼みたいことがあってね。探していたのよ」

「頼み?」

「そう。水及を殺して欲しいの」

 ルサールカは、ますます怪訝な顔をする。

「今、水及が町に降りて来ているのよね。殺したくてたまらなかったんでしょ? 殺してよ、お願い」

「自分でやれば?」

「それはちょっと無理かな。別に殺せない相手じゃないけど、さすがに色々と私が手を出すには制限が多すぎるし、そもそも私個人に水及を殺す動機がないもの。でも、あなたにはある。ねぇ、いいじゃない。ちょっと殺して来てよ」

 それはまるで、人に買い物を頼むような気軽さであった。




 END


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