魔法に触れた日
遠くで子供達の無邪気な笑い声が聞こえる。それと同時に、
「次は、どこかの家の壁が壊れたな。」
遠くから破壊音が聞こえてきて、ウォルナットがそう判断する。その表情は変わらずいつもの通りの強面だ。
「ここの人達は皆んなこんな感じなんですか?」
荷車の中で静かに息を鎮めているのはレイだ。その後ろではイリミナとルディアがレイの髪を弄って遊んでいる。そのイリミナの頭には黒い子犬が乗っていた。
「いや、そんなことはない。物を壊すのは子供ぐらいだ。大人の獣人はそのあたりの力加減を身につけている。友人の話では、子供の内のあの物を壊す行為は大人になるための通過儀礼だと言っていたな。あれで少しづつ力加減を覚えていくものらしい。そして…そろそろだな。」
そこまで話して最後を濁したウォルナットを不思議に思っていると、
「──!!」
遠くから女性の怒鳴り声が響いてきた。言葉が獣人の言葉だったので意味は分からないが、口調にあった言葉を使っているのだろうと考える。
「あれはこの街の代名詞みたいなものだ。毎日どこかで誰かが怒られている。」
「…あんな大きい声で怒られる子供も大変ですね。」
「…子供だけとは限らんがな。」
(子供意外も怒られるの?)
ウォルナットの返答が呆れたような言い方だったのも気になったが、それ以上に大人もあの声量で怒られるというのに驚いた。その様子のレイを横目で見ると、ウォルナットは呆れたような声で話し始める。
「獣人、特に獣人の男だな。彼らは良くも悪くも子供らしい部分があってな。自分の意見に素直と言うべきか欲に忠実と言うべきかは分からんが、少し自分本位な性格をしている者が少なくない。大人が怒られると言ったが…怒られる大人は大抵男だ。そして、その男を怒るのはその妻が多いな。怒られる理由は…まぁいくつかあるが、特に多いのが街中で出会った女性に鼻の下を伸ばして阿呆な顔で追いかけて、酒場で飲んで潰れて、請求は男持ち。女は既に居なくなっている。
これがバレて妻に大目玉を喰らう、この流れが1番多いな。
酒好きの女が酒をタダで飲みたいと表現する際に、「獣人の前で酒を舐める。」という言い方があるくらいだ。」
その話を聞く限り獣人の男に対する印象は最悪な気がする。そう考えるレイの髪を弄っている2人は満足したのか髪を弄るのを止めていた。そして、ウォルナットとレイの会話の間を見てイリミナが話しかけてくる。
「レイくん、こっち向いて。」
「…」
黙って、気だるげに身体の向きを変える。目の前には楽しげな美貌を向けるイリミナ、その正座している太腿の上にルディア、イリミナの頭には寝ている子犬。向きを変えたレイの顔に、イリミナとルディアがせっせと何かを塗りたくっていく。
「姉さん!ここはこうした方が良くないですか?」
「そうだね。流石ディアちゃん!」
仲良さげな2人を一時的に頭の横に置いて話を再会するレイ。
「そうなると、男に愛想尽かして別れちゃいそうですね。」
先程の話の疑問点を何気無しに口にする。それに答えるウォルナットは何か言いたげに、女子2人に弄られるレイを見るがそのことは何も言わない。
「…確かにそう思うかもしれないが、不思議なことに獣人の夫婦が別れるというのは中々起きない。その辺りは夫が上手くやっているのか、それとも寛容な妻が多いのか。だが、これだけは言える。獣人の男というものは女に弱いが、1度婚姻の契りを交わした女性を一生大事にする、とな。実際に30年もの間、行方不明になった妻を探し続けた獣人の男の話は有名だ。」
「確かに30年は凄いですね…ウォルナットさんの友人の方は男ですか?」
そう質問をするレイの側では女性陣も何やら興奮している。どうやら上手くできたらしい。
だが、意図的にそれを無視する。
