少女の願い
視界が歪む。耳に伝わる音も濁っている。身体が暑い、息が苦しい。身体は体育座りの姿勢で背中だけ水面から出ている。まだ諦めるわけにはいかない。頭の中で数を数える。
(後20秒…………後10………3、2、1、)
「ぷは! はぁ…はぁ、よし!新記録。」
水面から勢いよく飛び出し、拳を握りガッツポーズをするのはレイだ。時系列としてはディアが魔法でヤンチャした3時間後になる。夕食を取り、風呂に入っているのが今だ。異世界系の過去の文献では風呂が無い世界も度々書かれていたが、この世界は違うらしい。大きめでありながら広すぎることもない丁度良いサイズ感の風呂に、レイは潜っていた。初めてこの風呂を目にした時は喜びの余り、取り敢えず飛び込んだ。勿論、イリミナに叱られた、叱られたと言っても言葉は分からなかったが。
(初めての風呂だったし、しょうがないよね。)
過去の自分を擁護する。そこまで考えて、潜ったせいで乱れていた息が整う。少し落ち着いたところで今日の出来事を整理する。その中で気になるのは、
「騎士…」
口の中で呟いたのだが思った以上に声が反響する。イリミナがレイに提案したのは、彼女の旅に騎士として同行することだ。イリミナの真意はわからない。レイにとって騎士といえば主人に使える、銀色の格好をしたテカテカの人間だ。だが、こちらの世界では必ずしも主人に仕えるわけではないらしい。本で読んだ騎士の知識を自分の感覚に押し込むのであれば、
(仲間って文字が鎧と剣を装備した感じ?)
なんとも分かりにくい。簡単に言えば仲間以上、主従関係未満と言ったところか。友のように接しながらも騎士のように守ることもする。なんとも分かりにくい。だがそんなところも異世界情緒だと楽しんでもいるが。
思考が脱線しかけたので戻す。
レイにとってイリミナの提案は悪くないと思っている。レイ自身、この世界を気ままに旅したいと思っていた。騎士とは名ばかりでありそうな騎士という立場も、今の今まで居候の身でお世話になっていることも含め、文句があるわけがない。レイは水面を見ながらぼんやりと旅に同行することを決める。そうなると次に考えるのは、
(イリミナさんの旅の目的はなんだろう。)
イリミナからの提案だ、何か目的があるのだろうとレイは考える。
(聞こうと思ったけど見回りに外に行っちゃたしな。)
レイがこの屋敷で居候を始めてから、イリミナが外に出かけるのは何度もあった。屋敷の周辺に異常がないかを確認するらしい。
自分を瀕死状態にした龍が脳裏を過ぎる。
考えたくもないが、あの龍が外に大量発生していないとも言い切れない。見回りは大切だと勝手に納得する。次に機会があれば一緒に出向くことも心に決める。因みに、書斎には魔物についての蔵書もあったが、レイは読んでいない。いないと表現するより、時間がなくてできなかったと表す方が正しいのだが。ともあれ次の行動は決まった。詳しい詳細はイリミナが帰ってから相談することにする。今、考えておくことは何か思考を巡らす。顔をお湯に半分だけ付けて考えたが特に思い当たらなかった。
(風呂、出るか…)
右足を風呂の縁にかけて立ち上がる。
(あー頭がクラクラする…)
レイは覚束無い足取りで風呂場を後にするのだった。
…………………………………………
「風呂上がりはやっぱこれだよな〜」
「兄さん、本当にそれ好きですよね〜、喉詰まりません?」
「飲み物だから大丈夫だよ、喉越し良いし。本にも載ってただろ?風呂上がりの一杯は格別だって。」
「飲み…もの?飲み物?それがですか?」
ルディアが驚き半分、呆れ半分の声を出す。そんなルディアの目の前にいる男は、タオルを首に掛け、腰に左手を添えて杯を煽っている。中身は勿論、
「スライ美味いな〜。」
カラフルな団子達だ。
「マスターはそれが飲み物に見えるんですか?そのプニプニした弾力を持ちながら噛むと歯に少しくっついてきそうな粘性質の食べ物を?知らないんですか?元の世界には新年になると大量発生する食べ物があり、それを食べた者の喉に張り付き窒息死させる食べ物が存在したんですよ?!スライはそれによく酷似しています!」
