咲った日
視界が霞んでいる。
自分は死んだのだろうか?それとも寝てた?
はっきりとしない意識の中、上体をおこす。レイはどちらかと言うと寝起きが悪かったりする。決して機嫌が悪くなるわけではないが、意識はぼんやりとし、はっきりする迄に時間が掛かる。そんな眠気眼を擦りながら周りを見回す。見たことのない天井に見たことのない部屋、部屋の大きさは16畳くらいだろうか。少し広い気もするが落ち着こうと思えばできる広さだ。
装飾は無いものの気品があり落ち着いた雰囲気の有る部屋。そこまで確認をし、レイはベットの上にいることに気づく。隣を見れば花が生けられていた。見たことがある事から自分が死に掛けた場所に咲いていた花なのだろう。そこまで考えて、違和感に気づく。見知らぬ部屋に居る時点で変なのだが、その事では無い。
自分がさっき、目を擦ったのは…
右手だった。改めて右腕を見るとしっかりと付いていた。もしやと思い、足を見る。案の定。両足の太腿から下も綺麗に生えている。どちらも傷1つない。
ありえない…
その一言が真っ先に浮かぶ。死を確信した傷だったのだ。それが元に戻ったという事実は素直に受け入れ難い。だが現実として目の前には腕と足がある。試しに腕をまわしたり足首を回すが違和感はない。受け入れ難いが受け入れるしかない。そこまで確かめてやっと頭がはっきりとしてくる。そして今見た景色の中にルディアの姿が無いことに気づく。一瞬、脳裏に嫌な想像が流れる。胸の辺りがドクンと波打つ感覚を覚える。だが先程確認した自分の状況から考えて、ルディアも無事の可能性が高いことに思いあたった。レイは一度、深呼吸をし冷静さを取り戻す。
どちらにしろ、ディアを探そう。
そう思い、ベットから立ち上がり出口を探そうと一歩踏み出すが、上手く身体が動かない。もしかしたら、長い間寝ていたのかもしれない。それでもなんとか出口を見つけ、ドアノブに手を掛ける。この世界のドアノブも似たような形なんだなと思いつつ押し開く。どうやら自分が先程まで寝ていた部屋は角部屋だったらしい、廊下は右にだけ続いていた。廊下には所々に花が生けられている。灯りは淡い橙色を放つ鉱石が燭台のような器具に取り付けられているため真っ暗ではない。だが燭台の数が少なく、廊下は薄暗い。レイはその中を壁に寄り掛かりながらも進んでいく。暫く進むと下に続く階段を見つけた。降りるか逡巡したが降りることに決めた。階段を降りると左右に廊下が伸びていた。レイは進む道をどちらにするか考え、左の廊下から一際明るい光が漏れている部屋を見つける。少し強ばる身体を意図的に無視し、光が漏れる部屋に進んでいく。部屋の前まで行く。見た光は半開きのドアから漏れた光だったらしい。ドアの隙間から中を覗く。部屋の中には机らしき家具があり、壁には本棚があり、本が所狭しと並んでいる。もしかしたら書斎なのかもしれない。中からは人の気配を感じないのでもう少し中を覗こうとドアを押す。死角になっていた場所を見る。そこには大量の本が山のように積まれていた。その山に違和感を覚える。
山の中央にある紫と黒の配色の…
あれは…ディア!?
