第34話:大田 秀介
美沙の涙が、頭から離れなかった。
――私はずっとあなたを愛しているのに。
その叫びは、オレの胸を抉った。
自分は、家族を大切にしてきたと思っていた。
父の願いを叶え、母と妹を守り、妻と娘を背負い、誠実であろうとした。
だがそれは本当に「守る」ことだったのか。
生きていくために必死に選んだ生き方を、切迫した状況が過ぎ去った後も惰性のように続けてきただけではないのか。
その結果、最も大切なはずの妻に、「辛かった」と言わせてしまった。
――結局、問題はオレ自身のあり方だったのだ。
そんな思いを抱えたまま、コンプライアンス委員会の査問に臨むことになった。
会議室の空気は重く、誰もが表情を固くしている。
オレの傍らには、今回のトラブルを一緒に見てきた―昨日の美沙とのやり取りも含めて―彩花がいる。
私は深く息を吸い、まず口を開いた。
「……昨日、夫婦で話し合いました。一旦、妻には実家に戻ってもらい、冷却期間を設けることにしました」
その瞬間、役員たちの顔色が変わった。
「まずいな」という無言の空気が走る。今回のトラブル、その過程で顕となった佐藤と美沙との関係性疑義を理由とした夫婦不和が、離婚等につながるようであれば、さらに電報堂の体面を傷つける。誰もがそう理解していた。
オレは続けた。
「一連の経緯については、拝見した報告資料に書かれている内容と差異はありません。その上で、この場をお借りして確認させていただきたいことがあります」
視線を正面に据える。そこに佐藤がいた。
彼は腕を組み、あくまで余裕を装っている。しかしオレの言葉を聞いた瞬間、わずかに眉が動いた。
「――妻は、あなたの“二号”や“愛玩具”と呼ばれ、嘲笑を受けました」
静かな声が会議室を刺す。
「昨日、彼女は必死に『そんなことはない』と弁解しました。……でも、実際のところはどうなのか。自分はあなたに直接お聞きしたい」
佐藤の顔に初めて影が差した。
オレはさらに言葉を重ねた。
「あなたの部下たちは、酒の席とはいえ、そうした言葉を軽々しく口にしていた。――言い換えれば、それはそういう雰囲気が実際にあったからこそ、言っても構わないと考えていたのではないですか?」
会議室の空気が張り詰め、全員の視線が佐藤に集中した。
オレはただ、その答えを待った。