少し早口で捲し立てるディアを目の端で確認しながら口一杯に団子を流し込む。今は団子が優先だ。
「うま〜い」
レイは幸せそうに、珍しく表情筋を緩めている。そんな話を聞かない様子の兄を見て、わざとらしく溜息をつくルディア。
「はぁ〜、こうなった兄さんは使い物になりませんからね。鼻をかんだ紙切れの方がまだ使い道があるくらいです。」
(酷い言いようだな〜、まぁいっか。それよりも次は何色を食べようかな。)
片目で杯を覗き、赤色に狙いを定めるレイ。そんな兄の様子にいよいよ付き合いきれなくなったディアは話を団子から変える事にする。
「イリミナ姉さん遅いですよね…、大丈夫かな? どう思いますか兄さん?」
「う〜ん、そうだな。全部食べるのも良いけどイリミナさんにも残して置いた方が良いかな?」
「……」
「分かったから!ちゃんと答えるから、無言が1番怖いよ…」
思った以上の妹の怒気に押されるレイ。レイは思考から団子を弾きだす。
「確かに、少し遅い気がするね。でも大丈夫だと思う。この屋敷の中で1番強いのはイリミナさんだから。」
今日のイリミナの魔法を見て客観的に考えるのならば自分よりも彼女の方が強いと判断するレイ。近接戦闘ならまだしも遠距離では勝ち目はゼロに近いだろう。そう思わせるほどイリミナの魔法は凄まじかった。今日の夕方に見た無数の鉱石を全て避けきるのは至難の技だろう。
「そうですよね…姉さん、強いですもんね。」
不安が残りつつも納得の様子のルディア。
(本当に良く懐いてるな…)
(今までいた世界には人と交流する機会なんてまずなかったしな。友達…なのかは分からないけど仲睦まじいのは良いことだね。)
そこまで考えた辺りでディアが、
「折角ですし何か飲み物でも用意します?」
と提案してきた。
「良いね。少し肌寒いし、暖かいのでも淹れるか。」
レイは足下のボールを拾い台所に向かう。そこでディアを降ろすと食器棚へと転がっていった。レイはそれを確認することなく。目線より少し高めに取り付けられた棚から瓶を取り出す。中身は薄い茶色の玉が蓋一杯まで詰まっている。この世界の茶っ葉で名前はモカミールと言う。直径0.5cmくらいの玉を取り出し、ディアの持って来たカップに入れる。
丁度、その時、玄関に人が近づく気配を感じとる。
レイは急いで、台所の端に置いてある空色の容器を取る。蓋を開けると中から湯気が出てくる。断熱性の高い素材で作られた便利アイテムだ。
お湯を注ぐと芳ばしさの中に爽やかな甘味を感じる匂いが鼻をくすぐる。軽く棒でかき混ぜ、茶っ葉の玉を溶かす。足下で盆を持ったディアが待ち構えているので乗せようとするが、折角なのでアレンジを加える事にする。棚の色々な所からモカミールに合いそうな物を引っ張りだす。
取り出した物は、蜂蜜に特徴が似た白い蜜に、柑橘っぽい実から作ったジャム、何かから取った乳だ。それを勘でカップに混ぜる。そしてディアがもっている盆に置く。
「…責任取りませんからね。」
それだけを言い、去って行った。
(多分、美味しいはず。たぶん。)
レイもディアの後を追い、ついて行く。
玄関ロビーには外套を羽織ったイリミナが、光を放つ鉱石が備わったランプを片付けていた。
「イリミナ姉さーん。おかえんなさーい。お茶持って来ました!私が提案してマスターが淹れたんです。マスターが淹れたんですよ。」
(おい、何で2回言った。)
「おかえりなさい」
内心で突っ込みつつ挨拶をしてイリミナを見る。銀髪と表すには色が薄い綺麗な髪は肌にべったりとくっつき、なぜか髪の透明度が上がっている。よく見ると外套の端から水が滴り落ちており、イリミナの白い頬には軽く紅が混ざっていた。お盆のせいでイリミナの足下しか見ることができなかったディアも外套の雫に気づく。
「!、イリミナ姉さんどうしたんですか?濡れてるじゃないですか!」
