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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私にはお母さんが二人います

音楽やら漫画やらインプットしていたら、衝動的に書きたくなりました。

今は幸せな家族のワンシーンです。

「私にはお母さんが二人います。ヒナタお母さんと、ツキカお母さんです。お母さん達はとってもなかよしです――」


 立ち上がって、作文を読み上げる娘をアタシは微笑ましく見る。ツキカはどうしても外せない仕事があるんだって。仕事だからしょうがないけど、ちょっとばかり残念だなと思う気持ちがあるのも確かだ。


 教室の後ろ。他の保護者の方々から、珍獣を見るような目が向けられる。それは良い。慣れたものだ。でも、あの娘がそんな目で見られることは少しだけ忌避感がある。


 でも後悔なんかはしていない。してやるものか。アタシは今、幸せで、幸せで、それだけでどんなことだって乗り越えられる。それは、きっと大切な想いだから、それだけは間違いないって言い切れる。


「――私はお母さん達が大好きです」


 娘、ハルヒが作文の朗読を締めくくる。「大好き」、そんな一言にアタシは心の底から浮かれてしまうのだ。


 その後は、滞りなく授業参観が終わって、授業参観後の醍醐味、保護者との下校のタイムだ。ハルヒがニコニコしながらアタシの元に駆け寄ってくる。


「ヒナタお母さん、帰ろ!」


「うん、帰ろっか」


 他の保護者から未だに向けられる、珍妙なモノを見る視線を意図的に無視しながらアタシはハルヒに微笑みかける。どうせ、複雑な家庭環境だとでも思われているのだろう。まぁ、確かに複雑であることは間違いない。


 でも、そんなことはどうだって良い。アタシが満足していて、ツキカが満足していて、それでハルヒが幸せそうにしている。それだけで幸せな生活には十分じゃないだろうか。


 保護者達に少しだけ会釈をしてから、ハルヒに手を引かれて教室を出る。ニコニコしながら、こちらをチラチラ見てくる娘が可愛くて可愛くてしかたがない。


「ねぇ、ハルヒ。今日作文の朗読頑張ったね。晩ごはん、ハルヒの好きなものにしよっか」


 教室の廊下を歩きながら、そんなことを尋ねる。ハルヒが少しだけ立ち止まって、振り返り、難しい顔で考え込んだ。


「どうしたの?」


「えっとねぇ。ハンバーグと、オムライスと、カレーライスと、スパゲッティと、ポテトサラダと……どれにしよっかな、って」


「よーし。それじゃ、全部作っちゃおう!」


「え!? いいの!?」


「いいのいいの! 今日は特別!」


「やった! お母さん大好き!」


 ふふ、なんて笑う。あぁ、本当に幸せだ。






「ちょっと、多くない? 夕飯」


 仕事から帰ってきたツキカが、ジャケットを脱ぎながらじとりとアタシを見る。少しばかりプリンになったセミロングの茶髪が不満げに揺れる。ツキカらしい感情の表し方だな、なんて思ってアタシは少し笑う。


「だって、ハルヒが食べたいって」


 キッチンに立つアタシの隣で、小さなお手々を必死に動かしながら、一所懸命にお手伝いをしてくれているハルヒに視線を遣る。彼女も丁度こちらを見たタイミングだったようで、自然と笑顔になってしまった。「ねー」、なんて上機嫌で頷き合う。


「にしても、ちょっと作りすぎでしょ。明日も同じメニューになるよ?」


「いいじゃない、たまには」


 その気楽な言葉に、少しばかりツキカが眉間にシワを寄せて、アタシの後ろに立つ。ツキカがこれからしてくる行動なんて予想できる。いつもなら、その伸ばした手をちょっとばかし叩いて、めっ、なんて怒るところだが今日はお目溢してあげる、そんな気分だった。


 数分前に作ったサラダのドレッシングに、彼女が人差し指を突っ込む。そしてそれを口に運んでぺろりとひとなめ。悪戯っ子みたいな小憎たらしい笑顔を浮かべて、「ん、合格」、なんて言う。