本の山に埋もれていたのはディアだった。レイは急いで駆け寄り掘り起こそうと考え、部屋に一歩踏み入った。その時だ、いきなり耳元で優しい音色でありながら、はっきりと頭に響く、風鈴の様な声音がしたのは。
「わっ!」
耳元で人を驚かせる声がし、まんまと引っかかったレイは身体を驚きで固めてしまう。すると再び背後で風鈴の音がする。
「ー…ーー?、……ーーーー。」
何を言っているのかがわからない。恐らくこの世界の言語なのだろう。レイは緊張する身体を内側からほぐしつつ、恐る恐る振り返る。
そこには1人の少女が立っていた。年齢は16、7くらいに見える。目鼻立ちが非常に整っており肌は透明感のある白だ。髪は肩甲骨の下辺りまでの長さで纏められており、色は表現が難しい。ガラスの様な透明質でありながら地肌が見えない適度な透明感、光の角度が変われば青のような銀のような色にも見える。あえて言葉にするのなら青銀色だろうか。その美しい髪を、留めることなく自然なままにしている。人好きのしそうな優しい目の形、瞳もまたガラスの様な透明感がある綺麗な琥珀色をしている。少女はその作り物めいた美貌から無機質さを醸し出している。だが少女の儚げながらも可憐な微笑みを湛える顔には薄らと紅が引いている。その紅色が無ければ人形か何かだと思ってしまうかもしれない。少女は微笑みを湛えながら再び、風鈴の声音で語りかけてくる。
「…ーーーー?、ーーーーー?」
やはり何を言っているのかがわからない。レイはどう対応したら良いのか分からず、しどろもどろになる。人と話した経験は無いに等しいレイにとって話すこと自体が得意ではない、初対面の相手は特にだ。相手が異性であることも多少の原因ではあるかもしれないが。そんな困惑気味のレイに少女は、レイの顔を下から覗きこむように見てくる。身長は同じくらいで若干の差でレイの方が高い、その為、覗きこんできた顔が近い、琥珀色の瞳が輝いている。
どうしよう、異世界人と会いたいとは思ってたけど…会った時の対応を考えてなかった…
正しい対応は分からないが、友好的な関係を築ければと思う。その為には、
笑顔かな?笑顔は苦手なんだよな…、ディアには「兄さんの石みたいな表情筋は博士の設計ミスですか?」と言われたこともあるぐらいだし。そもそも笑う機会が無いだけだと思うんだけどな…。
ともあれ、挑戦してみようと考えたレイは目一杯に笑顔を作り、
「は、初めまして。」
異世界人に(この場合はレイの方がが異世界人であるのだが)元の世界の言語で話しても通じるはずがない。そんな単純なことに気づかないほどレイは動揺していた。レイは少し強張った声で挨拶の序章を言い放つ。その後を続けるより先に、少女が、
「ハジメ…マシテ…」
レイの言葉を聞いた少女が考え込むように目を瞑り、軽く俯きながら口の中でそう呟いた。何か、考えているように見える。もしかして自分は何かいけないことでも言ったのか?と考えたが、少女の様子を見る限りその心配はなさそうだ。どちらにせよ、少女の出方を窺うしかない。その結論に至り、少女を見ると形の良い眉が少し寄っていた。レイには対人関係の経験が少なく、少女の表情が悲しいようにも悩んでいるようにも見えた。どう対応するのが正解か考えるレイの耳朶を聴き慣れた声が掠める。
「ふ〜ぅうぁ〜、よく寝た〜。」
気の抜けた声がする方に首だけで振り向けばディアが本の山から転がり出てくるところだった。
そんなディアはレイの存在を認識した途端、
「兄さん!起きたんですね!心配したんですよ!」
もう!と続けそうな勢いでディアが話しながらレイの足下まで転がってきた。レイは足下で跳ねているディアの健康を確かめて安心する。
てっきり本に潰されてたんだと思った。
ディアが乱入した事で少女との話し合い(話し合い?)が中断される。そのことに思い当たり、再び少女の方に顔を向けると、少女は最初に見せた表情に戻っていた。レイとルディアの兄妹の再会を微笑んで見ている。レイが少女を見たことでルディアも少女の存在に気づいたらしい。少女の足下まで転がっていく。それを見た少女は膝を曲げルディアを抱き抱えた。その状態でルディアは、
「…え〜と、ーーー!ーーー、…えと、あ! ーーー!」
異言語で話し始めた、その様子を見て、レイは驚愕する。途絶え途絶えではあったがルディアはこの世界の言語を話したのだ、少女がルディアの丸いボディを優しく、語り掛けながら撫でていることから伝わっているのだろう。
まさかディアが話せるなんてな…自分はどのくらい寝込んだんだ?
