03「過去から来たエルフ」
「う……ん……」
私の意識は、徐々に目覚めていった。いったいどうしたのだろう?───そうだ、森で生物相の調査をしていて、いきなりの雷雨に遭遇し───雨宿りをしていたら、すぐそばに落雷したのだった。
私の名はマイラ・セムユート・サーワン。東方ではそれなりに、名を知られた博物学者だ。今日はフィールドワークのため、単身山中の森に分け入って───とんだ災難に遭遇したというわけだ。
目を開け、身体を起こしてすぐ、私は何かしら違和感を感じる───。すぐには解らなかったが、意識がはっきりすると共に、その正体に気づいた───。これはどういうことだ! 私が居たのは、山間の森だったはずだ! ここは森には違いないが、周囲をいくら見回しても、山の斜面も稜線も見えない! しかもよく見れば、植物相も微妙に異なっているではないか!
何者かが、気を失った私を、ここまで運んで来たというのか? だとしたらいったい誰が? 何のために? 混乱した私は、とにかくここがどこなのかを確かめるべく、近くの木に登ってみることにした。森での調査など日常の私にとって、この程度はべつに何でもない───。
途中まで登ったところで、切羽詰まっていた私の気は、あっさりと抜けた。───なんだ! ここは平地の森だが、そのはずれに近く、しかも里に近かったのだ───。さして離れてもいない場所に、結構大きな町が見える。なんだか、気追い込んでいた私が馬鹿みたいだった。無論、有り難いことには違いなかったが。
森の下生えをかき分け、開けた場所に出る───そこで私は、いきなり予想外のものに遭遇した。
奇妙な、見たことも無い衣装をまとった雄人が二匹、そこに立っていた───。人間が服を着ているのもおかしいが、さらに驚くべき事に、こいつらは戒めの首輪を着けていない───。誰だ! 人間から戒めの首輪を外すなどという、馬鹿をしでかしたのは! この町のことは知らないが、役所に急ぎ報告せねば!
そう思い激昂する私を、雄人どもは当惑の目で見ていた。
「何だこいつ? もしかして野良エルフか? なんで裸じゃないんだ?」
「どこかから逃げ出した奴じゃないのか? 盗んだ服を着てるんじゃないのか?」
何だこいつら? いったい何を言っている? どうなっているのか、さっぱりわけが解らん───。いや、判ることもある。どうもこいつらは、エルフである私に、敬意も恐れもまったく抱いていないようだ。それどころか、見下しているようにすら感じる。
馬鹿な! 人間はエルフを恐れ、敬うはずだ! 人間がエルフを敬わず、恐れもしないなどということは、有り得ないはずだ! 人間がエルフを見下すなどということは、有ってはならないはずだ! 許されてはならないはずだ!
よし、躾だ! 馬鹿な飼い主に代わって、私がこいつらを躾けてやる! 私たちを恐れ敬うよう、徹底的に調教してやる! エルフへの恐れと敬意を、その身体にたっぷり叩き込んでやる!
杖を取り出し呪文を唱える私に、雄人どもが眉をひそめる。───戸惑っているようだが見ていろよ。貴様らは、これから私の魔法で吹っ飛ばされるのだ。殺しはしないが、たっぷりと痛い目に合わせてやる。貴様らがこれから、エルフを恐れ敬うようにな───。
呪文を唱え終える寸前、雄人の一匹が、片手を素早く動かすのが見えた。何かするつもりのようだが、すでに手遅れだ。後は、杖を振り下ろすだけなのだからな───。ギャァッ!!