「ひどいなぁ、アタシの料理が美味しくなかったことあった?」


「なかったけどさぁ。ヒナタはたまーに味見忘れるよね」


 そんなことを言いながらツキカがまた人差し指にドレッシングを付ける。ほら、味見、なんて笑いながらアタシにその指を向ける。もう、ハルヒが見てるのに、なんて思いながらもアタシも満更ではない。ちょっとだけ躊躇したが、その指を口に含む。


「美味しい?」


「アタシが作った料理だもん。アタシの舌に合うに決まってますう」


 くすり、と小さく笑いをこぼしたツキカが、アタシの手に自身の手を絡めてくる。


「ちょっと……今料理中なんだけど」


「いいじゃん、ちょっとぐらい」


 ツキカはずるい。そんな顔をされたら、アタシが強く拒絶できなことを知っていて、こういうことをするのだ。でも、すぐにハルヒに見られていることに気づく。目をまん丸にしてこちらを見ていた。


「お母さん達今日も仲良しだね」


「そうだよー、私とヒナタは仲良しこよしなの」


 おどけたような笑い声を零すツキカがアタシを見る。ハルヒを引き取ってから数年。少しぐらい慣れても良いもののような気がするけど、未だにちょっとだけ慣れない。


 この娘を引き取る時に、アタシとツキカで決めた。二人の関係性は隠すようなものじゃない、変えない。それはアタシ達の世界への挑戦。そういう意味も十二分に併せ持っている。そりゃ、本気でセックスする姿はハルヒに見せやしない。それぐらいの良識はアタシもツキカも持ち合わせている。


 「アメリカなんかじゃ、夫婦が子供の前でキスするぐらいは当たり前じゃん」、なんて言って笑ったツキカの顔を良く覚えている。その言葉をそのまま愚直に行動にうつすものだから困ったものだ。端的に言えば恥ずかしい。


 ほら、またツキカがニヤニヤしながらこっちを見てる。もう、なんてぼそりと呟いて、ツキカの薄い唇に軽くキスをする。


「ね? お母さん達は仲良しでしょ?」


 恥ずかしい気持ちに心のなかで唸り声を上げながら、そんなことを言ってハルヒに笑いかけるツキカを睨む。ハルヒはもう慣れっこなのか、ただただニコニコしていた。


「仲良しなヒナタお母さんと、ツキカお母さん、大好き」


「私も、ヒナタもハルヒのこと大好きだよ」


 腰を落とし、ハルヒの目線に合わせて、ツキカがその小さな頭を撫でる。目に見えて真っ赤になってるのであろう頬を両手で隠して、アタシも、「アタシもハルヒのこと大好きだよ」、なんて呟いた。


 ハルヒが嬉しそうに笑う。


「さ、晩ごはんできるよ。ツキカ、お風呂入ってきなよ。アタシもハルヒももう済ませちゃったから」


「んー、そうさせてもらうね」


 ツキカがもう一度ハルヒの柔らかな髪の毛をこねくりまわしてから、バスルームへ歩いていった。


「さ、ハルヒ、作っちゃおっか」


「うん」


 あとはオムライスだけだ。カレーライスが食べたいと言うハルヒのリクエストに応えるために、カレーオムライスを採用した。キラキラした目でハルヒがアタシの作業を見つめる。


 バターをフライパンで溶かして、卵を流し込む。小気味好い音が跳ねて、フライパンに敷き詰められた卵が泡立つ。箸で適当にかき混ぜて、ある程度固まったら、フライパンを揺する。卵を折りたためば、プレーンオムレツの出来上がりだ。


「すごーい」


「何回も見てるでしょ?」


「何回見ても凄いの」


 フライパンからお皿に盛ったバターライスの上にオムレツを移して、ペティナイフで真ん中に切り込みを淹れる。花が咲いたように、オムレツが広がる。これに上からちょっと味を調整したカレーをかけて、と。


