3:最初は友情と呼べた
ここから暫く一年目、二年目のダイジェストが続きます。
自身の入学式直後、主席のモーリス・ラゲールに好敵手宣誓をしたものの受け入れられたのか濁されたのかはまぁ追及せず、改めてすれば良いかとヒルデガルドもその時は思った。
別に彼女は短気ではない、ちょっと猛進気味なだけだ。
なら改めるならどの機会かと考えた結果、導き出したのが入学直後の学年筆記試験であった。
入試で既に学生の実力は測ったではないかと思うが、そこはフロイディヒ。
僅かな合間であろうと気を抜くなと早々に手綱を取りに来たのだ。
まぁ常に己を高める事に邁進するヒルデガルドにとっては、構える程のものでもない。
どうぞ心行くまで私の才能を測りそして讃えよと試験に臨んだ。
が、その最中事件が起きた。
同じ組の学生サティ・アルヴァンの両親が馬車事故に遭い病院に搬送されたとの報せが入ったのだ。
場は騒然とし、当のサティは顔色を青、いや、最早土気色にしてその場に崩れ落ちた。
そんな彼に監督官よりも早く駆け寄り支えたのがモーリス・ラゲールだった。
『アルヴァン君、キミが倒れてもご両親の無事が叶う訳じゃない』
モーリスの言葉は真実だが、あまりにも叱咤が過ぎるのではないかと思う者も居ただろう。
それでも彼は、震える少年の肩を強く抱き、彷徨い閉ざされんとする曇天のような瞳をしかと覗き込む。
瞬きもなく零れ落ちるサティの涙がたぱり、たぱりと床を濡らすも、モーリスは力を抜く事なく彼を黙して見つめ続けた。
『今キミがすべき事は、何よりもまずご両親の元へ駆ける事だ、違うか?』
しかし試験がと、サティはどこか考えてしまったのだろう。
うろと迷いがその瞳に走った刹那、モーリスが大きく彼を揺さぶる。
『迷うな!これは選択肢ですらないんだ!』
選ぶ以前の問題だと彼は言い放った。
それに、息を吹き返したのは監督官だった。
『アルヴァン、試験は良いから早くご両親の元へ』
『…でも、両親は…ぼ、ぼくが、学園に…』
『サティ、僕が学園は何とかして見せる』
安請け合いも程々にしろ、お前に何の権限があるんだと、言える者は居なかった。
何故ならモーリス以外、サティに駆け寄る者は誰一人と居なかったからだ。
外野が何を言おうと野次でしかない。
良いから早く両親の元に行け!と内心でせっつく生徒程、未だ立ち上がれないサティから苛立ち気に目を逸らした。
監督官とモーリスに両脇を支えられながら、力無く、覚束ない足取りで、何とかサティは教室を後にした。
結局その試験科目については一律で全員配点を失くし、モーリスが戻り次第実施された他の科目のみで採点が行われた。
また、幸いにもサティの両親は大事に至らなかったと後日生徒には知らされたものの、彼は学園に来なかった。
学園に付随する寮に住んでいるのなら様子が伺えたものの、サティは王都住まいで実家から通っていた為、仔細を知る学生は多くなかった。
だからだろうか、口々に軽率な想像を吐き出し、彼の朧げな影へ投げつけた。
『最初の試験であんな事になって、なぁ』
『出だし最悪っつーか』
『前代未聞だろ、不運だよなぁ』
『俺でも心折れて学園辞めるわ』
同年代が集まれば同調意識が育つのか、ぐちぐちと陰湿な空気に浸り戯れる。
それがヒルデガルドは我慢ならなかった。
だが、サティに駆け寄れず、声も掛けなかった自分が周囲のざわめきを怒るのも不当であると分かっていた。
故に彼女は組担任のサーンス講師の元へ単独で向かった。
『サーンス講師、お願いがあります』
『デイビア君、どうかしたかい?』
入室し扉を閉めると、ヒルデガルドはそっと頭を下げる。
『私が口を出す問題では無いと重々承知しております。
しかし、同じ門戸を潜った学友。
入学式を終えた時点で彼は、サティ・アルヴァンは私の同輩です』
『君はアルヴァン君と誼が?』
『いえ…私は彼の声も知らず、また苦しみも未だ知りません』
あの時教室で、一時的に動きを止めてはいたとしても彼は監督官で組担任講師。
学生の動きを目端で捉え観察するのが仕事だ。
誰がどう動いたのか、もしかしたらその表情までもしかりと把握していたのかもしれない。
『そうだろうね、私達も悪戯に話を広げるつもりは無いから』
『埒外の暴言だと、見せかけの善意とは存じております。
それでも、どうか彼に再度、試験を受ける機会を設ける事は叶いませんでしょうか?』
『試験、試験ねぇ』
皮肉気にサーンス講師は口元を歪め、机上に積み上げられた用紙の山をペン先でつつく。
答案は出揃っているのに、未だ成績発表が行われない意味をヒルデガルドなりに考えたのだ。
きっと講師陣、学園側は、サティ・アルヴァンの回答を待っているのだ、と。
『君はどうしてアルヴァン君に態々試験を受けさせようと考える?』
『彼の時間は、あの時、試験の合間で止まったままでないかと愚考しました』
『成程』
『サーンス講師、彼は正しく入学試験を合格し、この学園へ足を踏み入れました。
ご両親の応援や期待もあったかもしれませんが、彼が、サティ・アルヴァン自身がそれを望んだのです。
私は彼のその意思を、学びたいと願う同胞の願いを、どうか捨て置かないで頂きたいのです』
とん、と硬質な音が静寂の中に落ちる。
数秒の間がやたら長く感じられた。
『君がこの答案用紙の採点を手伝ってくれたら、許可しよう』
何時の間にか落としていた視線をヒルデガルドが上げた先、サーンス講師は苦笑しながら数枚の紙を片手にひらひらと振って見せた。
『実はね、既にアルヴァン君の回答は貰ってきているんだ。
私と、ラゲール君…モーリス・ラゲール君でね』
『!』
『さぁ、正答用紙はこちらだ』
『はい!』
そっと見せられたサティの回答用紙をヒルデガルドの眼が追う。
一目見ただけでも残念な事にいくつか間違いが見受けられた。
それでも、彼は自分で考えて、答えを出す力はあるのだと知れただけで胸がいっぱいになった。
良かったと安堵しつつも、何でもっと早く顔を見せないのだという苛立ちが綯い交ぜになるも、口元は自然と緩み採点するペンの進みも捗る。
(あ、この問題、私も悩んだものだわ)
論述の一問はヒルデガルドも悩み、ほんの少し自信が無かった問題だ。
それはサティも同じなのか最後に回し時間切れとなったのか、文章が途中で終わっている。
ただ、やはりサーンス講師に渡された正答用紙は、整った字で欄を理路整然と納得できる論で埋められており、それをつい成程なとまじまじ眺める。
『これを入学してすぐに解く子が居るとはねぇ』
『え?』
サーンス講師の呟きに、少女は用紙から視線を上げた。
彼の手には他の科目の回答用紙があった。
それが、ヒルデガルドのものでも、ましてサティのものでもないと、何故か思えた。
文字を追い眺める講師の瞳はどこか楽し気で、期待に満ちていた。
『キミの好敵手は、相当手厳しそうだよ?』
インクで汚れた爪先がヒルデガルドの手元、正答用紙の一画を指し示す。
そこに綴られた名前を見て、息を呑んだ。
初めて目にした彼の字は、壇上での佇まいよりも、穏やかで、そして秀麗であった。




