〜歴史を刻む森〜
「あー面白かった!いや〜さすがに目が覚めましたよ、私。」
能天気に笑っているのはルディアだ。紐なしバンジーをした感想が面白かったとは感覚が狂っているとしか思えない。
「あのな〜ディア、あれは本当に危なかったからな。」
結果としては助かったものの危機的状況だったのには変わりない。
「またまた〜。マスターならあのぐらいの高さ余裕でしょ?」
「お前は兄のことをなんだと思っているんだよ…」
「う〜ん、ビックリ人間?」
「…」
すぐさま否定しようとしたが、あながち間違っていないので反論ができない。
(冷静に考えて…傷がすぐに埋まるのって、化け物だな…)
それでも諦めずに反論の言葉を探していると腰の辺りから声が聞こえる。
「あの〜お二人さん?お話は終わったかな?そろそろ降ろして欲しいんだけど…」
(あ、忘れてた)
レイは脇に抱えていたイリミナを急いで降ろす。降りたイリミナは風で乱れた髪を直し、再び後ろで纏める。その間、レイは周囲を見渡す。どうやら森林に降りたらしい。辺りは背の高い木々が並んでいる。木に近づこうと一歩踏み出すと、足下から水の音がする。足下には水溜りがあった。レイの足下だけではない、よく見ると足下の水溜り以外にも大小様々な水溜りを確認できた。
苔むした大地。水玉模様みたいな緑と水色のコントラストが美しかった。
「湿地帯ですかね?」
背後でいつものようにフードに収まっているディアが呟く。
「そうかも…これだけの数の木がこんなに高く成長してるし。」
上を見上げるが木の先が見えない。
(そんでもって、進むべき方向もわからない。)
周りは木だらけで道と呼べるものは見当たらない。屋敷でイリミナと話しあった際の第一目標は人の住む集落を見つけることだった。だが、目印らしきものすら見つけることができない。少し不安を感じていると遠くから呼びかける声が聞こえる。
「レイくーん。こっちだよー。」
呼ばれた方を見やるとイリミナが太い木の根の上で手を振っていた。
(いつの間にあんなところに。)
既に先に進んでいるイリミナを追いかける。
「ここが何処かわかったんですか?」
追いついたと同時に質問をするレイ。聞かれたイリミナは自身満々に胸を貼り、キメ顔をする。
「ふふ〜ん、勿論!来たことが有るからね。この森の名前はね〜、“シトラスの森”だよ。別名、歴史を刻む森と言ってね、この世界が誕生した時から存在していたとも言われるくらい古い森なの。ちゃんと、降りる場所も考えてたんだよ!」
(来たことがあるのか)
それならばと少し安心する。
「姉さん、どっちに行けば街があるんですか?」
ディアが質問をする。その間もレイ達は太い木の根を登ったり降りたりしながら進んで行く。
聞かれたイリミナは前方を指差して、
「このまま真っ直ぐに進んで行くとそれなりに大きな都市があるの、歩いて…2、3日かな?」
と答える。イリミナは「あ、!それでね」と続け、
「この森には魔物が出るから気をつけてね。私も戦うけど…旅は久しぶりで少し自信がないの。あ、でも2人を守れるくらいには強いから安心してね。」
振り返りながらイリミナが笑う。
(なるほど…)
魔物がいるという事実に不安より先に好奇心が来る。勿論、不安はある。
それもそのはずだ、初めて会った魔物は龍であり、その龍に瀕死に追い込まれたのだから。それでもやはり魔物の2文字は男心を燻られる。
(少し、見てみたい、)
「魔物はどんなのがいるんですか?」
イリミナは考える素振りを見せながら歩き続ける。そして、
「う〜んとね。人を溶かす液体を吐く子と、その子を主食とする子、珍しいのは血だけをすう鳥とかかな? あ!後は盗賊だね。」
(前言撤回。会いたくないし興味もちょっとしか持てない。…というより、何故か盗賊が出てきた方が安心できる面子だな。)
先程よりも背後が気になりだすレイ。周りを見るが太い木々が立ち並び、辺りの水には朝日の光、木々や岩、地面に蒸した苔の緑が映る幻想的な光景しかない。木々の合間から漏れ出す光を顔に受け、目を細めつつ、