その瞬間、大きな破裂音が響いた。それに驚くと共に、私は右腕に激痛を感じる───。思わず杖を取り落とし、左手でそこを押さえた。見ると指の間から、血が流れ出している。
馬鹿な! いったい何が起こったのだ! 雄人を見ると、片手に何か奇妙な物を持ち、その先を私に向けている。
どういうことだ! いや考えている暇は無い! もう一度魔法を使うため、杖を拾い上げようとして───再びの破裂音と共に、今度は両足に激痛を感じた。
立っていられず、その場に倒れ込む───。なんとか杖を拾い上げたものの、その時はもう遅かった。もう一匹の雄人が、素早く私に駆け寄り、その巨体で私を押さえ込んだのだ。
「は、離せ!」 無駄と知りつつ叫ぶ私。
「なんだ? お前しゃべれるのか?」
「エルフがしゃべるのは当たり前だろう! 貴様ら! 人間がエルフにこんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
「はあ? 何を言っている?」
「そちらこそ、いったい何を言っているんだ! さっきから、わけのわからないことばかり!」
「おい、こいつは野良エルフじゃないぞ」 奇妙な物体を持った雄人が、この時口を挟んできた。
「野良エルフじゃない? じゃあ何だ?」
「『野生の』エルフだ。まず間違いないと思う」
「野生のエルフだって?! 何言ってるんだ! そんなもの、もう十年以上見つかっていないじゃないか?! それもこんな町の近くで!」
「それじゃ、どう説明するんだよ? こいつが口をきけることを。それに、お前も見ただろう? こいつが何かやろうとしたのを───。あれは、『魔法』を使おうとしたんじゃないのか?」
「『魔法』? おい、それじゃ、俺たちって……」
「ああ、危なかったんだ……。まあこいつにとっては、運が悪かったわけだがな。よりによって、この俺に喧嘩を売っちまうなんてな」
「……まあ、町でも3本の指に入る、射撃の名手が相手じゃな」
「貴様ら、いつまでわけのわからんことを言っている!」
じれた私は、雄人どもを怒鳴りつけた。
「お前こそ、何をわけのわからんことを言っているんだ。だいたい、野生のエルフは、人間を見れば逃げ出すもんじゃないのか?」
「なぜエルフが人間を恐れねばならん! 貴様らこそ、尻尾を巻いて逃げたほうがいいぞ? すぐ町から、別のエルフがやって来る筈だからな」
これははったりではなく、強がりでもなかった。実際この時は、私はまだ余裕があったのだ。人間がエルフにこんなことをして、ただで済む筈がないし、さっきの破裂音は、町にも聞こえている筈だ。きっと誰かが助けに来てくれる。私を救うと共に、こいつらに鉄槌を下してくれる筈だ───。そう思っていたのだった。
ところが驚いたことに、私の言葉を聞いても、こいつらはいっこうにひるむ様子も無かった。
「───話にならんな。まあいい、これから貴様を警察へ連れて行く。野生のエルフを見つけたら軍か警察に通報するのが、我々大日本帝国臣民の義務だからな」
「ケイサツ? ダイニホンテイコク? 何だそれは?」
聞き慣れない言葉に、私は心中で首をひねった。傷の痛みに耐えながら問うと、意外にもこいつらの方が、怪訝そうに顔を見合わせる。一匹が、呆れた表情で言い出した。
「馬鹿なことを言うな。まさかエルフのくせに、大日本帝国を知らんとは言わさんぞ」
「そんなもの、聞いたことも無い! 第一どういうことだ! さっきから聞いていると、まるで人間の方がエルフより偉いと言わんばかりだぞ!」
「…もしかしてお前、本当に知らんのか? 大日本帝国が、エルフを事実上滅ぼしたことも? 今では本当に、人間の方がエルフより偉いことも?」
「ななな、なにぃ?! そそそ、そんな馬鹿な?!」
「───今までいったい、どんな生活をしてきたんだ」
そう言ってため息をつく雄人───。その様子は、演技にもはったりにも見えない。余計わけがわからず、私は混乱するばかりだった。