「そうだな、男だ。だが、正確には少し違う。あの奥の森にいる私の友人は2人いてな、その2人は夫婦なのだ。」
レイはその答えを聞いて街の奥に広がる大森林のそれまた奥の森を見る。その女性陣に解放されたレイを見てウォルナットは苦笑いすると、
「君も大変だな、よく抵抗しないで受け入れているものだ。」
「あ〜まぁ、何でしょう。最初は抵抗があったんですけど、今はもう別に良いかなぁ〜って感じなんですよね。それに似合っているのなら良いのかな〜とも思い始めてきましたし。」
「そうか…その扉を開くことは止めはせんが…後悔はしないようにした方が良い。」
そう、話すウォルナットの近くには少女、ではなく飾り付けられたレイがいた。髪も綺麗に纏められており、化粧も施されている。
「まさか、マスターにこんな才能があるとは思いませんでした!」
「そうだね、次はどんなのが良いかな?」
と、レイの目の前で2人が楽しげにハイタッチをする。そして丁度そのとき一行を乗せた荷馬車が動きを止めた。
「着いたぞ。」
そう手短に言うとウォルナットは御者台から飛び降りた。レイ達もそれに続く。降りると目の前には小さいながらも立派な作りの宿屋が建っていた。続いて降りてきたイリミナからルディアと子犬を受け取り、イリミナに手を伸ばす。
「どうしたんですか?」
「いや…なんでもないよ!」
レイの手を取って荷台から降りたイリミナはその髪を隠すようにフードを深く被る。今、彼女の髪は彼女自身の種族特有の髪質になっている。それがバレるとどこから危険が来るか分からない。自分よりも強いイリミナのことを心配する必要があるのかは分からないが、用心するには越したことがない。そして、その髪を隠しているフードが捲れる心配が無いように荷台からは慎重に降りてもらう必要があった。
「それにしても獣人の街は賑やかで良いね。後で探索してみようかな?」
急にそう言って周りを見渡すイリミナ。
「…イリミナさんなら大丈夫だとは思いますけど…死なないように気をつけてください。」
「あはは!姉さんより弱っちいマスターの方が気をつけた方がいいですよ。」
「本当のこと言うな。」
ボールを軽く小突く。それを微笑んでイリミナが見ている。
「そういえばディア、お前って獣人の言葉話せたっけ?」
今、丁度怒鳴り声が聞こえてきたその言葉を聞いて、ふと疑問が浮かんできた。それを聞いたルディアは少し考えると、
「まだ、話したことがないので分かりませんが、多分できると思います。」
「よし、それじゃディアはこれから翻訳機として使うか。」
「別に良いですけど、私は機械じゃないんですから翻訳家と言ってください!マスターの意地悪。化粧のことでも根に持ってるんですか?」
「はいはい、悪かったって。」
「ディアちゃん獣人の言葉も使えるの凄いね!後で一緒にお買い物にでも行きましょ?」
「はい!姉さん喜んで!私のことは唯の翻訳機だと思って使ってください!」
「お前、兄とイリミナさんの扱いの差はなんだよ。」
「姉さんは良いんです〜。」
「あはは、2人も本当に仲が良いんだね。」
いつも通りのルディアとの掛け合い。それをいつものように笑って見ているイリミナ。最近の笑顔は暗さを感じないものが多くなってきたように思う。そんなのんびりとした会話をしていると、宿屋から、
「3人ともすまない。何泊か多めに泊まることになった。」
先に宿屋に入っていたウォルナットが戻ってきた。その言葉に疑問を持つ。
その様子を見てウォルナットは溜息を吐くように話始める。
「どうやら、店主に聞いたところによると、あの森の夫婦が喧嘩中らしくてな。今は近づかない方が良い。理由は分からないが…はぁ〜まったく、あの男は何をやらかしたんだ…。」
