第35話:高瀬 彩花
会議室の空気が凍りついていた。
秀介の問いかけを受け、佐藤局長はしばらく沈黙していたが、やがて大きく息を吐き、口を開いた。
「……大田くん。君の質問には、正直に答えるべきだろう」
その声音には開き直りも虚勢もなかった。堂々とした響きに、私は思わず息を止めた。
「私は、美沙君を愛していた」
その言葉に、会議室の誰もがざわめきを飲み込んだ。
「だが、私には妻も子もいる。捨てることはできなかった。だから、一緒になることは最初から考えていなかった。……ただ、美沙君が側にいてくれて、仕事を一緒にできる時間、それが私にとっては唯一の幸せだった」
淡々とした告白だった。声は穏やかで、逆にその率直さが胸に突き刺さる。
「きっと、そういう私の彼女に向ける態度が、総じて―部下たちに伝わってしまい、彼女が独身のままでいた時期に、そういう“二号”や“愛玩具”みたいな呼び方に繋がってしまったんだと思うよ」
佐藤はそこで少しためらった後、更に続けた。
「肉体関係などはなかった。だが――一度だけ」
佐藤は視線を落とし、ゆっくりと続けた。
「今回、栗田自動車に最初にアプローチした時、名古屋への出張で……私は美沙君をホテルに誘った。実際にフロントの前まで行こうとした。……そして彼女に口づけをした」
私の心臓が跳ね上がった。
「その時、美沙の携帯に娘さんから電話が入った。……それで気持ちが削がれ、美沙君も我に返った。それっきりだ」
会議室に重苦しい沈黙が落ちた。
私は唇を噛み、拳を握りしめていた。
――美沙。
昨日、あれほど泣き叫びながら「何もない」と私に言ったじゃない。
必死に否定していたじゃない。
なのに、ここにきて「口づけ」はあったと白日の下にさらされた。
裏切られたのは誰よりも私だ。
私は、彼女の「妻としての必死さ」を信じかけていた。
――でも、それも嘘だったの?
怒りと失望で喉が焼けるようだった。
この期に及んでさえ、真実を語ろうとしない美沙に。
私はもう、赦すことができなかった。




