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第7話:街丘 由佳

 喫茶店の窓際の席に、私は一人先に座っていた。

 薄いカーテン越しに射し込む午後の光が、テーブルに落ちる。学生時代から何度も一緒に来たはずのチェーン店なのに、その日だけは別の場所のように思えた。


 やがて秀介が現れ、ぎこちなく椅子を引いた。

 スーツ姿がすっかり板についている。電報堂デジタルで働き始めてから、もう五年。あの研究室で夜を徹して議論していた青年の面影は、遠く霞んでいた。


 カップに注がれたコーヒーの湯気の向こうで、彼は唐突に切り出した。

 「親父が……オレの結婚する姿を見たいって言うんだ」


 言葉は淡々としていた。事務的ですらあった。

 私は一瞬、返事に迷った。口を開けば、思ってもいない言葉を吐き出してしまいそうだったからだ。


 研究室の頃、私たちは「付き合っている」とは言えない程度の本当に曖昧な関係だった。デートのように映画を観に行ったし、夜遅くまでファミレスで語り合ったこともあった。けれど彼はいつも慎重で、臆病なくらい距離を詰めようとはしなかった。そのもどかしさに苛立ちながらも、私自身も踏み込む勇気はなかった。手も一度も握ってくれなかったのだから。

 ――だから、あの関係は「確認されることなく終わる」と信じていた。


 なのに彼は今、目の前でその終わりを言葉にしたのだ。


 「そうなんだ……きっと、そうしたほうがいいんだと思う」

 精一杯の笑顔を作りながら、そう答えた。声は震えていなかったはずだ。だがカップの取っ手を握る指先は白くなっていた。


 秀介は「だよな」とうなずき、それ以上何も言わなかった。

 私たちはそれからしばらく、他愛もない話。仕事の愚痴を交わした。まるで他人同士のように。


 きっとこの「終わり」をもう少しだけ先延ばしにしたかったのだと思う。だから、これまでに無いくらい、どうでもいい事を話していた。


 会計を済ませ、店を出たとき、私たちは軽く頭を下げ合って別れた。手を振ることもなかった。

 その一瞬が、私にとっては「決定的な儀式」だった。


 ――彼はもう行ってしまうのだな。

 頭では分かっていた。けれど、その事実が心に落ちてくるのは、数年後、もっと痛切な形で私を打ちのめすことになる。


 あの喫茶店で交わしたささやかな会話が、私の人生の分岐点だった。

 彼にとってはただの確認でも、私にとっては取り返しのつかない別れだった。


 最後に彼の後ろ姿を見ていた私の瞳から涙が流れていた事など、きっと彼は全く気づかなかったのだろう。


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