「思い出の中」
風が頬を撫でる。瞼をゆっくりと持ち上げて視界を広げる。
そこには荒野が広がっていた。その大地は見覚えのある荒れた大地であった。
違う点としては廃墟と化した建物が無いということと、、
(音が…何も聞こえない…)
ただひたすらに続く静寂がレイを包んでいた。風が頬を伝って後ろに流れていくのに音は聞こえない。不思議なことに荒れ果てた大地を風が吹き抜けても土埃が全くあがらない。
(ここは…どこだ…?)
ここで漸くレイは自分の身に起きた不可解を感じとる。
見たことがある景色なのに、それは記憶にあるものと一致しない。
周囲を見渡すが何も無い。見渡す限りの荒野が広がっているのみ。
暫しその場で考え込んだが、このままでは埒が明かないと前進することを決めたレイ。その為の1歩を踏み出し違和感を感じる。感じたのは足裏だ。何かを踏んだ感覚がする。足の裏を恐る恐る覗くと、
(…剣?)
そこには荒野に埋もれている剣があった。その剣を掘り出してみる。
(錆びてる。…思ったより小さいな。)
手にした剣は小さく、短剣と言うに相応しい大きさであった。レイは袖で剣の刀身の汚れを擦ってみるが、
(やっぱり無理か。)
汚れは取れる気がしなかった。そして、もう1つ気がつく。今、手にしている剣が埋まっていた場所、その少し外れた所に似た剣が落ちていた。それも拾ってみるが、やはり錆びて汚れている。手の中の剣を見比べると、どうやらこの2本の剣は2つで1つの剣なのではないかと感じた。剣の形も大きさも、錆びてはいるものの装飾も同じであったからだ。
二刀流の文字が浮かび、構えてみる。風が音もなく流れる。
(……僕は何してるんだろう。)
個人的にカッコよく構えてみたが、それを褒めてくれる人が居なければ虚しいだけだ。
握り心地も大して良くない2本の短剣を元の場所に置く。
周囲に変化はない。無限に続く大地が広がっているのみだ。
レイは歩くことに決めた。特に目標のない探索だ。冷静に考えてみると、今の自分の状況はかなり不可解で絶望的である。だが、不思議とその負の感情は無かった。だからか今のレイの感覚は、自由気ままに散歩をしようという何とも呑気なものであった。
どれほど進んだのだろうか、未だにこの荒野の出口が見つからない。ただ、分かったこともある。それは、
(まただ。)
また、地面に剣が落ちている。ここまでの道程にも多くの剣が落ちていた。それも何種類も。
中には、台座にキチンと収められた立派な剣もあった。見た瞬間にアホみたいに飛びついたら、柄を握った途端に謎の力でぶっ飛ばされた。かなり吹き飛ばされたので2本の短剣があった場所すら分からなくなってしまった。何故だか、吹き飛ばされた痛みは感じなかった。
(さて、今回の剣はどうかな?)
目の前に落ちている長い剣を拾う。
特に異常は起きなかった。
(なんだ…つまらないな。)
レイとしては、あの宙に飛ばされる感覚が意外と楽しかったりする。そのため、剣を見つける度に今回のように掘り出してみては柄を握っている。ガチャのような感覚にレイは楽しさを見いだしていた。取り敢えずハズレた剣は元に戻す。
(あ、またあった。)
戻した剣の側にまた剣が落ちていたので拾い上げる。
特に変化なし。振り回してみる。特に変化なし。
(……。)
元に戻した。
レイは再度歩き始める。あの台座の剣がきっと特別性であったのだろう。大地に野晒しで置いてある剣には吹っ飛ばし機能がついていないに違いない。そう判断して先を進む。
また、少し歩いた。時間があるのかは分からないが、時間があるのであれば20分くらいは歩いただろう。そのくらい歩いたレイの目の前に漸く変化が現れる。不毛な大地に堺が円のように現れる。その円の中には緑が風に揺られ色とりどりの花が咲き乱れており、その緑の大地からは水中で息を吐いた時のような泡らしきものが湧いていた。
その円の中心に、見覚えのあるものが落ちている。そこにレイはゆっくりと近づき、落ちているものを覗き込む。
(これって…僕の包丁?)