そう眉間を指で挟むウォルナット。原因は分からないと言いつつ男の方にあると決めているのが何とも…とわいえ、泊まることになってしまうのは仕方がないだろう。そう、森の方角を見ながら思う。
「分かりました。」
(行ったって気まずそうだし。)
2人も頷く。ついでに子犬も軽く鳴いた。
「というわけですまない。宿はここで1週間ほど取っておいた。部屋を割り当ててくれるそうだから中に入ろう。」
そう言ったウォルナットに続き中に入る。中は綺麗に管理されており、1階は受付と食堂を兼ね備えた空間であった。その受付には大人というには若く、子供というには大きい女性が立っている。その頭には獣の耳が生えていて、髪と瞳の色は茶色の可憐な少女だった。
少女は来客を確認すると、
「いらっしゃいませ!木の葉邸にようこそ!ウォルナットさん、この方達が先程仰っていた?」
元気よく挨拶をする。その勢いに思わず会釈してしまった。
「そうだ、彼らが先程話していた者達だ。すまないな、いきなり予定とは違う日数をお願いしてしまって。」
「いえいえ、お構いなく!寧ろ収入が増えて良いことづくめですよ。」
「そう言って貰えると助かる。」
気さくな、中の良い会話をする2人。そこまで会話をした段階でウォルナットが此方に振り向く。
「紹介しよう、彼女はこの宿屋の主人であるニサだ。」
そう彼女を紹介してくれた。紹介された少女は直ぐに仕事を始める。
「それでは皆さん、ここにお名前を記入してください。あ、苗字でもなんでも良いですよ。」
そういって紙と筆を持ってきた。レイとニサの身長の度合いで丁度彼女の頭が目の前に来るのだが、その耳の付け根がどうなっているのかは分からなかった。
(少し興味があったんだけどな。)
渡された紙に名前を書く。それを確認するとニサはレイをじっと見つめて、何やら考え込む様子。そして、1つ頷くと、
「似合ってますよ。」
と小声で耳元に囁いてきた。それを聞いて、疑問に思いつつ考える。
そして、気がついた。
(恥ずかしくなってきた…。)
思わず顔を手で覆い、耳を赤くする。その様子を見て、
「だから後悔はしないようにと言ったのだ。そもそも化粧くらいは軽く落とせば良かったのではないか?受付の者と会うというのは分かっていただろう?」
「…いや、僕が言うのも何ですけど…バレないと思って。」
「獣人は五感が鋭いからな……まぁ、なんだ…強く生きてくれ。」
そう、肩を優しく叩かれる。そうこうしている内に全員書き終わり、部屋へと案内された。
「はい!ここは、2人用のお部屋です。ご自由にお使いください!これが鍵になります。」
そう元気に言うとニサはイリミナとルディアに鍵を渡す。
続いてウォルナットとレイがそれぞれの部屋へと案内された。
「はい!ではどうぞお使いください!」
「ありがとうございます。……?」
「…どうしたんですか?」
「え、いや、あの…鍵は?」
「あ!そういうことですか。ありませんよ。」
「え?」
「ありません。」
鍵を受け取る気で手を出していたらニサに不思議な顔をされ、そして、その次には無いと言われた。そのことに驚いていると隣の部屋を割り当てられているウォルナットが、
「宿屋で鍵付きの部屋が使えるのは女性が殆どだな。鍵というのは意外と高くてな宿を経営するものが考えた末に、
「男の部屋には最悪鍵はいらないだろう!という判断になりました。」
「…え〜。」
ウォルナットの台詞を引き継いでニサがそう答える。そして、何やらニヤニヤと笑い始めると、
「あ〜でも、お兄さん、いやお姉さんって呼んだ方が良いですかね?だと、鍵があった方が良いかもしれませんね。何せお綺麗ですからね〜。」
そう茶化してきた。部屋に案内される道すがら、誤解を解いておこうと化粧について説明をしたのだが、それが逆効果だったかもしれない。ニサに弄られたレイは静かにドアを閉める。