───それからの時間は、私にとって屈辱のそれだった。持ち物をすべて取り上げられ、衣服をすべてはぎ取られる。傷の手当てだけはされたものの、そのやり方はお世辞にも丁寧とは言えなかった。
自分の持っていたロープで、自分が縛り上げられるという、さらなる屈辱を味合わされ───。そのまま雄人どもにかつがれて、私は町に運ばれたのだが、町の様子は、あまりにも意外で、なおかつ信じ難いものだった。なにしろエルフがいないのだ───。
町並みそのものもまったく見慣れないものだったが、歩いているのは人間、それも戒めの首輪を着けていない人間ばかりで、エルフの姿は全く見えない。
私は、自分の目が信じられなかった───。馬鹿な! 家畜化されていない、原種の人間がこの世に存在するなど! そいつらがこんな町を作って、エルフを恐れもせずのうのうと暮らしているなど! しかし、何度見直してみても、目の前の光景が変わる筈もない。私は、自分がとんでもない勘違いをしていたことを知った。それと共に、絶望が押し寄せて来るのを感じた。
「大日本帝国が、エルフを事実上滅ぼした」「今では本当に、人間の方がエルフより偉い」雄人どもの言葉を信じたわけではなかったが、少なくとも私個人については、状況はもはや絶望的だった。
この町は、人間原種どもの町だったのだ! こいつらはおそらく、エルフに対抗できるだけの力を持っているのだ! ここには、私を助けてくれる者はいないのだ! 魔法を使う手段を奪われ、歩くのもままならないほどの怪我をして、私が自力で逃げ出せる可能性は、もうまったく無い。誰かが助けてくれる可能性も、おそらくもう無い。
絶望にうちひしがれる私を、雄人どもは、大きな石造りの建物に運び込む。───きっとここが、やつらの言う「ケイサツ」なのだろう。縛り上げたままの私を部屋の隅に転がして、やつらは、出て来た別の雄人と話を始めた。
「───念のために聞きますけど、取り調べが終わったら、俺たちに引き渡して貰えるんですよね?」
「ああ、『野生の』エルフは、捕らえた者に所有権があるのは、君たちも知っているだろう。多分数日後には引き渡せると思う」
「ありがたい。それじゃ、どこかの金持ちにでも売り飛ばすとしますか」
絶望していた私だが、その言葉に、魂が炎を吹き上げた。
「貴様ら! 私を売り飛ばすと言うのか!」
「ああ、お前ならかなりいい値で売れるだろうしな」
「に、人間がエルフを売るというのか! 下等な人間が、高貴なるエルフを売るというのか!」
この言葉に、新しく出て来た方の雄人が、顔色を変える───。つかつかと歩いて来ると、いきなり私の腹を蹴り飛ばした。
「グギャッ! ゲホッ!」
思わず、無様な呻き声を上げてしまう。明らかな侮蔑の態度で私を見下ろしながら、そいつは言った。
「そちらこそ、言葉に気をつけるのだな。次に我々を侮辱したら、この程度では済まんぞ」
「く…うっ……」
屈辱に身を震わせる私。それを見たそいつが、露骨な嘲笑を浮かべる。
「一つ教えてやる。大日本帝国では、人間がエルフを売り買いするのは、ごく当たり前なのだ」
「なっ、何い?!」
「大日本帝国においては、エルフの方が人間の家畜なのだからな」
それを聞いた時、この日最大の衝撃が私を襲った。誇張でなく、脳天をハンマーで割られたような衝撃だった。
「う………嘘だ!」
やっとの思いで、その一言を絞り出す。しかし───。
「貴様にとって残念ながら、嘘でもなんでもない。後で、その証拠を見せてやる」
縛り上げられた私を、さらに椅子に縛り付け、そいつは横柄な態度で、その前に腰掛ける。その背後には、別の雄人が二匹従っていた。
「さて、と……まず、貴様が何者かから聞かせてもらおうか」
「…名前は、マイラ・セムユート・サーワン。博物学者だ」
もうこうなったら、最後まで虚勢を張り続けるしかない。無様な醜態だけは見せまいと、私は心中で誓っていた。
「学者だと?」