拾い上げてよく観察をする。握り心地は間違いなくレイがこの世界に持ってきた黒色の包丁そのものだ。それでもそれが自分のものであると確信が持てない。理由としては簡単で、単純に見た目が違うからだ。レイのよく知る包丁は黒のみの色だった。だが、今手にしている包丁には刀身の中心に白い線が入っている。そして、1番の変化は、
(これで…どうやって切れるんだ。)
刃の部分が無くなっていた。刀身は長方形の形で横からみるとそこも長方形になっている。つまりは刃と呼べる部分がない、何故か柄のついた箱のような何かになっていたのだ。
その不思議な見た目に意識を集中する。理由を考えるが特に浮かばない。
そう、考え込むレイ。だからか、その背後から近づく変化に直前まで気がつかない。
レイがその不思議な剣を手にした時点から、この荒野の世界は徐々に縮小を始めていたのだ。それは泡のように世界の地盤から剥がされて上へと飛んで消えていく。その侵攻は緑の大地へと手をかけて、そして、レイの直ぐ後ろまで迫る。そこまで来て、漸くレイもその変化に気がつく。だが、レイが何かをする前にその侵攻はレイを飲みこんだ。
レイが泡に飲まれて意識を失う。だが、この変化も不思議と脅威には感じられなかった。
ー
ーーー
ーーーーーーー
目に光が差し込む。少しずつ目を開けていけば布でできた天井が視界に入った。周りを見渡すが誰の姿も無い。だが、こ場所がウォルナットが操縦する荷馬車の中であることには変わりはなさそうだ。そのことに内心ホッとする。レイは荷馬車から這うように外に出る。
「起きたか、…また、成長しているな。」
外に出た瞬間にウォルナットが声をかけてくる。その内容にふと左目の調子を確認すると、
(ほんとだ…)
寝てしまう前よりも視界が見やすくなっていた。そのことに不思議な感覚はあるが、特にこれといって不安は無かった。
(魔眼って響き、カッコいいし。)
その広がった視界で周りを見渡すが2人の姿がなかった。そのことに疑問を持っていると、
「2人は食材を取りに行っている。君の分も追加しなければならないな。」
そう答えてくれた。そして、ウォルナットは荷車を除くと鞄を取り出す。そこから様々な色のスパイスや数種類の調理器具を取り出す。かなり本格的に料理をするらしい。ウォルナットの見た目からは想像ができないが料理の腕は良いのだろうか?そう考えるレイ。そして、意外なのはもう1つ。
「ウォルナットさん、似合ってますよ。」
少しニヤっとしながらウォルナットの格好を褒める。ウォルナットはその顰めっ面からは想像のできないエプロン姿になっていた。エプロンの色はウォルナットの瞳と同じ浅緑色の綺麗な物であった。
「…私に前掛けは似合わないと言うのだろう?そんなことは分かっている。
だが、友人の贈り物でな…折角だから使っているのだ。」
ウォルナットがそう返事をする。
「いや、ウォルナットさんがその服を着てるのは意外でしたけど、似合ってるのは本当ですよ?」
意外ではあったが似合っているのは本当だ。落ち着いた緑色がウォルナットの渋さをいい感じに纏めているように思う。
レイに褒められたウォルナットはどこか嬉しげに見えなくもない。レイの言葉に「そうか。」とだけ言うと調理の準備を始めた。だが、直ぐに手を止めて振り返る。そこでウォルナットはレイの顔をじっと見つめると、どこか迷ったように目を動かして、もう一度レイを見る。
「2人に口止めされていてな…言おうか迷ったのだが、
そこまで言うと1度言葉を区切り、再度考える様子。それに頭の上に疑問符をつけて黙っていると、ウォルナットが再度口を開いた。
向こうに川が流れている。目覚まし代わりに顔を洗ってくると良い。」
向こうと背後を指す。その指の先には森が広がっていた。そのウォルナットの言動を訝しく思いながら従うことにする。