「…鍵は結構です。」
「ちょっと待って!お兄さん!」
するとニサが慌ててドアに手をかけた。ドアノブから手を離すと、
「少しふざけ過ぎちゃった。ごめん!鍵がないのは本当だけど、それの代わりになるやつはあるんです。はいどうぞ。」
そう言われて渡されたのは青と赤色の立方体。それを左手に赤、右手に青と乗せられた。それらを不思議に見ていると、
「鍵の代わりになるやつです。使い方は…教えましょうか?」
黙って首を縦に振る。
「分かりました。では実践でお教えしましょう!先ずは赤の結晶を扉の脇のこの台の上に置いてください。」
指示に従い入り口側にあった台の上に赤の立方体を置く。
「次に赤の結晶に魔力を流してください。」
指示通りに従う。指示通りに、、、指示、、
(え…)
「魔力…流すんですか?」
「はい、そうですよ?…………え!?まさか、魔力使えないんですか!?」
「はい!使えないです。」
「…そんなことあるんですか!?なんでそんな得意気なんですか?!」
思わず驚くニサが未だに信じられないという顔でレイを見る。どう反応したらいいのか分からなかったので、取り敢えず良い笑顔で応じる。
「えへへ。」
「お兄さん…笑い事じゃないですよ…。どうしましょう…これじゃ本当に鍵なしになっちゃう。」
焦った様子のニサが小声で考え始めてしまった。先程の反応と目の前のニサを見て、やはりこの世界には魔法というものが浸透しており自分のような魔法が使えない人間は不便そうだな、と漠然と考える。不思議と焦りはないが、目の前で右往左往しているニサを見ると申し訳なくなる。
「やはり、使えなかったか…致し方ない。ニサ、私が彼に魔力を扱えるよう外で指導をしてくる。なんとか、夕飯までには間に合わせよう。その間もこの部屋を押さえておいて欲しいのだが、できるだろうか?」
「それは…構いませんけど…でも大丈夫なんですか?魔力が使えないということは…自分の身を守ることできませんよ?あまり、外には出ない方が…。」
困り果てるニサを見かねたのかウォルナットが助け船を出してくれた。その言葉を受けて心配そうにレイを見るニサ。自分自身の意見としては教えて貰えるのならば喜んでといった気持ちである。
「僕としても教えて貰えるなら、そっちの方が良いですね。」
本人が呑気そうにそう答えたからか、それとも合理的に考えた結果なのかは分からないがニサは渋々納得したように頷く。
「…分かりました。でも本当に気をつけてくださいよ?外は本当に危ないんですから。あ!そうだ、ちょっと待っててください。」
心配をしてくれるニサは何かを思い出したように小走りで1階へと降りていく。
(すごい、良い子だな。)
先程の心底レイを心配する様子を見て、そう考えるレイ。その横に自分の部屋に入らずに黙って2人の会話を聞いていたウォルナットが歩いてくる。
「まさかとは思ったが、魔力の扱いすら知らんとはな。確かに、魔力すらつい最近まで認識するこができていなかったからな、冷静に考えれば当然ではあるか…。しかし…それで良く今まで生きてこられたものだ。エルマと遭遇したにも関わらず生きているのは奇跡としか思えんな。」
そうレイを眺めて不思議そうに顎を撫でている。
「いやー僕自身も不思議ですよ、よくあんな化け物と会って生きてるなと。あ、あと魔法を教えてくれるの凄い助かります、ありがとうございます。」
少し茶化し口調で話し始めて、後半は落ち着いた声で感謝を述べるレイ。それに対してウォルナットは「気にするな。」と言う。丁度その時にニサが駆け戻ってきた。息を切らしながら走ってくると何かをレイの目の前へと突き出す。その手には金貨程の大きさのメダルが摘まれている。驚いた顔でそれとニサの顔を交互に見ていると、どうやら息も整ってきたようでニサが話始める。
