逆ギレ
鵺としての夜子の扱いは、敬われるというより、監禁そのものだった。
蔵の中は、太陽の光すら差し込まず、時計もないので、正確な時間がわからない。ただ、食事は一日に三回、精進料理のようなものが、きちんと運ばれてくる。それを数えて、今が昼か夜か、ざっくりとではあったが、判断していた。
外に出る手段は無し。食事が運ばれる時以外、人と会う機会も無い。
そんな生活が、一週間続いた、ある日の事。
夜子は今日、初めて食事に手をつけなかった。
食欲は、ずっと前から無かったが、いつもいつも料理を作ってくれる人のことを考えると、残すのがもったいない……そう思っていたが、ここに来て、ついにその気持ちが上書きされた。
「鵺様、どうされましたか?」
「……」
夜子は答えなかった。食事を運んだ、夕日と同じ歳くらいの男は、質問を変えた。
「食事が、お口に合わなかったですか?」
それには、首を横に振って応えた。
「では、なぜ?」
「……あなたには、言いたくないです」
決して目を合わせず、冷たく吐き捨てた。
「今現在、私と夕日さんだけが、鵺様と会うことを許されています。私に言えないのであれば、どうにも―――」
その時、夜子は格子を力強く殴った。男の言葉が止まる。
「それは、誰が決めましたか?」
「……夕日さん、です」
それを聞いた夜子は、はっきりと男を睨んだ。
「もう一つ、教えてください。今、この場で、一番力があるのは、誰ですか?」
「それは―――」
再び、格子を殴った。
「私、ですよね?」
血走った目で言った。
「はっきり言います。食事の係りを変えなさい。それが飲めないなら……わかりますね?」
風も吹いていないのに、手足の虎の長い毛がざわざわと揺れる。
「かっ、かしこまりました」
食事が乗ったお盆を抱え、逃げるように、蔵を出ていった。
「はあ……」
男がいなくなり、夜子は大きくため息をついた。
夜子は、気が狂れたわけでも、本当に鵺になってしまったわけでもない。至って正常だ。
ただ、自分の、意識を変えただけ―――。
この村は、はっきり言って狂っている。朝日と真昼と、真昼の祖母には悪いが、そう思わざるを得ない。何が鵺だ、何が鵺祭りだ。道徳も倫理観もあったもんじゃない。こんなところに長期でいたら、さすがの私も狂ってしまうかもしれない……。
夜子が行っていたのは、いわば、"逆ギレ"だった。この一週間、自分の身体と、自分の状況を省みて、考えた。
今、この状況で、頼れるのは、自分だけだ。少なくとも、朝日や真昼は、ここまでは来られないはずなんだ、だったら、自分の力で、自分のやり方で、道を切り開くしかない。
男が出ていって暫くして、今度は、小夜くらいの少年がやってきた。
「し、食事を、お持ちしました……」
震える声で、怯えた表情で、格子の前に盆を置いた。
「ありがとう、助かります」
優しく言うと、その言葉に安心したのか、少年の表情が緩んだ―――今だ。
格子の隙間から素早く手を伸ばし、少年の腕を掴んだ。
「ひっ!?」
少年の顔が、恐怖で歪む。
「もっ、もう少し、ここにいてください……」
「へっ……?」
夜子の、願うような、小さな声(本当は、格子から手を伸ばしてぎりぎり掴んだので、声を出すのがやっとになっているだけだが)に、少年は変な声を出してしまったが、冷静になった。
「で、でも、すぐに戻らないと、夕日さんに怒られます」
また、あの男か……。
「もし怒られたなら、"鵺様がお側に置いてくださった"とでも言えばいいでしょう? 私は、鵺よ?」
そう言うと、少年は少し考えたが、納得した。
「わかりました、十分くらいなら、大丈夫です」
そう言って、格子の前に腰を下ろした。
「ありがとう」
嬉しくて、蛇の尻尾が、犬のそれのように左右に触れる。それを見た少年の顔が、また強張った。あ、これはしちゃだめなのか。
「ごっ、ごめん」
慌てて、後ろ手でズボンの中に突っ込んだ。
それにしても、この少年は、単純だ。小夜くらい単純だ。私は鵺よ、だなんて……じわじわ恥ずかしくなってくる。
「ねえ、あなた、名前は?」
「坂本陽人です」
「坂本、ってことは、夕日さんの?」
「遠縁に当たります」
「なるほどね……私は、鳥居夜子。夜子って呼んでね」
「夜子、さん? 鵺様では……?」
「それは、夕日さんが勝手につけた名前。本当の名前は夜子よ。まあ、今は鵺でもいいかもしれないけど……」
虎の腕に狸の胴体、蛇の尻尾とくれば、そりゃ、鵺を思い浮かべる他無い。
「陽人君は、歳は、いくつ?」
「十二歳です」
「てことは、小夜と同じね。あ、小夜っていうのは、私の妹よ。そういえば、あなたに兄弟は?」
「姉がいます。ちょうど、夜子さんくらいの」
「そうなんだ……」
うちと、共通点がある。
「と、自己紹介はこの辺にして……ねえ、陽人君。私、頼みがあるんだけど、聞いてくれる?」
「は、はい、何でしょう」
陽人は緊張した面持ちで、夜子を見た。
「坂本家の、家系図を見せてほしいんだ」
「えっ、我が家のですか? ……何故でしょう?」
「確認したいことがあるの。お願いできる?」
「……」
陽人は、初めて、黙り込んだ。迷っている、というのは、夜子でもわかった。だから―――。
「陽人君。あなたのお姉さんが、私と同じ立場になって、同じことを頼んできたら、あなたなら、どうする?」
「えっ……」
「考えてもみて? あなたと離されて、こんな暗い部屋に、一週間も、いや、もしかしたらもっと長く、閉じ込められるんだよ? あなたは、どう思う?」
「……」
少し黙って、口を開いた。
「時間を、ください。一日だけ」
「……わかった。"無理しないでね"」
夜子がそう言うと、少年は踵を返し、走り出した。
彼ならできる。きっと、"この言葉"の意味が、わかるはず―――。




