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第9話:街丘 由佳

 同窓会の知らせを受け取った瞬間、胸の奥がじわりと痛んだ。差出人の文字を見ただけで、私は思い出さずにはいられなかった。あの秀介の結婚式のこと、そして秀介のお父様のお葬式のことを。


 結婚式。

 私は純白のドレスに身を包んだ花嫁の隣に立つ秀介を、研究室の仲間たちと一緒に祝福した。「おめでとう」と笑顔で声をかけ、グラスを掲げた。

 けれど、その瞬間に胸の奥をかすめたのは、言葉にできないざらつきだった。あの隣に立っていたのが、もしかしたら自分自身であってもおかしくはなかった――そう感じてしまったからだ。


 後悔ではない。私は大切な瞬間に結局、そういう自分の生き方を選ばなかった。曖昧な関係を終わらせ、彼が結婚に踏み出す前に決定的な一歩を踏み出すことをしなかったのは、たぶん私自身だ。彼が自分から「結婚しよう」と言い出せるような人でないことを、私はとっくに知っていた。だって彼は、結局今に至るまで、手も握ってくれなかったのだから。だから、私から手を握るべきだった。だから、私からもっと出来る事もあった。それを、しなかったのは、結局私自身。だから「失った」などと言うのは、おこがましいのだ。おこがましい―そのはずなのに、それでも私の心の奥では痛みが渦を巻いていた。


 でも、それを悟られる訳にはいかない。


 披露宴の帰り道、ハイヒールの音が夜の石畳に乾いて響いていた。笑顔で仲間と別れ、ひとりになった途端、頬を伝ったのは涙だった。自分でも驚くほど静かに、止めようのない涙だった。


 そしてお葬式。

 喪主として立つ秀介の姿を、私は列席者の中から見ていた。黒い喪服に包まれた彼の背中は、以前より大きく、しかしどこか重く見えた。深く頭を下げるたびに、その姿に「一家を背負う人間」の影を見た。

 あの研究室で夢を語り合っていた彼が、今はもう家長として立っている。その現実が、どうしようもなく遠かった。一番その遠さを感じたのは、その隣にいるのは、私でない別の女性だという事だった。それは当然の事だけど、同時にどうしようもなく寂しかった。自分の選ばなかった未来を、彼が別の誰かと歩いている。その毅然とした姿に、だからこそ胸が締めつけられた。


 さらに時は過ぎ、秀介のお子さんが誕生したという知らせを聞いた。直人から送られてきた写真に写る彼は、不器用そうに赤ん坊を抱きながら、誇らしげに笑っていた。その顔は、もう私の知らない彼になっていた。大学の研究室で徹夜していた彼でもなく、愚痴をこぼしながらコーヒーをすする彼でもない。「父親」という役割を立派にまとった男性の表情だった。

 画面を閉じても、胸の奥にずしりと重い感覚が残った。私が選ばなかった未来が、写真の中に揺るぎなく形を持って存在している。


 ――人生は、ままならない。

 合理的に決めたこと、後悔していないと頭では分かっている選択であっても、感情は静かに反逆してくる。私は彼と歩む人生を選ばなかった。いや、選べなかった。けれど、だからといって心の奥底から彼へのほのかな想いが消えるわけではない。むしろ年月が経つほどに、その想いは深く沈んで、かえって消せなくなっていく。


 同窓会の案内状を閉じたとき、私の胸を満たしたのは、後悔ではなかった。

 ただ、自分で決めた道に伴う、どうしようもない痛みだった。

 自分の中にどうしても残ってしまう不合理な感情。

 それを抱えたまま生きるしかないのだと、静かに受け入れつつも、数年前の、あの喫茶店で最後に彼と別れた後の、後ろ姿をいつまでも思い出していた。


――人生は、本当にままならない。


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