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15/22

15:その意地が飛ぶ力を与えた


「あれ」


談話室の扉を外に開いたモーリスが声を上げ、足を止めた様子にヒルデガルドが小首を傾げる。

彼の肩から廊下を覗き込むも何も見えない。

が、モーリスの横に出てその視線を追うと扉の横、壁に背を預け座り込んでいる小さな姿が見えた。


「セシーどうしたの」

「リースお兄さま達が、談話室でお話するって聞いて…」


短くはない時間座り込んでいたからだろう、少しぎこちない動きでセシルは立ち上がり、制服の裾を所在なさげに握り締め俯く。

懐いている師が喧しい女と二人きりで籠る事を心配でもしていたのだろうが、完全に濡れ衣である。


ただ、ヒルデガルドは冷やして多少マシになったとは言え目元はまだ赤味が残り、化粧が剥げているのは女性から見れば一目瞭然で何かしらあった事は誤魔化せない。


(此処で私が下手に声を掛けると顔見られるし、さっさと退散しよ)

「じゃあねモーリス」

「うん、ありがとうヒルデガルド」


あれ、と思い、踵を返し損ねた少女が目線だけを男に寄越す。

彼は普段通り穏やかに微笑んでそこに立っていた。

それが何だか気に障って、ヒルデガルドの眼が自然と半目になるのを見て、静かにモーリスが言い直す。


「またねヒルデガルド、さん」

「…あの!」


今度こそ帰ろうとした歩き出した彼女を引き留めたのは、愛らしい声だった。


(そりゃ引き留めるわなー、あーあダルぅ)


二人きりの談話室での時間、泣いたであろう女の顔、急に変わった呼び名。

モーリスを慕うセシルから関係を疑われて尤もであろう。

しかしヒルデガルドもモーリスも別に何も関係は変わっていないし、叩いたところで埃も出ない。


少女は売られた喧嘩は買うタイプだ。

しかしそれは自己研鑽になり得る切磋琢磨である事が前提である。

フロイディヒ魔導学園に、にゃんにゃんしに来た訳じゃないのだ。


(この男、厄介ごとを押し付けてきたんじゃ)


足を止めるも無言のまま、少しだけ顔の角度を変える。

ヒルデガルドからはセシルの姿は見えないし、相手からも少女の表情は窺えないだろう。


「あの…デイビア、先輩」

「何かしら、セシル・レミック」


どうしたって声が冷ややかになるのは仕方が無いだろう。

勉学の為に来たと言い張った割に、こうしてわざわざ談話室の前で待ち構えて、密会相手を捕まえてしまうほどにモーリスを恋い慕うのを止められない彼女を可愛らしいとは思う。

でもその恋煩いを関係ないヒルデガルドに向けないで欲しい、切実に。

ぶつけるならそこでのほほんと微笑んでいるであろう男にぶつけてくれ。


そうヒルデガルドが考えているのを分かっているのか、分かっていないのか、彼女は間を持って静かにもう一度少女の名前を呼ぶ。


「デイビア先輩、わ、わたしも、お話…あって」

「はー…」


思わず溜息が零れ肩が落ちる。

ヒルデガルドは振り返り、祈る様に此方を見上げる少女を睥睨する。

若葉色の瞳は震えるも真っ直ぐに少女を見据え、薄桃色の艶やかな唇がきゅっと結ばれていた。

何とも庇護欲を誘う健気な姿だ、素晴らしい。

向けられる側としては堪ったもんじゃないが。


「モーリスも聞くんでしょうね」

「え?僕も?」

「当事者でしょう、何言ってんの」


呆れた視線を横に投げるも、彼は本気で何故自分も引き留められるのか分からないと目を瞬かせた。

薄々感じていたがこの秀才は色恋沙汰には朴念仁なのだろうか。

好敵手の知りたくもない一面を目の当たりにして、ますますヒルデガルドの気持ちは削がれる。


「セシー、僕も居た方が良い?」


しかもこの男、本人に聞いてやがる。

呆れて物も言えないヒルデガルドを他所に、モーリスの言葉にセシルは首を横に振った。


(そりゃそうだろーが!お前がポンコツか?!)

「リースお兄さまは教室で待っていてくれませんか?

