第四章 ジェーンの問い
近所の住人が通りがかって挨拶をしてきたのを機に、五人はひとまず家の中の居間へと場を移した。このまま外にいて人の目についてはまずいと、五人とも考えたからだ。
そして現在、居間は耐え難い沈黙に包まれていた。その沈黙を破ったのは、これまでリックとジェーンと共に過ごしてきたほうのマリアだった。
「あの……これはどういうことなのか、あなたたちに心当たりがあるなら教えてくれない?」
その言葉に、リックも、ジェーンも、バウムもしばらく何も言えなかったが、とうとうリックが口を開いた。
「わかった……話すよ……」
そうしてリックは母マリアに真実を告げた。マリアが事故で既に一度死んでしまったこと。マリアの死の悲しみに耐えきれず禁忌の魔術に手を出してよみがえらせたことを。
話し終えたリックがバウムと、バウムが連れてきたマリアに目を向ける。
「俺も同じだ……」
バウムが告げたのはだいたいリックが察していた通りの内容だった。あの日、マリアの死を知り、ショックを受けたバウムは宮廷魔術師としての職を放り出し、ずっと一人でマリアの蘇生の方法を探し求め、そして成功させこうして子どもたちの前にやってきたのだという。
妻の死への悲しみのあまり我が子らすら放置するこの男は父親失格だと思うが、それはそれとして、それだけ深く母のことを深く愛していたことに関しては悪い気がせず、リックは複雑な気分だった。
「「そんな……」」
二人のマリアが、どちらも青ざめて、二つの唇で全く同じ言葉を漏らす。自分が既に死んでいたこと、夫と子供たちが禁忌とされる魔術に手を染めていたこと、今の自分がその禁忌の魔術によってよみがえらされた存在であること。二人のマリアのショックは計り知れなかった。一方はふらりとよろめき、リックが慌ててその身体を支え、もう一方は、ただ口元を両手で覆い、静かに涙を流した。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した二人は、顔を見合わせた。そして、まるで示し合わせたかのように、静かに頷きあうと、夫と子供たちに向き直った。
「……受け入れるわ」
一方のマリアが告げた言葉を、もう一方のマリアが引き継ぐ。
「あなたたちが、わたしの……わたしたちのためにそれほどの罪を背負ってくれたというのなら。その思いに応えないとね」
リックもバウムも、ただ頭を垂れることしかできなかった。
その夜、家族は一つの結論に達した。
このままではいけない。同じ顔の女性が二人いることは、いずれ周囲に知られ、破綻をきたすだろう。
「……双子だった、ということにするのはどうだろうか」
バウムが提案した。
「マリアには、世間に知られていない双子の姉妹がいた、と。そう説明すれば……」
だが、その提案は、新たな問題を浮き彫りにした。
「じゃあ、どっちが『マリア』と名乗り続けるの?」
ジェーンのその問いに、誰もが黙り込んだ。
どちらかが「マリア」であり続ければ、もう一方は「マリアではない誰か」にならなければならない。それは、どちらかが本物で、どちらかが偽物だと、暗に決定づけるようなものだった。
二人のマリアは、黙って互いの顔を見つめている。その瞳には、言いようのない悲しみが浮かんでいた。自分という存在が、揺らいでいる。自分は、一体、何者なのだろうか。
長い、重苦しい沈黙が続いた。
やがて、二人のマリアは、再び同時に口を開いた。
「「私が、名前を変えます」」
互いに譲り合おうとする姿が、余計に場の空気を痛ましくさせた。
最終的に二人とも名前を変えることになった。どちらか一方が「マリア」であり続けようとするから「マリアでない何者か」が生まれることになるのだ。であれば、二人とも名前を変えてしまえばよい。マリアという名前は、この日を以て捨てる。一人は「サリナ」に、もう一人は「テレサ」という名前とすることになった。
もちろん「マリア」という名前を捨てることはつらい。だが、これ以外の良案がだれにも思い浮かばなかった。
さらに、この町を離れ、誰も彼らを知らない、もっと遠くの土地へ移り住むことも決まった。
荷造りを終えた夜、ジェーンは、眠れないまま兄の部屋を訪れた。
リックは、窓の外の暗い湖面を、ただじっと見つめていた。
「兄さん……」
ジェーンがか細い声で呼びかけると、リックはゆっくりと振り返った。その蒼い瞳は、どこまでも深く、暗い。
「……眠れないのか」
「うん……」
ジェーンは兄の隣に寄り添うように立った。二人とも疲れ果てた顔だった。
「ねえ、兄さん……」
ジェーンは、ずっと胸につかえていた、最も恐ろしい質問を、震える声で口にした。
「どっちが……どっちが、『本当のお母さん』なの……?」
その問いに、リックは答えられなかった。
兄の答えられない沈黙が、ジェーンには何よりも雄弁な答えに聞こえた。
もう、どこにも「本当のお母さん」はいないのかもしれない。
暗い湖の上を冷たい風が吹き抜けていった。
グロウリー一家の終わりなき旅が始まろうとしていた。




