第81話:大田 秀介
由佳からは前日、メッセンジャーに連絡があった。
「サンフランシスコには前日に到着する。ただし他にも要件があるから、当日までは会えない」
そういう内容だった。
――ありがたい。
最後まで集中して準備に没頭できる。
由佳はそういうことまで気を回してくれる人だ。だからこそ、彼女の存在が今のオレを支えている。
※※※
さらに彩花からもメッセージが届いた。
栗田自動車の開発部や広報部のメンバーと共に渡米するという。
数日前、プレゼンで披露する仕組み――Agentic Ad Companion の概要を、彼女にサラッとメールで説明していたのだが、返ってきたのはこんな調子だった。
「難しすぎて、もう私なんかじゃ分からないから、全部健太に質問する(怒」
思わず笑ってしまった。
確かに裏側のアーキテクチャを理解するのは簡単じゃない。だが、本当に大事なのは「人にどう伝わるか」だ。
この仕組みのシンプルさは、必ず誰にでも届く。
彩花のように現場を駆ける広告のプロが、その直感で理解してくれるとオレは信じていた。
※※※
ただ――。
心の奥には、別の痛みが重く沈んでいる。
数週間前、アメリカのニュースメディアで高岡香里の自死を知った。
AdTechの犠牲になった日本の若い広告マンという記事になっていたからだ。
記事の見出しを見た瞬間、呼吸が止まった。
あのいつも真剣で、無茶なクライアントの要求にも必死に応えようと走り回っていた香里が。
――もう、この世にはいない。
由佳や彩花に、すぐにでも打ち明けようと思った。
メッセンジャーを開いて、文章を打ちかけては、しばらく考え、そして削除した。
言ってしまえば、また二人を悲しませ、心配させるだけだと思ったから。
結局、送信ボタンを押すことはなかった。
※※※
けれど香里の死は、オレの中で決して無視できるものではない。
だから――プレゼン資料の裏表紙に、こう記した。
《私は、世界を変えるのは、技術そのものではなく、人の思いが宿った技術だけであると信じています》
そして、
《この資料を、私を諦めずに支援してくれた街丘由佳さん、高瀬彩花さんに捧げます。
そして、かつて一緒に仕事をした高岡香里さんの死に、心からのご冥福をお祈りいたします。
この仕組みの実現によって、こうした悲劇が少しでも減る、新しい世界の到来を願わずにはいられません。》
こう書き加えた。
文字にして、ようやく心が少しだけ静まった。
これは自分のための祈りであり、同時に未来への誓いだ。
※※※
オレは新しい世界に踏み出す。
その傍らには、きっと由佳がいてくれる。
彩花と一緒にビジネスの現場で仕組みを回していく。
そして健太が、変わらない相棒として隣にいる。
日本から直人も、それから母も妹も応援し続けてくれるだろう。
過去はもう取り戻せない。
けれど未来は、ここから始められる。
――いよいよだ。
胸の奥で静かにそう呟き、最後のスライドに視線を落とした。




