第87話:大田 秀介
次から次へと、名刺が差し出されていた。
ファウンダー、投資家、研究者――誰もが興奮した目をして、私の肩を掴み、熱心に話しかけてくる。
「ぜひ我が社と!」
「資金調達の枠はすぐにでも調整する!」
「コラボレーションの可能性をすぐにでも話したい!」
嵐のようなアプローチ。
笑顔で応じながらも、頭の奥がじんじんと熱を帯びていた。
※※※
そこに、彩花が姿を現した。
隣には栗田自動車の桑島部長、そして遥が並んでいる。
桑島が力強く握手を求めてきた。
「大田さん――ぜひ、あなたの Agentic Ad Companion を実装したコンセプトカーを、次回のキャンペーンの目玉にさせてください」
会場が一瞬、ざわめきに包まれた。
――栗田が、もう決めたのか。
「世界のクリタ」がいち早く採用を表明したという噂は、瞬く間に広がった。
投資家たちが互いに顔を見交わし、研究者たちはメモを取り、記者たちは一斉にシャッターを切る。
周囲の熱気はまるで地鳴りのようで、オレの立つ床まで震えているかのようだった。
※※※
彩花が、誇らしげに笑った。
「私ね、アーキテクチャを桑島さんに説明できるように、健太を散々質問攻めにしたの。
おかげで、もう完璧に理解しました」
「本当にさ、忙しいのにめちゃくちゃ迷惑だったぜ」
健太は、そうは言っても優しいんだよな。
「あんな難しいアーキテクチャ考えられる方が頭おかしいよ」
彩花らしい言葉に、思わず笑みがこぼれた。
――そうだ。彩花は、こうして支えてくれる人間なんだ。
きっと栗田の現場で、誰よりも強くこの仕組みを回してくれるだろう。
※※※
それでも、アプローチは止まらなかった。
次から次へと人波が押し寄せる。
その時、由佳がすっと前に出て、場を収めた。
「ミスター大田に、少しご家族とお話する機会をください」
英語での丁寧な声。
すると場が不思議と静まり、周囲が一歩引いた。
由佳の存在が、今の私の盾でもあり、矢でもあるのだと実感する。
※※※
そして――そこに、美沙がいた。
沙奈の手を握り、静かに立っている。
胸が詰まった。
「……沙奈も、つれてきていたのか。びっくりしたぞ」
沙奈は照れ笑いを浮かべて、私の足に抱きついた。
その無邪気さが、余計に胸を締めつけた。
※※※
美沙との会話は、ほんの短いものだった。
「……日本に帰ったら、離婚届を出しておきます。
だから――秀介も幸せになってね」
嗚咽まじりの声。
オレは一瞬、言葉を失った。
「……佐藤さんとは、話したのか?」
気づけば、口に出していた。
美沙は首を振った。
「……あの人を好きでも、なんでもない。少し憧れて、でもそれも幻想だった。
もう、電報堂の局長でもなくなって、地方に行ってしまったの……」
俯いたまま、ぽつりと続けた。
「でも、大丈夫。沙奈と……ううんっ、沙奈は――ちゃんと育てるから。だから安心してね」
その言葉は、決意というより、最後の祈りのように聞こえた。
「もう二度と、こうして会えることはないかもしれないけど……」
小さな声で付け加えたとき、胸が痛んだ。
※※※
「明日、日本に帰ります」
そう言い残し、美沙は沙奈の手を引き、ホテルへ戻っていった。
オレはただ、その背中を見送ることしかできなかった。
ずっと横にいた由佳は、黙っていた。
けれどその横顔には、翳りが落ちていた。
まるで――聞いてはいけないものを聞いてしまった人の顔。
――世界は、動き出している。
だが、その陰で、失われていくものもある。
それでもオレは進む。
もう進むと決めたのだから。
オレはようやくオレになれたのだから。




