1.煙草臭い令嬢たち
「ノイマン侯爵令嬢クロエ! 貴様との婚約を破棄する!」
伯爵家の広い舞踏会場に響いた耳障りな大声に、慌てたようにチェンバロを弾き振りしていた手が演奏の中断を指示した。
せっかくいいところだったのに! と内心で悪態をつきながら、仕方がないので弓を下ろす。
ダンスフロアの方に人だかりができ始めているのが見えた。
何やら、クロエ様とやらが断罪されているようだ。
しかしそんなことはどうでもいい。今夜の演奏はどうなるのか、給料は満額出るのか?
この後まだ演奏したい曲が続くというのに全く……!
チェンバロ奏者を見るが、彼も状況をどうしていいのかわかっている様子はない。
辺りを見回して責任者らしき人物を探してみるが、すでに会場のほとんどが中央の断罪劇を見ようと集まっていた。
会場入り口を見ると、控え室や調理場にいたのではないかと思われるような使用人たちまで集まってきている。
仕事しろよ。
「ルイス様」
後ろから聞き慣れた声がしたので振り向くと、侍従のカールがいつの間にか近くに控えていた。
白髪混じりでグレーに見える髪を短く整え、清潔感はあるものの、年齢相応にくたびれた雰囲気で立っている。
「どうなるかねこれ。あの令息、なんだっけ、クライン伯爵家のフランツ様? 隣にいるのは誰」
「今夜の夜会の主催であるシュトラウス伯爵の御息女、シャルロッテ様です。フランツ様のお母様とシュトラウス伯爵はご兄弟ですので、シャルロッテ様はフランツ様の従妹に当たります」
ふーん、と思いながら再び入口の方を見ると、こそこそと3人の令嬢が出ていくのが見えた。
「カール、ちょっと使用人控え室であの令嬢たちのこと聞いてきてよ」
そう言い終わるより早くカールの姿は消えていた。
いつ演奏が再開されるかわからないので待機しているが暇である。
オーボエ奏者がリードを外して水につけているのが見える。私もチェロは椅子の脇に、弓は譜面台に載せた。
「誰も軽食コーナーにいないな。今ならつまみ食いしてもバレないかも」
隣からビオラ奏者が囁く。
流石に今席を立って取りにはいけないだろう、と苦笑して見せた。
ダンスフロアでは婚約破棄の茶番が続いている。
「シュトラウス伯爵、私の婚約者がシャルロッテをいじめていたのです。申し訳ありません!」
「なんか既視感、と思ったらあれだ」
今度は反対側にいたチェロ奏者に話しかけられた。
「この間、風邪ひいた友達の代わりに舞台の伴奏しに行ったんだけどさ、その時の演目がこんな感じだったよ。流行ってるのかねぇ婚約破棄」
「へぇ、そんな仕事もあるんだ。今度紹介してくれる?」
「いいけど、別に曲がいいとは限らないぜ。なんか主演の俳優が超人気っぽくて、終演後に楽屋口から帰ろうとしたら出待ちがすごかったんだよなぁ。町娘ばっかりかと思ったけど、お貴族様もいてさ。いいよなぁ」
「え、いいか?」
「いいだろ! 俺も女に囲まれてみたい」
「そういうもんか」
「お前はモテそうだからわからないんだよ。女みたいに綺麗な顔して!」
視界の端に何か見えて振り向くと、チェンバロ奏者がこちらを向いて静かにするようにジェスチャーをしていた。
雑談をやめてダンスフロアの方を見た時、後ろに気配がした。カールが戻ってきたようだ。
「3人とも子爵家の令嬢でした。同じ派閥のようで、普段から仲良くしているとか」
チェンバロ奏者がまたこちらを睨んでいるのが見えたのでカールに目配せする。
カールが小さく指を鳴らすと、周りの音が聞こえづらくなった。
全く、基本的な防音魔法とはいえ無詠唱で発動するなんて。
「3人がどこへ行ったかは見た?」
「いえ」
「他には何か聞けたの?」
「はい。少し前までは3人でお茶会をしたり、町に出てカフェに行ったりという遊び方をしていたようですが、最近は観劇に行くことが増えたようです」
「観劇ね」
その時、令嬢たちが入口から戻ってくるのが見えた。
ダンスフロアの茶番は続いている。
「シャルロッテ、ノイマン侯爵令嬢にいじめられていたというのは本当かい」
「お父様、それが、その……」
まだ続きそうなことを確認して、そっと立ち上がった。
「おじょ……ルイス様!」
カールが咎めるが、手をひらひら振って令嬢たちの方へ向かう。
チェンバロ奏者が呆れてこちらを見ているが何も言われないので大丈夫だろう。
「食べ物取りに行くなら俺の分もよろしく!」
先ほどのビオラ奏者は相当空腹らしい。
流石に令嬢たちに話しかけることはできないが、人混みから離れて固まっている3人に近づくと、なぜか煙草臭かった。
会場をわざわざ抜け出して喫煙室に行ったのか?
