第41話:大田 秀介
玄関をくぐった瞬間、空気の重さに胸が沈んだ。
母と妹が後ろにいるのを感じながら、オレは深く息を吸った。
――もうやり直す。
ただしそれは、美沙との家庭をやり直すこととは限らない。
いや、むしろ一度全てを精算した方が美沙もまたやり直しができるのではないだろうか。これ以上、オレのような人間のために美沙の時間を費やさせるのは不幸だ。
そして、オレ自身の人生を、オレももう一度生き直して行かなければならない。
十年。
オレはずっと言ってみれば仮面のような何かをかぶり続けてきた。
父のため、家族のため、会社のため。
「誰かのために応える自分」を演じることでしか生きられなかった。
けれど、その仮面は美沙を孤独にし、寂しい思いをさせ、そして何より、オレ自身を押し潰してきた。押しつぶし続けてきたのだ。
だから今度こそ変える。
何かの為、誰かの為という言い訳を脱ぎ捨てて、今更ではあっても、本当の自分が望んでいるものに到達するための努力を、もう一度オレは進める必要がある。
その為には、先ず全てを精算する必要がある。
畳に座った美沙が、深く頭を下げた。
「……ごめんなさい」
震える声で、佐藤とのことをもう一度謝り、そして泣きながら言った。
「私はあなたを愛してる。本当に愛しているのは、あなたなの」
必死の言葉だった。
分かっている。美沙は本当にオレを愛してくれた。
そして、そんな彼女に対してオレは結局ずっと不誠実なままだったではないだろうか。だから佐藤との新しい人生を美沙には歩んでもらうべきではないだろうか。
それにも関わらず、このまま惰性のように彼女をつなぎ止めることは、愛ではない。それはもうオレによる美沙への支配のようなものだ。それは絶対許されない。
彼女にも彼女の人生を生き直してほしい――そう願う気持ちの方が強かった。
「……ありがとう。分かっている。だから……」
オレは美沙を見据えて続けた。
「もう、君を幸せにしてくれる誰か―それが佐藤さんであるなら彼と、君には幸せになって欲しい。もうこんなオレの為に君の時間を使わせたくないんだ」
「別れない! 絶対いや! 絶対別れないから!」
美沙は叫んだ。涙で顔を歪めていた。
胸が痛んだ。だがオレの決意は揺らがない。
「分かった。……何も今日、全部を決めようとは言っていない」
彼女を追い詰めないための方便に過ぎなかった。
心の中ではもう、答えを出していた。
少し間を置いて、別の話題を持ち出した。
「……沙奈は元気だったか?」
まるで「これ以上は語らない」と告げるように。
美沙が泣き崩れるのを見ながら、オレは静かに思った。
――これは逃げじゃない。
誰かのために仮面をかぶってきたオレを変えるための一歩だ。
そしてそれは、美沙にとっても、きっと必要な一歩なのだ。