「おかしいか! これでも、東方では結構名を知られている!」
そいつのいぶかしげな態度に、私は声を荒げた。
「…いや、作今の状況で、よくまあ、学者などやっていられたものだと思ってな」
「…どういう意味だ?」
「我々大日本帝国から逃げ回りながら、よくぞ研究を続けられたものだ、と言っているのだが」
「私は、人間から逃げたことなど無い! そもそも、ダイニホンテイコクなどという言葉を聞くのも、今日が初めてだ!」
「そんなはずはない! 大日本帝国がこの世界にやって来て、すでに四十年近く。エルフを事実上滅ぼして、もう十年以上たっているのだ。どういうつもりでそんな嘘をつくのか知らないが、無意味なことはやめるのだな」
「───待ってくれ! 今なんと言った?! この世界にやって来た、だと?!」
「そうだ。そもそもお前たちが、我々をこの世界に連れて来たのではないか」
「知らん! 私はそんなこと、聞いたことも無い! 第一我々が、何のためにそんなことをせねばならん?!」
「捕らえたエルフから聞き出したところでは、我々を家畜にするためにそうしたらしい。もっともその結果は、自業自得の極致で、なおかつ皮肉の極致だったがな。家畜にするために召喚した相手に、自分たちが滅ぼされ、生き残った者はすべて、我々の家畜にされてしまったのだからな」
「馬鹿な! そんなことが有ったら、私が聞いていない筈がないぞ!」
「だから、無益な嘘をつくなと言っている」
「そう、お前たちの言う通りなら、こんな嘘をついても無益だ! 無意味だ! 私も学者の端くれである以上、それくらいは解る!」
「ほう、それでは、我々の方が嘘をついているというのか? だとしたら、貴様の言葉をそっくり返すことになる。我々がお前にこんな嘘をついても、何の益も何の意味も無いだろう?」
「だとしたらどういうことだ! 私は今朝まで、住んでいた町で普通に暮らしていたのだぞ!」
「それこそ嘘もいいところだ。エルフの町など、少なくともこの大陸には、一つも残っていない筈だ。我々がすべて潰し、滅ぼしたのだからな」
「馬鹿な! そんなことは有り得ん! どういうことだ!」
「だからいい加減、嘘をつくのはやめろ。あまり我々を愚弄するようなら、こちらも考えがあるぞ」
「愚弄してなどいない! 確かに今朝まで、私はレンナウの町で、普通に暮らしていたのだ!」
「レンナウ? どこに有る町だ、それは?」
「東方州の州都から……西に半日ほど行ったところだ」
「東方州? 何を言っている、ここは貴様らの言う西方州だぞ?」
「何?!」
「西方州の州都が有った場所から、南東にいくらか下ったところだ」
「そんな! 私は気絶している間に、西方州まで運ばれたというのか?!」
「何だと?」
「私はレンナウ近くの山中で、落雷に遭って気を失ったのだ。そして気がついたら、この近くの森に倒れていたのだ。誰かが気を失った私を、西方州まで運んで来たというのか?……………いや、待ってくれ! 教えてくれ、今日は何月の何日だ?」
「9月22日だが?」
9月22日?! そんな! 何日もたっているかと思ったら、逆に日付がさかのぼっているではないか?! あの森にいた時は、10月6日だったはずだ。いや待て、そんな、まさかとは思うが───。
「───つかぬことを聞くが、今年は、聖暦の何年だ? 5970年か?」
まさか一年近くたっているとは、思いたくないが───。
「セイレキ? ああ、お前たちが使っていた年号だったな───。おい待て! 5970年どころか、聖暦6000年が、皇紀2601年だから───今年は、6039年ということになるぞ?!」
「ろ、6039年?!───。そんな馬鹿な! 私は、七十年後に来てしまったと言うのか?!」
「七十年後?」
「落雷で気を失ったのは、5969年10月6日のことだったのだ。それなのに今は、6039年9月22日だと言うのか?!」
「……つまりお前は、七十年前の東方州から、現在の西方州に来てしまったと言うのか?………とてもじゃないが信じられんな」