ディアは確かに頭が良い、一度、見聞きしたことなら覚えてしまう。だからと言って、一朝一夕で新しい言語を覚えられるなんてことはあり得ない。話し方からして文章で話したと言うよりか単語の羅列だった様に思う。日常生活で使う単語であれば覚えるのにどれほど時間が掛かるのか、頭の良いディアならば3日あれば覚えられるかもしれない。だが、それはあくまでも異言語と母国語で意味を確認しあえるのが前提だ。異言語を母国語に訳すための和訳辞典などが必要になる。簡単に言ってしまえば同じ意味を持つ物を見つけるなどの取っ掛かりが必要になるということだ。勿論、レイ達はそんな便利な辞書は持っていない。その為、ディアがどのようにしてその問題をクリアしたのかが気になる。
知る為には聞くのが1番楽だよな。
そう思い、今も少女に愛でるように撫でられているルディア(まるでペットみたいだなと考えたが、話す口調が嬉しそうなので良しとしながら)に質問を投げかける。
「さっきの感じだと、ディアはこの世界の言語がわかるの?」
聞かれたディアは待ってましたと言わんばかりに、
「そうなんです!私はどうやらこの世界の住人だったらしく、最初から理解出来たんですよね〜、いいでしょう〜♪」
「どのくらいで覚えたの?もしかして自分、そんなに寝てた?」
ルディアの冗談を聞いていなかったように受け流し、質問を続けるレイ。その返答に不満に思いながら、
「ちょっとくらい相手してくれても良いのに…、兄さんが寝込んでたのは4日です、その間になんとか日常会話ができるようになりました。今は本を読むことで知識を蓄え中です。」
と、答えてくれた。その答えを聞き、レイは考える。
4日も寝てたのか、いや4日しかの方が正しいのかな…
レイの龍に負わされた傷を考えれば、レイの治癒力では3週間は掛かったいただろう。それが4日で治ったのは、十中八九、目の前の少女が何がしかの処置を自分に施してくれたからだろう。その処置の内容は気になるが、まだ聞かなくてはならないことがある。それは、
「その顔は、私が短期間で異言語を覚えられたのか、不思議だな〜って顔ですね!」
そう、いくらディアの頭が良かったとしても早すぎる。元の世界に存在した外国語とは大きく違う、世界自体が違うのだ。外国語であれば辞書などで同じ意味の物を照らし合わせながら学ぶことができる。先程もその謎を聞こうとしたのだが、質問の仕方が悪かった。だが、ディアは察してくれたらしい。続きを促す意味も含めた首肯をする。
「私が天才すぎたんですよ〜♪」
無言で注視する。
「やめてよ!無言が1番怖いんだよ?! …もう、ノリ悪いな〜、 実はですね、この世界には言語を覚えるのに便利な道具があるんです!」
便利な道具?翻訳機でもあるのかな?いや、この世界の言語を訳すものならあってもおかしくは無いけど、自分達の言語は適応外のはず。
便利な道具は何なのか考えるレイの目の前で、今も撫でられているディアが、少女に話しかけている。
「道具の説明は口で聞くより体験した方が早いと思います。」
そう話すディアを抱えたまま、少女は部屋の中央にある机の側まで行き、引き出しから指輪の形をした金色の石を取り出し、レイの目の前まで歩いてくると微笑みながら石を差し出してきた。どうやらディアが先程、少女に話していたのはこの石の使用許可を取る為だったようだ。
指に嵌めれば良いのかな?