 終わったら、わたしが向かいますから」

「うん、分かった」


ぽんぽんと軽くセシルの頭をたたき、何故か当事者であるモーリスが先に廊下から立ち去る。

残された女二人は以前黙したまま人気のない空間で立ち尽くす。

その沈黙を破ったのは、先輩であるヒルデガルドだった。


「で、此処で話す?」

「あ…えっと、談話室に、入りませんか?」


使用終了の報告はわたしがしますから、とセシルはポケットから申請書を取り出してみせる。

わざわざ最初からモーリスとヒルデガルドの対話が終わってから使う事を考えて、手配していたようだ。

用意周到にも程があろうに。


もう文句を言う気概もないのか、ヒルデガルドは無言で再び談話室の扉を開いた。


「座る?」

「いえ、すぐに…終わらせるので」

「そう」


何か似たようなやりとりをしたなと思いながら、今度は窓も開けず陽が傾き始めた談話室の扉のすぐ傍に少女は背を預けた。

もうこのやり取りは別に聞こえたっていい、動くのも面倒だと言わんばかりの態度に、おたついたのは意外にもセシルの方だった。


「あの、暑くありませんか?」

「私は平気、窓開けたいなら開ければ?」


突き放すようなヒルデガルドの態度に何か思うところがあるのか、金糸雀は瞳を潤ませて唇を噛み締める。

如何にも「わたし泣き出します」と言わんばかりの表情を視界の端に認めながらも、大人げなく、少女の背は壁から離れる気配はない。


「…先輩」


そっと、白魚のような細い指がヒルデガルドの指先に触れ、思ったよりも力強く握られる。

僅かに動いた青紫色の瞳には、震えながらも毅然と注がれる大きな若葉色の瞳が見えた。


「わたしは、聞かれたくないんです」

「…分かったわよ」


握る力とは裏腹に、引く力は弱い。

その不安定さにヒルデガルドも配慮したのか、背を壁から重たそうに剥がし二人手を繋ぎ窓辺へ向かう。


夕陽が当たるセシルの横顔は、何とも絵になるなとそんな気の無い事を考えながら、言葉を待った。

じっとヒルデガルドを見上げる彼女の瞳は潤みが弱まったものの、赤味を帯びた若葉色は深みを増してどこか色気があった。


「先輩は、まだ、冒険者ギルドに登録していませんよね」

「そうね、それが?」

「…」


ふとセシルの視線が落とされる。

はく、と弱々しく唇が動いたと思えば、きゅっと強く結ばれる。

その一動を見つめながら、待つのも面倒だとヒルデガルドから口を開く。


「もう王都の冒険者ギルドに私が行く事は無いわ、安心して励みなさいな」

「…王都の、って事は、他の都市のギルドには、行くって事ですか?!それはダメ!!」


勢いよくセシルが顔を上げ、ヒルデガルドに喰ってかかる。

その威勢に押され、思わず少女は顔を仰け反らせた。


「お願いします!先輩は冒険者登録をしないで!

 わたしが…魔導祭を降りれば、しないでくれますか?」

「それじゃあ貴女が冒険者になった意味が無いじゃない!本末転倒よ!」


セシルは魔導祭に向けた魔導の実技訓練をする場所を学園外に求め、しなくてもいい冒険者登録をしたのだ。

なのにその前提である勝負の場に上がらないとなれば、彼女は何の為に取り消しの出来ない責を負ったというのか。


自身の命をあまりにも軽々しく扱う少女にヒルデガルドの臓腑が怒りで燃え上がる。

今度は、ヒルデガルドが喰らうように若葉色を覗き込む。


「冒険者になるっていうのはそんな軽々しい事じゃない!!!

 幼稚な意地を張るのもいい加減になさい!このポンコツ娘!!」


その声一つ一つが爆ぜるような勢いにセシルは開いた口が塞がらない。

ただでさえ大きな瞳を、これ以上無いほどに開いては、微かに唇を戦慄かせるだけだ。


「恋情の為に命を張ったと陶酔するのは貴女の勝手よ?!