「私だって信じられん!………しかしそうだとすると、すべて説明がつく。私の記憶と、お前たちの言葉の、両方が本当でおかしくない。───おい、それでは、私たちエルフは、あれから六十年たらずで滅びてしまったというのか!」
「そうだ。エルフの大半は我々の手で殺され、殺されなかった者もほとんどが、飢えと病で死んだ。せいぜい数万匹が、我々の家畜として生き延びたに過ぎん」
「嘘だ! そんなことは有り得ない!」
「なぜ有り得ないのかな?」
「神が許さないからだ! 人間はエルフより劣る存在と、神に定められているからだ! 人間はエルフに、一時的な勝利は収め得るだろう。しかし、最後に勝つのは必ずエルフの筈だ! ましてや、エルフが人間に滅ぼされるなどということは有り得ない! エルフが人間の家畜にされるなどということは有り得ない! そんなことを、神が許す筈がない!」
「貴様もそう言うのか………。ま、エルフは皆そうだったがな」
「どういう意味だ! それは!」
「お前のいま言ったことが、間違っているということだ。お前ももうすぐ、我々に屈服するということだ。……さっき言った筈だ。『今ではエルフの方が我々の家畜である』その証拠を見せてやると」
「なっ………」
「さあ、見るがいい。両の目をようく見開いてな」
そう言って、背後の扉に目をやるそいつ。───どうやら、外で待ち構えていたらしい。開かれた扉から入って来たのは───鎖に繋がれた、二人のエルフだった!
二人とも、鎖付き首輪を着けただけの、素っ裸である。───それだけではない。内一人は、両手を手首から、両脚を膝から切り落とされ、四つんばいでしか歩けないようだった。どちらも悲しげな表情で、私を見つめている───。
家畜か奴隷以外の何物でもない姿を見せつけられ、絶句するしかない私。───そんな私に、あいつが勝ち誇ったように言った。
「どうだ? ここにいるのはこの二匹だけだが、貴様が望むなら何匹でも見せてやるぞ?」
そう言うそいつをキッとにらむと、私は二人に向け叫んだ。
「あなたたち! 今の話を聞いていたのだろう? こいつの言ったことは本当なのか?! 本当に私たちエルフは、こいつらに滅ぼされたのか?!」
二人が力なく頷くのを見て、私の身体に戦慄が走った。
「そんな! 本当なのか?! 今では本当に、私たちの方がこいつらの家畜なのか?!」
二人が再び頷く。
「馬鹿な! なぜそんなことになった?! 教えてくれ! いったいなぜ、そんなことになったのだ?!」
「無駄だよ。そいつらは口がきけん」
「何ぃ?!」
「舌を切って、口がきけないようにしてある。家畜が人の言葉をしゃべるなんて、おぞましいからな」
「…待て! それでは、手足を切り落としたのも……」
「そうだ。その女は、文字が書けるというのでな。家畜が言葉を持つなどということ自体がおぞましい」
「…貴様ら! どこまでエルフをおとしめれば気が済むのだ! こんなことをして、天罰が下らないと思っているのか!」
「思っているよ。現実に、天罰など下っていないしな」
「……お前たちは、神が恐ろしくはないのか!」
「少なくとも、お前たちエルフの神など、まったく恐ろしくはないな」
「くっ!!」
駄目だ! こいつらは本当に、私たちの神など、まったく恐れていないのだ! 考えてみれば当然か。こいつらがエルフの神を恐れるなら、最初からこんなことをするはずがない───いや待てよ、なぜこいつらはそこまで?───。
「───貴様ら! なぜそこまでエルフを憎む?! なぜエルフを、そこまでおとしめる?! いやそもそも、なぜこんなことをした?! なぜエルフを滅ぼし、なぜエルフを家畜にした?!」
「なぜか、だと?───簡単なことだ。想像してみろ、仮に、だ───もしこの世に、お前たちエルフを常食にしている種族がいたらどうだ?」
「───なっ!!」
