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空白ノ翼  作者: 堕天王
人形になった少女
12/35

暴力少女に襲われて

 ひんやりとした空気。暗闇に沈む道場。月明かりが、窓から差し込みゆらゆらと泳いでいる。そんな中、女性が一人、音もなく静かに立っていた。長身で、袴を着ている。髪はポニーテール。すらりとした美人である。彼女の名は、月野静流(つきのしずる)。この赤咲道場の門下生の一人だ。

 稽古を終えて、その熱気が消えるほどの時間がすでに経っている。静流は薙刀も持たず、構えも取らず、ただただ暗闇を見つめたまま立っている。彼女の中のある思いが、静流をこの場所に縛り付けていた。

 暗闇の先に、静流は親友の姿を見ていた。下手すると小学生に間違われてしまうほど小柄で童顔。触覚みたいな二本の髪が前髪よりも少し上辺りから飛び出しているのが特徴で、髪自体はセミロングである。勝気な瞳。強く一文字に結ばれた唇のせいで無愛想な印象であるが、やっぱり中身も相当無愛想。名前は、赤咲夕音(ゆうね)。静流の幼馴染であり、親友である。

 暗闇の中で、夕音は穏やかな顔で笑っている。そんな夕音に手を伸ばすと、(かすみ)のように消えてなくなってしまった。虚空を泳ぐ右手を、ぐっと握り締める。

「夕音……」

 夕音は、今――ここにはいない。静流の知っている世界のどこにも、彼女は存在していない。

 今年の三月末、家族の旅行中事故に遭い、夕音一人が生き残った。静流は、夕音が運ばれた病院を夕音の祖父に訪ねたが。

「意識不明の重体で、面会謝絶中なんだ」

 という理由で拒まれてしまった。最初はそれを信じた静流であったが、今はもう六月の上旬である。すでに二ヶ月は経っている。それでも夕音の祖父曰く、いまだに『意識不明の重体』とのこと。いくら意識不明の重体であれ、容体は刻々と変化していくはずである。そこの所を突っ込むと、夕音の祖父は言葉を濁す。静流は、さすがに夕音の祖父に疑念を感じ始めていた。そんな折である。

「ねぇ静流、知ってる? 夕音ちゃんをどこかのゲーセンで見たって話」

 大学の友達から、そんな噂話が飛び出た。静流は、その噂の事を徹底的に調べた。中には、どう考えても眉唾(まゆつば)な話もあった。酷いものでは、『ゲーセンに現れるカニ魔神』なんていう、都市伝説も混ざっていたほどである。そんな噂の中から、ようやく得られた貴重な情報。ここ最近、夕音らしき女の子が頻繁に姿を現す場所が分かったのである。

「夕音……」

 静流の瞳には、決意があった。

 夕音に会いたい。夕音に会って抱きしめたい。昔のように笑い、二人で馬鹿をしたい。夕音を失うことで色彩を失ってしまった世界に、色を取り戻したい。

 静流は決意を胸に、暗闇に背を向けて歩き出した。


 2005年6月5日日曜日――

 神山聡(かみやまさとし)は、商店街の中にある本屋から紙袋を抱えて出てきた。聡は、結構がたいのいい短髪の青年である。服装もTシャツにジーパンと、お洒落の欠片もない。ただただ汗臭い印象だけしか、彼にはなかった。紙袋の中身は、漫画である。目的の物が手に入り、彼は子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。そんな彼であるが、重大な欠陥を抱えていた。

 記憶喪失。

 四月上旬にこの(さくら)町を囲む山の一つ、若草山で行き倒れていたのを助けられた彼であったが、それ以前の記憶を全て無くしていた。覚えていたのは、名前だけである。

 現在は、幼馴染との再会も果たしたことで、失ってしまった過去の一部を知識として保有している。残念ながら、それをきっかけに全てが戻るなんていう奇跡は起こらなかった。しかしその結果、記憶喪失であることに対しての一つの答えを導き出すこととなる。

 過去にこだわる事をやめ、とりあえず今出来る事をやっていく。それが、聡が出した答え。完全とは言えないが、ある程度吹っ切れた彼は、日増しに活力を増していた。漫画を買いだしたのもここ最近である。心に余裕が出てきた証拠だ。