森の中を進んで行く。獣道というのは思ったより歩きやすいのだな、と考えながら周囲を見る。
どこもかしこも緑で溢れている。動植物の声も聞こえる。そのことに不思議な感慨を持ってしまう。ふと上を見ると木漏れ日が目を刺す。その光は強いように感じる。
(そうか、もう夏季になったのか。)
どうりで日差しが強いわけだと納得をする。そうこう考えながらゆっくりと進んで行くと、水が流れる音が聞こえてきた。茂みを少し掻き分ける。
(あった。結構大きいな。)
予想よりも少し大きい川が流れている。川の周辺独自の冷涼な空気がなんとも心地良い。
川の流れる音も新鮮で良いものだと思いながら顔を洗うために覗きこみ、
「なんだ…これ…。え、だれ?」
思わず川に映った顔に声を出してしまった。
そこには自分の顔が映るはずなのに、何故だか少女が映り込んでいた。髪を丁寧に編み込まれている。髪の短さに、その髪の長さでよく編めたなと思う。その髪の編み込みを止めるようにヘアピンの様なものまで丁寧についていた。ふと自分の頭に触れてみる。
(なんか…ある。)
川を除くと右手が触れている箇所に丁度ヘアピンがあった。
ここで漸く理解する。
(あの2人か〜〜。)
その場で四つん這いに崩れる。脳内でルディアとイリミナが楽しそうにレイで遊んでいる映像が流れた。再度、川を見る。
(…落書きまでされてる。)
川に映る顔は少女そのものであった。中性的な顔立ちであったことはレイ自身も分かっていたことだが、それでもそのままの顔で髪を変えただけでは少女の見た目になる筈がない。
要するに落書きというのは、
(丁寧に化粧までされてる…。)
頬や目にもキチンと化粧がされており、口紅もキチンと塗られている。
脳内で2人がウッキウキで塗りたくっている映像が流れる。
(顔を洗うって…こういうことか…。)
先程の疑問が解消された。急いで顔を洗う。
何とか落とせたので次は髪を、、
(これ…どうやって解くんだ?)
編まれた髪の解き方が分からず困るレイ。引っ張ってみたが痛いだけだった。
川に覗き込み、右往左往する。
30分後。
川から戻ってウォルナットのもとへと戻った。そのレイを見て、
「ふむ…どうやら髪型は気に入ったようだな。似合っているぞ。」
と、言ってきた。
「違います、解けなかったんです。」
レイが意気消沈といった様子でそう返答すると、
「…そうか、災難だったな。だが、まぁ、似合っているのは本当だ。似合っているだけマシだろう。」
「似合ってるって…僕はそれをどう受け取れば良いんですか…」
別に特段嫌と言うわけではないが、男として生を受けたのは間違いない。で、あるならば格好良さを少しは求めたいものだ。それもどちらかと言えば、といレベルではあるが。
そう考えながらウォルナットが用意してくれた椅子に座る。
丁度その時、
「あっ!マスターおはようございます!気に入ったんですね!」
「レイくんおはよう。似合ってるよ。」
ニヤニヤした2人が巨大な動物を引きずってやってきた。
それをジト目で見るが軽く笑われてあしらわれた。
「諦めるんだな。君ではあの2人には勝てまい。揶揄われるのも1つの信頼だと思って受け取った方が良い。」
内心で溜息を吐くレイ。それを微笑ましいとでも言いたげな顔でウォルナットが見てくる。
「…なんですか?」
「いや、なんでもない。君達は中が良くて何よりだと思っただけだ。さて、私も自分の仕事に取り掛かろう。2人はその返り血を落としてくると良い。」
「は〜い!」
「分かりました。」
2人が川の方へと歩いていく。それを見送るとウォルナットは巨大な動物の側にいき、これまた巨大な刃物を抜き取る。動物の見た目は蟹のような奴だった。
(もしかして…魔物?)
