暑い夏の、100物語
「怖い話をして」
「怖い話?」
7月の末ともなると、都会の夜19時は、かなり暑い。
我が社は、オフィスビルの11階に入っており、冷房暖房は、セントラル空調とかで、一か所でコントロールされている。我が社のフロアは、水曜と金曜のノー残業デーには、基本的に18時に冷房が止まってしまう。残業する場合には、個別にビルの管理部門に空調の使用申請をすることになっているのだが、多少の残業であれば冷暖房を我慢してしまうのは、我慢強い人間が多いからなのか。
ユーザ先にシステムを設定するために出かけていった同僚の布由木から、泣きの電話が入ったのは、午後も16時を過ぎてから。
今日は、金曜日。
ユーザのサーバマシンに、俺のプロジェクトで開発したシステムをインストールして動作確認するだけの筈が、サーバの設定が想定外だったり、接続機器との相性が悪かったりで、インストールに手間取ってしまったらしい。ようやくシステムを起動するところまで来たのに、今度は動作が安定しない。このままでは、本日の作業は見送られてしまう。20時までならユーザも待ってくれるらしいが、予定通りに作業出来なかったとなると、大事になる。
半泣きの布由木をなだめて状況をまとめておくように伝え、同じプロジェクトの名津井と明村に声をかけて会議室に集まった。
会議室のマイクとスピーカをコンピュータに繋いで、布由木と会話をする。布由木は、スマホにイヤホンを刺して、こちらと話しているらしい。声が時々、小さくなったりしたが、何とか状況は把握した。
会議室のホワイトボードにアイディアをまとめてながら解決策を探す。
誰かが、サーバの設定の違いに気がついて、皆でそれだと盛り上がり、ユーザ先の布由木が設定値を変更して、サーバの再起動と動作確認を行うのを、こちらで待つことになった。
待っているうちに、空調の音が消えていくのに気がついた。
徐々に、空気中の涼しさが無くなり、首筋に汗が滲んでくるのがわかった。
「今さら、空調申請するのもなぁ」
「治山さん、大丈夫ですよ。さっきの修正で上手くいきますよ。動作確認が終わるまで、30分くらいだから。もうひと辛抱」
ということで、誰が言い出したか、冒頭の
「怖い話をして」
だった。
「では、涼しくなるように雨の話を。その日は、一日中酷い雨が降っていて、部屋の中にまで雨音が響いていた。朝から大雨になることが分かってたんで、在宅勤務にしていたんだ。だけど、その日中に仕上げないといけない報告書がまだ出来ていなくて、残業時間になってもキーボードを叩いていたんだが……」
名津井が話し出した。
「不意に大きなドーンって音がして、辺りが真っ暗になった。ワァーって悲鳴が、どこかで聞こえた。大雨と言えば、雷だ。自分の部屋だけじゃない。窓の外にも灯りが見えないので、辺り一帯が停電になったようだ。ちょっと珍しい経験だよね」
明村が引き込まれたように頷いている。
「だけど、本当の闇って、今時は難しい。スマホの灯りを点けると、部屋の中がぼんやりと浮かび上がって、安心したのを覚えている。こういう時は、灯りがあるとほっとするよなーって思いながら手元を見たら、ないんだよ」
名津井が思わせぶりに間を置いたので、
「何がだ?」
と、思わず聞いてしまった。
「灯りが。ディスプレイの灯りが、ついていないんだ!」
「あー。名津井さん、デスクトップ派でしたもんね」
明村がぽんと手を打つ。デスクトップのパソコンは、ノートパソコンと違って停電には弱い。会社ならUPS(無停電電源装置)があるので停電にも対応できるが、自宅では仕方がない。
「それで?」
「電気が復旧するまで、夜中まで待ってから、報告書を仕上げたさ」
「まさか、停電が怖いって話ですか?」
「次の日、身体がとってもこわかった」
「『こわい』が『しんどい』の意味って。お前、北海道出身じゃないだろう」
思わず突っ込んでしまったが、怖い話か、これ?