「できれば会いたくないですね…」
イリミナの返答の感想をしみじみと言うのだった。そして思いだす。
「忘れてた…悪いけどディア、鞄から銃出してくれる?」
「あ!そいいえば出してませんでしたね。もう、マスターはドジなんだから」
揶揄するようにアームでレイの頭をポスポス叩くディア。
「ディアがいきなり飛び降りるから忘れてたんだよ。」
「えへへー。若気の至りってやつですね!はい、これ。」
ディアが銃をレイに手渡す。そのやり取りを横目で見ていたイリミナは弾んだ声で、
「前から気になってたんだけど、それは何?」
レイの持っている銃を見つめる。この世界には銃がないのだろうかと考えつつ、説明を始める。
「これは銃と言われる武器で、中に丸い石を詰めて高速で飛ばすものです。」
レイの説明でより興味を持ったのかイリミナの目が輝く。
「面白そうだね、使ってみても良い?」
琥珀色の双眸がレイを射抜く。
「え、いや、これの弾は貴重で…」
普段から鉱石のように煌めく双眸が他の鉱石の追随を許さぬ程に輝いている。
「…う、あ…えと、どうぞ。」
「ぷぷ、マスターは押しに弱いですね〜。」
後ろでディアの揶揄う声が聞こえる。
(この銃の弾が無くなった時の危険度はお前も共有するんだからな。)
能天気な声を出す妹に苦笑いしつつイリミナに銃を渡す。
「この穴の空いた方は人に向けちゃダメですからね。」
注意事項と使用方法を教える。的は少し先の岩だ。岩の手前には池がある。レイに使い方を教わったイリミナは銃を構えた。腰が少し退けてるのは愛嬌だ。
「よし、こんな感じかな…じゃ、撃ってみるね。3、2、1、…へびゅ!」
構えを確認し、引き金を引いたイリミナは後方に仰反るように飛ばされて尻餅をつく。
(なんか凄い声でたな)
尻餅をつく際にでた声を冷静に聞くレイ。銃から放たれた弾は轟音を放ちながら岩の端を掠めて抉った。
(反動が凄いこと、伝えるの忘れてた…肩とか大丈夫かな)
「ごめん。反動のこと伝え忘れました。凄い声出てましたけど大丈夫ですか?」
打ったままの体勢で寝そべっているイリミナに声をかける。
凄い声と言われ恥ずかしくなったのか紅を頬に乗せつつ、軽く顔を背けるイリミナ。
「だ、大丈夫。少し肩が痛いけどこれくらいなら治せるから。」
尻についた土を払いながら立ち上がる。「そ、それより」と続け、
「この、じゅう?は凄い力が入りそうだけど…レイくんは使えるの?」
魔法で肩を治しながら質問をする。レイはイリミナの肩に集まる桃色の光を見る。
(これで治せるのか)
それならば、自分の負った大怪我もこれで治ったのだろうと、改めて魔法の異次元さを感じる。そう考えていると。
「その…そんなに見られると恥ずかしいから…」
「あ、ごめんなさい。」
魔法を近くで観察しようと近づき過ぎた。後ろでディアが「きゃー変態」と言っているが無視。
イリミナの質問に答える。
「使えますよ。ただ弾が少ないから沢山は使えないけど。」
残りの残弾は17発だ。正直、心もとない。イリミナから銃を受け取った辺りで、
「イリミナさん!ちょっとごめん!」
治療を終えたばかりのイリミナを抱えて走り出す。静かな驚きの声をあげたイリミナは先程いた所を視界に収め、納得する。青色の液体が落ちてきていた。
イリミナは知っている。
(あれは…ゲウィの体液!気がつかなかった。)
ゲウィとは先程イリミナが説明した人を溶かす魔物の名前だ。木の上から体液を垂らし、下にいる獲物を狙う習性を持っている。その習性のため、実際にゲウィの姿を見たものは少なく、姿形がどのようになっているのかは詳しくわかっていない。凶悪的な狩をするゲウィだが実際には狩の成功率は高くない。簡単な話、体液を落としている間に獲物が動いてしまうのだ。シトラスの森の木は非常に高いため、尚更だ。もし獲物が動かなかったとしてもイリミナ等の魔法に長けた者には簡単に防がれてしまう。そのため、イリミナが驚いたのは別の理由だ。