「さて、目的の品も手に入れたし……」

 時刻は、まだ十四時を少し回った程度。聡は、本を買うためだけに商店街へとやってきたわけではない。聡は今、若草山の中腹に建っているログハウスで、彼を助けてくれた立麻琴菜(たてまことな)と暮らしている。琴菜は家事全般を聡に委託している。そのため夕飯の買い物をしてから、帰宅しなければならない。しかし、まだ夕飯の買い物には早い。愛用の自転車のカゴに紙袋を投げ込み、商店街を練り歩く事にした。

 櫻町は、田舎の中の田舎と揶揄(やゆ)されるほどであるが、その櫻町唯一の商店街はそれなりの賑わいがあった。むしろここにしか店がないため、賑わっていないほうがおかしい。

 古いアーケード街。風情を感じさせる古い店が列を成しており、所々改修された新しい建物が混ざっている。その新しい建物の一つの前で、聡は足を止めた。

「おっ、ゲーセンか」

 煌びやかなネオンと音に満たされた世界。ゲームセンターである。聡は記憶を失っているため、ゲームについてもさっぱり分からない。好奇心が刺激された聡は、ゲームセンターへと入っていった。

 色々なゲームを見て周る。ふいに記憶が戻る事があるかもしれない。そんな考えが片隅にあったのだが、世の中そう都合は良くない。妙に懐かしく感じる事があっても、その懐かしさに起因する記憶が戻ってくる事はなかった。

「ん?」

 店の奥、人だかりが出来ている事に気付く。最新機種なのか、それとも凄いプレイヤーでもいるのか。近付こうとしたが、人が多すぎてどうにもならない。それならそれで仕方がないか――聡は早々に諦めて、他の所を回ろうとしたその時である。

「てめぇ!」

 そんな怒鳴り声が聞こえた。集まっていた人達がざわめきだしたため、その続きは掻き消えて聞こえない。密集していた人がバラバラに動き出し、クモの子を散らすように密度が減っていく。聡は何が起こっているのか見極めようと、立ち尽くし声の方向を見つめ続けた。

 人に押され、視界を遮られ、聴覚はあらゆる言葉に浸食されていく。

「やばいって」

「警察呼べよ」

「ゲームでマジキレって、ニートこえぇ。マジ、自重」

「誰か助けろよ」

 無責任な言葉の羅列。いちいちイライラしても同じだ。全て聞き流す。必要のない情報だ。

 人と人の間。小柄な女の子の姿が見えた。その上腕を誰かが掴んでいる。そこは見えないが、それで十分だ。誰かが、女の子に因縁を吹っかけている。ならば――。

「道を開けろ!」

 聡の声は、店内に響き渡った。びっくりした人たちが、慌てて聡の前から散っていき、まるでモーゼの如く道が出来ていく。

 ゲーム機に座る小柄な少女。小学生ぐらいにしか見えない。セミロングで、髪の前方から二本の触覚のような髪が出っ張っている。その右の上腕を持ち、睨みを利かせている男。メガネをかけた、一見真面目そうな奴だ。年は二十歳になったばかりか、それよりも少し若いぐらい。聡に気づいたその男は、明らかに動揺していた。

「な、なんだよ!」

「俺の連れに手を出すってことは、喧嘩上等ってわけだよな。表に出ろや」

 聡は、わざとらしく指の骨を鳴らしながら近づいていく。聡には全く喧嘩する気はなかった。相手の顔を見て、凄めば帰る。そう確信していたのだ。案の定、聡の迫力に男はたじたじになっていた。

「えと……あ、これは……」

「なんだ、耳が悪いのか? 表に出ろ。そんな子、相手にならないだろう? 俺が相手になってやる。遠慮すんな。喧嘩がしたいんだろう?」

「い、いや……」

「……失せろ。最終通告だ」

 男は女の子の腕から手を離し、一目散に逃げていった。聡はそれを見送った後――。

「はいはい、お前らも解散。面白いイベントは終了!」

 集まったギャラリーに帰れと手を振り、散らしていく。ようやく周りが静かになってから、聡は自分を見上げている少女の前で屈み、視線を合わせた。くるくるとした目が愛らしい女の子である。