「ちょっとね、失敗しちゃって。湖に顔から入っちゃたの。」
照れる口元を袖で隠しながらイリミナが笑う。
「それなら尚更お茶を飲んでください、味は保証しませんけど温度は完璧です。私はタオルを持ってきます。」
ルディアは余計な事を加えつつ、お茶をイリミナに渡して去って行ってしまった。イリミナは受け取ったカップの中を不思議そうに見つめる。
「イリミナさん、後の片付けは自分がするからそこの椅子に座ってお茶でも飲んでてください。」
レイが玄関の脇に備え付けられた椅子を指さす。イリミナはランプをレイに任せるか悩んでいる様子だ。遠慮をしているのだろう。普段の罠からは遠慮の欠片も感じないのだが。
(普段の方を遠慮して欲しいんだけどな)
珍しく躊躇っているイリミナの元に歩いていく。そのままランプを受け取り、部品を分解する。このランプに使われている鉱石は使った後には光の当たらない場所に保管しなければならない。
「あ…ありがとう。」
(珍しいな。)
普段は落ち着いているイリミナが、少し動揺した声を出したことに、感想を心の中で呟く。先程からイリミナの顔がより赤くなっている。
(風邪でも引いた?)
レイは風邪を引いたことがない。その為、風邪を引いた者の状態は本の中でしか知らない。レイは知識の中の情報を引き出す。
(たしか…熱が出るんだっけ?後は…顔が赤くなる?)
レイはイリミナの顔を観察する。
(赤いな)
「イリミナさん、風邪でもひいた?やっぱり椅子に早く座ってゆっくりしたほうが良い気がします。」
「え、あ、うん。それじゃ、お言葉に甘えて。」
イリミナはレイから視線を逸らし、椅子に向かう。イリミナが腰掛けるのを見届けて作業を続ける。鉱石は黒い箱の中に入れ、ランプ本体と共に玄関脇の棚に並べる。ランプを片付け終えた辺りで静かながらも確かな驚愕が籠った声がする。
「美味しい!これすごく美味しい!」
振り向くとイリミナがカップを不思議そうに覗き込んでいた。どうやらお茶に口をつけたらしい。
(やった、)
密かにガッツポーズをするレイ。素直に嬉しく感じる。そんでもって心の中で、ルディアにドヤ顔を決める。
「このモカミール、レイくんが作ってくれたの?」
イリミナが静かに問いかけてくる。
「そうです!名前がわからない白い蜜を入れたのがポイントです。」
嬉しい気持ちを全開にドヤ顔をする。片目を開けてイリミナを見る。するとイリミナと目が合った。
(あ、逸らされた)
軽く傷つくが顔には出さない。その変わりに食材を勝手に使ったのは不味かったかもと今更に内心で少し後悔。その時、
「姉さ〜ん!遅くなりました。はい、これどうぞ。後、お風呂も沸かし直したので入っちゃってください。」
と、大声でディアが駆け寄ってきた。短時間でタオルだけでなく風呂も沸かし直したディアの有能ぶりに何故か胸が温かくなるレイ。イリミナにタオルを渡したディアはイリミナとレイを交互に見る。そしてレイをじっと見る。
「兄さん…イリミナさんに何か言いました?」
「いや、特に。」
悪いことは言ってないと確信しているレイ。その様子にディアも信用したようだ。
「ならいいんです。それじゃあっちに行っててください。」
アームであっちと風呂場とは逆の書斎に繋がる廊下を指す。
「あっちに行っても良いんだけど、それじゃディアが大変でしょ?イリミナさんのコートを洗ったりとか手伝った方がいいかなと思ったんだけど。」
イリミナの方に目をやれば湿ってはいるものの髪から水滴は落ちていない。だが、コートの端からは未だに、水がリズムを刻んでいる。そのコートを胸の辺りでしっかりと握っているのはイリミナだ。
(そういえば、最初から握ってたな…あ、分かった。)
「成る程。ディアが自分に向こうに行けと行ったのはイリミナさんの状態を鑑みたから。イリミナさんは湖に落ちたことで服は全滅。過去の文献によるとこの場合に起こるイベントは決まっている。そしてイリミナさんが自分と会う前からコートを胸の辺りでしっかり握っているのが証拠だ。その他に証拠をあげるのならば先程からイリミナさんの態度がおかしいこと、顔が赤いことかな。つまり照れているんだよ。それに気づいたディアは自分をこの場から離そうと考えた。