じっと蟹を見る。
(…考えるのやめよう。…見た目は美味しそうだし。)
そう考えるレイの目の前でウォルナットがテキパキと解体作業を進めている。蟹っぽい何かはあっという間にバラけた。その内の何本かを横に置いたのを見る。
「それはどうするんですか?あの子にあげるんですか?」
あの子と指したのは荷馬車を引いていた熊っぽい動物だ。見た目からして肉食っぽいのでそう考えた。だが、ウォルナットは首を横に振って否定する。
「いや、あいつは木の実しか食べない。肉を食べると腹を下してしまってな。横に避けたこれは今後のための非常食にしようと思ってな。」
「成る程、非常食…え、あの子あの見た目で草食なんですか?」
後ろを振り返る。丁度鼻に虫が止まってクシャミをする瞬間だった。
(…寝始めた。)
見た目からは想像がつかない程、温厚そうである。首をもとに戻すとウォルナットが既に調理を始めていた。無駄の無い洗練された動きから普段から料理をしていることが伺える。
その背中を見ていると、
「君に少し質問があるのだが、良いだろうか?」
「はい。」
ウォルナットが手を止めることなく話しかけてきた。そのことに少し驚いたが即座に返事をする。その返答を聞いたウォルナットがまた口を開く。
「ルディア嬢についてなのだが、あの子はいったい何者だ?」
「……」
いきなり答えにくい質問が来たので固まってしまう。その様子にウォルナットはチラと後ろを見ると、
「いや、すまない。聞き方が悪かった。私は彼女の存在自体を聞いているのではない。彼女は何かしらの事情があるのは見て分かる。私が聞きたいのは彼女の力だ。あの子は言霊の扱いが非常に上手かったのでな、気になっただけだ。」
どう答えるか脳内で右往左往していたレイは少しホッとする
「僕も正直よく分からないんですよね。何故だかあいつは最初から魔法が使えましたし…
そこまで話してふと思い出す。
そういえば、魔力が見えるって言ってましたよ。」
「魔法が見える…それは表現の一種ではなく本当に見えるという意味か?」
レイは以前の会話を思い出す。ルディアは確かに「見える」と言っていた筈だ。
「はい、その意味で合ってると思います。」
その返答を受けて何やら考え込むウォルナット。
「そうか…不思議な子だな。まぁ私の知らない何かもあるということだな。」
どうやら自分で納得したらしい。
「ところで、あの子を私の助しゅ…
「ダメですよ。あいつがやるって言うなら止めませんが。」
「…否定が早いな。だが、そうだな。それが筋というものか。まぁ、1度断られているんだが。」
何となく先が読めたので否定をしたが案の定だった。何故だかウォルナットはルディアを高く評価しているようだ。寝落ちする前の印象はそんな感じ。
レイに即座に否定されたウォルナットはやはりか、といった顔で作業を続ける。
(良い匂いしてきたな。)
先程、ウォルナットがスパイスらしきものを使ったからか急に食欲を唆る匂いがしてくる。
そう考えるレイにウォルナットがもう1つの質問をしてくる。
「イリミナ嬢と君との関係だが…いや、聞き方が悪いな。…ふと不思議に思ったのでな。あの子は滅びの種族の1人だろう?私も久方ぶりに出会った。…恐らく、彼女が最後の1人であろうな。そんな複雑な事情を持った子は意外と居てな。どの子も警戒心が強く顔すら合わせてくれないほどだった。その内の1人である筈の彼女はやけに君と仲が良いと思ってな。それが気になっただけだ。」
そう言われて考える。イリミナは最初から好意的であった。よく知らない者達を屋敷に招き入れたのだ、警戒心は無いように思える。
「最初から好意的でしたよ?騎士になって欲しいとも言われましたし。」
「…騎士か、成る程。…ふむ、古典的なのも嫌いじゃないな。」
レイの返答を聞いたウォルナットは意味深に笑う。そのことを怪訝に思っていると。
「いや、すまない。気にしないでくれ。少し懐かしい気分になったのでな。とにかく君達が仲が良いのが分かったよ。」
レイは怪訝な顔をより深めて、そのことを追求しようと口を開いた瞬間に横から声が割り込む。
