第65話:高瀬 彩花
名古屋に滞在して数日。
驚いたのは、栗田自動車がこちらを迎える態度だった。
広報部だけでなく、開発部の幹部まで同席してくれる。
応接室の雰囲気は張りつめてはいるものの、私に対しては異様なほど丁重だった。
――正直、こちらが申し訳なくなるほどに。
「高瀬さん、この度はご足労ありがとうございます」
「キャンペーン時のご尽力、いまでも当社では高く評価しております」
口々にそう言われる。
かつて栗田の大型キャンペーンで奔走した日々が、彼らの記憶に残っているのだ。
私は背筋を伸ばしつつも、胸の奥が熱くなった。
※※※
ただ、電報堂本体のことを考えると、心苦しくもあった。
どうやったところで失った信頼は戻らない。
その事実を、私は一番分かっている。
だからこそ、思わず口が滑った。
「……ぶっちゃけ、私個人はもう栗田さんのお取り引きは難しいと思っています。ただ、仕事なので、お時間を取ってしまって本当に申し訳ないのですが、お許しください」
場の空気が一瞬止まり、それから笑いが広がった。
「正直でいいですね」
「いやぁ、そういうところが高瀬さんらしい」
空気がにこやかに緩む。
その瞬間だった。
開発部の役員が穏やかな声で切り出した。
「では、こちらも―ぶっちゃけで伺いますが……高瀬さん。大田さん――大田秀介さんの居所、ご存知ですよね?」
胸が強く跳ねた。
――やっぱり。
栗田が本当に関心を持っているのは、電報堂ではなく、秀介。
私は慎重に条件を出した。
「……一つだけお願いがあります。今から申し上げることは、絶対に“私から聞いた”と漏らさないでください。それが守れないなら、何も言えません」
幹部たちが互いにうなずく。
私は深く息を吸い込んだ。
「じゃあ、ここからは独り言です。大田は―大田秀介は、……今、シリコンバレーにいます。数週間後の Silicon Valley AI Paper Contest に出場される予定です」
その言葉を聞いた瞬間、開発部のメンバーが一斉に色めき立った。
「やはり……!」
「そうか……あの大田さんが……」
抑えきれない熱が室内に広がっていく。
――そう。やっぱり彼らが注目していたのは、秀介なのだ。
※※※
その場で、思いがけない申し出があった。
広報部の桑島部長が、真剣な眼差しでこちらを見据えた。
「高瀬彩花さん。もしよければ、我々と一緒に仕事をしていただけませんか?」
「……え?」
思わず聞き返す。
「あなたがいてくだされば、栗田には“新時代のテクノロジーを深く理解する広告マン”がいることになる。そして何より――大田さんとコンタクトできる方でもある」
言葉の一つ一つが、胸に直接響いてくる。
気づけば、心臓が速く打っていた。
――そうか。これが、新しい展開なんだ。
秀介がシリコンバレーで未来を拓いている。
その彼と、私が日本で繋がっていく。
胸の奥に抑えきれないワクワクが広がっていくのを感じた。
※※※
夜、ホテルに戻った。
スマホに未読のメールがいくつも並んでいた。
その中に、香里からの必死の相談もあった。
けれど、今の私の目には入らなかった。
画面を閉じ、下着だけになってベッドに身を投げ出す。
――世界はもう、大きく変わろうとしている。
そしてその渦中に、私もいる。
今日だけは秀介に抱かれている夢が見たい。
由佳に怒られるかもしれないけれど、たまには私が抱かれてもいいでしょ。
特に今日のような日だけは。
胸の奥が高鳴っていた。