「はい、完成」


「おー」


 関心しきりなハルヒを見て思わず笑顔になる。


「さ、あと二人分。作っちゃうよ」






「いやー、こうやって見ると壮観だねぇ」


 ダイニングテーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々に、ツキカが苦笑いしながら、缶ビールのプルタブを引っ張る。一方でハルヒは心底嬉しそうだ。


「ヒナタお母さん、これ全部食べていいの?」


「いいよ。今日はハルヒの授業参観のご褒美だからね」


 ふんわりとハルヒが笑う。


「ん。ヒナタ、ビール飲む?」


「あ、ちょっと貰おうかな」


 了解、なんて言って、ツキカがアタシのグラスにビールを注ぐ。黄金色の液体が満たされ、真っ白な泡が浮き上がってくる。ツキカはビールを注ぐのが上手だ。


「それじゃ、食べよっか」


 アタシの号令に、思い思いの、いただきます、の声。


 ハルヒがスプーンでカレーオムライスをひとすくい。口に運んでから、顔を輝かせる。


「美味しい?」


「うん!」


 料理はこの瞬間が好きだ。食べた人の輝くような笑顔。それがアタシが料理を実益を兼ねた趣味としている由縁だ。


「炭水化物率高すぎ」


「文句言わない」


 ビールを飲みながら、ツキカが無粋なことを言う。こういう性格なのは長い付き合いだから理解してはいるけど、それでも少しばかりムッとする。


「ツキカお母さん、美味しいよ?」


「それは否定しないけどねえ」


 太っちゃう、なんて言って笑う。今更ちょっと太った位で、アタシがツキカのことを嫌いになんてなると思っているのだろうか。


 死ぬまで添い遂げようなんていう約束も、契約もしていない。それでも、長い長い年月が自然とそれを果たしている。少なくともアタシはそう感じているのだ。


「もう、謝るから、そんなムスッとしない」


「別にムスッとなんてしてないよ」


「ヒナタはわかりやすいからなあ」


 わかりやすいってなにさ。そんな言葉は心の中に閉まっておいて、アタシもポテトサラダをぱくつく。うん、我ながら美味しい。ハルヒの口に合うように、少し甘めな味付けにしてはいるけれども、お酒のアテとしても十二分に活躍する。グラスに口をつけて、ビールで流し込む。


「それでー? ハルヒはどんな作文書いたの?」


「お母さん達のこと書いたよ!」


「へえ。後で読ませてよ」


「うん」


 ツキカとハルヒの会話を聞きながら、微笑む。こんな幸せな日々がアタシに訪れるなんて、数年前は考えもつかなかった。


 世界中でありふれている訳ではないけど、それでも幸せな一時。


 だけど、ハルヒが次に言った一言でその時間は凍りついた。


「ねぇ、なんでお母さん達は、女の人同士なの?」


 そういう疑問がいつか出てくることも理解はしていた。だけど、こうして直接疑問をぶつけられると、この娘にも分かる言葉で説明できるような台詞が見つからない。


 ツキカをちらりと見る。少しばかり苦笑いしていた。だけど、アタシは目ざとくその頬を伝う冷や汗を見逃さなかった。


「え……っと。誰かから聞かれたの?」


 アタシはとりあえずワンクッション挟むことにした。


「うん。同じクラスのシュン君がね、『お前の親はおかしい』、って。お母さん達おかしいの?」


 ハルヒの瞳にはアタシ達が今まで受けてきた、邪念や、偏見や、無意識な差別意識はなくて、ただ純粋に疑問に思っているようだった。


 さて、どう説明したものか。そんな風にアタシが頭を悩ませていると、ツキカが笑いながら口を開いた。


「ねえ、ハルヒには好きな男の子いる?」


「うん。隣のクラスのヒロアキ君!」


「そっか。どういうとこが好き?」


「んっとね。足が早くて、かっこよくて、優しいの」


「ふうん。そっか。あのね、それと一緒だよ」


 少しばかりツキカが遠い目をする。


「私はヒナタが大好きで、ヒナタも私が大好きで、それで自然とずうっと一緒にいたいね、って、そう思ったの。ハルヒもヒロアキ君とずうっと一緒にいたい? お嫁さんになりたい?」