「お待たせしました。これ、良かったらどうぞ!御守りです。とっても御利益のあるものなのできっと役に立つ筈です!」
ニサはへにゃっとした顔で微笑むと、そのメダルをレイの手の中へと握らせた。
「あ、ありがとうございます。良いんですか?」
「はい、どうぞ!私もまだ持っているので気にしないでください。」
折角なのでありがたく貰うことにする。ニサに感謝を伝えてから懐にその御守りをしまった。そのやり取りを見ていたウォルナットは2人の話に区切りがついたのを見計らって、
「よし、では行くとしよう。イリミナ嬢達には悪いが、少し手伝って貰いたくてな。協力を願えるか聞いてこよう。」
「分かりました。僕が聞いてきます。」
「そうか、分かった。では、私は先に外で待っているとしよう。ニサ、迷惑をかけたな。少し出かけてくる。」
「いえいえ、お構いなく。お気をつけて!」
その一連の流れを終えるとレイは直ぐに2人の部屋の前へと歩いていく。扉の前で軽くノックすると、中から聞き慣れた声が響いてきた。
「は〜い、あ!レイくん!どうしたの?何かあった?」
旅の際に来ていたズボンなどを脱ぎ、今はスカートを履いているイリミナ。その部屋着の様子に申し訳ないと思いながら先程の話をする。
「うん、分かった。手伝わせてもらうね。ちょっと待ってて、直ぐに準備するから。先に行ってて〜。」
扉から離れながら急いで準備に取り掛かるイリミナ。それを見ながら扉が閉まる前に感謝を言う。そして、ウォルナットの待つ外の方へと足を向けた。外に出るとウォルナットが荷馬車(引いてるのは熊)を用意して待っている。
「外って、街の外に行くんですか?」
レイの中では近くの空き地にでも行く予想だったために、目の前の光景に少し驚いた。
「いや、そうではない。今から向かうところに荷を卸しに行こうと思う。明日にしようかとも考えていたのだが、丁度良いと思ってな。君の練習場所もその近くなんだ。効率を求めるのは商人の性だ。悪いが少し時間を貰いたい。」
(成る程、そういうことか。)
「いえ、全然問題ないです。寧ろ、今までウォルナットさんの仕事の邪魔をしていた様なものなので、こっちが頭下げる方ですよ。」
未だに実感が湧かないが目の前にいるウォルナットはこの世界の三大組織の1つである商会の会長なのだ。きっと仕事も責任も多いはず。今こうして面倒を見てもらっているのは運が良いとしか言えない。本来ならば会うことも無かったかもしれないのだ。謎な点としては何故そんな大物が自ら御者台に乗っているかだが、
「もしかして……経営不振?」
「…なぜ、その答えを出したのか知らないが私の商会は今のところ問題なく利益を上げている。そんなことよりイリミナ嬢は了承してくれた…ようだな。」
レイを呆れた目で見ていたウォルナットが視点を変える。その先には宿屋から飛び出るように駆けてきたイリミナがいた。その胸にはルディアを抱えている。
服装は旅の中で見慣れたズボン姿であった。
「お待たせ!少し準備に時間がかかっちゃった。」
そう言いながらフードを深く被りなおすイリミナ。
「大丈夫ですよ、姉さん!女の支度に何か言う男は器が小さいだけですから!」
フォローしているのか、こちらを揶揄っているのか分からない口調でルディアが言う。
「確かに女性の準備に男が口を出すのは少し配慮には掛ける点はあるだろう。さて、出発をしよう。3人と…1匹だな、は荷台に乗ってくれ。イリミナ嬢、突然に協力を依頼して申し訳ない。」
そう話を締めくくるウォルナットにイリミナが「いえ、気にしないでください。」と答える。
荷馬車に少し揺られる。
その荷馬車の中でレイは黒い子犬をジッと見る。子犬はやたらとルディアに懐いておりルディアに乗っかりながら寝息を立てている。
(冷たくて気持ち良いのか?)