どう?この推理!」
ふふんと死にかけの表情筋でドヤ顔を決める。そのレイに対して、
「理解したならとっとと、あっち行けー!この、バカ兄! そもそも何で今の今まで気づかなかったんですか!?これ見て気づかなかったんですか!?」
これと言い、アームでイリミナの胸を指す。イリミナがこいつマジかという目でルディアを見る。続けて、
「姉さんは大きくは無いですけど小さくはないでしょ!?だからちゃんと強調されてるじゃないですか!本当にもう!これだから男はダメなんですよ!こんなことも気づけないなんて。相手の気持ちを考えなきゃだめですよ?!」
「確かに言われて見ればそうかも。うん、丁度良いと思うよ。あーでもその考えだと今のディアも自分と同類だね。」
「そんなことないですよ!兄さんより早く気づいてるぶん私の方がマシだもん。姉さんもそう思うでしょ?」
「どっちもどっちだよ…」
先程よりも赤くなっているイリミナ。それを見た兄妹は拳を打ち付ける。普段からやられっぱなしのレイはこの世界に来て初めての反撃だ。イジリにはイジリでお返しだ。ただし、
(絶対に仕返しの内容…選択ミスだよな。)
冷静に考えれば仕返しにしても悪質なものだと気づく。後で謝ることを決めつつ、書斎の方へ歩き出す。それを見たディアも動き出す。空になったカップをイリミナから受け取り、レイに投げる。レイは振り返らずにそれを掴む。その動作を見届けたディアは、
「姉さんの珍しい顔が見れて楽しかったです♪ですがそろそろ風呂場に行きましょう。風邪を引いてしまいます。」
そう言いアームでイリミナの手を掴み引っ張るのだった。
ルディアとイリミナにはかなりの身長差がある。彼女達が手を繋ぐ為にはイリミナが腰を曲げて調整しなければならない。その姿勢を維持するのは大変だろう。だがイリミナの顔にはその影が一切見当たらない。寧ろ、彼女の顔には微笑みが慈しみを表現している。その前を鼻歌まじりに歩くルディア。機械と人の不思議な光景。だが、この2人を第三者が見れば、姉妹だと思うかもしれない。
そんな微笑ましい光景を拡げて行く2人であった。
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張り詰める空気。レイはジリジリと迫る。息を鎮め身体を軽く前傾に、瞬発的に走りだせるように構えている。頬を伝う液体を意識の端で感じる。狙うは机の上にある皿上のスライのみ。
だが、その前に立ちはだかる人影あり。頭には鍔のある帽子を被り、物語に出てくる木こりが着ていそうな服を身につけている。手には杖を握っている。第一印象は異世界風の老人。
だが、ただの老人では無い。特筆すべき点はただ一つ。
「そんな小さい身体で自分を止められると思うなよ。」
そう小さいのだ。目盛りでは足先から帽子の先を入れても15cm程だろう。レイに啖呵を切られた老人はやれやれと言いそうな溜息をつく。それから手に持った杖の握り心地を確かめるように素振りをする。老人とは思えない体幹の強さが窺える。杖の調子を確認した老人は歩きだす。行き先は皿であり、その上の団子だ。
「え!食べるの?その身体の大きさで?…あっ…」
レイが老人と団子の大きさを比べ、食べられることは無いと判断したが、その考えが覆られそうな予感が過り、焦るレイ。レイが動揺している隙に団子の目の前に立つ老人。だが老人は団子を口にはしなかった。その代わり、
(なんてことを…)
杖を団子に突き刺した。そして天高く掲げたのだ。そのままレイへ向き直り口角を上げる。
「…そっちがその気なら遠慮なく。」
宣言をして飛びかかる。老人が逃げられないように両手で逃げ道を潰せるように伸ばす。だがその考えは甘かった。老人はそもそも逃げる気がない。それはつまり、