煙草を吸うようなやんちゃな子たちには見えないが。
せっかくなのでささっと軽食を皿に盛って席に戻ると、ビオラ奏者に大層感謝された。チェンバロ奏者はもう諦めている。
「カール、喫煙室見てきてくれる」
カールはまた、言い終わる前に消えていた。
「カールって何者? いいなお前、実家が金持ちなんだろ。俺もチェロ運んでくれる従者がいればなぁ。そもそもなんでこんなちゃちい仕事してるわけ? さっき言ってた舞台の伴奏の仕事だって、大した金になるわけじゃないぜ」
隣のチェリストはおしゃべり好きなようだ。
「演奏ができればなんでもいいんだ」
そう、音楽ができることが私には何より重要だった。
前世では、始めたのが遅すぎて上手いアマチュアプレーヤー以上にはなれなかったから。音楽をやるために仕事をしていたが、そのせいで練習の時間を十分確保できなかった。
今世の両親が協力的だったことには感謝しかないが、音楽史的にロマン派以前の世界観なのが悔やまれる。
ブラームスやラヴェルが弾きたい!
脱線した。
「ふーん。俺は普通に金がない。さっきの俳優みたいにファンがたくさんついて売れればさ、貴族が使うようなものも手に入るんだぜ。そいつの控え室の前通ったら、すげー高級そうな煙草の匂いがした」
「煙草? へぇ。よく知ってるね」
「あーまぁな、よく行くバーの常連が詳しくて。ちょっと教えてもらったから。自分では吸わないかな。楽器に匂いがついたら嫌だし」
なんか軽薄そうだと思ってたが、楽器愛を垣間見て急にいいやつに見えてきた。
それにしても煙草。
先ほどと同じ、指を鳴らす音に続いてカールの声がした。
「喫煙室には誰もいませんでしたよ。よっぽど婚約破棄の現場を見たかったのか、嗅ぎ煙草入れが何個か置きっぱなしでした。高級そうなのに、いいんですかね」
「なるほど」
「その顔、何かわかったんですか」
「まぁ、たぶん」
その時、ダンスフロアから大きくはないが綺麗な通った声が聞こえた。
「婚約破棄、謹んでお受けしますわ」
野次馬たちがざわつく。フランツ様もたじろいでいるようだ。
「ルイス様、それで?」
カールは意外とせっかちだ。
「なんか隣の奴が色々教えてくれたから、推理ってほどじゃないんだけど」
そろそろ婚約破棄も終わりそうだな。
「その令嬢たち、多分今上演中の舞台の主演俳優のファンなんだよ」
「ファンってなんですか」
「あー、なんだろ、誰かを熱狂的に応援して崇拝する人たちって言えばいいのかな」
「そういえば演劇にハマってるって」
「そうそう。それで、何かプレゼントしようと考えたんだと思う。他のファンと同じじゃダメだ。もっと特別なものをプレゼントして認識してもらいたい、そう考えた彼女たちは彼が最近愛用し始めた高級な嗅ぎ煙草に目をつけた」
「それで喫煙室だったんですね」
「でも子爵家の令嬢が、嗅ぎ煙草を買うなんてできない。親に頼もうにも動機が不純。3人でどうしようか相談して、夜会で盗むことを思いついたんだろう。
今夜の騒ぎに乗じて、喫煙室に忍び込み、置き去りの嗅ぎ煙草入れから自分たちが持ってきた容器に入れ替えたんだと思う。最近流行っている煙草なら、複数のケースから少しずつ取ればバレることもなさそうだし」
「そんな。じゃあこの婚約破棄の茶番も彼女たちが起こしたと? それはいくらなんでも無理では」
「いや、彼女たちは単に、参加する夜会で騒ぎが起きたら喫煙室に忍び込めるように準備していただけだと思う」
