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第17話:大田 美沙

オフィスの窓から差し込む午後の光が、やけに眩しく感じられた。

 彩花さんと別れた後も、胸の奥のざわめきは収まらなかった。


 ――街丘由佳。


 その名前が、頭の中で何度も繰り返し響いた。研究室の同期。夫と同じ時間を、私が知るよりもずっと長く、濃く共有してきた女性。私自身、彼女のことをよく知っているわけではない。ただ、結婚式で秀介の同期一同の席にひっそりと座っていた姿や、義父の葬儀で静かに佇んでいた姿が記憶に残っている程度だ。けれど、今日の彩花の言葉が、私の中でその存在を妙に大きくしてしまった。


 「由佳の言葉で、秀介くん、一瞬昔みたいな表情を浮かべた」――。


 どういう意味なのだろう。

 私は夫と毎日同じ家にいて、子どもの寝顔を一緒に見守り、休日には公園へ出かける。笑い合い、生活を共にしている。なのに、私の知らない「昔の表情」を彼女が引き出したというのか。


 その言葉が突き刺さって離れなかった。


 ――私では見られない顔を、街丘由佳は知っている。


 理性では馬鹿げていると分かっている。秀介は誠実な男だ。浮ついたことをする人間ではない。そもそも「表情ひとつ」で揺さぶられるほど、私の結婚は脆いものではないはずだ。そう言い聞かせながらも、心の奥底で小さな炎がくすぶり続ける。


 夜、リビングで子どもがはしゃぐ声を聞きながら、私は台所に立っていた。秀介はダイニングテーブルで資料を広げ、子どもの相手をしながらも仕事の数字に目を通している。

 「パパ、見て!」

 無邪気な声に顔を上げて、秀介は穏やかに微笑む。その笑顔は「理想的な父親」のものだった。


 ――でも、街丘由佳が見たのは、きっとこの笑顔じゃない。


 心の中でそう呟いた瞬間、息が詰まるような痛みを覚えた。嫉妬――それが私の中に確かにある。けれど、それを認めることはできない。副社長の娘として、広告代理店の社員として、そして妻として、私は常に「余裕ある女」でなければならない。


 「どうした?」

 不意に声をかけられた。秀介が私を見ている。

 「……ううん、なんでもない」

 笑顔を作って答えると、彼は不思議そうに眉をひそめたが、それ以上は追及しなかった。


 その瞬間、私は気づいた。

 ――そうだ、この人は私の心の揺れなんて気づかない。気づこうとしない。

 誠実で、堅実で、役割を果たすことに全てを捧げている。だからこそ私が動揺している理由なんて、彼には永遠に理解できない。


 食器を片づけながら、私は自分の指が小さく震えていることに気づいた。

 ――由佳。あなたはきっと、秀介の「本当の顔」を知っている。私がどれだけ妻であり母であっても届かない場所を、あなたは一瞬で引き出せる。

 その事実が、どうしようもなく私を苛んでいた。


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