「私、いつも、帰りは階段で降りることにしてるんです」
明村が、流れを無視して語り出した。
このビルには、廊下のドアから入れる避難階段があり、健康のために、エレベーターを使わない人間も多い。
「その日は、ヒールが高いパンプスを履いてたんですけど、座りっぱなしで足が浮腫んだせいか、階段を下りるうちに、だんだん足が痛くなってきて。もう無理って思った途端に、足を滑らせて転んじゃったんですよ。数段落ちただけだったんですけど、踏んだり蹴ったりで、もう本当に無理!って半分泣きながら、エレベーターで降りることにしたんです。同じビルの中でも、他の会社が入っている階って、雰囲気というか、空気が違う気がしますよね。そこのフロアは、何だか照明も薄暗いような感じで、ちょっと気味が悪かったのを覚えてます」
「僕は時々、他所の階を散歩してるよ。気分転換のために」
名津井が空気を読まない発言をして、明村に頭をはたかれた。
「階段から廊下に出たところに、どこかの会社のドアがあるんですけど、そこに、男の人が立ってたんです。よく見たら、ナイフを持ってるんですよ、ナイフ。『えっ』って思わず声を出したら、こっちを向いたんですけど、青黒い顔で眼が落ちくぼんでいて、ちょっと幽霊みたいな人。私の顔を見た途端、『ぅわぉー』って変な声を出してナイフを構えたんです。『刺される!』って身をすくめた途端、慌ててドアを開けて、部屋に入っていっちゃったんです」
「通報した?」
「いえ。しばらく待ったけど、誰も出て来なかったんで、そのままエレベーターで帰りました」
ナイフを持った危ない男に会った話?何だそれ。怖い話だけども、よ。
「このビルの9階に、友人が居たんだ」
名津井が、ノートを団扇にして扇ぎ出した。
「過去形ね。ちょっとブラックな会社に居たんだけど、ここのビルから引っ越しちゃったから。残業多めで上司は横暴。お客さんとのトラブルは日常茶飯事。早く辞めたいと思っているときに、何故か上司が出張帰りにお土産を買ってきてくれた。ロールケーキだったんだけど、その場の人間で食べようと言うことになって、切り分けるために、友人が給湯室にナイフを洗いに行った」
給湯室は、避難階段の近くの共有フロアにある。
「部屋に戻ろうとしたときに、後ろから声がして。振り向いたら、血まみれの女性が立っていた。髪も服装も乱れていて、顔や手足から血を流している。脚を引きずりながら近づいてくるので、慌てて部屋に逃げ込んだって話だ。ブラックな会社だけど、幽霊まで出たって噂になって、その後引っ越したという話だ。友人は、その前に会社を辞めちゃったんで、詳しくは知らないけどね」
「血まみれの女性って、話盛ってません?」
明村が睨みつけたが、名津井は肩を竦めただけだった。
コンボか
仕方がないので、俺も参加することにした。
「今回のプロジェクトの最初の頃、敷田ってのが居たのを覚えてるだろ。体調崩して、今は長期休みを取ってる奴。前の仕事のトラブルで、ちょっと精神的に疲れちゃったらしい。そいつが休む前に、話をしたんだけれど。
『仕様通りにプログラムを作ったのに、おかしな使い方をするユーザのお陰で、バグだって言われてしまうんです。仕様通りなのに!ユーザの使い方が悪いのに、言う通りに修正しろって何だ。ユーザが神様だとでも言うんですか?違いますよね。間違った使い方をするユーザが悪いんです。間違った使い方をしたら、間違いを二度と起こさないように、罰を与える必要があるんですよ。そう思いませんか?』
とか言い出してさ。ユーザの、斜め上の使い方に、いちいち対応するのが、嫌になったらしい」
「確かにユーザって、予想がつかないことをしますよね」
明村がうんうんと納得していた。
「敷田さんって、何を担当してたんですか?」
「仕事は出来たんでね。プログラムの基本部分を作ってもらっていた」
「それって、今問題をおこしているシステムの?」
「そう。設定を間違えるようなミスをしたら、何が起こるか、ちょっと不安になってきちゃってね」
「ちょっと待てよ」
珍しく名津井が慌てた声を出した。
「今、設定を変えて再起動してるところだよな」
「だからね。さっきの設定って正しかったかな?……って考え出しちゃうとね。……ところで、罰って何だろう?」
「システムが止まるとか?」
「ユーザのデータを消しちゃうとか?」
「治山さんの恥ずかしい写真をネットにばら撒くとか」
「それは、俺限定の罰だろ」
話がぐだぐだになってきた。暑さのせいだ。
「動作確認終わりました。問題なしです!」
マイクの向うから、布由木の声がした。布由木の呑気な声に、一瞬暑さが遠のいた。
設定を変更して再起動しても、システムは壊れなかったようだ。
皆がほっと顔を見合わせたとき、
「あの、それからお客様から数件、仕様の変更を依頼されたんですが」
「……」
「修正は来週中で良いとのことです。詳細は、月曜日に報告しますね。では、お疲れ様でした」
言うだけ言って、布由木はさっさと接続を切ってしまった。
残されたこちらは、しばらくぼぉっと顔を見合わせて、今の言葉を反芻する。
「ユーザからの、今更の仕様変更ですね?」
明村が言った。
「最後の最後で、一番怖い話が来たね」
名津井が乾いた声で笑った。
「怪談話をしたから、怖い事が起きたんですよ」
「百物語の事かな。怪談を百話語ったら、怪異が起こるって言う」
「100も話をしてないだろう。たったの4話だ」
「うちの会社ですよ。二進法で数えて下さい」
「十進数の4は、二進数で100。100物語だってか?」
どうやら皆、熱で頭が暴走してきたようだ。
帰ろう。帰って、冷たいビール飲んで寝よう。