(まだ体液が地面に落ちる迄に余裕がありすぎる。)
イリミナでさえ当たる直前まで気づかない攻撃であるのは確かなのだ。それを異常なほどの早いタイミングで避けたレイに驚く。そして今、レイの走っている速度だ。速い。魔法を使えば自分の方が速く走れるだろう。だがレイは使っていない。純粋な身体のバネのみの走りだ。そんなレイに驚いていると、走っていたレイが駆け足になり、早歩きになり、やがて止まる。止まるのと同時に地面に降ろされるイリミナ。
「あ、ありがとう」
いきなりの連続で頭がふわふわする感覚を覚える。レイはイリミナの感謝を聞きつつ周りを警戒している。やがて頭がハッキリとしてきたイリミナは確認するように質問をする。
「レイくんはもしかして耳が良かったりする?」
聞かれたレイは頷きながら、
「耳も良いけど鼻も目も良いよ。」
やはり、と内心で頷くイリミナ。そんなイリミナの前で、明るい声がする。
「なんか走ったらお腹が空きましたね!朝食にしましょう!」
元気な声の持ち主はディアだ。ディアはもう既に鞄から屋敷を出る前に作った弁当を取り出している。そんなディアに2人同時に、
「お前は走ってないだろ」
「ディアちゃんは走ってないでしょ」
笑いながらツッコミを入れるのであった。
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朝食と言うには遅く、昼食と呼ぶには早い時間に食事を取る。メニューはサンドウィッチとスライだった。食事を終えた後はイリミナに先導され走っている。何故走っているかというと食事の際にイリミナから、
「レイくんの身体能力を見て提案なんだけど、これからは走りで移動したいんだけどいいかな?さっきのこともあるし早くこの森から出た方が良いと思って。」
と提案されたからだ。走ると言っても木の根だらけのこの森では飛び跳ねるような移動になるのだが。
今は走り始めて6時間だ。補足だがこの世界にも時間の概念が存在する。その為、時計やカレンダーなどの時を表す物が存在し、イリミナも持っている。よって正確な時間がわかるのだ。もう少し補足するのならば、1日は26時間で1年は365日、四季というより春季、夏季、白季、秋季、冬季、夜季の六季で構成されている。謎の2季の説明はまた別の機会に。
「このペースなら明日の夜には街に着くと思う。大変じゃない?大丈夫?」
イリミナが走りの速度について心配する。だが、それは杞憂だ。レイにとって長時間の走りは歩いているのと変わらない。全力で走っていないので尚更だ。
「大丈夫ですよ!姉さん。マスターの身体能力は優秀ですから。寧ろもっとスピードあげても良いですよ!」
(だからってお前が言うのはおかしい気がする。)
先程から鼻歌を歌いながら輸送されているルディア。そんな妹に呆れつつ、大丈夫の旨を頷きで返す。走り始めてからの移動は非常に順調だ。どうやら自分は索敵能力が高いらしく、敵を見つける速度はイリミナよりも早い。その為、敵を避けて進んでいるために戦闘は今のところ無い。
それから4時間が経った。辺りは既に闇に包まれている。暗くなりきる前に見つけた、大きく口を開けた木の根で野宿をすることにした。意外だったのはイリミナが火が苦手ということだ。屋敷での料理は全てイリミナが作っており、火も使っていたはずなのに。野宿の準備で火を起こした際に焚火から距離をおいた彼女の額には汗が滲んでいた。だからといって騒ぐわけでもなく寧ろ今はこうして火を囲んでいる。気になることは聞きたくなる性分のレイだが、あえて聞かない。なぜ火が苦手なのかはしらないがきっと良い話は聞けそうにない、と判断したからだ。
(それに次からは自分が火を起こせば良いし。)
「レイくん?大丈夫?ぼーっとしてるけど、やっぱり走るのはきつかった?」
移動中は後ろに纏めていた髪、今はそれを解き、背中に流している。
目の前でイリミナが小首を傾げている。
(考え事に集中しすぎて心配されてしまった。)