などと考えていると、
「着いたぞ。すまないがレイ、積荷を下ろすのを手伝ってくれ。」
そう、声がかかった。その声を聞いて、
(…ん?…今、名前で呼ばれたような?…まぁいいか。)
「はい、わかりました。」
今まで名前で呼ばれたことが無かったので違和感があったが別に気にすることでもないので深く考えることはやめた。
積荷を持ってウォルナットの後ろについて行くと大きな建物があった。白い印象が強い建物からは何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「ここは何ですか?」
「孤児院だよ。戦争孤児であったりと…色々と事情のある子供が集められている。子供達には標準語を教えているから君でも会話ができる筈だ。」
「そうですか…。」
戦争、その言葉を聞いてレイの頭の中に旧世界の映像が流れる。あまり良い世界ではなかった。
複雑な顔をするレイの目の前でウォルナットがドアをノックすると奥から人の気配が走ってくる。
「お待たせしました!どちら様…あ!ウォルナット様!いつもお世話になっております。私達にいつもご慈悲をくださりありがとうございます。」
「…久しいな、ニーナ。そこまで畏まらずとも良いといつも言っているだろう。」
「いえ!焔環で居られるウォルナット様にそんな不敬なことはできません。ウォルナット様が居なければ私もあの子達も生きては居られなかったでしょう。感謝してもしきれません。ところで…ウォルナット様…そちらの方々は?」
やけに仰々しい女性の対応を驚いた顔で見ていると目があう。すると女性も不思議そうにウォルナットに質問をした。
「彼はレイだ。後ろにいるのはイリミナ嬢とルディア嬢、…一応紹介しておこうトラという陽狼の子供だ。彼らは今、私と共に旅をしていてな今回の納品を手伝って貰っている。」
「そうでしたか。よろしくお願いいたします。」
ウォルナットの返答を受けて獣人の女性は姿勢を正し、手を腹部の辺りで重ねると深々と先程のウォルナットにやったようなお辞儀をする。その仰々しい礼に直ぐ反応が出来なかった。
だが、イリミナは直ぐに動く。
「ご丁寧にありがとうございます。私はイリミナと言います。よろしくお願いいたします。」
そう微笑むイリミナ。その次にルディアが挨拶をし、彼女らに遅れてレイも頭を下げる。
その後は獣人の女性、ニーナと呼ばれていた女性の後ろをついていく。孤児院というものは初めてきたが意外と綺麗だなと思っていると、
「この孤児院は最近ですがウォルナット様の御助力を得て立て直されたんです。ですから綺麗なんです。」
そう微笑まれた。黒と白が基調となっている彼女の服は、どこか旧世界の本の中に出てくる侍従だかシスターだかの服に似ていると感じる。その彼女の言葉に、
「ごめんなさいキョロキョロして。少し気になっただけです。」
「ふふ。お気に入なさらないでください。この孤児院は直ぐにボロボロになってしまうのでウォルナット様が定期的に修繕の出資をしてくださっているのです。ですからこうして綺麗な孤児院を見ることができるのです。」
そこまで話すとニナは廊下の奥にある扉の方に早足で近づき、そして、開ける。
そこには、
「わ〜!ウォルナットさんが来た!遊ぼ〜!」
「先に私が遊ぶの!」
「待って!順番だよ!」
獣人の子供達が無邪気に駆け寄ってくる。駆け寄ってきた子供達はウォルナットによじ登って髪で遊んだり、納品物の入った箱に手を突っ込んだりと自由だ。以前の話では子供に怖がられている印象があったのだがそうでもないらしい。
「人気ですね、ウォルナットさん。」
「…ここまでになるのに3年は掛かったがな。子供によっては未だに怖がられる。」