「えっと……。うん、お嫁さんになりたい」


 「お嫁さん」なんて言葉が出てきて、ちょっとだけハルヒが恥ずかしそうに身じろぎする。


「うん。それと一緒。私はヒナタのお嫁さんになりたいって思って、ヒナタも私のお嫁さんになりたい、って思ったの」


「ふうん。そうなの?」


 ちょっとだけ納得がいったような、それでもなんだか腑に落ちないような表情を浮かべて、ハルヒがアタシを見つめる。


 ツキカはこういうの上手だなぁ、なんて感心していたところに、いきなり話を振られて、ちょっとあたふたしてしまった。


「えっと、そう。アタシもツキカのお嫁さんになりたいって思ったの」


「ね? 私達はハルヒみたいに隣のクラスの男の子じゃなくて、女の子を好きになったの。それだけ」







 晩ごはんも食べ終わって、ハルヒも眠たそうに目をこすり始めて、そろそろ寝なさい、なんて促して、アタシ達も寝室でベッドに潜り込むことにした。


「ねぇ……」


 ツキカがおずおずと話しかけてくる。


「なあに?」


「どう思う? さっきの話」


 ツキカがさっきみたいな話題を改めて振り返るのは珍しい。ツキカは気が強い女性だ。こんな風に、控えめに話しかけてくることなんてめったにない。悪く言えばズボラ、良く言えばサバっとしている。勿論それだけじゃないことはアタシが一番理解している。


「いつかハルヒも疑問に思うだろうな、っては思ってたよ。でも、こんなに早いとは思ってなかった、のかな。ハルヒを引き取るって決めた時に散々覚悟は決めたと思ったんだけどね」


「そうだよね。私もちょっと反省。ちょっと変な空気になっちゃってたもんね」


 アタシ達の関係がハルヒの成長にどのように影響を与えるのか。そんなこといくらだって考えた。まだ小さかったハルヒの里親になると決めた時、ツキカと喧嘩すれすれの言い争いもした。


 それでも、子供を育ててあげたい。それは、アタシとツキカの共通の願望だった。


 女性同士で子供を作ることはできない。どれだけ医療が、科学が発達した現代でも、未だそれは実現されていない。


「あのさ」


「なあに? ツキカ」


「私さ、ちょっとだけホッとしたんだ」


 何を、とは聞けなかった。その後に続く話がなんとなく予測できたからだ。


「ハルヒが私達みたいに、女の子が好きだ、なんて言い出さなくて。心底ホッとした。裏腹だよね。私はそういう枠組みとか、レッテルとか、そういうの大嫌いだったのに。私が私とヒナタをそんな(・・・)枠に、嵌めちゃってた」


「ううん。アタシも。ホッとしたのは一緒」


「うん。なんかね。十代のころは、さんざん悩んで、色々あってさ。それがあって、今ヒナタとこうしてる。その事自体に後悔はないの。それも含めて私だから。でもさ、そういうしなくても良い(・・・・・・・)悩みとか、そういうの、ハルヒには味わってほしくないなって」


 その気持ちは十二分に理解できる。


 アタシ達は世界から見るとよそ者だ。思春期の頃、何度「普通に産まれたかった」なんて思ったかわからない。普通になろうと努力したこともあった。でも、何もかもがうまくいかなかった。


 ツキカとは大学からの付き合いだ。だから、中学や高校の頃の彼女をアタシはしらない。彼女は自分の過去をあまり語ろうとしないから、これだけ長い付き合いになってもわからないことだらけだ。


「ね、キス、して」


「な、なにさ、いきなり」


「そういう気分なの」


 ツキカが目を閉じる。しょうがないなぁ、なんて嘆息して、その薄い唇に口づける。軽くついばむようなキス。触れ合っているのは唇だけなのに、そこからぶわっと多幸感が全身に広がる。