「それは…
「マスター!見てください!この子!可愛いですよ!!飼っても良いですか!?」
声のした方を見ると凄い勢いでルディアが茂みから飛び出して来た。その後ろからイリミナが草を掻き分けてルディアに続く。
そのルディアのアームには動物の子供が持ち上げられていた。その見た目は犬のような狼のような、兎に角その系統の見た目であった。色は黒く、毛艶は良さそうだ。ただ、
「飼うって、それはイリミナさんとも相談するとして…その子大丈夫?なんか弱っているように見えるんだけど。」
呼吸がかなり浅く、明らかに衰弱しているように見える。
じっと見つめていると、その子犬も此方を見つめてきた。その目は綺麗な黒色でとても愛らしい。その目にじっと見つめられると、なんだか、
(なんか…変な感じだな。)
身体の中心が熱くなるような感覚を覚える。もう一度子犬を見る。すると、先程とは少し違ったものが見えた。
「何か、変な煙が見えるんだけど…これ何だろう?」
子犬のお腹の辺りから黒い靄の様な煙が出ていた。
「そうなの、多分だけど呪いになりかけていた物を食べちゃったんだと思う。さっき私が少しその呪いを取り払ったんだけど…取りきれなくて…。」
イリミナが優しげに子犬を撫でて、そう語る。
(呪い…か。)
その言葉を意味する物、それはこの世界に存在する不可思議な力の1つだ。呪いは怨念などの負の感情が魔力に纏わりつき塊となることで力を持つと本に書いてあった。その塊は動植物だけでなく大地にまで取り憑くことがあるらしい。その反対の祝福という概念もあるのだが、これは呪いの逆だと思えば大体は合っている。
「陽狼の子供だな。…確かに呪いの力を感じる。このままでは助からんな。」
「ウォルナットさんなら何とかなりませんか?」
「…すまない、私では力になれん。」
ウォルナットに期待していたのだろうルディアが質問をし、それを申し訳なさそうに首を振るウォルナット。イリミナもそのウォルナットの様子に悲しげな顔をする。
だが、直ぐにレイの方を見た。その瞳は透き通っていて、真っ直ぐにレイを見つめている。
「レイくんなら何とかできない?」
その言葉に、直ぐに返事することができなかった。
単純な話、自分はこの子を助ける者の候補に入っていないと思っていたこと、そして、そのことからイリミナの質問が意図せぬものであったこと、この事から返事をすることができなかった。
(何とか…。)
子犬を見る。やはり煙が出ていた。自分にできること…それを考えるが一向に思いつかない。
じっと子犬を見ると、子犬も此方を見つめ返してくる。
すると、
(…何だこれ?)
身体の中の熱が高まるにつれて、子犬の周りに漂う黒い靄がはっきりとした形になっていく。それは絡みあった毛糸のように縺れており、
(……!)
手を伸ばすと摘むことができた。手に掴んで感触がないにも関わらず脳はハッキリと掴んでいると感じる違和感。それを試しに引っ張ってみる。
「キャウ!!」
子犬が苦鳴を上げたので直ぐに手を離す。どうやらこの黒い糸の塊は子犬と繋がっているらしい。今の様子からして下手に乱暴に扱うと子犬に悪影響が出るだろうと判断する。
もう少し目を凝らす。
その黒の中には白い何かが揺らめいていた。本能的にそれは傷つけてはいけないと理解する。
(何か…この糸を切れるものは…。)
そう思い、腰の辺りに手を回す。この時のレイは目の前の事に集中していた。その為、周囲の驚きの声も、手にした物が何故そこにあったのかも気がつかなかった。
レイの右手には刃が無い長方形の刀身に白い線が入った剣が握られていた。
それが子犬に近づくにつれて、いつもの見慣れた黒刃の包丁へと姿を変える。
それを軽く黒い糸に押し当てる。すると糸はすんなりと切れた。レイは慎重に黒い糸を裂いていく。少しづつ丁寧に、傷つけないように。ある程度斬り終えると糸を外していった。
外せば外す程、子犬の容態が良くなっていくのが目に見えて分かる。
最後の1つを外し終える。外した糸は空中を漂っている。逃してはいけないとその塊を掴むと、
(…あれ?)