レイは少女の手の平から指輪を受け取ろうと手を伸ばす、だが伸ばした手とは反対の手を少女に取られ薬指に嵌め込まれた。その際に、少女の手のひらが触れる。レイはその優しい感触を懐かしく感じ、異世界に来たことを改めて実感する。嵌めた感触は普通の指輪だった。付けたからといって何か変化が起こるわけでは無いらしい。つける前は気づかなかったが指輪には何種類かの花弁の装飾が綺麗に施されており、非常に気品のある逸品に仕上がっている。レイは指輪に夢中になるあまり気づかない、少女がルディアを抱く腕に少し力が入り、頬がほんの少し紅が増したことを。(久しぶりに話せることへの気恥ずかしさと付けた指の意味に照れている)レイが少女の存在を思いだし、少女を見れば、初めて会った時と同じ、優し気な微笑みを湛えていた。先程よりも顔が近い、レイは少女の作りものめいた美形に少し慄いたが態度には出さない。そんなレイに少女が風鈴のような優しいながらも、はっきりとした声で語りかけてくる。
「こ…ーちは、わ…ーーはーーです。」
…?、指輪の故障だろうか?
少女が優しげな笑顔を向けている。少なくとも少女のおふざけでは無いと考える。指輪を再び見るが、先程と変わらない気品を放っている。レイは黙って考え込んでしまう。考え込むレイにルディアが子どもに注意する口調で、
「ちょっと、兄さん!自己紹介してくれたんですから返さないと!」
しまった、ディアに注意されてしまった。確かに、黙るのはよく無いよな。
反省しつつ今の出来事を頭で手短に纏める。ディアの言からすると、少女はレイに自己紹介してくれていたらしい。だがレイには聞き取れなかった。正しくは、異世界語が自分の言語に上手く変換されていなかったように思う。
「いや、聞き取れなかった、文章の途中が抜け落ちてたから。」
レイがディアに答える。その内容が気になったのか少女はディアに直ぐ様、話しかけた。話しかけられたディアは少女に意味を伝えたのだろう、少女が琥珀色の瞳でレイを上から下まで観察し考え込んでしまう。レイの答えを聞いたディアも考えながら、
「私はちゃんと使えたんですけど……はっ!心の綺麗な人にしか使えないとか!?」
どうやらこのボールは答えが分からず思考を放棄したらしい。その為、無視を決め込むことに
する。普段ならばディアの冗談に付き合っても良いが、この書斎らしき部屋にきてから今に至るまで、レイはずっと立っていた。身体が常人より丈夫に作られているとはいえ、病み上がりのレイには負担が大きい。案の定、軽く視界が暗くなり、レイはよろけて尻餅を着いてしまった。
ルディアを抱えた少女が側まで駆け寄って来る。
「兄さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫。」
レイが手短に返事し、立ち上がろうとした時だ、身体が浮遊感を覚える。気づいたら目の前は床だった。横を見れば同じ高さにディアがいるのを確認する。つまり、レイは少女に抱えられている。身体を動かそうとするが、びくともしない。レイはがっちりと少女の脇にホールドされている。
「えっと…、これ、どういった状況?」
レイが確認を含めた問いをルディアに投げかける。
「マスターはですね〜、こんな華奢な女の子に抱えられているんです。もう少し鍛えた方がいいと思いますよ?」
ディアがケラケラと笑いながら答える。レイは抱えられていることを改めて確認し、少女の腕を見る。少女の腕はディアの言う様に細腕で、レイを持ち上げる力が何処についているのかがわからない。そんな謎にレイが頭を捻り、その様子をルディアがクスクスと笑いながら見ている。呑気な兄妹を両脇に抱えた少女は書斎を出て左に曲がり、しばらく真っ直ぐ歩き、台所らしき場所と6人程が座れそうなテーブルがある場所が、カウンターで仕切られた部屋へと辿り着いていた。少女はテーブルの側にある椅子の側まで歩き、レイを床に、ルディアをテーブルの上に下ろす。すると、踵を返して台所の方に行ってしまった。レイは座って良いものか考えたが、レイの予想通りならば少女が向かったのは台所だ。つまり、料理を振る舞ってくれるのかもしれない。
だったら手伝った方がいいよな!