「そうだ、そんな種族がいたら、お前たちもそいつらを心の底から憎んだだろう? 憎んで滅ぼそうと、根絶やしにしようとしただろう?」
「私たちが人間を食べるから、滅ぼしたと言うのか!」
「そうだ。人間を殺して喰うことは、お前たちにとっては当たり前のことでも、人間である我々には、絶対に許せないことだった。誰であろうと絶対に許すわけにはいかない、究極の大罪だった。───お前も学者だというなら、それくらいは解るだろう?」
「………つまり、お前たちはこう言いたいのか! 自分にとって当たり前のことが、他の誰かにとっても当たり前だとは思うなと! 自分たちにとって当たり前のことが、他の種族にとっても当たり前だとは思うなと!」
「ほう、それに気づくか───。学者というだけあって、確かに頭はいいようだな。我々の知る限り、他のエルフはすべて、気づく気配すら無かったぞ。我々も、お前たちのおかげで気づかされたようなものだ」
「くうっ!」
「そして、その逆もまた真なりだ。お前たちにとってはとんでもないことでも、我々にとっては当たり前のことも、この世には有る」
「……つまりお前たちから見れば、私たちエルフは、滅ぼされて当たり前だったと言うのか! 皆殺しにされて当たり前だったと言うのか!」
「まさにその通り。我々にしてみれば、本当に、一匹残らず根絶やしにしなかっただけでも、感謝してほしいくらいだ。貴様も、問答無用で殺されなかっただけでも、感謝するのだな。」
嫌味ったらしく言うそいつに、歯ぎしりする私───。しかしこの時、脳裏に天啓のようなひらめきがあった。
「………ふざけるな! 貴様らの理屈に従うなら、貴様らに、我々を責める資格は無いはず!」
「ほう? なぜそう言える?」
「貴様らはエルフを家畜にしている! すなわちエルフを殺して喰っているということだろう! だとすればお互い様のはず! 我々を非難する資格など無い!」
これで何も言えないだろう───そう思ったのだが、この言葉に相手の様子が一変した。その顔が真っ赤になり、凄まじいまでの憤怒が浮かび上がる。いきなり立ち上がると、私の顔を殴りつけた。
「ふざけるなっ! 我々は貴様らとは違う!」
「エルフを喰ってはいないと言うのか?!」 痛みに耐えながら叫ぶ私。
「そうだ! 少なくとも知られている限り、我々がエルフを喰った例など無い! 貴様らを喰うくらいなら、我々は飢え死にする!」
「ではどういうことだ?! 家畜にしているということは、何らかのために役立てているということだぞ?!」
「……ああ、役立てているとも───。我々のなぐさみものとしてな」
一瞬その意味が解らなかった私だが、理解した途端、猛烈な怒りがこみ上げてきた。
「『なぐさみもの』だと! つまり生き残りのエルフは、毎日お前たちに犯されていると言うのか?!」
「ああ、お前たちが、我々の子を孕むことは無い。それはすでに判っている。いくらでも安心して犯すことができるからな」
「───そのためだけに、エルフを生かしていると言うのか?!」
「その通り───感謝するがいい。我々のなぐさみものとして役立つがゆえに、お前たちは生き延びられたのだからな。そうでなければ、とうの昔に本当の皆殺しにしている。一匹残らず、根絶やしにしている」
「くうっ!……」
「そしてお前も、もうすぐ舌と手足を切られて、家畜になる。我々に犯される、ただそのためだけの存在となる」
その言葉に、私は目の前が真っ暗になった。
「そんな! 神よ!」
「ほう? ここで神に祈るのか?」
「神よ! なぜ私たちを助けてくださらないのですか?! なぜあなたの手で、こいつらを滅ぼしてくださらないのですか?!」
「なぜか、だと? ハハハッ、これはおかしい!」
「何だと?! 何を笑う! 貴様には、そのわけが判ると言うのか?!」
「判るとも! そもそも、理屈で考えれば、可能性は三つしか無いだろう? 一つ目は、『そもそも神など存在しない』」
「神が存在しないと言うのか?!」