「うわっ!」
老人が杖を上から下に薙ぎ降ろす。団子が宙に飛び、レイの眉間を撃ち抜いた。予想外の出来事に目を瞑ってしまう。
「痛っ!」
身体が横に倒される。何が起きたのか一瞬わからなかったが、足を老人の杖で殴られたのだと倒れた瞬間に理解した。左脚の脛が痛む。地面に倒れ、すぐさま起きあがろうと手を床についた瞬間、
「ぐへっ!」
眉間に当たり、弾かれた団子を床からの跳躍、宙で再び杖の先に刺す。そのままの勢いでレイの頭に着地。完敗である。レイの耳が後頭部の辺りで咀嚼音を聞き取り、心に諦めの色が滲む。丁度そこへ、
「マスター、おまたせ…しました…。はぁ…またですか。」
「またって言わないでよ…。本当にこの小さな身体のどこに力があるんだろうね。」
レイが老人に敗北したのはこれが初めてではない。名前は知らないが種族なら知っている。種族名は『ポルクの民』。特徴はやはり小さい身体だろう。そして謎に力が強い。彼ら一族は喋るのが稀だ。理由としては同種族内でテレパシーのような念話ができるらしい。
(また勝てなかった…これで12連敗だ)
また勝てなかったことに苦渋を舐めていると、上から最近聴き慣れた声がする。
「あ、レイくんお待たせしました。あれ?“また”、負けたの?」
「なんで”また”の所をそんなに強調するんですか…」
顔は見えないが悪戯小僧の顔をしているだろうことが容易に想像できる。そんなイリミナが風呂から出てきた。
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「さて、本題に入ろうかと思うんだけど良いかな?」
弛緩した空気はイリミナの一言で硬くはなくとも締まった空気になる。食堂に居る人物は4人、レイとルディア、イリミナ、そしてポルクの民の老人(老人は食卓の上で胡座をかいている)。
イリミナは反対意見がないことを確認し1つ頷くと、
「まずはレイ君の答えを聞かせて欲しいな。」
答え、それはつまり彼女と共に旅にでるかどうかだろう。答えは既に決めている。だが、その前に、
「ディアは…
「兄さんに任せます。私はどちらでも兄さんについて行きます」
妹の意見を聞こうとしたが途中で遮られる。だがその答えを聞いてレイは背中を少し押された気がした。もう一度、自分の考えを吟味する。そして、
「自分としては、旅に同行させてもらいたいと思っています。」
真っ直ぐに言い放つ。緊張していたのか硬かった身体を解すイリミナ。
「そう言ってくれて嬉しいよ。」
安堵の吐息を吐きつつ顔も明るくなる。
「「これからよろしくお願いします。」
「よろしく姉さん!」」
2人同時に挨拶をする。ルディアは挨拶をしながらイリミナに近づき、それに気づいたイリミナとハイタッチをしている。その2人を見つつテーブルの上の茶を軽く1口。そしてレイは続けて、質問をする。
「純粋な興味なんですけど…その…旅の目的とかあるんですか?」
純粋な興味だ。風呂場でのぼせながら抱いた疑問だ。この旅は彼女からの提案であることから何か理由があるのではないかとレイは考えている。
窺うような質問にイリミナは暫し考える素振り。そして、静かに答える。
「…家族を探しに行こうと思うの。でも…何処に居るのかはわからない…。」
何処か儚気で諦めにも似た瞳をする。それはきっと気のせいではないだろうとレイは思う。
レイはこの世界に来て、1番に取り組んだのは知識を蓄えることだ。そして運の良いことにこの屋敷には御誂え向きの本が山ほどあった。その中にはイリミナに関わる本もあった。
つまり、イリミナの種族についてだ。
結論から言うとイリミナの種族はとうの昔に滅んでいる。
名は鉱月樹の森人。彼らの特徴は寿命が他の種族に比べて短いこと。短いといっても80歳が平均だったそうだ(補足するとこの世界の人族の平均寿命は106歳らしい)。