「いや、少し考え事をしてただけです。それより見張りは自分がしますよ?」
考え事を始める前にしていた話を掘り起こす。見張りについての話し合いだ。最初はイリミナが自分1人で見張りをすると言い出したので止めたのだ。
「それは悪いよ、それに魔物がでてきたらどうするの?レイくんも戦えることは昼間に見てわかったけど…その…私のほうが…」
強い、そう続くことが容易にわかる。だがそれを口に出すのを躊躇ったのはイリミナの人のよさが出ているからだろう。とはいえ、それならば自分が見張りをするほうが適任だと再認識するレイ。
「確かに、イリミナさんの方が強いのはわかってます。それなら尚更イリミナさんには休んでもらいたい。幸い索敵は自分のほうが得意ですし、もし強そうなやつが出てきたら直ぐにイリミナさんに頼ります。それに…」
「姉さん、大丈夫ですよ。兄さんは4日くらいなら不眠不休で活動できますから…ふぁ〜ぁ」
レイの台詞を引き継ぎ眠そうな声で話すのは、いつの間にか毛布で寝床を用意して今すぐに寝られそうなルディアだ。
(こいつ当たり前のように寛いでるな…)
とはいえ、そういうことだ。自分は元々、戦闘用に作られた面がある。だからか不眠不休で活動できる時間が常人より長い。それはこの世界の人間と比べても変わらない。
「本当?」
「本当ですよ。自分は寝付きも寝起きも悪いんです。」
軽く笑いながら短い質問に答えるレイ。その答えを聞いたイリミナは目を細め地面を見つめる。考えているのだろう。数秒後、ゆっくりと顔を起こすと、
「じゃ〜、お言葉に甘えようかな。」
柔らかい微笑みを向けるのだった。
空を見上げる。星を見るのは初めてだ。レイは木の根の上にいる。自分の下の、洞穴のように根を分岐させた大きな根の中から寝息が聞こえる。耳の良いレイだからこそ聞き取れる大きさのものだが。
先のイリミナとのやりとりを思いだす。正直、自分の話を信じてくれるとは思えなかった。いきなり不眠不休で働きますと言われた店主がすぐに雇うかと言われれば否だろう。
例が下手だが、感覚的には同じだと思っている。
短い付き合いだが信頼してもらえていると考えて良いのだろうか?冗談をルディア以外に言ったのは初めてだ。
初めてのことが多すぎて自分の感情が分からなくなる。思考が回る、何周しても答えは見つからない。それでも、確かに感じたものはある。ただなんとなく、漠然とでしかないが。きっとこれからも初めての連続で分からないことが増えるだろう。そんな未来を想像する。
そして、やはり、感じる感情は…
期待に満ちた未来を思い笑みがこぼれるのだった。
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昨夜は何事もなく夜が開けた。レイは近くにある池なのか湖なのかわからない水辺で顔を洗っていた。勿論、水質は確認済みで透度も完璧。顔を洗い振り返ると木の中腹辺りから光が漏れている。朝日が登るにつれ辺りの闇が晴れ、苔と水の色が反射する。丁度、朝日を傍に抱えた木の根には2人が寝ている。
顔を洗う前に1度、2人を起こしたのだが、
「「あと…ちょっと…ねる」」
と2人同時に言われてしまったので今起こすのは諦めた。となると次にすべきものは何かと思考を巡らせる。
(やっぱり飯かな)
自分とディアはともかくイリミナはお腹を空かしているだろうと考える。昨日は1食しか食べていない。食料は元々、現地調達をすること前提だったので少量しか持ってきていない。顔を洗いに行く際の道すがら、何かないかと探したが、キノコらしきものしかなかった。それも青色の。見るからにヤバそうだったので論外。同じく赤色のやつも却下。レイは足下の赤いキノコを見つつ歩いていく。2人が寝ている木の根からは離れ過ぎないように注意を払いながら。
レイは気配を感じ足をとめる。
(あれは確か…)
屋敷の本で見たことのある生き物だ。元の世界で言うのなら鳥が1番近いだろう。身体は足の先から嘴まで白く、赤い木の実がなったような紋様の長い尾を引きずっている。