「ねぇ、ツキカ」


「なあに?」


「愛してる」


 唐突にアタシから投げかけられた愛の言葉に、ツキカは少しばかり笑ってから、「私もだよ」、なんて呟く。今度はツキカからキスされる。さっきよりも深いキス。ツキカの舌が歯を割ってアタシの中に侵入してくる。


 数秒くらい、そうしていただろうか。いい加減息が苦しくなってきて、どちらともなく、ぷはっ、と口を離した。


「寝よっか」


 愛おしむようにツキカが笑う。アタシもそれに応える。


「おやすみ」






 夢を見る。ハルヒに初めて会った日の夢だ。


 児童相談所へ里親登録をし、面接をした。面接ではアタシとツキカの関係に対してひと悶着あったけれど、ツキカが十二分に調べていて、法律的な正論を突きつけると、面接官も口をつぐんだものだ。


 それでも、アタシ達に子供を育てることができるのか、そんな意味を多分に込めて向けられた懐疑的な視線は今だって脳裏に焼き付いて離れない。何しろ未だに自分ですらそこに疑問を持っているのだ。


 そこから先は思った以上にスムーズだった。座学や実施演習を受講して、家庭訪問されて、諮問会議にかけられ、正式にアタシ達は里親登録された。タイミングが良かったのかなんなのかはわからない。


 そこから数ヶ月。児童相談所から連絡が来ることもなく、丁度その頃アタシもツキカも仕事が忙しかったのもあって、里親のことなんてすっぱりと頭から抜け落ちていたころだった。


 仕事中、アタシに電話がかかってきた。児童相談所からだった。


 里親への委託を検討している子供がいる、とのことだ。詳しい事情はあまり覚えていない。その時は、なにやら誰しもが同情しそうな家庭環境をかいつまんで説明された気がする。


 アタシは仕事を切り上げ、急遽上司に説明してから休みを取って、ツキカに電話をかけた。


 その後、色々手続きを挟んで、実際に施設に行くこととなった。


 施設の職員から向けられる訝しげな視線を無視して、案内されるままに付いていった。


 部屋の隅で膝を抱えてぼうっとしている可愛らしい小さな女の子がそこにはいた。


 可愛らしい見た目とは裏腹に、ハルヒは笑わない娘だった。


 アタシが、ツキカができるだけ笑顔で話しかけるのだが、戸惑った表情や、悲しげな表情は見せるが、決して笑顔は見せてくれなかった。


 その日は少しだけハルヒと話して、施設を後にした。


 その後、アタシ達とハルヒの三人で遊園地に行ったり、アタシ達の部屋にハルヒがお試しで外泊しに来たり、そんな形で何度か交流したものだったが、やっぱりそれは同じだった。


 子供と里親とのマッチングは、アタシ達とハルヒ、双方の希望があって初めて成される。だからこそ、ハルヒはアタシ達の元にはやってこないだろうと思っていた。


 だが、予想外も予想外。児童相談所から正式に里親委託する旨の連絡が来た。アタシとツキカは顔を見合わせて、はしゃいだものだ。ハルヒが良い子だということは、笑顔を見なくてもよく理解していた。


 いくつもの手続きや書類のやりとりがあって、正式にハルヒが我が家にやってくる日が来た。


 玄関のチャイムが鳴る。アタシもツキカも仕事は休みを取っていた。アタシが足早に、「はあい」、なんて呼びかけて、インターホンのモニターも確認せずに扉を開けた。


 児童相談所の職員と一緒に、身体を縮こませたハルヒが、不安そうに立っていた。


「お、おじゃましま、す……」


 本当に礼儀正しい娘だ。そう思った。


 だけどそうじゃない。


「ハルヒちゃん。今日からここは貴方の家。これからは『ただいま』って言ってね」


「え? うん……。た、ただいま」


「おかえり。ハルヒちゃ……ううん。ハルヒ(・・・)


 どういう顔をすれば良いのかわからないような、そんな複雑な顔をしながらハルヒは我が家の一員となった。






 けたたましいアラームの音が鳴る。朝、だ。まだ少し眠い。でも起きなきゃ。仕事だ。昨日のお酒。そんなに量は飲んでない筈なのに、頭痛がする。脈打つように、こめかみの片側がズキズキと痛む。後で頭痛薬を飲もうなんて決めてから、ツキカを起こす。