と、出来もしない事を理由に台所に行こうとする。実際には、この世界の食材と調理法に興味があるから行きたいだけなのだが。レイの頭には自分が病み上がりであることは記憶の片隅に、燃え残った炭程度しか無い。その為、もっともな理由を探した結果が先のものだ。大義名分のもとに、台所に近づく視界にはエプロンらしきものを付けた少女が何がしかの作業をする後ろ姿が見える。料理の時は髪を一つに纏めるらしい。頭から尻尾が生えていた。レイは少女が何をしているのか手元を見ようと近づき、パンっ!と弾ける音を耳にする。何事かと急いで近づけば少女も此方を振り向く。少女の手には鋭利な刃物が握られており、その刃物には朱色が塗られ、少女の顔にも点々と朱が差し込んでいた。バイオレンスとも取れる絵だがモデルが美形だと以外と様になるなと呑気に考えていると、手の汚れを吹いた少女がグリンと効果音が付きそうな首だけの振り返りをする。その行動に一瞬、ビクっと身体を揺らすレイ。少女は手に刃物を持ち、ゆっくりと近づいてくる。
え、普通に怖いんだけど。
と、考え、取り敢えず苦笑いを少女に向ける。すると少女も舌舐めずりをするような笑顔を返してきた。その笑顔にレイの背中に変な汗が伝う。少女はレイの近くまで来ると後ずさるレイの肩を刃物を持っていない右手で勢いよく掴む。相変わらず、謎の剛力から逃れられない。そのままレイは押されて数歩、下がる。次の瞬間、少女がナイフを振りかざす。意識がナイフに集中し、対処しようとした所で、足を引っ掛けられてーーーーー、椅子にストンと座らされた。レイは何が起きたのか分からず、呆然とする。そのレイの様子を見て、少女は無邪気な子供のようにクスクスと口元を押さえて笑っている。そして少し風の有る日の風鈴のような声で、
「やー…ー、ーすーー。」
と、やはり聞き取れない言語を語りかけてくる。すると横から、
「病み上がりだから、休んでて、だそうです。」
と、訳が飛んできた。声のする方向を見れば、いつの間にかちゃっかり、椅子に座ったディアがこれもいつ持ってきたのか分からない本を広げ寛いでいる。豪胆な妹に苦笑いをし、向き直れば少女は既に調理を再会していた。そしてレイの視線に気づいた少女は舌を少しだけ出し、笑った。どうやら揶揄われたらしい。揶揄う方法が怖すぎる!と内心でツッコミしつつ、レイは少女の言葉に甘えることにした。椅子にゆったりと座り直す。座ったことで少し落ち着く。落ち着いた脳で今までの出来事を考える。特に気になることは2つ、少女と指輪についてだ。今、自分たちがいるのは少女の家だと思われる。素材は木だと思う、だが異世界の素材なので正しい事はわからない。廊下の長さから、家の大きさはかなりの大きさだと推測できる。だが人の気配は少女以外には感じられない。少女の素性がわからない以上、油断はできないが、少女の行動からすぐに敵対することは無いと判断する。これ以上は言葉が通じない以上、少女について考えても思いつくことは無いと考え、思考を切り替える。レイは左手の薬指に嵌められた花の装飾が施された金色の指輪を見る。ディアの言ではこの指輪は翻訳機であるらしい。この際、指輪の翻訳するためのカラクリについては置いておく。どうせ考えても分からないからだ。問題はその機能が何故か自分には上手く働かなかった事だ。これも考えても分からないとは思ったものの、ディアが使えることから何かヒントが掴めるかもしれないと考えた。だが、案の定、
全く、わからん!