あの鳥の主食は魚だ。尾を水中の中に沈めながら水面ギリギリを飛行することで魚釣りの要領で魚を手に入れるのだ。白い身体は光を反射する設計になっており水中の魚からは光が水中にさしていると錯覚させるらしい。その為、この白い鳥は日中にしかお目にかかれない。その鳥がレイのいる反対側、つまり池だか湖だかわからない水溜りの淵にいる。
(名前は確か…忘れた…)
名前はでてこないが図鑑には食べられると書かれていた。それならばやることは1つ。レイは近くの木に飛び付き、登る。高さはかなりあったがレイの身体能力をもってすれば登るなど簡単だ。太い枝の上に軽々と乗り、木の枝から木の枝へと、気配と音を殺して移動する。丁度、白い鳥の真上にある枝に辿りつく。やるのは一瞬、苦しむ時間を少なくするのが礼儀だろう。レイは腰に予め備えておいたナイフを取りだす。色は黒で目立つが、切れ味は抜群だ。本来は包丁代わりに持ってきていたのだが、仕留めて捌くのだから問題ないと判断。狙うは鳥が水を飲もうと水面に顔を近づけた瞬間。枝の上でじっとまつ。鳥は自らの羽の手入れをしている。此方に気付いている様子はない。そして、
(今!)
白い鳥が首を伸ばして水面に近づいた瞬間に、音もなく枝から飛びおりる。鳥が近づく脅威に気づくがもう遅い。伸びた首を掴み水中に入れ、そのままナイフで切断。朱が水面を染めていく。首を落としてもなお暴れていた身体がいよいよ大人しくなる。それを見届けて水中から引き出し血抜きをする。その他諸々の処理をすれば鳥肉の完成だ。本の知識に則って初めての実践だが上手くいった。2人が寝ている木の根に帰り荷物を引っ張りだす。木の根から少し離れた位置で火を起こし、鳥肉を焼く。料理はしたことがないので直火でドンだ。味付けはシンプルに塩と胡椒。塩と胡椒といっても元の世界のとは根本から違う。この世界の塩と胡椒、ついでに砂糖は同じ素材からできている。原料はクルリエと呼ばれる木から取れる黒い葉。そのまま粉末にすれば胡椒になり、乾燥させて粉末にすれば塩、煮てから乾燥させ粉末にすれば砂糖になる。なんとも便利な木だ。
(そろそろかな、)
味は全く想像ができないが匂いは芳しい。そろそろ2人を起こそうかと立ちあがり火を消したあたりで、優しげでありながらはっきりとした声がきこえる。
「はぁ…はぁ…レイくんここにいたのね、どこに行ったのかと思った。……?それは…お肉?レイくんが取ったの?」
息をきらして駆け寄ってきたイリミナがレイの足下にある大きな葉に乗せられた肉を驚いた顔で見る。
「そう、取ったんです。流石に昨日は1食しか食べてないですからイリミナさんにはキツいと思って。良かったらどうぞ。残ったら自分も食べますんで、寧ろ食べたいです。」
「本音はそっちかな?」
(おっと涎が)
「でも、ありがとう。実はお腹空いていたの。それじゃディアちゃんが起きてから皆んなで…」
「いや、それだと冷めちゃいますし、あいつは中々起きないと思いますよ?」
イリミナの提案を途中で遮り、改めて提案をするレイ。その提案を受けたイリミナは「う〜ん、それならいただこうかな」と言い、鞄からナイフとフォークを取り出し、遠慮気味に食べ始めるのだった。1口食べたイリミナの頬が緩む。
「!美味しい…!」
(美味しそうに食べるな〜)
レイの目の前では普段から輝いている目をよりいっそう輝かせて口いっぱいに肉を頬張るイリミナがいる。よほど空腹だったらしい。先程から手が止まる様子が無い。その様子を見せつけられると何とも…食べたいと言い出せる雰囲気ではない。
(あ…最後の1切れ…)
大きな葉の皿にはそれに見合った大きさの鳥肉があったのだが、今は1口で完食できてしまう。
しかもその最後の肉には塩が多めにかかっており見ただけで涎がでそうになる。その最後の1切れに、フォークを突き刺して葉から少し浮かせた所でイリミナの動きが止まる。何かを少し考える仕草だ。そのまま少しの間止まっていたイリミナが動きだす。
