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イリオス

たとえどんなに辛くても、朝は来て、ご飯を食べて、「行ってきます」と言わなければならない。

誰もいない部屋に向かって。

返事が返ってくるはずもないのに。


もう二度と会えないと思っていた、たったひとりの人魚。

その姿を忘れないように。

その温もりを失わないように。

少女は今日も、針を持ち、糸をすくい、夢を縫う。


――忘れたくない想いを、ひと針ひと針に込めながら。

充血した目と、重く腫れたまぶたを冷やすところから、一日が始まった。

こんな時、そばに誰かがいてくれたらいいのにと思いながら、一人でご飯を食べ、誰もいない部屋に向かって「行ってきます」。

返事が来るはずのない虚しさを抱えたまま、1階の工房へ降りる。


「おはよう」


返事はない。

当然だ。だって、工房を開ける四時間も前なのだから。


いつもはワイワイと賑やかな工房も、人がいないとこんなにも寂しいんだな……。


考えたって、返事が来るわけじゃないか。


刺繍をしよう。

とびきり美しい、誰もが見惚れてしまう、あの人魚を作ろう。


震える指先を、無心で動かす。

白い糸に黒い糸、そして金の糸……赤い糸なんて、使ったっけ?


違う。こんなんじゃない。これじゃ、彼の美しさを表せられない。


思い出せ。よく思い出すんだ。どんな姿で、どんな人だったか。


波間を揺蕩う、美しい人魚を――鮮明に、思い出す。


違う、違う……違う違う違う違う違う違う違う……

これじゃ、ダメだ。


 


「ソル……お前、大丈夫か!?」


「びっくりした。いきなり大きな声を出さないでよ、ルディ」


三時間経ったんだ……三時間もあって、何も出来ていなかったんだ。


私は一体、何をしたいんだろう。


「おい、とりあえず、それ着替えてこい」


「白い服なんて、着てこなきゃよかったな」


「ここで待っててやるから、早く行ってこい」


……恥ずかしいところを見せちゃったな。


ドレッサーで自分の姿を見てみると、確かにルディが着替えてこいと言ったのも頷ける。


頭がクラクラしてきた。


おかしいな、鏡の中に私が二人……?


 


「お待たせ、ルディ」


「具合は大丈夫か?」


「うん。心配してくれてありがとう」


「なら、いい」


お気に入りの、ふわっとしたサックスのワンピースが、まだ少しフラフラする体を、ゆったりと包み込んでくれる。


いつもより少し丈が長くて、風にそよぐような軽やかさがあった。

でも、足取りはまだどこか危うくて、

ルディはそれを横目で、そっと確認する。


「無理だけはするなよ」


「私は無理をしたことはないよ」


短く、溜息をつかれてしまった。


「いいか、お前は大丈夫だと思っても、俺から見れば無理してるように感じることもあるんだ。

だからな、俺が少しでも無理していると思ったら、すぐに休ませるからな」


「仕方ないな」


「無理して仕事に影響が出たら、こっちも困る」


「はいはい。ルディお母さん」


「誰がお前のお母さんだ」


クスッと笑ってしまった私を見るルディの顔にも、心なしか笑みが浮かんでいた。


いつもより、ちょっとだけ深いルディの優しさを感じる。

私は、本当に恵まれている。


 


「ソル、これなんだ?」


「人魚だよ」


作りかけの刺繍を手に取り、不思議そうに見つめるルディ。


「これを作るために、朝早くからやってたのか?」


「うん。でも、全然上手くいかないの。こんなのじゃダメなの」


「そうか? 俺から見れば、十分綺麗だけどな」


ありがとう、ルディ。

でもね、やっぱりダメなの。

これは、彼じゃないの。


 


仕事が、捗らない。

何をやっても上手くいかないどころか、ことごとく失敗が続いた。


そしてついに、ルディに工房を追い出されてしまった。


2階の自分の部屋に戻ってからも、何も手につかず、ただ時間だけが過ぎていった。


……頑張ったのになぁ。


寂しい。


彼に、会いたい。


……寝たら、また会えるかな。


 


何度目の睡眠か分からなくなった頃。

心配そうな顔をしたトーリス嬢が、そっと部屋をノックしてきた。


「ソルティセア、大丈夫ですか?」


「……トーリス嬢。心配をおかけしてしまい、すみません」


「大丈夫よ、そんな事は気にしなくていいの。ビルディ様から聞いたけれど、朝早くから刺繍をしていたのでしょう? 無理はしちゃダメよ?」


「うん、ありがとう。今日はこのまま休ませて貰いますね。」


「その方がいいですわ。こっちは任せて、貴女はゆっくりお休みくださいね」


ギーッと音を立てながら、扉が閉まる。


部屋には、しとしと降る雨音だけが響いている。


雨音を聞きながら、再び身体を横たえる。


 


あれ、私、部屋にいたはずなのに……。


私、部屋にいたっけ?


……ずっと、東の海岸にいた。


うん、そうだよ。私は海にいたんだ。


そうだよね、イリオス



読んで頂きありがとうございました!


彼女がどんなに夢の中のあの人に会いたかったか、伝わっていたら嬉しいです。


私も書きながら、そばに誰かがいてくれたらいいのにって思うことがたくさんありました。

でも、そういう気持ちを大事にしていくことが、前に進む力になるんだなって改めて感じました!


感想、ブクマお待ちしています〜^^

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