そして髪や目は鉱石のようなガラスにも似た美しさを備えている。その見た目は老若男女を魅了し、世界で指折りの美しさと称えられた程だ。だが、いいこと尽くめの見た目ではなかったらしい。
その特徴が災いし、強欲な商人や人攫いに狙われたり、彼らしか扱えない固有の魔法を目当てに戦争が起きたこともあったらしい。その他にも人の欲という欲に巻き込まれて数を減らしていった、そんな不運な種族なのだ。
本人から聞いたわけではないがおそらく彼女はその末裔だとレイは考えている。腑に落ちない点も幾つか残っているが、先の考えは確信に近いと思っている。
改めてイリミナを見る。髪質や目を見る限り、先の種族に酷似している。それはつまりイリミナの家族は、
(もういない…)
そう考えるのが自然だろう。きっと彼女も同じ考えなのだろうと感じる。だがそれでも彼女は諦め切れていないのだ。それもまた自然な流れかもしれない。
(さて…どう返答しようかな。)
なんともデリケートな内容なため、変な返答をするわけにはいかない。彼女と旅に出ることは決定事項なため、目的が何であろうと着いて行くことに変わりはない。どう返答をしようか悩んでいると、
「そんなに気を使わなくても大丈夫だよ。」
いつのまにか自分の背後に立ち、覗き込むように顔を近づけるイリミナ。それに驚き、身体を少し揺さぶる。
「ビックリした…」
レイの端的な感想を聞き、口元を押さえて笑うイリミナ。
「それにレイ君には拒否が無いんだよ、実は…」
「1番最初にした約束ですよね。居候を許す代わりに願いを1つ聞くってやつ。」
しっかりと覚えている。確認のつもりで言ったのだが、何故かイリミナの顔は不貞腐れたように見えた。
(あれ?台詞とったのまずかったかな…よし誤魔化そう。)
「自分はどんな目的であれイリミナさんについて行こうと思っています。改めてよろしくです。」
「…うん。よろしくね。」
イリミナの顔が少し明るくなったので自分の作戦成功を密かに祝う。
その後、旅にでる日時を、明日の明朝と決めるなどの話合いをした。話合いが終わるとイリミナは姿勢を正し振り返る。そのままテーブルの上で胡座をかき、腕を組んでこちらの話を黙って聞いていた老人、つまりはポルクの民の老人に、何時ぞやかの自己紹介をしたときのように、凛と話しかける。
「話はお聞きになった通りです。ポルクの民の長に頼みがあります。私達がこの土地を留守にする間の管理を貴方達にお願いしたいのです。引き受けてくださいますか?」
普段との差があるイリミナの物腰に圧倒される。屋敷の周りにある森林がざわめく、ポルクの民が居付くのは深い森の中だ。イリミナは老人を長と呼んだ、つまりここでの老人の意見が森林に住まうポルクの総意となるのだ。レイは無数の気配が蠢き、興奮を孕んだ木葉の掠れる音を聞き取る。優雅な圧を正面から受けている老人は立ち上がるとゆっくりと腰を折りはじめ、了承の構えになろうとする。老人は腰を折る前に帽子を頭から外し胸に当てる。そして丁度、頭の天辺が見えるあたりで、
「あ!綺麗なまんまるハゲっぇぇ、!? 痛い!」
「マスター!なんでこのタイミングでふざけるんですか!私も少し笑ちゃったじゃないですか!」
「痛い、痛いって。叩くことないだろ!」
全く空気の読めない兄妹がいつものようにふざけ合っている。その様子に思わず堪え切れなくなったイリミナは、
「あははっ、ふふふっ、もう…2人とも!折角、私が真面目にやってたのに…もう!ふふふ。」
堪え切れなくなった感情を思わず表に出すのだった。
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玻璃が弾ける音が聞こえる。
肌に風を感じる。レイは眠気の残る眼を薄く開け、周りを見る。朧げな意識がだんだんと澄んでいく。
旅に出ることに決めたレイはイリミナとの話し合いを夜遅くまでした。結論から言うと出発は明日の明朝、つまりは今日、旅の荷物はイリミナが纏める、大まかに言うとこれが話し合いの全容だ。そこまで思い出して、
(起きなきゃ!)