そもそも異世界の知識が皆無なレイがヒントも何も掴める筈が無かったのだ。考えても分からず、両手をだらんと下げて、椅子の背もたれに体重を預ける。手に違和感を感じる。正しく言い直せば、そこにあるはずの物が無く、手にあるはずの物が触れなかった違和感だ。手の位置、太腿と腰の間を見る。そこにあるはずの赤い石が無くなっていた。慌てて、探しに行こうと椅子から立とうとするレイの視界に、2冊目に突入した呑気なディアが視界に入る。
赤い石が無いのはディアも知っているはず。
自分が寝ていた4日の間、看病してくれていたであろうディアが赤い石の紛失に気づかない筈がない。そんなディアが慌てもせず、自分に赤い石の紛失の報告も無い。つまり、
「ディア、赤い石なんだけど、持ってる?」
確認するように聞く。そして思った通り、
「はい!持ってますよ。そういえば言って無かったですね」
赤い石はディアが持っていると知り、安心する。この世界での使い道は知らないが、長年付き添っただけあって、愛着がある。だがディアの身体の何処にも赤い石の存在はない。
「何処にあるの?」
レイがルディアに質問をする。するとディアは待ってましたと言わんばかりに、
「良く聞いてくれました!見てください!パンパカパーン!」
謎の効果音と共にルディアの正面が開く。中には赤い石が入っていた。ディアに収納庫があるとは知らなかった。
「そんなポケット付けた記憶無いんだけど。」
レイがルディアの記憶にない機能を見て、話しかける。するとディアは、ムフー、と言いそうな口調で、
「後付けです!製作者は私です!」
いつのまに付けたんだこいつ?
内心で苦笑い。この世界に来てまだ数日であるのに自分の知らない機能が二つもでてくるとは、と考えて、
こいつ自分自身を改造するとき、どんな気持ちなんだ?
と思ったが口には出さない。改めてディアの方を見ると、
「この赤い石は私が預かっとこうと思うんですけど…良いですか?」
と、聞かれる。レイは自分が腰にぶら下げるより、ディアの収納庫の方が紛失しないだろうと考え、首肯する。それから数分後に芳ばしい匂いと共に少女の声が聞こえる。声のする方向を見やれば、少女が両手と頭に皿を乗せて歩いてきた。少女は器用に皿を運び、机に並べていく。皿は木製だ。木製だと判断できたのは、空に飛ばされて酷い目に遭う前に居た島で見た、普通の木と皿の素材が酷似していたからだ。皿の上には肉らしき食材が食欲を唆る、いい匂いを醸し出している。その肉の横を見れば、カラフルな野菜と1口で食べてしまえる大きさの団子がある。団子は色のついた物も有れば、真っ白な物、焼かれている物までと様々な種類がある。皿に盛られた料理を見る限り、少女が丁寧に作ってくれたことが良く分かる。とても美味しそうだ。久しぶりの食事だということもあって涎が止まらない。丁度、少女が綺麗なグラスに入った、飲み物を運んで机に置くところだったので、
「ありがとうって伝えてくれる?」
とディアに翻訳を頼む。ディアは「勿論です!」と言い、伝えてくれた。その時の少女の表情は子供のような弾けた笑顔だった。少女が席についた所で食べようと考えたが、頭の後ろに、作法の二文字が駆け抜けて行った。レイ達の場合は過去の文献に乗っとって、両手の平を合わせるのだが、異世界ではどうなのだろうと少女をチラと見る。少女は祈るように両手を握り、軽く目を瞑る、そして軽く何かを呟き食べ始めた。この世界にも似たような文化があるのだなと思いながらディアの方も見る。ルディアはいつの間にか本をしまい、既に食べている。異世界の作法をしたのかは不明だ。レイは折角なので異世界風に食事を始めた。まず何から食べるかと皿を軽く物色し、湯気が渦を巻いて立ち昇っている肉に狙いを定める。使う道具はナイフとフォークだ。フォークは記憶にある物と似た形状だが先端が2つしかない。その道具を使い肉を切る。肉汁が溢れるのを面白いと感じながら口に運ぶ。口の中に旨みと肉汁とほんのり獣の匂いが混じるが、すぐ様、爽やかな匂いに変わる。香草を使っているのかもしれない。塩加減も丁度良く、美味しい。続いては野菜だ。噛んだ時の瑞々しさと食感に驚きつつ野菜の上にかけられた酸っぱさも感じるソースも堪能する。味わいからして、肉の焼いた後の肉汁を使っているのかもしれない。肉と野菜を堪能した後、少女が持ってきてくれた飲み物を喉に通す。匂いは爽やかで甘味を感じる。見た目は透明に近いので最初は水かと思ったがとても美味しい。肉を食べた後に飲むとまた格別だ。最後に残ったのはカラフルな団子だ。白色を口にする。
美味い!
