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第16話:高瀬 彩花

 昼休みのカフェ。ガラス越しに差し込む陽射しの下で、美沙は相変わらず落ち着いた顔をしていた。副社長の娘という肩書きが彼女に与えるのは、余裕と自信だ。子どもを持ちながらもキャリアを続ける彼女は、社内でも「バランスのとれたキャリアウーマン」の象徴のように扱われている。


 私は微笑みを浮かべながら、その対面に腰を下ろした。――正直に言えば、美沙のことが好きではない。いや、あえて言えば「嫌い」と言ってもいい。


 どうしてだろう。彼女は努力もしているのだろうが、結局、家柄と立場が何もかもを用意してくれている。私が汗を流してようやく手にする一歩を、美沙は最初から「当然のもの」として手にしている。しかも彼女はそのことを自覚していない。無邪気に「頑張ってるの」と言う彼女の笑顔が、私には鼻につくのだ。


 「そういえば、この前、東都工業大の研究室の同期会があったのよ」

 わざと何気ない風を装って切り出した。

 美沙の目がわずかに輝いた。「はい。秀介さんからも聞いています。みなさん久しぶりに集まられたんですよね?」


 私は紅茶のスプーンをくるりと回しながら、わざとゆっくりと言葉を選んだ。

 「ええ。健太がシリコンバレーから一時帰国していてね。彼の話は刺激的だったわ。直人は家庭の話ばかりで、まあ安定してたけど……」

 わざと少し間を置いて、微笑みを深くした。

 「でも、一番印象的だったのは秀介くんね」


 美沙の指がカップの取っ手をぎゅっと握ったのを、私は見逃さなかった。

 「……そうなんですか?」

 「うん。あいかわらず皆に慕われてたわよ。由佳なんて、ずっと彼だけを見てたんじゃないかしら。静かにね。あと、由佳の言葉で秀介くん一瞬昔みたいな表情を浮かべたかな。まぁ、秀介の奥さんに言うのは不穏当かも知れないけれど」


 美沙の目が一瞬揺れた。すぐに笑みで取り繕ったけれど、その頬の筋肉がかすかに強張ったのを私ははっきりと見た。心の中で小さな勝利感が広がる。――そうよ、あなたは完璧じゃない。どんなに立場を得ても、どんなに「安定した妻」であっても、心の奥で不安を抱えている。そう思うと、私は不思議な高揚感を覚えた。


 「秀介くんは仕事について『忙しいよ』って一言だけで済ませてたけど、やっぱり研究室時代と同じで、誰もが頼りにする人だと思う。皆が安心する。……そういう人って今となっては本当に貴重よね」

 わざと意味深に言葉を区切った。美沙は曖昧に頷き、話題を変えようとした。だが、私は追い打ちをかけるように続けた。

 「あなた、いい夫を捕まえたものね」


 その瞬間、美沙の笑顔がわずかに固まった。

 私はストローで氷をつつきながら、内心でほくそ笑んだ。――これが私の底意地の悪さだと自覚している。でも抑えられなかった。


 本当のところ、私自身もあの夜、秀介の横顔に胸を疼かせていた。夢を語らなくなった彼、処理屋として生きる彼。それでも、誠実さは変わらない。あの誠実さに触れると、心のどこかで「惹かれてしまう」のだ。

 けれど私は由佳ではない。由佳のように真っ直ぐ「好き」と言えるわけではない。ただ、大人の女として、意地悪な言葉の影にその未練を忍ばせるしかない。


 紅茶を飲み干しながら、美沙の笑顔を眺めた。

 ――どう? 少しは揺らいだかしら。

 私の中の嫉妬と未練が、彼女の瞳の奥にわずかな動揺を映してくれることだけを願っていた。


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