「…あ〜、…3年ですか。」
何とも言えない数字に苦笑いするレイ。すると、レイのローブを引く力を感じる。その方向を見ると、
「兄ちゃん!遊ぼ!」
と、子供達が目を輝かせていた。しかし、今はウォルナットの同伴で、この後に魔力操作という大変魅力的なものが待っている。その為、断ろうとしたが、
「こっちきて!あっちで英雄ごっこするの!」
「ちょっ!ま、待って!」
もの凄い力で引っ張られてしまった。思わずよろけたが何とか荷物を地面に下ろして死守。
そのことに安心していると、先程の少年の言葉を思いだす。
「ん?英雄ごっこ?」
「そうだよ!僕が英雄で、兄ちゃんは悪い人ね!」
(マジか…。)
思わず心の中で戦慄するレイ。レイの予想が正しければ…
「よ〜し!みんないっくぞ〜!悪いやつを倒せ〜!」
そこら中から破裂音が聞こえてくる。子供達が壁に罅を入れ、床を踏み抜き迫ってくる。
それを何とか交わしているのはレイだ。何故だか分からないが少しづつ英雄が増えていき今は8人になっている。
「兄ちゃんって結構強いんだな!よし!皆んなもっと頑張るぞ!」
「「「おーー!!」」」
「頑張らなくて良いよ!」
子供達が四方八方から弾丸のように飛び掛かってくる。此方から手を出せないために、正直今までで1番キツいかもと思うレイ。そんなレイなどお構いなしに子供達が縦横無尽に駆け回る。
「うわ!」
「あ!今の惜しかった〜!」
最早、恐怖でしかない。あの無邪気な笑顔でさえ怖く感じる。子供の残酷性とはこの事かと考えていると、
「皆さん?いい加減にしなさい。駆け回りたいなら外で、と言いましたよね?」
静かな女性の声がレイ達の耳にハッキリと入って来た。その瞬間空気が凍りついて子供達の動きが止まる。詳しく言えば凍りついたのは子供達だけで大人達はなんともない。ついでに言うなれば、イリミナとルディアは獣人の女の子達と楽しげに会話をしている。これはつまり、
「「ご、ごめんなさい。」」
レイを追いかけていた男の子達が恐る恐る声のする方を見る。そこには、
「何度言えば分かるんですか?」
目の奥で怒りを物語るニーナの姿があった。怒りの矛先は獣人の男の子達のみである。怒っているニーナは「まったくもう!」と言いながら奥に行くと倉庫らしき場所からボールらしきものを持ってきた。すると、
「これで外で遊んできなさい。外でなら思いっきり蹴って遊んでいいから。」
(…蹴って遊ぶ?蹴って…蹴って?!)
それはつまり、床や壁を破壊する身体能力を持つ彼らに渡せば、
「ダメです!子供に遠距離武器はダメですよ!死人が出たらどうするんですか!?」
思わずそう叫んでしまった。
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「先程は…ありがとうございました。ウォルナットさんは命の恩人です。」
「…そこまで言うとはな。やはり早めに連れ出せば良かったか。」
ウォルナットも苦笑いをしている。今はあのデスゲームの会場からウォルナットの力を借りて抜け出したところだ。孤児院の裏手にある広間に来ている。裏手と言っても孤児院とはかなり距離があるが。
「さて、では早速始めるとするか。」
そう言うウォルナットが真面目な顔になる。いつも真顔ではあるがここ何日かで何となくはウォルナットの表情が分かってきた。その顔を見て、いよいよ魔力の扱いを教えて貰えると、胸の鼓動が高鳴る自分がいることを自覚していた。
ずっと憧れていた魔法。それを扱えるようになるのかもしれない。喜びの感情が全身を回っている。
ただし、
「では、イリミナ嬢。手筈通りに頼む。」
ウォルナットの物々しい雰囲気のみがレイに少しの不安を与えるのだった。




