第66話:高岡 香里
翌朝、彩花さんからメールが届いていた。
――返信が来た。少しだけほっとした。
〈もうデジタルには頼らない方がいい。複数ベンダーを同時に使って間に合わせるしかないと思う。〉
冷静で、現実的なアドバイス。
だが同時に、それは私には酷な注文でもあった。
彩花さんは元々理系、それどころは秀介さんと同じ研究室にいて、IT技術に通じているし、現場で修羅場を潜ってきた経験もある。ベンダーをコントロールして、条件交渉し、納期を調整し、成果物を引き出す――そういう力がある。
でも私は違う。
私は営業としてクライアントに寄り添い、案件を拾ってくることは出来る。けれど、ITの細かい仕様やシステムの挙動に精通しているわけではない。
複数のベンダーを同時に回すなど、考えるだけで胃が縮むような重圧だった。
それでもやるしかなかった。
秀介さんがいた頃は、私が持ち込む無理難題を、あの人が全部受け止めてくれた。
「分かりました」――そう言って、深夜までパソコンに向かい、休日も会社に来て、私が抱え込んでしまった重荷を軽々と持ち上げてしまった。
でも、もう彼はいない。
※※※
私は震える指で、名刺ホルダーを繰った。
かつて一度だけ顔を合わせたことのある下請けの小さなベンダー。ネット広告を得意とする中堅代理店。開発会社。――片っ端から電話をかけ、メールを送り、頭を下げた。
「どうか、今回だけでも助けてください」
「予算は限られています。でも、なんとか形にしたいんです」
声は擦れ、喉は痛んだ。
昼食を取る暇もなく、夜になってもオフィスに灯りを残したまま、私は机に張り付いた。
それでも、クライアント案件は一つ、また一つと失注していった。
精一杯手を伸ばしても、届かない。
佐藤局長の叱責が、その度に飛んできた。
「君は一体、何をしているんだ」
「努力は分かる。でも結果がすべてだろう」
――分かってます。
結果がすべて。そんなこと、誰よりも私が痛感している。
けれど。
美沙さんはどうだろう。
彼女は職場で悄然と俯き、ほとんど何もしていない。
それでも周囲は誰もが彼女を気遣い、「無理しなくていい」「休んでいて大丈夫」と声をかける。
その優しさと、私に向けられる苛烈な叱責。
あまりの格差に、胸の奥が冷たくなった。
※※※
それでも、私は諦めなかった。
何度も、何度もデジタルに足を運んだ。
「無理です」
「今の状況では対応できません」
何度突き返されても、食らいついた。
そしてようやく――一つだけ、条件付きで受けてもらえる案件が決まった。
秀介さんから、あたなの事をよろしくと引き継ぎされていたから、何もしない訳ではないの、という言い方をされた。
また秀介さんに助けてもらった。
帰り道、外の空気を吸った瞬間、涙がにじんだ。
……まだ、やれる。まだ終わってない。
※※※
だがオフィスに戻れば、すぐに現実が待っていた。
机の上には、次の企画書の山。
ベンダーからは進行中案件の報告メールがひっきりなしに届く。
「確認してください」「指示をお願いします」――どれも今すぐ返さなければならない。
時計は深夜を回っていた。
同僚たちが帰ってから、すでに何時間経ったのか分からない。
頭は朦朧としている。けれど、眠るわけにはいかない。
私はコーヒーで胃を焼きながら、キーボードを叩き続けた。
指先がかすかに震えているのは寒さのせいではない。
「まだ大丈夫、まだいける」
そう自分に言い聞かせながら、目を擦った。
夜明けが近づいている。
それでも眠ることはできなかった。




