表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/98

第66話:高岡 香里

 翌朝、彩花さんからメールが届いていた。

 ――返信が来た。少しだけほっとした。


 〈もうデジタルには頼らない方がいい。複数ベンダーを同時に使って間に合わせるしかないと思う。〉


 冷静で、現実的なアドバイス。

 だが同時に、それは私には酷な注文でもあった。

 彩花さんは元々理系、それどころは秀介さんと同じ研究室にいて、IT技術に通じているし、現場で修羅場を潜ってきた経験もある。ベンダーをコントロールして、条件交渉し、納期を調整し、成果物を引き出す――そういう力がある。


 でも私は違う。

 私は営業としてクライアントに寄り添い、案件を拾ってくることは出来る。けれど、ITの細かい仕様やシステムの挙動に精通しているわけではない。

 複数のベンダーを同時に回すなど、考えるだけで胃が縮むような重圧だった。


 それでもやるしかなかった。

 秀介さんがいた頃は、私が持ち込む無理難題を、あの人が全部受け止めてくれた。

 「分かりました」――そう言って、深夜までパソコンに向かい、休日も会社に来て、私が抱え込んでしまった重荷を軽々と持ち上げてしまった。

 でも、もう彼はいない。


※※※


 私は震える指で、名刺ホルダーを繰った。

 かつて一度だけ顔を合わせたことのある下請けの小さなベンダー。ネット広告を得意とする中堅代理店。開発会社。――片っ端から電話をかけ、メールを送り、頭を下げた。


 「どうか、今回だけでも助けてください」

 「予算は限られています。でも、なんとか形にしたいんです」


 声は擦れ、喉は痛んだ。

 昼食を取る暇もなく、夜になってもオフィスに灯りを残したまま、私は机に張り付いた。


 それでも、クライアント案件は一つ、また一つと失注していった。

 精一杯手を伸ばしても、届かない。

 佐藤局長の叱責が、その度に飛んできた。


 「君は一体、何をしているんだ」

 「努力は分かる。でも結果がすべてだろう」


 ――分かってます。

 結果がすべて。そんなこと、誰よりも私が痛感している。


 けれど。


 美沙さんはどうだろう。

 彼女は職場で悄然と俯き、ほとんど何もしていない。

 それでも周囲は誰もが彼女を気遣い、「無理しなくていい」「休んでいて大丈夫」と声をかける。

 その優しさと、私に向けられる苛烈な叱責。

 あまりの格差に、胸の奥が冷たくなった。


※※※


 それでも、私は諦めなかった。

 何度も、何度もデジタルに足を運んだ。


 「無理です」

 「今の状況では対応できません」


 何度突き返されても、食らいついた。

 そしてようやく――一つだけ、条件付きで受けてもらえる案件が決まった。

 秀介さんから、あたなの事をよろしくと引き継ぎされていたから、何もしない訳ではないの、という言い方をされた。

また秀介さんに助けてもらった。


 帰り道、外の空気を吸った瞬間、涙がにじんだ。

 ……まだ、やれる。まだ終わってない。


※※※


 だがオフィスに戻れば、すぐに現実が待っていた。

 机の上には、次の企画書の山。

 ベンダーからは進行中案件の報告メールがひっきりなしに届く。

 「確認してください」「指示をお願いします」――どれも今すぐ返さなければならない。


 時計は深夜を回っていた。

 同僚たちが帰ってから、すでに何時間経ったのか分からない。

 頭は朦朧としている。けれど、眠るわけにはいかない。


 私はコーヒーで胃を焼きながら、キーボードを叩き続けた。

 指先がかすかに震えているのは寒さのせいではない。

 「まだ大丈夫、まだいける」

 そう自分に言い聞かせながら、目を擦った。


 夜明けが近づいている。

 それでも眠ることはできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