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閲覧注意かもしれません。
独りよがりが書き溜めた、ただの文字列です。
鬱になったので、文字として書き出す。そして、置いておく。
こうやって定期的に吐き出さなければ、どこかで漏れてしまうかもしれないから。
古い友人から、この状態について、アドバイスを受けた。
まずは、自分を好きになる事、だそうだ。
それは、到底、受け入れられない。
恐らく、私が死ぬまで、私は私が大嫌いだ。
一体、どうやって私自身を、私が好きになればいいのか。
なんなんだ。証明できない問題の証明でもしろ、と言っているのか?
こいつが何をしていたのか、知らない訳ではあるまいに。
何を言っている?
そう、何もしなかったんだ。
こいつは。
他人がやって当たり前の事を。
しなかったんだ。
できない。そりゃ、病気を盾にすれば、そう言える。
で?
だから?
できないじゃ、困る。
そう、それが社会だ。
それが、リアルなんだ。
では、できないヤツを社会ではどうするのか?
そう。当然切り捨てる。
自然界でも常識だ。
「使えない」なら、「切り捨てる」。
でも、人間には感情と言葉がある。
だから、切り捨てるを回避できる。
そんな物は空論だ。
そもそも、私たち生まれつきの怪物は、そんな社会を切望した事は無い。
何故なら、怪物である事と、治らない事の両方について自覚があるからだ。
つまり、虐げられても仕方がない。
その程度、分かっている。
私たちだって、生きていてもいいならば、生きていたい。
だが、私の場合はそれは許せない。
私は、誰かに寄生しなければ生きられない。
そんな存在だ。
寄生虫だ。
これを取り除かない道理はない。
少し考えれば分かる事だ。
危険因子。それが自ら消滅を望んでいるのだ。
何を惜しむ必要がある?
そこが私には分からない。
私の手は、異常だ。普通ではない。
穢れていて、醜い手だ。
一度、指先の皮を全て食べてしまった。
これは消せない、事実だ。
その穢れた手で、人と接していた。
もう、指紋も無ければ、感覚器官も、無い。
なんとなくでしか、振れている物が分からない。
今日、SNSで「反省は1回でいい、2回目からは自傷行為だ」という主張を見た。
その通りだと思う。だが、それならば、私はどうしたらいいのか。
私は失敗を多くする。同じミスも頻繁に。
それは、私が他人より劣っているからだ。
だから、人一倍に反省をしなければ、改善に繋がらない。
私は小さい頃から、よく言われていた。反省をしろ、と。
だが、私には分からない。反省とは、失敗の原因を振り返り、対策を考える事だ。
では、対策を取れない場合はどうしたらよいのだ。
そう、更に試行するしかない。できるようになるまで。
数年前、自閉症スペクトラム障害だと判明した。
私の、長年に渡った悩みの種が、姿を表したのだ。
他人ができる、「人の名前を覚える」「人と仲良くする」「自分勝手にならない」
「同じミスをしない」「勉学に励む」「他人を気遣う」、私にできない、とても難しい行為。
それの最たる障害が、判明した。
まぁ、多少マシな話ではあると考えている。
その原因不明だった期間、私は。
常に、この代物に手を焼かされていた。
いや、手に負えなかった。
上記の、誰でもできうる事が、本当に困難だ。
今はもう、ある程度まではできるようにはなったが。
それでも、常に演じているような物だ。
この演じる事を身に付けたのは、恐らく、物心がついたの筈だ。
他人と交流する場に放り込まれた頃からだ。
私自身が覚えていない頃からだ。
この、演じる事を相談すると、皆一様に「それが普通」と言う。
私にとって、これは普通ではない。
私にとっての交流とは、体内に潜む怪物を、如何にして抑え込むのか。
そんな物だ。
会話とは、他人を気遣いつつ、自分自身という怪物と対峙する事だ。
私は一体、この怪物と後何年戦い続ければいい?
後、何年、この怪物を世に放つような真似を続ければいい?
もう、随分前に疲れて果てている。絶望も、何度もした。
もう充分ではないのか?私はこの怪物と、少なくとも16年は過ごしているのだ。
これ程までに付き合いが長いのにも関わらず、未だに御しきれない。
これ以上の放置は危険だ。何度も思った。
何故、これを放置する?
私の友人も、家族も。私には生きていて欲しいそうだ。
私には理解できない。
申し訳ないが、賢い判断とは言えないと、言いたくなる。
いつ暴走するのか分からない、怪物だ。
精神も醜ければ、身体も醜い。
汚らしい、怪物だ。
もう、私を気遣うならば、どうか私を忘れて欲しい。
気に留めないでほしい。記憶から消してほしい。
頼むから、私に、あなたがたの貴重な心のリソースを。
割かないで欲しい。
どうか。
私が変わる事は、もうできないのだ。
怪物は生まれつきの物だ。人生観も、既に固定された後だ。
ここから私が変われる可能性は無いに等しい。
だからこそ、この怪物は、私1人でケジメを付けたい。
私が、責任を持って、葬りたい。
だから、どうか。
私を、記憶から消し去って欲しい。
どうしようもないことだったんだ。
生まれつき、という事は、必然、ということだ。
化学式と同じで、全てが始まる前から決まっていた事なのだ。
もう沢山なんだ。
制止しきれなくて、迷惑をかけるのが。
もう嫌なんだ。
自己都合ばかりで、迷惑をかけるのが。
もう、やめたいんだ。
こうやって、抱え続けて、隠し続けて、生きなければならない現実が。
吐き出してしまいたい。
ぶちまけてしまいたい。
そんな感情が、湧き上がる悪がある。
それを、何年も。何十年も。
戦って、押さえつけて、御す。
いやだ。
もういやだ。
疲れた。
今や人生100年時代、だそうだ。
では、私はこれを後70年程も続けなければならないのか?
いやだ。この世は地獄か?
既に10年以上も受けた刑罰だ。まだ。
まだ清算が足りないのか?
いつ、私は開放されるのだ。
頼むから、私を忘れてくれ。
私を中に浮かせてくれ。
私を、飛ばしてくれ。
私を、開放してくれ。
頼む。
私が死ぬときには、それがただの統計であって欲しいのだ。
そう、私以外にとって、ただの統計でいい。
それが私の理想なのだ。