「お、お腹がいっぱいになったから…良かったらどうぞ。」
おずおずとフォークを向けてくる。余程、気に入ったらしい。それでもイリミナは分けてくれたのだ。それならば遠慮なく。
「いただきまーす。…うん!いけるかも。」
脂は多いがしつこくはなく、身は柔らかい肉質で食べやすい。ここにスライがあれば完璧に近い食事になっただろう。と考えていると。
「雲行きが怪しくなってきた…」
イリミナが形の良い眉を曲げながら、心配げに空を見上げる。釣られて上を見れば先程までの朝日が弱まり、今は暗雲とした黒が木々の間から見え隠れしている。
「この森で雨に降られると厄介なんだよね…よし!早めに出発しよう。」
イリミナの提案を聞き、静かに頷く。念のため、持ってきておいた雨具を身につける。旧世界でいうカッパのようなものだ。帽子を被れば魔道士のローブに良く似ているため、見た目はかなり好みだ。
(さて…おこすか)
未だに寝ているルディアを起こしに行く。揺すっても起きないので仕方なく寝た状態のまま抱え、雨具を上からかける。木の根の外、丁度肉を焼いていた辺りにイリミナが立っている。レイの視線に気がついたイリミナが肩を少し動かして出発の合図をする。
雨が降らなければ良いのだが。
……………
突風が吹き荒れ、雨が真横に飛んでいく。雨は1粒が大きく、風と合わさり肌に痛みを走らせる。
出発してからすぐに雨が降り始めたものの勢いは弱かった。そのため道程は思ったより順調に進んでいた。途中で白と黄色の調和がとれた花の群生地があったのだが、その花を見つけた辺りで雨音が激しくなりはじめた。イリミナ曰く、かなり珍しい花らしいのでもう少し観察をしたかったが仕方がない。シトラスの森で雨に降られると厄介だとイリミナが教えてくれる。
「この土地は水捌けが良くなくてね、それに加えて1度に降る雨の量も多いからちょっとした池があちらこちらに出来てしまうの。移動するにもこの大きな根を越えなければならないから足下が滑りやすくてあぶない、だから気をつけてね。」
肯定の意味で顎を引く。そして木の根の洞穴から出発してからご機嫌が斜めなルディアを見る。
表情を見ようにも顔自体がないため図りきれないが、長い付き合いのレイにはわかる。
(機嫌の悪さ5段階評価だと下から2番目だな。ほっとくと、より機嫌が悪くなるけど適当におべっかを言えば治るレベル。)
「ディア、今日も元気でいいね!」
精一杯の笑顔で語りかける。
「うっさい、見え見えなんですよ。そもそも褒め言葉ならもう少しマシなのがあったでしょ。」
一言の拒絶を入れて一喝するルディア。頑なに不機嫌の態度をとるルディアに内心で溜息。
「悪かったよ、でもそんなに拗ねることないだろ?」
ディアが拗ねている原因はわかっている。イリミナと自分がルディアに黙って鳥肉を食べたからだ。それを知ってからというもの、不機嫌が続いている。
「私も食べたかったのに…それに、私も混ぜてほしかった。」
どうやら食べられなかったこともそうだが1人だけ食べていないことが疎外感を生み、理由の1つになっているらしい。
「わかったよ、今度機会があったら埋め合わせはするから、それにあんまり拗ねてるとイリミナさんにも悪いよ。」
レイは顎で前を行くイリミナを指す。ルディアの不機嫌の原因である鳥肉を食べたのはイリミナも同じだ。どうやら責任を感じているらしい。先程からこちらの様子をチラチラと気にしている。
「姉さんはいいんですー、食事が必要なんですから。でも兄さんは違うでしょ。だから兄さんが悪いんです。ですから姉さんは気にしないでください。」
「え、あ、うん…そうなのかな?」
「そうです、そうです。悪さをするのは大抵兄さんで、諸悪の根源は兄さんなんです。」
「酷いな…」
未だに責任を感じているイリミナにフォローを入れつつ兄を貶すルディア。だが先程よりも口調が軽い。どうやら多少の鬱屈は今ので晴らせたらしい。何よりだ。
(何より…なのか?)