 でもその道具に彼等の名を使うな!!彼等の誇りを冒涜する行為よ!!」

「っだって…!だって!」


激情の波に逆らえず、溺れるようにセシルが上擦りながら大粒の涙を零す。

しゃくり上げ子どものように顔をくしゃくしゃにして、拭う事もせずに幾筋もその頬を伝う熱を、ただヒルデガルドは見つめていた。


「わたし、あな、あなたに…かち、たくて…!」

「考え無し」

「だってぇ…!それ、しか思い、浮かばなかったぁ…!!」

「貴女の親衛隊で実技場を押さえて情報規制するとか、何かしら出来たでしょう、馬鹿」

「うぇぇぇえええぇぇん」


泣き方が子どものそれだ。

ヒルデガルドの怒りも萎む。

手を繋いだままで、わんわんと泣き出した後輩を仕方なしに、ヒルデガルドは自分のハンカチを取り出して顔を拭ってやる。


「人に聞かれたくない、の方向が予想外よ」

「うえっうえぇぇぇ…うぅ~」

「全く…何で私がこんな…ああもうほら、擦らない」

「うっうう…うみ゛ぃいいぃぃ」

「どっからそんな声出してるのよ」

「えっえ゛えぇぇ、えぇん゛っ」


こんな時保護者、いやお世話係のモーリスはどう慰めていたのだろうか。

ヒルデガルドは猛烈に先に帰った男を呼び出したくなった。

そう現実逃避をしながらも、とりあえず繋いでいた手を解かせて撫でようとしたが。


(この金糸雀、思ったより力つよぉ…)


指が抜けない。

乳幼児だってまだもっと可愛げがある握り方をするのに、セシルは死んでも離さないと言わんばかりの力でヒルデガルドの指先を握りしめている。

よくよく見れば青筋まで浮かんでいないか、このポンコツ。


拘束を解くのを諦め、ハンカチを彼女の目元に押し当ててそっと身体を寄せる。

華やかさだけでなくどことなく爽やかな香りのする金糸雀色の髪に鼻先を埋め、あやす様に呟く。


「もう貴女のポンコツさは手に負えないわ。

 モーリスにしっかり守ってもらえるように頑張りなさい、ね?」


そう告げるよりも早く彼女の泣き声が止まった。

怪訝に思いヒルデガルドがそっと身体を離すも、セシルはじっと俯いているだけだ。


「何が不服なの、私に言われるまでもないって?」

「……」


無言で俯いたまま、セシルがぷるぷると頭を振る。


「じゃあ何よ?もしかして自分はポンコツじゃないとか思ってる訳?」

「…」


それもまた、彼女はぷるぷると頭を振り、そのふわふわとした髪を揺らす。

せめて何か喋れと胡乱気な瞳をするヒルデガルドを他所に、彼女はだんまりを決めていた。

ただ、先程まで握りしめていた指先を、やっとそっと離して佇む。


「己の実力を認めるところから研鑽は始まるのよ、金糸雀」

「…はい」


やっとセシルは声を漏らし、首を縦に振った。

未だ覇気の足りぬ俯く彼女に溜息を漏らし、ヒルデガルドは言葉を続ける。


「安心なさい、私は今後も冒険者登録をするつもりはないから」

「!」


勢いよく顔を上げたセシルの、ぐしゃぐしゃに泣き腫らした後ながらも、どこか力強い若葉色の瞳を見て少女はそっと微笑みを浮かべてみせる。


「決断を後悔に変えない為に精々努めなさい。

 誇りでも、愛しい者でも、貴女が守りたいものの為に」


濡れた睫毛を震わせて少女が静かに、しっかりと頷く。

上出来だと笑うヒルデガルドに、セシルも頬を染めて華やかな笑顔を浮かべて見せた。


「わたし…強く、なりたいんです。

 貴女に誇れるくらい、リースお兄さまを守れるくらいに」



 先程までの大泣きが嘘のように明るく軽い足取りで廊下を去って行くセシルの細い背を見送り、ヒルデガルドはそっと肩を落とした。

談話室に入り前までは、如何に面倒臭い話を聞かされるのかと辟易していたが、思いの外ただ健気で要領の悪い後輩の世話をしたに過ぎなかった。


(こういうところをモーリスも放っておけないのかしらね)


彼の心持ちを分かったような、かといって半端にぶら下げているのも何か違うような釈然としない、もぞもぞとした不和を抱えながら少女は踵を返す。


向かう先は閉館間際の図書館だ。

そうして彼女は戦闘用魔導具、特に障壁に関する書物が収められた書棚にまっすぐ向かい、数冊の書籍を借りて寮の自室へ帰って行った。



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