「なるほど。今日たまたま、騒ぎが起きたから実行したということですね」
「そう」
「どうしますか?」
「どうって?」
「いや、盗みですよ。捕まえて問いただすか、侍女に報告ですか?」
「別に何もしない」
「いいんです?」
「関係ないし。それにほら」
指差した先ではいよいよ茶番が佳境だった。
「耳いいですね相変わらず。全然聞こえませんよ」
そう言ってカールは防音魔法を切った。
「シャルロッテ様をいじめたなんていう事実はありません。シュトラウス伯爵ならびにクライン伯爵家には正式に私の父ノイマン侯爵より第三者による調査結果を送らせていただきますわ」
「クロエ! 言い訳は」
「言い訳なんてする必要はないのがわかりませんか。私たちの婚約は完全なる政略、フランツ様のような方でも家のためにと努力してまいりましたが、このような侮辱、もう我慢なりません。婚約破棄上等ですわ」
「婚約破棄された令嬢など、年寄りの後妻か訳ありの家にしか嫁げん、わかっているのか!」
「あら、誰が嫁ぎたいなんて言いました? せっかく解放されたのです、これからは思う存分、ご贔屓を応援しますわ! 今上演中の舞台、ご覧になりまして? ああ、私と観劇の予定はシャルロッテ様が体調を崩されてキャンセルなさったのでしたね。主演俳優のあの方、なんて麗しい! 私、フランツ様をお支えしようと勉強のために商会を立ち上げましたの。その稼ぎでこれからは貢いで貢いで貢ぎまくりますわ!」
野次馬がポカンとしている中、ダンスフロアから少し離れたところにいた3人の令嬢が愕然とした表情をしているのが見えた。
子爵令嬢が3人集まったところで、自分の商会を持つ侯爵令嬢の経済力には到底勝てないだろう。
自分たちが持っているのは人から盗んだ少量の嗅ぎ煙草だけ。
「お嬢様、まさかここまでわかっていて……?」
「クロエ様、婚約破棄を言い渡された時扇子で口を隠されたけど、思わず漏れた声が嬉しそうだったんだよね。でもそれだけ。流石にここまでは。それより呼び方」
「失礼しましたルイス様」
フランツ様が言葉を失っているところを、シュトラウス伯爵家の使用人たちが半ば無理やり会場から連れ出し、それに伴って人だかりもはけてきた。
チェンバロ奏者を見ると、どうやら演奏を再開するようだ。
しかし時間的に、何曲か削る必要がある。
今日はどれも演奏したい曲だったのに。
◇
夜会が終わり、片付けを済ませてチェロをケースにしまい、カールに預ける。
「今日はなんだか騒がしかったな。でもちょっと楽しかったかも。お前の音良かったよ。また一緒に演奏できるといいな」
「ありがとう」
おしゃべりなチェロ奏者と別れ、使用人出口から出るとすでに馬車が待機していた。
カールにエスコートされて馬車に乗り込む。
「ルイーゼ様、お疲れ様でした。このままお屋敷に戻られますか」
「うーん、どうしよう。帰ったら男装も解かないとでしょう。お腹もすいたし、この格好楽だからこのままちょっと食べて帰りたいかも」
チェロなんてドレスじゃ弾けないし、女性の演奏家は少ないのだ。そもそも貴族の音楽家も少ない。身分も性別も隠しておいた方がやりたい仕事ができる。
「それにしてもお嬢様は本当に、音楽と謎がお好きですね」
「音楽は好き。謎はどうかな。今日は暇だったから」
馬車は行きつけの屋台に向かって動き始めた。