上体を勢いよく起こす。漸く意識が透る。急いで荷物の最終確認をし、イリミナの元に行かねばとベッドから飛び降りる。それと同時に、
「っ!」
背後で轟音が鳴り響く。驚き慌てて振り返ると銅鑼のような打楽器が置かれていた。銅鑼を叩いたと見られる撥には紐が付けられていた。紐の先を辿っていくと自分の右手の手首に行き着いた。おそらく紐を引っ張ることで撥が動き銅鑼を叩く仕組みだったのだろう。レイは未だに早く波打つ心臓を宥めながら犯人を見やる。こんなことをするのはこの部屋に1人しかいない。
「ふぅぁ〜あ。…あ、おはようございます。目覚まし時計役、お疲れ様です。」
(このボール…後で仕返ししてやる)
目覚ましをかけた本人、ルディアを見つつ内心で計画を練り始める。そんなレイに、眠た気な声が耳朶を掠める。
「ぁ…兄さん…荷物のてぇんけん…おわ…zzz」
話しながらディアが第二ラウンドに突入した。
「おい、こら、起きろ。何のための目覚ましだよ。これで起きて貰えなかったら、自分が不憫でならない。」
ボールを掴み縦に振る。
「あ〜目が回る!おきっ、起きましたから!おろして!」
(やっと起きたか)
(自分も人のこと言えないけど、ディアは朝に弱すぎる。これから旅に出るんだから、朝早くに出立する日も増えるだろうし…治させた方が良いのかな…。)
などと考えながら荷物を確認する。荷物はこの世界に来た当初から余り変化はない。その為、確認は早く終わった。強いて言うのならば青い龍にボロボロにされた服が減ったことぐらいだろう。荷物の確認が終わったのでイリミナと合流することにする。結局、2回戦を始めたディアを抱えていつものフードに収納。そのまま部屋をでる。イリミナの寝室は3階建ての屋敷の1階、それも1番端だ。自分は今3階にいるので階段を下る。イリミナの寝室に続く廊下は右のため右に曲がる。すると
「わっ!」
幽鬼が立っていた。否、それは幽鬼ではない。ふらふらとよろめきながら歩いているイリミナだ。服装が白のワンピースなのが幽鬼と誤認させる原因の1つだ。
「…おはようございます」
「おひゃよ…」
恐る恐る聞くレイ。掠れそうな小さい声で返答するイリミナ。沈黙が落ちる。だがその表現は正しくない。正確には寝息が1つ増えたと表す方が正しい。
(まさか…)
イリミナも朝に弱いのかと考えるレイ。
その考えは正しい。イリミナは銅鑼の音で起きたものの、意識半分で廊下に出た。そしてレイと遭遇するまで立って寝てたのだ。何より、寝巻きのままなのが良い証拠だろう。まさかの自分を含めた3人が寝起きが悪いことが判明。
この先、旅に出るのならば直すべき悪癖だろう。この先の旅路に一抹どころではない不安を感じる。
「ぁ…レイくんだ〜…おやす…み…zzz」
「わっ!…ふぅ〜あぶなkっ!ぐへ!」
イリミナがよろけて側に備え付けられていた燭台にぶつかる。落ちる燭台をすんでの所で掴む、そのまま降ってきたイリミナの下敷きになり、思わず呻いた。イリミナもそのまま第二ラウンド。
(どうしよう…)
腰の辺りにイリミナが、後頭部にルディアが、手には燭台と荷物。
ただただ困り果てるレイだった。
「ってことがあったんだけど、覚えてる?」
「言われてみればそんな気がしなくもない?」
「その説はご迷惑をおかけしました。」
返答が2極のふたり、記憶が朧げなのがディアで申し訳なさそうなのがイリミナだ。レイはイリミナに潰された後、何とか窮地を脱出した。今は起きた2人と屋敷を出て空飛ぶ島の端を目指している。申し訳無さそうなイリミナに目を向ける。半透明な青銀の髪は後ろで纏められている。服装は屋敷ではスカートを多く履いていたが今はズボンだ。上は手首まである長袖で白と赤が使われている。おそらく、彼女と初めて会った日に来ていたものだろう。一見、派手な色彩に感じるが彼女が着るとそうでもない。その派手さも彼女の魅力を引き立てる1つにしかなりえないのだから驚きだ。腰の左側には大きな本が、右にはショルダーを掛けている。本が気になったので質問をすると、「大事なものなの」とだけ返ってきた。その返答の後、直ぐに明るい声が聞こえる。