「可能性を述べているだけだ。二つ目は、『我々の神の方が、お前たちの神よりも強かった』」
「何だと?! エルフの神が、人間の神に負けたと言うのかっ?!」
「そうだ。貴様らエルフの神は、我々大日本帝国の神によって滅ぼされ、この世界は我々の神の支配下に入った。そういう場合だ」
「くっ!……」
「そして最後の三つ目は………『神にとってのお前たちは、お前たち自身が思っているような存在ではない』」
「『我々自身が思っているような存在ではない』……だと? どういうことだ?!」
「お前たちエルフは、特別な種族ではなかったということだよ」
「何?!」
「神から特別扱いされているわけではなかった、ということさ」
「何を言う?! 我々エルフが、神に選ばれし種族ではなかったと言うのかっ?!」
「そうだよ。人間とエルフが、他の生き物とは一線を画す存在なのは、我々も認める。しかしお前たちは、少なくとも人間と比べて、特別ではなかった。人間とエルフは、本来対等だったのさ」
「人間とエルフが本来対等?!」
「そうだよ。本来対等であるべき相手を家畜にしたがゆえに、殺して喰らったがゆえに、お前たちは神から見捨てられた。我々の手で、天罰を下されたのさ」
「……馬鹿な! それでは、神の意志に従ったのはお前たちで、逆らったのは我々になるではないか?! お前たちが善で、我々が悪だったことになるではないか?!」
「まさにその通り。だからこそ、お前たちエルフは滅ぼされた。我々の家畜に、獣に落とされた。お前たちは、神に見放されたのさ」
「馬鹿な! 私は信じんぞ! 人間とエルフが本来対等だなどと! ダイニホンテイコクが善で、エルフが悪だったなどと!」
「信じようが信じまいが、現実は変わらんと思うが? 今述べた3つの、いずれであったとしても、『お前たちエルフには、もう神の加護など、まったく与えられてはいない』のだからな」
「く……そうだ! 仮に貴様の言う通りなら、そんな証拠がどこに有る! 貴様の言うことが正しいという証拠が、いったいどこに有る!」
「証拠? 証拠だと? プ………アーッハッハッハッハッ! ウワーッハッハッハッハッ!」
「なっ、何がおかしいっ?!」
「おかしいともさ! なぜ気づかない? 証拠なら、目の前にいくらでも有るではないか!」
「何?!」
「考えてみろ。いま自分で言っただろう? 貴様の言う通りなら、とうの昔に天罰が下っていると思わないか? 我々に」
「な………」
「そう、貴様らが言うように、『神にとって、エルフが特別な存在』ならば、『神がエルフの味方』ならば、とっくに我々に、天罰が下っている筈だ。しかし現実には、今や貴様らの方が人間の家畜だ。天罰が下ったのは、貴様らエルフの方だった!」
「そ、それは………これは! これは我々エルフに、神が与えられた試練だ! 遠からずダイニホンテイコクとやらに、神罰が下るに決まっている! 貴様らダイニホンテイコクは滅び、再び我々が主人で、人間は家畜となるに決まっている!」
「フッ、残念ながらそれは無いな。まったく可能性が無い」
「何だと?! なぜそう言い切れる?!」
「第一に、貴様ももう見ただろう? お前たちエルフが、自力で我々を打ち負かせる可能性は、もうまったく無いのだ───。第二に、仮に神罰が下って、我々が滅びそうになったとしよう。そんなことになったら、我々は滅びる前に、エルフを根絶やしにしておくさ。貴様らが再び、人間の上に立つことが無いようにな」
「なっ……」
「我々がその気になるだけで、家畜であるエルフは、あっという間に根絶やしになる───。貴様にも、それは解るだろう?」
「くうっ!」
「我々が滅びた時には、お前たちエルフは、すでに死に絶えている───。エルフが人間の下から抜け出すことは、もう有り得ない───永遠に、有り得ないのさ。この事実そのものが、正しかったのは我々で、間違っていたのは貴様らだという、証拠だと思わないか?」
「そんなっ!」