「ツキカ、朝だよ」


「んー、あと十分」


「あのね、そんなベタなこと言わないで起きて」


 ツキカがゆっくりと目を開いて、大きなあくびを一つ。それから、アタシの顔を覗き込んでから、心配そうな顔をした。


「ヒナタ、どうした? 具合悪い?」


「ちょっと頭痛い」


「今日天気悪いからね。偏頭痛持ちって大変だね」


 そっか、低気圧もあるのか。


「それだけ?」


 言うべきか迷った。数秒ほど考えてから、やっぱり伝えることにした。


「ハルヒと初めて会った時の夢を見た」


「そっか。今思えば信じられないよね。ハルヒがここまでニコニコしてる毎日って」


「そうだね」


 気怠い。今日は金曜日。今日を乗り越えれば明日は休みだ。


「ねぇ、ツキカ」


「んー?」


「アタシ達さ、ちゃんとハルヒのお母さんになれてると思う?」


 少しばかりキョトンとした顔をしたツキカが、数秒後に大声で笑い始めた。


「な、なんで笑うのお?」


 アタシは凄い真面目な話をしてるつもりだったんだけど。そんな想いをこめて、じろりとツキカを見る。笑いを堪えきれない、なんて表情で、ツキカが息も絶え絶えに声を絞り出す。


「う、ううん、ごめん。すぐに分かるよ。その答えは」


 すぐに分かる? どういうこと?


 そんな風に疑問に思った時だった。バタバタバタと足音が近づいてきて、その次の瞬間大きな音を立てて寝室の扉が開いた。


「おはよ!」


 パジャマを着たままのハルヒが満面の笑みで寝室に突撃してきたのだ。その勢いのまま、アタシ達のベッドにダイブを決め込んだ。お腹にハルヒの身体がずしんと襲いかかって、ぐえっ、なんて声が出る。


「ちょっ、ハルヒ! いつも危ないって言ってるでしょ!」


 ハルヒが笑う。ツキカはずーっと笑いっぱなしだ。笑いながらもなんとかハルヒの渾身のダイブをちゃっかり避けていたらしい。もう、なんて言いながらぷりぷりと怒るアタシを見て、また二人が笑い転げる。


 その様子に、もうなんだか怒る気力も削がれて、ため息を吐く。ため息を吐いた分だけ幸せが逃げていくなんて良く言うけど、断じて違う。これは幸せが逃げていくため息じゃない。だってアタシは今、幸せ過ぎて幸せ過ぎて、仕方がないのだから。


 いつまで経っても笑い転げている二人に釣られて、アタシもいつの間にか笑ってしまっていた。寝室に三人分の笑い声が響き渡る。朝っぱらからこんなに騒いで、近所迷惑なことこの上ない。


 何もかもわからないんだ。アタシが、ツキカが、ちゃんとハルヒのお母さんでいれたかどうかなんて、いつか大人になったハルヒが決めれば良いことだ。アタシ達が決めることじゃない。


 少なくとも今この瞬間、初めて会った時、ちっとも笑わなかったハルヒはこんなにも笑顔だ。


 アタシだって、きっとツキカだって、そりゃもう笑えない青春を過ごしてきた。世間は敵でもなんでもない。でもアタシにとって、世間(・・)なんてのは、ずっと見えない敵だった。