少し疑問があるが楽観的に捉えることにするレイ。そのレイの脇の辺りで小さな声が聞こえてくる。
「マスター、ちょっと質問なんですけど。」
レイの耳だからこそ聞き取れる大きさで話しかけるディア。その事に疑問を抱きつつ無言で先を促す。
「お金…あるんですか?」
(お金、お金か。それってつまりあれだよね、物を買うために必要な道具。生活に必要であり人々はそれを求めて労働を金という対価を得る。なんかの本でそう載ってたな。旧世界でもあったらしいけど、この世界にもあるんだったな…。旅をするんだから当然必要なものでイリミナも持っていた。当然自分も…)
「持ってない!」
「そんな単純なことに気づくまでにかなり時間があったのが気になりますが…。そんなことよりどうします?」
「大丈夫、こんなこともあろうかと旧世界で過去の文献はほぼ全て読破したからね。この場合は現代知識を使って金をかせぐんだよ。あれはまさに異世界攻略本だね。」
脳内の書棚に陳列したカラフルな本達に乾杯。
「あー私もそれ考えたんですけど無理だと思うんですよね。あれって主人公達が実際に経験したことを元に行動してると思うんです。料理とか特にそうですよね、そこで質問なんですけど私達はどんなことしてましたっけ?」
脳内に旧世界を描き出す。荒れに荒れた土地には草木は生えておらず水があったとしても、汚染された空気同様に汚れきっている。その状態で生鮮食品が手に入るわけもない。現代知識で料理無双は断念せざるをえない。そこまで考えてルディアに答える。
「機械弄りはよくやってたけど…」
「この世界ではなかなか役には立ちそうにないですね。」
「…あの本達、使えないな」
脳内の書棚に陳列された本達の前にシュレッダーを用意し電源だけ入れておく。
ともあれ困った、今の状況はつまり…
「居候に加えて、一文なし。姉さんには傷を癒やしてもらい、この世界の知識を蓄える助力もしてくれた。それなのに返せる物は何もなく、その上、旅先での旅費も姉さん持ち…ははは、どうしようもないですね。」
ディアが快活に笑いながら代弁をしてくれた。ディアが言ってくれたことに付け加えるならばイリミナは自分に騎士になってくれと言った。騎士というからにはイリミナを守るのも自分の役目だろう。だが実際はイリミナの方が強い。接近戦でもイリミナには勝てるかどうかギリギリだ。魔法有りとなればまず無理だろう。
(まずいな、早めに金銭面をなんとかしないと…)
焦る気持ちを宥めつつ考え込む。脇を見ればルディアも先程から微動だにしない。おそらく同じように金銭の確保を考えているのだろう。普段はアホっぽいが基本はハイスペックな妹に期待しつつイリミナの先導についていく。雨はいつのまにか小雨になっている。
そして、気がついた。
雨が水に着水する音とは違う音が一定のリズムで走り抜けて行くのを。意識を集中する。
(5…いや7人か。)
走り抜けていった音からして人間だと判断。そしてその人間が足を止めた位置に複数の気配。話している内容は聞き取れなかったが声音の種類で人数を推測。
「イリミナさん」
短く問えば、イリミナも気づいたらしく黙って頷く。この深い森で出会う人間、旅人にしては待ち伏せとしか考えられない位置に陣取っている。それはつまりそういうことだろう。
やがて、気配のする地点に辿りつき、木の根から近くの地面に着地し、足を止める。すると、
「はっはー、今回はついてるぜ。まさかこんな上玉がいるなんてな。護衛もいねぇみてぇだしな。」
「なに言ってんすか親分、良く見てくだせぇ。男が1人いやがるじゃねぇですか。」
「なに言ってんだテメェは。お前こそ良く見てみろ。あんなヒョロガキだぜ、女に見えるほどほっせーじゃねえか。あんなんで誰を守れるってんだよ。わはは。」
