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第68話:大田 美沙

 ――秀介、どこにいるの。


 気がつけば、そればかりを考えていた。

 探しても、探しても、どこにもいない。

 それでも諦めきれなかった。せめて、お腹の子どものことを知らせたい。


 もう離婚でもいい。

 家庭が壊れてしまうなら、それでもいい。

 だけど――お願いだから、生まれてくる赤ちゃんを、一度でいいから抱いてほしい。

 それが今の私に残された、唯一の望みだった。


※※※


 会社に行くと、電報堂の空気は重苦しかった。

 栗田自動車の件で、営業第2局はすっかり窮地に追い込まれている。

 誰もが苛立ち、疲れ果て、目の下に隈をつくって働いている。


 その中で、私は――守られていた。

 副社長の娘だから。

 誰も面と向かっては叱責しない。

 佐藤にしても、周囲にしても、ただ「大丈夫か」と声をかけて終わり。

 まるで壊れ物のように扱われていた。


 「……本当に、そうなんだ」

 心の奥で呟いた。


 たとえば同じ営業第2局の高岡さん。

 あの人は、もうボロボロになっていた。

 クライアントの無理難題に必死で応えようとして、寝る間も削って、食事も忘れて、身体を壊しそうになりながら働いている。

 それでも報われず、案件を落とせば厳しい叱責を受ける。


 ――私は、そんな現場を見ていながら、ずっと優遇されていたんだ。

 秀介と結婚してからも、父の娘としても。

 「副社長の娘」という肩書が、ずっと私を守ってくれていた。


 その事実がようやく少しだけ、理解できた。

 そして同時に、胸の奥からどうしようもない後悔が込み上げてきた。


※※※


 ――私は、酷い妻だった。


 秀介がどれだけ無理をしても、私は「当たり前」だと思っていた。

 遅く帰ってくれば不満を漏らし、休日にパソコンを開けば顔をしかめた。

 彼の苦しみを見ようとせず、自分の孤独ばかりを数えていた。


 佐藤に心を揺らしたのも、結局は私の弱さだった。

 そしてその弱さが、取り返しのつかない亀裂を生んだ。


 もしあのとき、もっと秀介を信じて、もっと彼を抱きしめてあげられていたら。

 もしあのとき、彼がどんなに仮面をつけていても全身全霊で私が寄り添えていたら。


 「……ごめんなさい」

 声が震えた。誰もいない部屋で、膝を抱えて泣いた。


 お腹に手を当てる。

 ――この子だけは、絶対に守らなきゃ。

 そしていつか、秀介に抱いてもらわなきゃ。


 それが赦しになるとは思わない。

 でも、せめて。せめて最後に、それだけは叶えたい。


 涙で滲む視界の中で、私は何度もそう祈った。


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