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  作者: 颪金
10/15

 事態が動いたのは、それから三回程、食事を終えた時だった。

 空いた食器が下げられ、夜子は床につこうと考えていた。

 陽人は、来ないのだろうか。それとも、彼には荷が重かったのか……。

 次の手を考えないと……と思った、その時だった。

「夜子」

「!!」

 聞こえた声に、身体が跳ね上がった。

 蔵の入り口の方。そこに確かに、彼がいた。

「朝日っ……!」

 咄嗟に、格子に掴まる。

「遅れて、ごめん。何か、酷いこととか、されてないか?」

 朝日も駆け寄った。片手に、大きな紙を持っている。

「私は平気。朝日は、大丈夫? 怪我は?」

「平気だよ、あんなの、かすり傷だし……そうだ、これ。陽人が、夜子に持っていってくれって、蔵の鍵と一緒に渡してくれた」

 持っていた紙を細く丸め、格子の隙間から通した。

「ありがとう」

 それを受け取り、床に広げる。蝋燭の明かりだけでは、朝日には、読むことができなかった。

「夜子、読めるのか?」

「うん、一応ね」

 この蔵にいるからか、それとも、時間が経つにつれ、なのかはわからないが、夜子には、人智を超えた力が芽生えていた。覇気のような、まだ具体的にはわからない力。蛇の尻尾を動かしたりも、それに当たる。夜子はそれに、蔵に一週間いて、気付いた。


 家系図には、だいたい平安時代から今までの時代の坂本家の人々の名前が載っていた。朝日や真昼、陽人の名前も書いてあった。でも―――。

「……無い」

「え、無いって、何が?」

「夕日さんの名前が無いのよ」


「夕日? 誰だ、その人?」


「えっ?」

 夜子は、目を丸くした。

「誰って、私を連れていった人だよ? 朝日の伯父だって、言ってなかったっけ? 名前を訊いたら、そう言われたんだけど」

 そう言うと、今度は朝日が目を丸くした。

「あいつ、夕日って名乗ったのか?」

「そう言うってことは、違うの?」

「ああ、本当は―――」


 その名を聞いた時、夜子の中に、一つの考えが浮かんだ。

 確信は無い。でも、もし、私の考えの通りなら、あの人は、私が思っている以上に、辛い思いをしてきたのかもしれない。


 夜子は再び、家系図に視線を落とした。

「ねえ、朝日や真昼もそうだけど、みんな、"日"にまつわる名前なのは、どうして?」

「えっ……考えたこと無かったな、そういうもん、っていうか……そういえば、小学生の頃、親に自分の名前の由来を聞いてみようって宿題を出されて、母さんに聞いたら、『朝日が昇った頃に産んだから』って言ってたっけ。姉ちゃんも、正午に産んだからって。でも、それがどうかしたのか?」

「ううん、ありがとう」

 紙を丸め、朝日に返した。

「朝日、この格子、壊すから、ちょっと離れてて」

「え、こ、壊す?」

 疑問に思ったが、言われるがまま、格子から離れた。

「……」

 夜子は、神妙な面持ちで、格子を掴む。そして―――。

「っ……!」

 少し力を籠めると格子が割れた。

「うわっ!?」

 木片が辺りに散らばる。朝日が驚いて尻餅をついた。

「ごめん、朝日。驚かせちゃったね」

 木片を掻き分け、苦笑いしてそう言った。

「い、いや、びっくりはしたけど、謝る必要はないよ」

 何はともあれ、拘束は解けた。

「夜子が無事で、本当に良かった」

「……朝日っ」

 思わず、抱き着いた。感情が、堰を切って溢れてくる。

「よ、夜子、苦しっ……」

「あっ」

 朝日が呻き声を出したので、慌てて離れた。

「ごめんね、何か、その、怪力になってるみたい」

「うん……」

 何と言えばいいのかわからない朝日を見て、夜子は咄嗟に話を変えた。

「そうだ、朝日、ちょっと案内してほしいところがあるんだけど、お願いしていい?」

「え、案内? ……ごめん、それは無理かも」

「どうして?」

「また、いつ、あいつが来るかわからないし、ここを離れたってわかったら、連れ戻しに来る。だから、今はこの村を離れよう。姉ちゃんに頼んで、車も用意してもらっているから」