一瞬にして黒の靄の感触が消失した。手のひらを見るがやはり無い。そのことに疑問を持っていると、
「…驚いたな。まさか、呪いにそこまで干渉できるとは…」
ウォルナットが驚きの声をあげていた。それに続いてルディアとイリミナが歓喜の声をあげる。
「さっきより顔色が良くなりましたよ!」
イリミナとルディアは子犬を嬉しそうに撫でている。その様子を見て安堵。
「いや〜マスター流石です!いつの間にそんなことできるようになったんですか?」
「……」
ルディアに聞かれるが何と答えれば良いか分からない。実際、自分自身も驚いている。そんな状態で何と答えるべきか分かる筈もない。
「…分からないな。何でできたんだろう?」
手を見つめる。特に異常はない。そう考え込むレイにエプロン姿の男が話しかける。
「それは、恐らく君の中の力だな。しかし、初めからそこまで力があるとは思わなかったな…」
ウォルナットがそう驚いたように言う。その言葉を受けて、身体に軽く触れるがそこには先程の熱がなかった。隣でウォルナットは何やら「最初から力が使いこなせるのは…力が力だからか?」とブツブツ考え込んでいる。
すると、どこからか呑気な声が聞こえてきた。
「わ〜美味しそうです!」
「ほんとだ、早く食べようよ!」
2人が呑気にウォルナットの料理を皿に盛り付け始めている。その様子にウォルナットは呆れた様子で、
「普通は疑問に思う筈なんだがな…」
と、レイの方を見る。その顔には苦笑いでしか返すことができなかった。
その後はウォルナットの料理に舌鼓を打ち、食べ終わり次第すぐに出立をした。食事の際に自分が寝ている際のアレコレを聞いた。
1つ目にカルミルについて、首都を収めていた貴族がレイ達を城の食事会に招待してきたが断ったこと。これを断った理由は容易に分かる。イリミナが魔法で容姿を変えることができなかったからだ。もし貴族なんかに目をつけられたら大変だ。その辺りの断りはルディアとウォルナットが上手く対処してくれたらしい。名を尋ねられた際も「ソルロットです!」と偽名を使ったらしく抜け目がない。
2つ目は黒刃の包丁について、呪いを切った後の包丁は見るに耐えないほどやる気が無さそうな見た目になっていた。人ではないのだから当たり前だろうと思うだろうが、見た目が完全にやる気が無いのだ。包丁はスライムのように柔軟になっており、柄を握って振ってみるとやる気なさげに揺れるだけだった。刃もいつの間にか長方形に戻っており、最早なんのために存在しているのか分からない道具になってしまった。不幸中の幸いなのは柄が握れることぐらいしか無い。その剣を見て、2人がお腹を抱えて笑っている光景は記憶に新しい。
3つ目に拾った子犬について、この子犬は自分達で飼うことになった。ルディアが嬉しそうに、
「トラちゃんご飯ですよ〜。」と名前までつけて大事に可愛いがっている。この子犬はかなり珍しい動物らしく、特徴としては身体の伸縮が自在で身体の大きさを変えることができるらしい。この子犬は陽狼というらしく、雄と雌とで見た目が違うとウォルナットが教えてくれた。因みに雌は真っ白な見た目らしく、カルミルに連れていってくれた白い犬がその雌らしい。
その話意外にも、前回寝てから丸一日が経っており今は朝の9時半頃であるということ、その寝ている間に起きた出来事も3人が教えてくれた。ルディアが魔物を1人で相手取った話は正直言って信用して良いものか迷ったが。
出立した後も気ままに会話をして時間を潰す。自分のことに関しても不安はあるが、それでも何とかなるだろうと楽観視してしまうのが不思議だ。
そうして何日か旅を続けて漸く次の街が近づいてくる。
自然豊かな森を抜けると、単純な作りをした外壁が見えてきた。
いよいよ獣人達の街に着く。その街の奥には通って来た森よりも大きい森が見えている。恐らくあれの奥に幻獣の森があるのだろう。
そう考えると不安などどうでもよくなってくる。街が近づいてくるにつれて胸の鼓動が高まるのを感じる。
「楽しみだね!」
隣でフードを被っているイリミナもその目を輝かせている。
この街には検問所がないらしい。そのままレイ達を乗せた荷馬車は街の中へと入っていき、
「へ?」
気の抜けた声を出してしまった。入った瞬間に荷車から少し顔を出していたレイの横にフォークが刺さったからだ。そのフォークが飛んできた方角を見ると、耳と尻尾を生やした少年2人が戯れて遊んでいる。その手にはフォークが握られており、
「…言い忘れていたが、獣人である彼らは強靭な肉体の持ち主でな、子供の遊びであっても人族のそれとは思わない方が良い。…まぁ、なんだ…慣れれば楽しい街には違いない。死なないように頑張ってくれ。」
(…不安になってきた。)
そう、苦笑いするしかなかった。