「大丈夫か? 怪我してないか?」

「……うぅ?」

 言葉にならない、空気が漏れたような音。まっさらな表情で、動きらしい動きもなく、ただ聡を見つめている。純粋無垢で、濁りのないまっすぐなガラス玉のような瞳だ。聡は沈黙に耐えかねて、隣のゲーム機の椅子に腰掛けた。

「まさか、外国人? えっと、アーユー……す……スピーキング、ジャパニーズだっけか?」

 (つたな)い英語もどきの日本語。女の子に反応はない。

「英語ダメなのか。えと、ニーハオ? ボンジュール? あと……ば、バームクーヘン? ボルシチ? キムチ」

 何も反応がない。最後はボケたつもりだったのだが、それも完全に滑ってしまった。段々と困ってきた聡。

「まるで反応なしか。しょうがない。こういう時は、誰かにヘルプだ」

 誰を呼ぼうか。携帯電話なんていう便利な物は持ち合わせていないため、選択肢としては職場である虹野印刷か、ログハウスにいる立麻琴菜かぐらい。そんな風に悩んでいると――。

「先手必勝!!」

 聡は背後から蹴り飛ばされ、ゲーム機に顔から叩きつけられた。蹴り飛ばしたのは、ポニーテールの長身の女性。プリントTシャツにジーパン姿。凛々しい顔つきの美人である。激しく聡を蹴り飛ばした彼女は。

「夕音、逃げるよ!」

 女の子の手を引っ張って、走って逃げていった。

「……だ、誰だこのクソ野郎が!」

 顔を擦りながら振り向いた頃には、すでに逃げてしまった後。遠くに、その後姿が少しだけ見えている程度である。それもすぐに人の波に飲まれて見えなくなってしまった。

「逃がすか!」

 聡の猛追が始まった。


 ゲームセンターを出て右確認、左確認。すでに姿は見えない。

「クソッ、どこに行きやがった」

 いきなり人の背中を蹴り飛ばした女。彼女がどこから来たのか、それだけでも分かれば見当が付くが、現状まったく分からない。とりあえず駅の方へ向かうため、ゲームセンターの横の細い路地へと入った。ここを通り抜ければ大通りに出て、そこを渡れば櫻町唯一の駅である櫻駅に出る。

 少しカーブを描き、いくつかの界隈(かいわい)を貫き走る路地。そこに踏み込んで、少ししてからのことである。

「夕音! 私のことが分かんないの?!」

 悲痛なそんな声が聞こえた。細い路地の半ば程で、聡を蹴り飛ばしたポニーテールの女性が、女の子の肩を掴み、視線を合わせている所に出くわした。

「夕音! どうしちゃったのよ?! なんで何も答えてくれないの?」

 女性は、懇願している。その様を見て、蹴られた事への怒りをとりあえず後回しにすることにした。話を聞いてみよう。聡は、そう思い声をかけた。

「……おい」

「さ、さっきの変態ロリコン男!」

 女性は女の子の前に立ち塞がり、聡を睨み付けた。なぜ、そんなに敵意を剥き出しにしているのか。理解できずに、聡は溜息をついた。

「よく分からんが、俺は変態でもロリコンでもないと、思っているんだけどな」

「夕音に声をかける奴なんて、皆同類よ!」

 びしっと人差し指を突きつけてくる。今の所分かっているのは、この女性と女の子は知り合いだ、ということだけ。彼女には、聡が悪い虫に見えたのだろう。

「待て。少し落ち着け」

「私は冷静よ」

 今にも噛み付かんばかりのその様が、冷静だと言い張る。

「まずは、ゆっくり深呼吸でも……」

 途切れた言葉。体が浮いたように感じた。空気を吐き出して、空が見えた。何が起こったのか、全く分からなかった。ただ、気付いた時には地面に叩きつけられていて、近くを細い足が駆け抜けていくのが見えただけ。

「ゆ、夕音が二人?!」

 鈍い音がして、人が倒れる音がした。体を縛る苦痛が、意識を喰らっていく。堪えなれなくなり、聡はその意識を手放した。

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