 それを最初に覆してくれたのが、ツキカで、次はハルヒだ。


 血の繋がりなんてない。でも、そんなものよりももっと濃ゆい繋がりがアタシ達にはある。


 この生活がいつまで続くかなんてわからない。「結婚」なんて契約を、アタシとツキカは交わしていない。ただお互い好きで、一緒に住んでいるだけ。それだけの関係。


 その生活にハルヒが入ってきて、二人の関係もちょっとずつ変わって、二人が三人になって。どうしようもなく、その変化が、その日々が、愛しいのだ。


 だからそう。今できることを、ただひたすらにやろう。未来のことなんて考えてやるものか。今この瞬間を楽しまなくてどうする。


 お腹が痛くなるほど長いこと笑い転げていた。三者三様の笑い声を上げて、息も絶え絶えになって。涙まで流して。


 ようやく、笑いの虫も収まって、寝室には荒い息切れの音だけが木霊する。


「なんでこんな笑ってたんだっけ?」


 ツキカが涙目になりながら、アタシを見る。


「アタシに聞かないでよ。最初に笑い始めたのツキカでしょ?」


 そんなやり取りを見て、ハルヒが微笑む。


「お母さん、お腹すいた」


 微笑みながら言うことなんだろうか、なんてちょっと思ったけれども。でも、それすら愛しい。


「はいはい。ツキカ、何食べたい?」


 少しばかり悩む素振りを見せてから、ツキカが言う。


「目玉焼きと焼いたウィンナー。食パンはカリカリで、バター塗ってね」


「ハルヒは?」


「私も!」


「了解。じゃ、起きようか」


 ハルヒとツキカが、思い思いに返事をする。さて、今日は仕事だ。その前に、お腹をすかせた二人に朝ごはんを作るという、仕事よりも大事なタスクがある。


 ベッドから起き上がって伸びをする。カーテンを開ける。どんよりした天気だけど、少しだけ、そう、ほんの少しだけ雲の切れ間から光が差した。


 ――私にはお母さんが二人います。


 ハルヒが昨日読み上げた作文を思い出す。


 あぁ、そっか。ツキカがさっき言っていた意味がわかった。アタシ達はちゃんとお母さんしてるんだ。今他ならないハルヒがそれを認めてるんだ。


 世界中に沢山の家族がいるんだ。こんな家族の形があってもいいじゃないか。


「ほおら、起きるよ」


 珍しいことに頭痛はいつの間にか治まっていた。なんだか、今日は良い日になりそうな気がする。


「あ、そうだ。明日のお休み、どうする?」


 振り返って二人の顔を見る。


 そうねえ、なんてツキカが顎に人差し指を当てて首を傾げる。


「家でゴロゴロなんてのもいいかもねぇ」


「それじゃ、いつも通りじゃない」


「いつも通りがいいんだよ」


 なにそれ、なんて笑う。そしたら、ハルヒが何かを期待したような顔でアタシ達を見つめてきた。


「私、遊園地行きたい!」


「遊園地かぁ。いいかもね」


 うん。そうかも。遊園地に行くのも良いかもしれない。行き先は、ハルヒと初めて外出したあの遊園地に決まってる。


「じゃ、明日に向けて、今日も頑張りましょう。えいえいおー」


「今どき、『えいえいおー』、って」


 ツキカがおどけたように、茶化してくる。


「う、うるさいなぁ」


 そういうのは言わぬが花なんだよ。わざわざ口に出してくるあたり、如何にもツキカらしい。


「えいえいおー」


 ハルヒがニコニコと笑いながら右手を挙げる。


「んじゃ、朝ごはん作るから。ツキカはコーヒー淹れて。ハルヒは学校に行く支度」


 今はこの幸せをとにかく享受しよう。大好きな人と過ごしてるんだ。幸せじゃないはずがない。


 これからも色々なことがあるだろう。その度に悩んで、ぶつかったりもして、そしてなんとかかんとかやっていくんだろう。でもそんなのはどうだって良い。


 とりあえず、冷蔵庫から卵を取り出すことからだ。


 アタシは、キッチンに立って冷蔵庫を開けた。

念のため。

この物語は特段伝えたいメッセージ等はありません。

私個人の主張等もございません。

ただの初期衝動を吐き出した、それだけのものになります。

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[一言] 幸せな家庭。 そんなイメージを抱きました。 ありふれた日常の光景でありながら、世間的には微妙とされる関係。 でも三人とも自然体でそれが当たり前のように生活していて、違和感なくその関係を受け…
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