第25話:大田 秀介
二次会の居酒屋は、すでに酒と煙草の匂いが充満していた。
一次会で栗田自動車の幹部や佐藤局長が帰ったあと、残されたのは電報堂本体の営業数名と、彩花。そして、栗田の開発部の新人――村瀬遥も「もう少しお話を伺いたいです」と彩花に誘われ、ついてきていた。まだ二十代前半、社会人としては初々しいその姿は、この場の荒れた空気に場違いなほど清らかだった。
ジョッキを傾けた本体営業の一人が、妙に大きな声で言った。
「なぁ、大田。お前の嫁さん、いい女だよなぁ。副社長の娘だろ?」
笑い混じりに別の男が口を挟む。
「でもよ、大田。あの美沙ちゃん、もともとは“佐藤局長の2号”だって知ってるか?」
村瀬遥の目が驚きに見開かれた。彩花が慌てて彼女を庇うように隣に座り直す。
だが、営業たちは止まらなかった。
「そうそう、“愛玩具”って呼ばれてたんだぜ」
「だから局長の機嫌取りにゃ最高だったんだよ。お前はラッキーだよなあ、大田」
笑い声が飛び交い、栗田の新人女性の頬は真っ赤に染まっていた。羞恥と戸惑いが入り混じり、グラスを持つ手が震えている。
オレは箸を置き、短く答えた。
「……そうですか」
感情を持ち出すことに意味はない。処理するだけだ。そう理解していた。
だが、その冷静さが逆に彼らの苛立ちを刺激した。
「おいおい、“そうですか”だってよ!」
「さすが処理屋だなぁ! もっともお前の嫁を使って処理してたのは、佐藤局長だけどな!」
場が下卑た笑いに包まれる。遥は泣きそうな顔で彩花を見上げていた。彩花は苛立ちを隠せず、営業たちを制そうとしたが、酔いの回った若手が唐突に立ち上がった。
「なあ、大田」
赤く充血した目で睨みつけ、テーブルにジョッキを乱暴に叩きつける。
「局長のお下がり抱いて嬉しいかよ?」
その瞬間、ネクタイを掴まれた。喉元に圧迫がかかり、息が詰まる。
彩花が慌てて腕を掴む。
「やめなさい! あなた、酔いすぎよ!」
しかし、唐突には彼は拳をふるってきた。
鈍い衝撃が頬を打ち抜く。
店内の喧騒が凍りつき、流石に周囲の営業マンも彼を制止する。
「おい、バカ!暴力は流石にマズいだろうが!」
遥が顔を両手で覆った。涙がこぼれ、声にならない嗚咽が震えていた。彩花は必死に彼女の肩を抱き寄せ、睨みつけるように営業たちを見回した。
オレは俯いたまま、頬に広がる痛みをただ受け止めた。
血の味が舌に広がる。
――美沙が、佐藤局長と。
その無言の事実だけが、居酒屋の騒然とした空気の中で、オレの胸に冷たく沈んでいた。