「さぁ、着いたよ。ここがこの島の端。」
ここと指差された場所を除きこむ。肌に風を感じる。未だに太陽が登っていないためか先が良く見通せない。ただわかるのは、落ちたら格殺ということだろう。
「ここをどうやって降りるんですか?」
聴きながら振り返る。するとイリミナは愛らしい顔を意地悪にし、口角をあげる。
「それはね〜勿論、飛び降りるんだよ。」
「ここを?」
「ここを。男の子なんだから私を元気づけるくらいの気概が欲しいな〜」
ニヤニヤとした顔を近づけてくる。
「そんなこと言われても…普通は怖くて誰も余裕ないと思いますよ。ねぇ、ディア?」
「むにゃ、むにゃ…?降りればいいんです?ふぁ〜あ。」
(こいつまだ寝てたのか。)
ディアが寝ぼけながらレイのフードから這い出て転がりだし、崖側まで行く。そして、
「zzz…あっ、寝てた…、えと…あっ、降りれば良いのか。それじゃ、お二人ともお先です〜。お休みなさいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃー」
落ちて行くのだった。
余りの行動に思わず固まる2人。いち早く動いたのはイリミナだ。
「どっ、どうしよう!レイくんどうしよ!あっあっえと、わ、私が先じゃないと…」
どうやらイリミナもディアが飛び降りるとは思いもしなかったらしい。オロオロと動揺を隠せないイリミナの肩を掴み、無理矢理に自分に集中させる。
「落ち着いて、イリミナさん。端的に教えて、着地はどうする予定だったんですか。」
「魔法で解決。ディアちゃんより先に地面に近づかないとディアちゃん死んじゃう。」
「端的でよろしい」
こうなればレイの動きは早い。荷物を背負い、イリミナを抱える。
「わっ!」
「少し我慢で」
そのまま飛び降りる。轟音が耳の中で跳ね回る。
丁度、朝日が登り始める。地平線が徐々に白く染まっていく。暗かった視界が広がり始め、目の前には雲海が広がる。海に小さく飛沫があがるのを見つけた。
(いた!)
空気抵抗の少ない姿勢で加速する。
(あと少し…)
手を伸ばす。
(捕まえた!)
ディアを抱える。
「イリミナさん!」
「任せて!」
短く返答をしたイリミナは手を前方に伸ばす。小さな鉱石を高速で飛ばす。続けて板状の鉱石を精製しレイの足下へ。
「レイくん!踏ん張って!」
空中で踏ん張るとはどういうことなのか確認をしようとしたところで気付く。
雲海を抜けたことで視界が開ける。全面には緑が広がっていた。巨大な森林だ。その緑の中に目立つ小紫色。それは塔のように伸びてくる。踏ん張るとはあそこに着地をすることだろう。足下の板状の鉱石は緩衝材だと理解する。
「っ!」
強い衝撃と身体にかかる上からの力に歯向かう。視界の端ではイリミナが目を瞑り何かに集中している。すると先程まで掛かっていた力が緩んだ。足下の小紫の塔が頂上から崩れ始めたのだ。それと同時に足下の板も壊れる。塔の頂上に足がつく度に壊れる。辺りに散らばる鉱石が日の光で煌めきながら幻想的な光景を作り出している。
イリミナが集中しているのは塔の硬度の調整だ。レイ達は石を砕きながら降りて行く。勢いがだんだんと弱まり、緑が迫る。その次は大地だ。
地に足をつける。
そうして漸く、
レイ達は物語の舞台となる大地に脚を踏み入れるのだった。