第32話:高瀬 彩花
私は言葉を選んでいた。美沙の目には、怒りと涙と、どうしようもない絶望が渦を巻いていたからだ。
そのときだった。
ずっと黙っていた秀介が、ぽつりと口を開いた。
「……佐藤さんと君との関係性というのは、実際問題どうだったの?」
美沙の肩がびくりと震えた。
その瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「そんなことはなかった! 本当に……そんなこと、絶対に……」
号泣しながら、必死に首を振っていた。
私は思わず視線を落とした。彼女の声には嘘はないと分かった。だが、その必死さが痛々しかった。
「私は……私はずっとあなたを愛してるのに……」
美沙は嗚咽の合間に叫んだ。
「なのに、なんでいつも自分を押し殺したような対応しかしないの? なんで家族のこと、私のことばかり優先して、自分のしたいことをしようとしないの? なんで……なんで私とちゃんと向き合ってくれないの?」
その言葉は、秀介を責めながらも、愛の裏返しのように聞こえた。私は胸の奥が痛んだ。
「美沙……」
思わず私は庇おうとした。「秀介は……」
だが、美沙が私を睨みつけた。
「そもそもなんで彩花さんが、秀介の代わりに答えるの? おかしいじゃない!」
声が裏返り、涙で濡れた顔が歪む。
「なんで彩花さんと由佳さん、―由佳さんがいつもいつもいつも出てきて! 私はずっと、本当に辛かった! 自分たちは“本当の秀介を知ってる”って、お前には分からないだろうって! そんなの酷いよ! ……本当に酷過ぎるよ!」
嗚咽に揺れるその叫びは、恨みと哀しみの塊だった。私は何も言い返せなかった。
長い沈黙ののち、秀介がふと顔を上げた。
「……あれ、沙奈は?」
美沙は涙声で答えた。
「……お母さんの家に……」
その瞬間、秀介の表情に影が落ちた。
「そうか……もう、終わりなのかもしれないな」
その呟きは、彼自身にも届いていないような淡い声だった。
「違う!」美沙が絶叫する。
「絶対別れない。絶対に別れないから!」
だが秀介は、ただ静かに答えた。
「……だとしても、お互い冷静になった方がいい。しばらく冷却期間を持った方が」
その言葉は、決定的な溝を部屋に刻み込んだ。私は息を呑んだまま、二人の間に立ち尽くしていた。




