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第1話:大田 秀介

 父が体調を崩して家業を畳む事になったのは、オレが大学4年の秋の事だった。


 父が経営していた小さな町工場に響いていた機械の音は途絶え、油の匂いだけが空気に漂っていた。作業台に腰を下ろす父の姿は、以前よりも小さく見えた。額の汗をぬぐう仕草に、かつての勢いはもうなかった。


 その様子を目の前にして、もう大学院に進むことはできないと考えた。研究室の教授に言われた「修士でお前の研究を深めろ」という言葉は、頭の中で何度も反響したが、父の姿を見れば答えは一つしかなかった。母の疲れた背中も目に焼きついて離れなかった。それにまだ妹がいる。


 妹はまだ高校生で、これから学資も必要となる。むしろオレが少しでも稼いで家計を助ける必要があるとすら思っていた。


 夢を続けたい気持ちは確かにあった。けれど、オレにとっては家を背負うことの方が重かった。大学院の試験自体は既に通っていたが、結局進学は諦める事になった。


 それでも心のどこかで、自分の力を証明したいと思っていた。研究者としての道を閉ざしても、別の道が開けるかもしれない。そう思って、人工知能の研究論文コンテストに懸けた。あの舞台に立てば、何かが変わると信じていた。


 結果はただ、現実を突きつけるだけだった。壇上で呼ばれることはなかった。スポットライトの外に立ち尽くし、足元から夢が崩れていく感覚だけが残った。


 仕方がない事ではあった。オレが提出していた論文は、まだ未完成の領域が多すぎた。ようやくニューラルネットワークのモデルが本格的に普及してきた段階において、そもそものベースモデルと、それを応用する自律駆動性の実現性を示すのは、無理があったのだ。そんな事はもうとっくに理解はしていた。


 それでも、将来性や革新性といった観点から、何らかの評価が得られるのではないかという一縷の望みを抱いていたオレ自身が、所詮は何も分かっていなかっただけだった。


 研究室に戻っても、仲間は大学院に行く準備に忙しくするか、あるいはもう就職を決めていて、さっさと卒業に向けて卒論の追い込みに入っていた。オレだけがその何れのルートからも外れたままだった。


 もう大学4年の年末になり、既に大学の就職課がサポートするのは1学年下の後輩達になっていた。すでに多くの企業は採用を締め切っていて、残っている枠など早々あるものではない。


そういう意味ではオレは大変幸運だったと思う。


電報堂デジタルという広告代理店の子会社は、本体である電報堂に就職している研究室の先輩の伝手による紹介で、ふつうなら望むべくもない大変ありがたい条件であった。内定辞退者が出てしまった為、新卒採用枠がまだ埋まっておらず、本当に幸運だったと言う他ない。父と母、それに妹の顔が浮かんだ。


 もちろん、それは研究者などではなく、ただの会社員としての採用になる。

 しかし、もう他に選ぶ道など存在しなかった。決めるしかなかった。


 これで良かったのだと、オレは自分に言い聞かせた。そして、オレの行く先を心配していた教授や先輩、仲間たち、健太や直人、彩花、そして由佳にもそう報告した。皆少なくとも表面的には喜び祝福してくれた。お祝いの飲み会も開催してくれた。


 ただ、由佳は2人なるとオレが本当に納得しているのかを随分心配してくれていた。今でもあの時の由佳の顔を時々思い出す。オレ自身、随分苦労してやっと飲み込んだ事を、たとえ由佳であっても、指摘されたくはなかったのだが、それでも由佳だけは納得していなかったのかも知れない。


 そして、それは後から考えれば正しかったのだ。


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