「少なくとも『お前たちエルフには、もう神の加護など、まったく与えられていない』ことの、明白な証拠だと思わないか? 我々の言うことが正しく、貴様らの言うことが間違っていた、疑う余地の無い証拠だと思わないか?」
「そっ……そんな……そんなっ! 私たちエルフは、もう神に選ばれた種族ではないと言うのか! 私たちにもう、神の加護は無いと言うのか! 我々の信じたことが、間違っていたと言うのか!」
「そうだよ。我々の信じていたことが正しく、お前たちの信じていたことが間違っていた。そうでなければ、そもそもこんなことにはなっていないだろう?」
「ぐ……………そ、その通りだ……お前の言う通りだ。そうでなければ、こんなことは有り得ない……。お前の言う通りでなければ、こんなことになるはずがない……」
「ほう、事実を認める気になったか。ようやく」
「しかし……しかし! 教えてくれ! いったい我々の、どこが間違っていたと言うんだ! 我々は、何を間違えたと言うんだ!」
「何もかもだよ。お前たちは、人間に関しては、文字通り何もかも間違っていたのさ───。自分たちが、神に選ばれた種族だと信じたことも。人間より自分たちの方が、絶対に優れていると信じたことも。───そもそも、お前たちの言う『神が定めたこと』とやらが、でたらめだったんだ」
「でたらめだと?!……そんなっ?! 神の教えがでたらめだったと言うのかっ?!」
「その通りさ。何度でも言うが、お前たちエルフは、神に選ばれた種族などではなかった。神にとって、エルフは特別ではなかった。お前たちの言う『神が定めたこと』とやらは、少なくとも『人間とエルフの関係』については、すべてでたらめだった。何もかも、お前たちの先祖が、自分たちに都合のいいよう、勝手にでっち上げたもの───人間を喰うことを正当化するための、醜く、卑劣で、愚かな大嘘───。それが、お前たちの言う『神の教え』とやらの、正体だったのさ」
「そんな……そんな……そんな馬鹿な! そんな馬鹿なあっ!」
「そんな馬鹿なと言ったところで、何も変わりはしない。正しかったのは我々で、間違っていたのはお前たちであることも。『エルフの神の教え』とやらが、お前たちの先祖がでっち上げた、卑劣で醜い大嘘だったことも。今では、貴様らエルフの方が、人間の家畜であることも。貴様自身が、これから舌と手足を切られて、我々の家畜にされることもな」
「そんな……そんなあ……アア……ウア……ウアアアアアアアアアアアーッ!」
数時間後、『野生のエルフ』を捕らえた二人の青年が、部屋に案内されて来た。椅子に縛り付けられたまま狂乱するエルフを見て、二人とも唖然とする。
「ど、どうしたんです? これはいったい?!」
「見ての通りだよ。こいつどうやら、突き付けられた事実そのもの、現実そのものに、耐えられなかったらしい」
「現実そのもの?……それじゃ……もしかして……『大日本帝国を知らない』というのも、『エルフが滅びたことを知らない』というのも、本当だったんですか?」
「…こいつ自身は、『七十年前の世界から来た』と言っていた」
「七十年前?! まさか?!」
「さあてな、本当かどうかは、もはや確かめようもない。いずれにせよ、これでは売り物にはならんだろう。君たちさえ良ければ、こっちで処分するが?」
いかにも残念そうに、二人は顔を見合わせた。
「………それじゃ、一度だけ、俺たちのなぐさみものにさせてもらいます。あとはそちらで処分してください」
「了解した」
こうして、エルフの博物学者マイラ・セムユート・サーワンは、警察犬の餌となって生涯を終えた。本来なら大きな話題となったはずの、『過去から来たエルフ』事件は、当人が発狂してしまったがゆえに、闇へと葬られた。
「このような事件が有ったこと」だけは記録に残ったが、「そのエルフが本当に過去から来たのか」は、確かめるすべも無く、当然、信じる者もほぼ皆無だった。
大日本帝国の警察内に、長年語り継がれている、言わば都市伝説である。