身長が2mはありそうな大男は最初に言葉を発し、続いて木の根から顔をだした猫背の細い男が刃物を片手に出てくる。大男が余裕の笑いをしたからか、身を潜めていた筈の男たちが次々と姿を表す。男達はそれぞれ武器を片手に持っている。どれも近接用の武器に見える。服装はお世辞にも綺麗とは言えない。見るからに、いかにも、といった風貌だ。そう分析するレイの前をイリミナが立つ。どうやら守ろうとしてくれているらしい。だが安心してほしい。彼我の実力を見誤るほどレイは弱くない。過酷な環境の中で生まれ育った不幸中の幸いだろう。それに何より、
「ディア、作戦は?」
「顎ですね、顎。顎を積極的に狙っていきましょう。たまに鳩尾を狙うのもオシャレポイントです。」
「良いねそれ。これで金銭問題は解決だ」
レイの目の色が変わったように錯覚する。その雰囲気の変化に男達は無意識に警戒を強める。
親分と呼ばれた男を除いて。大男はレイの変化に気づいていないらしい。
楽な仕事を目の前にして、弾んだ声で下卑た顔をしながら、
「俺たちはここを縄張りにしている盗賊団だ、命欲しくぼへぇ!」
(あ、本当に言うんだ。しまったな、記念に最後まで聞けば良かった。)
だがもう遅いと判断。腹を殴られた反動で大男が腰を折り顔の位置が下がる。その顔を蹴り上げる。勿論、寸分の狂いなく顎を撃ち抜いた。そして流れるように猫背の細男に近づき顎を横から揺らす。その光景を見た盗賊達の反応は二つに分かれた。今、何が起きたのかわからず呆然と立ち尽くす者。理解には及ばずともレイを脅威とみなし、反撃にでるもの。反撃に出た男は3人。それらを、顎→顎→鳩尾の順番で軽く仕留めるレイ。そこまでを視界に収め、やっと理解する2人の男、半狂乱になり逃げ出す。否、2人は理解できていない。レイ達の目的からは逃れられないことを。レイは軽く地面を蹴り、逃げだす2人の前に着地。
(よし、最後の仕上げだ。)
レイはフードの中のディアを手の平に乗せ、天高く腕を伸ばす。2人の男が持ち上げられたディアに身構える。2人の男の注視を浴びるディアのアームには剣(包丁)が握られ、2人を指し示している。そして、
「わははー、我が名は…えーっと、あっ!追い剥ぎ名人ソルロットである!命が欲しくば身ぐるみ全部置いてけー!」
ルディアが声高々と宣言する。
(偽名を使うあたり、抜け目ないな。)
強かな妹に感心しつつ男達の様子をみる。男達は顔を引き攣らせながらもディアの言うことを聞く様子がない。
(もう一押しだな、勿体無い気もするけど銃で脅してみるか…あれ?)
銃に手をかけると同時に男達の様子が豹変する。明らかな恐怖を感じている。顔の血の気は減り、身体のあらゆるところから汗が伝っている。レイは先程から男達が見ている方角、自分の後ろに目を向ける。そこにはありとあらゆる色と種類の鉱石が大小様々に淡い光をはなちながら宙に浮かんでいる。こんな事ができるのはこの場には1人しかいない。イリミナの方を見れば視線に気づいたイリミナが口に人差し指を立てて片目を瞑り笑った。レイは男達に見られないようにグッジョブをイリミナに送信。再び視線を戻せば、
「わ、わわかったから!なんでもだす!悪かった!」
漸く観念したらしい。懐から次々と財布らしき小袋を取り出す。その後は、2人に仲間の財布も出すように指示した。勿論、武器も金になりそうなので回収。2人には勿論、ジャンプもしてもらい小銭の確認もした。
(う〜ん、まぁ十分かな。)
財布の中身を確認したので彼等にはもう用は無い。まだ意識が戻らない仲間の近くで震えている2人が余りにも哀れだったので1番中身の少ない財布を放りなげる。
「それはやっぱいいや。返すよ。そこに寝てるひと達が起きたら早めに森を出た方がいいよ。」
去り際にそう言い残し、走り始める。財布を受け取った盗賊の唖然面を思い出し、小気味良く思う。その後の道中は何事も無く進み、
最初の街に予定時間よりも5時間早く到着するのだった。