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第43話:大田 秀介

 襖の向こうで茶の湯が立つ音だけが、場の空気を辛うじてつないでいた。

 畳に正座し、オレは静かに言葉を探した。


 「……今日ここで、すべてを決めることは難しそうです。もう少し時間をかける必要があると思います」

 声は意識して抑えた。冷静さを保つことだけを心がけた。


 そのときだった。義母が顔を上げ、口を開いた。

 「……そんなに美沙と別れたいというなら、沙奈の親権はウチにしてくださいね」


 空気が一瞬で凍りついた。

 「お前はいきなり何を言っているんだ」

 義父が眉を吊り上げ、叱るように声を荒らげた。


 だが義母は引かなかった。

 「だって……秀介さんはもう美沙と別れると決めているみたいだし。だったら孫はウチで引き取った方が安心でしょう」


 「別れない! 別れないから! お母さんも黙っていてよ!」

 嗚咽混じりに、美沙が叫んだ。涙で顔を覆いながら。


 それでも義母は言葉を続けた。

 「その代わり、財産分与もなしで結構です。慰謝料も……娘の側にいろいろ問題があったみたいですし、今回は特別にナシで結構ですよ。どうせお金も無いでしょうし。孫さえ跡取りとして確保できれば養育費もいりません。それでどうかしら?」


 「お前、いい加減にしろ!」

 義父の怒声が響いた。畳が震えるほどの迫力に、義母は口を噤み、不貞腐れたように唇を尖らせた。


 沈黙が落ちる中、妹の声が震えながら響いた。

 「あの……美沙さん。……私は、私はあなたを許せません」

 その言葉は鋭く、真っ直ぐだった。

 「私は兄のお陰で大学まで出してもらえました。兄は本当に、私の、私たち家族の誇りなんです。それなのに……どうして、どうして兄を裏切るようなことをしたんですか?」


 美沙は顔を覆ったまま嗚咽し、声にならない声を漏らした。

 オレは静かに言った。

 「……止めるんだ」


 妹が驚いたようにオレを見る。

 オレは美沙の方へ視線を落とし、言葉を継いだ。


 「全部オレが悪いんだ」

 その声は、自分の胸の奥から絞り出すように低かった。

 「きっとオレが一番不誠実だったのはオレ自身に対してなんだろう。でも、美沙に対してもそうだった。だから美沙が淋しい思いを抱えたのなら、裏切ったのは美沙じゃない。……ずっとオレ自身だったんだよ」


 「そうじゃない……そうじゃないよ……」

 美沙が嗚咽混じりに縋るように声を上げた。

 「秀介……違う、全然違うの……」


 オレは彼女を見つめ、短く答えた。

 「……もう少し時間がかかっていい」


 それ以上の言葉は口にできなかった。

 畳に手をつき、義父母に深く頭を下げた。

 「娘を……よろしくお願いいたします」


 そのまま立ち上がり、障子を開けて外に出た。

 冷たい空気が頬を打ち、背後から美沙の嗚咽が遠ざかっていった。


 ――これは終わりではない。

 けれど、ここで全てを終わらせなければならない。

 そんな二つの思いが、胸の奥でせめぎ合っていた。


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