第91話:大田 秀介
搭乗ゲート前。
ロビーの喧騒が遠のき、俺たち三人の間だけが異様に静まり返っていた。
由佳が泣きそうな瞳で、まっすぐに俺を見つめていた。
※※※
「……秀介は、本当に女性の愛って分かっていないよね」
その声は震えていた。
「口づけくらい……雰囲気でしてしまうことだって時にはある。
でも、美沙さんは、ずっと、あなたを本当に愛していた。今も愛している。
同じ女として、私には分かるの。
だから――赦してあげて」
胸の奥で、何かが軋んだ。
由佳は続けた。
「……でもね、秀介が納得できない部分があるのも分かるよ」
そう言うと、彼女は涙を滲ませながら、一歩俺に近づいた。
そして――突然、俺の唇に触れた。
息が止まった。
熱いものが流れ込んで、全身が硬直した。
由佳の頬を涙が伝い落ちていく。
「……ほら、これでお相子」
かすれた声でそう告げる。
「あなたも他の女と口づけした。だから、もう美沙さんを責める資格は、秀介にはないよ……」
嗚咽が混じっていた。
俺は何も言えなかった。
※※※
由佳はゆっくりと振り返り、美沙の方を見た。
「ねぇ、美沙さん」
声は涙で震えながらも、真っ直ぐだった。
「もう二度と、秀介を離さないで。この人は……自分から手を握ることすらできない、不器用な人だから。私の手も――遂に一度も握ってくれなかったんだよ。
でもね――それでも秀介は、私たちの……私のスターなの」
堪えていた涙が、ついに由佳の頬を濡らした。
「だから、そんな私のスターだった秀介を……せめて奥さんとして幸せにしてあげて
それができるのは、あなただけなんだから」
美沙の肩が震えていた。
彼女も泣いていた。
由佳はさらに言葉を重ねた。
「今度こそ……秀介と幸せになって」
※※※
そして由佳は、俺を振り返った。
その瞳に、最後の光を宿して。
「……秀介。私、本当にあなたを愛していました」
嗚咽で途切れそうになりながらも、強く言った。
「でも……そんなあなたが、美沙さんのお腹の新しい命を、放っておけるはずない。
だから――私だけ、日本に帰ります」
「由佳……!」
咄嗟に手を伸ばした。
だが彼女は首を振り、震える声で告げた。
「さよなら」
俺の手を振り切り、由佳は駆け出した。
涙で顔を歪めながら、搭乗ゲートへと走り去っていった。
※※※
残された俺は、立ち尽くした。
美沙は泣き崩れ、沙奈がその手を握っていた。
喉の奥が焼け付くように痛む。
由佳の残した温もりが、唇に、胸に、突き刺さったまま消えない。
俺は空港のざわめきの中で、世界から切り離されたように立ち尽くしていた。