思わず心の中で叫んでしまった。味は表現しにくいが甘味がある、食感はモチモチとしていて弾力があり、噛めば噛むほどに仄かな甘味が出てくる。次は色の付いた団子を口にする。こちらは中に甘いソースが入っており団子の食感と相まって非常に美味しい。しかも色によってソースの味が違い、飽きることなく食べられる。焼かれた団子はサクサクとした食感で周りに塗られた甘辛いタレとの相性が良い。レイは皿にある物を無言で完食し、グラスを最後に一気に傾ける。レイは食事の終わりに手を合わせている少女の真似をして食事を終える。ルディアを見れば、満足そうに椅子の上で左右に転がっている。レイ達は非常に満足している。今までの食事は栄養だけのサプリや乾燥させた保存食のみだった。そのため、温かい食事は今回が初めてであり、肉や野菜などの食材も初めてだ。初めてだらけの食事であった。この世界では今食べたような食事が食べられるのかと思うと、自然と心が躍る。
今までの食事は味がほぼしなかったからな…
レイは食事を終えて、今後の方針を考える。取り敢えず、人族には会えた。過去の文献では何故か言語が通じている作品もあったが、この世界は違うらしい。それでも友好的な人族と会え、食事にありつけたことを思えば、充分に運が良いと言える。後の問題は、
「ディア、今後のことなんだけど…」
厚かましいと理解しながら、少女にこの屋敷に少しの間だけ泊めさせて貰えないか交渉をお願いしようとしたレイの言葉を遮り、
「既に家の使用許可は取ってます。自由に使って良いとのことです。」
ディアが既に許可を取ってくれていたらしい。優秀すぎる妹に感謝する。落ち着ける場所も確保できたことに安堵し、続けてこの世界の事を少女に質問しようとし、気づいた。レイは未だに少女の名前を知らないのだ。先程、自己紹介をしてくれたのだが言葉が分からず、少女の名前は知らないままだ。
「ディア、眠い所に悪いんだけど通訳をお願いしていい?自己紹介した方が良いと思って。」
今後の為にも名前を知っていた方がいいだろう。健康優良児のディアは既に、意識が飛びかけている。それでも通訳を承諾してくれた。そのやりとりを見ていた少女は会話の内容が気になったらしくディアに話しかける。ディアから話の内容を聞いた少女は軽く目を瞑り考える仕草をする。少女の癖なのかもしれない。ほんの一瞬、考えた少女は琥珀色の双眸でレイを数秒見つめ、悪戯好きの子供の顔をする。
なんか、めんどくなりそう。
と内心で思う。少女がディアに翻訳をお願いする。
「自己紹介なんですけど、それはマスターがこの世界の言語を理解してからにしようとの事です。それと、言葉を覚えるまではこの家に居て良いそうです。」
ディアは「ですが、」と続けて、
「言葉を覚えた後は、一つ、お願いを聞いて欲しいそうです。」
レイは一瞬考えたが承諾する。そもそもこの世界で身寄りが無い以上、少女の提案を拒否するのは愚策だろう。おそらくだが、自分達がいる大地は浮いており島からの脱出はできないだろう。お願いの内容が危険では無い事を祈るのみだ。なにはともあれ、
「取り敢えず勉強、頑張るか」
「目標は?」
「2週かn…一ヶ月でなんとか」
ディアからの言語習得の目標を聞かれたので手短に答える。
この日は少女から部屋を充てがってもらい、休息をとった。目標よりも早く言語を習得してやろうと密かに心に秘めながら。