 夜子の手を取った。

「もう、あんなかっこ悪いところは見せない。絶対、俺が夜子を護るから」

 真っすぐな眼差し……朝日の気持ちは、正直、凄く嬉しかった。

 だが、夜子はその手を握り、首を振った。

「このまま、この村を出たら、私は元に戻れない。お願い、朝日」

 夜子も、真っすぐに朝日を見た。

「……わかったよ。どこに行きたい?」

「ありがとう。実はね、この村で一番大きい山に行きたいんだ」

「山? 何で?」

「返さなきゃ、いけないから」

 自分の身体を見下ろした。

「返すって……いや、いいか。わかったよ」

 無理矢理自分を納得させた。


 蔵を出ると、月の光が見えた。

「今、夜だったんだね。体内時計、狂ってなくてよかった」

 夜風が気持ちいい。久しぶりに、外に出た。

「誰かに見つかる前に行こう」

「うん」

 蔵から少し離れると、大きな山が、田んぼ道の向こうに見えた。

「あれが、この村で一番大きな山だよ」

 朝日が指差すそれを見て、夜子は何かを感じ取った。

 やっぱり、あの場所にいる―――そう思った時だった。


「何処へ行かれるのですか? 鵺様」


 聞こえた声に、夜子と朝日は固まった。

 振り返った先に、夕日がいた。

「朝日、やっぱりお前だったか。陽人がこそこそ怪しい動きをしていたから、おかしいと思えば……鵺様を拐って、何をするつもりだ?」

 言われた朝日は、拳を握りしめて、夜子の前に立とうとするが、夜子が手を掴んで止めた。

「朝日、ちょっと待って。……夕日さん、あなたに、訊きたいことがあります」

「その前に、蔵へ戻りましょう」

「私の質問に答えてくれたら戻ります」

「……何でしょう」

「どうして、私や、他の人達に、本名を教えていないんですか?」

「何のことでしょう。私の名前は、坂本夕日です」

 顔色一つ変えずに、そう言った。

「しらばっくれんな! 何が夕日だ、お前はそんな"明るい名前"じゃねぇだろ!」

 朝日が吠えたが、夜子は止めなかった。

 確かに、彼の本当の名は、夕日のように明るくはない。それは、朝日に言われると、より効果がある。

 現に夕日は、朝日の言葉を黙って聞いていたが、その瞳には確かに怒りが宿っていた。

 夜子は、再度訊いた。

「もう一度訊きます。どうして、本名を教えていないんですか? 夕日さん。……いや、深夜さん」

 坂本深夜(シンヤ)、それが、あの人の名前。

「……夜を取り込めるのは、夜だけです」

 低い声で言った。

「夜というのは、私の名前……夜子の、夜ですか?」

「夜子、そういえば、そんな名前でしたね。私とは違い、あなたの夜には、生がある」

 目を伏せて言った。話が少しずつだが、見えてきた。


 深夜。文字通り、深い夜。生き物は全て眠り、起きている生は、そこにはいない。

 ただの夜は、生き物がいる。生を持つものが、生活をしている―――。


「あなたは、鵺になりたかった?」


 夜子の言葉に、朝日は息を呑んだ。だが、それ以上は何もできなかった。自分が入り込める空間ではないことを、彼は本能で理解していた。


「そこまで、わかっていたか」

 はあっと、息を吐く。そして今度は、憎悪がこもった目を、夜子に向けた。

「願望や期待だけでは、鵺にはなれない。俺の名前は呪われている! 余所者のお前が鵺になれたのが、何よりの証拠だ!」

「……鵺は、あなたを見限ったわけではありません」

 蛇の尻尾が揺れる。虎の毛が騒ぐ。全身と心が、ふつふつと熱くなるのを感じた―――その時だった。


 トラツグミのような鳴き声がした。


「っ!?」

 朝日は思わず、辺りを見渡した。

 甲高い、鳥の声。それは、夜子の耳には、別の聞こえ方をしていた。

 天を仰ぎ、一度だけ頷くと、踵を返して走り出した。

「夜子!」

 朝日と深夜が追いかけるが、鵺の力のためか、二人よりもずっと速く、山へ向かった。

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